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2013年6月 4日 (火)

アレンジしての演奏

昨日はストラディバリウス サミット コンサートへ行ってきたので、その後のTweetのまとめなど。

今日のコンサートのメインはヴィヴァルディの四季だったのだが、何というか、改めて音楽は自由でそして楽しいという事を思い出させてくれた気がする。なるほどこういうアレンジをする方法もあるんだな、と。
2013年6月3日 21:40:00 HootSuiteから

ん?と思わせるルバートを入れたり、低弦でピチカートのアルペジオやヘミオラっぽいリズムを混ぜてみたり、コル・レーニョやスル・ポンティチェロで弾いてみたり、はてはバルトーク・ピチカートまで登場して、なかなか刺激的だった。
2013年6月3日 21:46:27 HootSuiteから

それに四季という曲は「和声と創意への試み」の名に違わず、改めて聴いてみると、とても実験的で自由な感じがする。まぁその分難しいのだけれど。
2013年6月3日 21:53:18 HootSuiteから

実際、今日聴いたようなアレンジは、オリジナルをきちんと弾けて、原曲に込められた和声と創意への試みをきちんと理解した上でやらなければ、調子っぱずれのカラオケと同じ結果になってしまう筈だ。そういった意味ではとても難しい。でもやってみたい。オリジナルもまともに弾けないけどな。
2013年6月3日 22:07:02 HootSuiteから

ちなみに今日の四季は曲ごとにソリストが入れ替わったのだが、多分アレンジもそれぞれのソリストが考えていると思う。個人的には秋のアレンジの意外感が一番好き。
2013年6月3日 22:12:57 HootSuiteから


遊び心のあるアレンジというのは、それを支える技術や理論がないと、単なる下手にしか聴こえない。そういった意味でアレンジというのはとてもチャレンジングな話ではあるのだが、とても惹かれるチャレンジではある。

・・・アマチュアが手を出せる領域ではないような気もするけどね。

そもそも、ああしたアレンジが持つ「自由さ」というのは、演奏者が気ままに弾く意味での自由ではなく、元の音楽が持つ枠組みを崩さずに変形させる自由で成り立っている。

例えば本来楽譜にない音をアルペジオの形で加えるには、その瞬間における和声だけではなく、フレーズや音楽全体のコード進行に対する理解が不可欠だ。特殊な奏法による効果を加える場合も、それにより奏でられる音楽が、元の音楽の意図を壊さずにむしろ増幅するものである事が求められるだろう。

そういったある種の「計算」があって初めて遊び心のある演奏が完成する。奏者が遊んでいては成り立たないのだ(もちろん楽しんではいるのだろうが)。

今オレイユで練習しているシューマンの4番は、マーラーの編曲版だ。それはマーラーの「遊び」ではなく、シューマンの音楽をより明確に表現する(もちろん「マーラーの解釈におけるシューマン」という但し書きはつくが)ためのものだろう。

結果として遊び心のあるアレンジであっても、そうした原曲に対する理解と、その意図を壊さない配慮は必要不可欠であり、その辺りの理論的なバックボーンが(少なくとも自分には)ないんだよなぁ。

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