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2013年7月31日 (水)

生活の固定化

最近・・・だけというわけでもないが、生活が固定化している気がする。

毎週日曜日に府中の練習。
毎週火曜日に上野の森の練習。
(先日までは)毎週土曜日にオレイユの練習。

毎朝5時に起き、6時前に家を出て、7時にプロントで朝食、ブログ執筆。
毎昼は大体RESPEKTで昼食。そうではないにせよ、何店かでローテーション。
毎夕は練習がなければ平河町ライブラリー。その前に丸亀製麺で夕食。

別に波瀾万丈な毎日を送りたいわけではないし、ようするに生活として安定しているということだから悪いことはないのだが、何となく惰性感がある。

とこんな事を書くと、何か適度な刺激や変化を求めているかのようなのだが、実際にはそうでもない。
このまま淡々と日々がすぎて年を重ねていくのかな、と漠然と感じたりするが、特段不安とか焦燥感があるわけでもない。

実際、新しいことがないかといえばそんなことはなくて、今年は1月から上野の森交響楽団に参加し始めたし、7月からは仕事も変わったりしている。ただ、一昨年からの平河町ライブラリー通いといい、一発ではなくサイクル的にやることが増えていて、スケジュールの遊びというか、隙間というか、次は何をしようか的な余裕あるいは「欲求」がなくなっているような気はしている。

一週間前も、一ヶ月前も、一年前も、同じ1日を送っていたかのような。
だから「固定化」なのだ。

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2013年7月30日 (火)

ブランドの生み出す価値

ブランドは難しい。

だが、ブランドの考え方自体は実はシンプルな気がする。難しいのはブランドを付加価値やマーケティングに結びつけた時だ。複雑なのは、ブランドそのものではない。

付加価値は、商品そのものが生み出すものだ。ブランドが付加価値になるといった事が言われているが、どんなブランドであっても、付加価値のない商品は(最初は売れても)売れなくなる。
コモディティ化が進むと、ブランドによる差別化が重要になるというが、そこで商品の付加価値の追求をやめてしまったら、その商品は(もちろんブランドも)終わりだ。

ブランドは、商品の付加価値を顧客に証明あるいは期待させるものであって、付加価値そのものではない。商品の付加価値を支えるのは、商品そのものの不断の進化の追求であって、ブランドによるイメージアップではない。あるブランドをつける商品には、そのブランドにふさわしい価値が求められる。ブランドが価値になるわけではない。

・・・と、これぐらいならいたってシンプルなのだが、世の中には「持つことがステータスとなる」ブランドというのがある。この場合は、ブランドが商品の持つ価値以上の付加価値を生み出していると言えるかもしれない。

ただし、その「ステータス」という付加価値は、商品の付加価値ではなく、それを持つ人に生じる付加価値だ。商品ではなくそれを使う人の価値を保証するブランドになっている訳で、だから厄介なことに持つ人の行動によっては、ブランドの評価を下げるといった事にもつながってくる。

そういった意味では、やはりブランドが付加価値となっている訳ではない。商品の付加価値を証明するものから、持つ人の付加価値を証明するものになっただけの話だ。持つ人がふさわしい価値を示すことができなかったら、どんなにブランドをまとっても、価値自体は下がり続ける。

厄介なのは、それらが商品とブランドを提供する側にはコントロールが効かない領域であることだろう。そこでブランディングというマーケティングが必要になってくる。それはようするに使う人を、ふさわしい価値を生み出していけるようにしていくことだ。

ここまでいくと、やはり「ブランドは難しい」となるかもしれない。

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2013年7月29日 (月)

立ち戻る場所

土曜日にアンサンブル・オレイユの定期演奏会終了。

怒涛の(でもないか)2週連続本番が終了し、少々ホッとした所だが、来週は別の意味で緊張するイベントがあったりして、あまり気の休まる感じがない。それでも、昨日の午後はのんびりと、大分前に買ったCDのiTunesへのリッピング作業などをすることができた。(CD22枚で348曲もあったが・・・。)

今回のオレイユは、比較的馴染みやすいプログラムだったのだが、練習に何度か参加できなかったり(特に直前週はちょっと痛かった)、さらう時間が取れなかったりして、個人としてはやや不完全燃焼だった。それでもマーラーの10番なんかはとても楽しかったし、全体の響きに気を使う練習にもなったと言えるだろう。それと、何というか自分の弾けなさかげんを思い知ったとでも言おうか。

打ち上げで、トップが「普段の練習はもっぱらレーガーの無伴奏」と話していて、エチュード代わりとしても最適と勧められたのだが、実はそういう「普段の練習メニュー」というのを自分が持っていない事に気づく。自分の調子を整えるためというか、立ち戻る場所というか、そういうメニューだ。

本当はない訳ではない。自分の場合、チェロのバックグラウンドはスズキメソッドにある訳だから、その教則本こそ「戻るべき場所」と言えるだろう。でもそのように認識していないのだ。

それは実はもったいない事かもしれない。

・・・もっとも、そうやって立ち戻る時間があるかどうかといわれればそれはまた別の話だ。昨日の府中の分奏でも、ティル・オイレンシュピーゲルはまだ全然弾けていないし、そうやって「練習しなければならない」曲に追われてしまっているのが現実だからだ。

そうして、明日からは上野の森の次回定期演奏会に向けた練習がスタートするので、またまた読む必要のある譜面が加わるのだった。

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2013年7月26日 (金)

計画を立てる

新しい仕事に就いてから、日報を書く作業は続けていて「ああ今日は何もしていない」とか「今日はまぁ一つ進んだ」とか一喜一憂したりしているのだが、それはそれとして長期的には「いつまでに何をする」というのを押さえておかなければならない。

これはオケも同じで、意外と惰性と勢いでやってしまったりするのだが、本当はきちんとスケジュールのようなものは持っておいた方が良いのだ。

予定の管理はGoogleカレンダーを使うようになって久しいのだが、こうしたカレンダーでの管理は長期的な「計画」を可視化するのが難しい。方向性のような漠然としたものではなく、ステップや到達感が分かるようなものという意味だ。

そうした長期計画を考えるというのは過去に何度か試みていて、大体同じようなフォーマットに仕事もオケも落ち着くのだが、そうした計画とは裏腹に、実際の実行は悲しいかなついてこない事が多い。それを実行力の欠如とみるか、計画の立案方法自体に問題があるとみるかは 個人的には判断がしにくい。

とはいえ、他に上手いアイデアがあるわけではなく、今回の仕事は特にそうして先々を見ていかないと大変な事になりそうなので、現在計画シートを作成中だ。少なくとも「やらなければならないこと」の整理にはなるだろう。

まぁでも現実の問題はそこにはない訳で、どう実行していくかについては、また別に考えなければならない。

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2013年7月25日 (木)

物語を読む

kindle paperwhite はすこぶる好調。手に持って歩くには微妙なサイズ(iPhoneのように握るにもiPadのように小脇に抱えるにも中途半端なサイズ)なのだが、手に持った軽さと一画面に表示される文字数(これまたiPhoneでは少なくiPadでは多い)がとても自分に合っている気がする。

改めて思うのは、自分は本を読むのが好きだったんだなぁ・・・それなりに、という事だ。部屋にうずたかく積み上げて片っ端から乱読・・・という事まではなくても、読んでいる間は他のことを忘れて没頭できる。

それはつまり小説が好きってことだ。何というか「物語」が好きなんだな。だから必ずしも文字にはこだわらない。漫画でも良いしテレビドラマでも良い。とはいえあまりテレビを見ないのは、一度見始めると最後まで気になってしまうので、時間的拘束が強すぎるから避けているだけだ。

ビジネス書でも、物語仕立てだとガンガン読む。読む・・・のだが、記憶に残るのはストーリーばかりで、そこに散りばめられているビジネスエッセンスはあまり記憶に残らない。ストーリーにしても、後で聞かれた時に説明できるかといえばそんなことはなく、いわば「消費」しているだけの状態に近い。

もっとも、読んだ内容すべてを吸収しようと心がまえていない限り、さらさら読んでいて記憶に残るセンテンスなんていうのはたかが知れている。大切なのは、意識せずとも記憶に残るような、それだけインパクトのあるメッセージに遭遇できるかどうかで、そのためには乱暴なようでも量をこなすしかない。


もっとも、やや心配なのは視力の低下だろうか。目にやさしいとは感じるが、紙の本で読んでいたって自分の場合電車内の読書は視力に影響があるのだ。あまり過度には読まないように注意をしたほうが良いのかもしれない。

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2013年7月24日 (水)

演奏会の段取り

昨日の上野の森の練習はお休みだったのだが、会場は使えるという話だったので、せっかくなので個人練習をさせてもらった。とりあえず週末のオレイユの楽譜を「思い出して」おかなければならない。今更弾けないところを弾けるようにするのは簡単ではないのだが、弾けるところを忘れるのは簡単だ。ほんのしばらく弾かないでいれば良い。

流石に弾けるはずの箇所を「忘れていて」失敗するのは情けない。だからそれは思い出しておく。正直直前にできることはそれぐらいだ。最後の詰めで一夜漬けのように詰め込む事が不可能とは言わないが、そこまで弾き込む時間はない。

で、今週中にどこかで一度弾いておきたかったという課題はひとまずクリアしたので、次の事を考えなくてはならない。府中の定期演奏会に向けた実施要綱の作成だ。これも今週中には素案を作っておきたい。うーむ、面倒くさい。

実施要綱自体は型ができているので、今回の演奏会の情報を当てはめれば良いという考え方もあるのだが、作るからには工夫したいと思ってしまうのが余計な色気なのだろう。そうやって考え出すとある意味きりがないので、やたらと時間がかかったりする。仕事でもそうだが、悪いとまでは言いたくないにしても厄介な癖だとしか言いようがない。

しかもそうやって作り込んでしまったものは、引き継いだ人にも同様の工夫や手間を要求してしまうので、結局余計なお世話になりかねなかったりする。

そんな訳でなるべくシンプルにとは思うのだが、直前に上野の森の演奏会でしおりやマニュアルが配布されていて、例えばそうしたものを参考に手直しをしたいという欲求は常にある。そもそもそれらは他のオケに参加する動機の一つでもあるのだ。スタッフはどのように役割分担をして、どのように配置し、どのような作業指示を与えるか。どういった情報があれば彼らが動きやすく、かつ互いに連携が取れるようになるか。

演奏会は音楽を演奏すれば成り立つ訳ではない。プロではないからこそ、いかにスムーズかつ負担の少ない形でコンサートのマネジメントができるかというのは大きな課題だ。当日は団員はもちろん外部のお手伝いも含めてそうしたコンサートの「スタッフ」をお願いする訳だが、初めてでも分かりやすく、無駄のない段取りを事前に作り上げておきたい。

・・・ま、実際には結局「よく分かっている人」の「当日の奮迅」で乗り切ってしまう事が多いのだが。

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2013年7月23日 (火)

府中のパート練習

今日も早く出社したいので電車で書く・・・といっても何かネタがあるわけではない。
で、先日の府中のパート練習の話など。

いつもだとパート練習は「え?こんなに弾けてなかったの?」となる事が多いのだが、今回の運命に関していえばそこそこ弾けている印象がある。むしろここから詰めていけるかが課題だろう。細部を言い出したらキリが無いくらいやる事はある。

その辺りは、今はまだ全然弾けていないティル(・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら)の方があっさりクリア出来る可能性もある。いやもちろんそもそもが簡単に弾けるようになる訳では無いのだが。

上野の森の打ち上げで、指揮者が「何度もやっている有名な曲だからこそ、常に新しい課題を持ってより素晴らしい音楽を追求していく事が大切」という主旨の話をしていて(確か)、運命も(実際にはそれほどやる機会がある訳では無いのだが)同じような心構えが必要だろうと思ったりした。本番ではなく、練習であっても、毎回前回とは違う新たな挑戦を考える必要がある。

そもそもアマチュアが、天才が血のにじむような思いで生み出したような曲を演奏するのに「ここまでで良い」なんてラインがある訳無いのだ。(これも昔言われた話。)

もっともそうした細部を詰めるのは難しい。「弾けるようにする」を考えるのは何とかできても「上手く弾けるようにする」「美しく弾けるようにする」のは容易ではない。今の自分にはパートとしてそこを詰めていくメソッドがないのだ。

とりあえずリズムの精度を上げるために、とにかく一定のパルスで弾けるようにする(厳密には自分のパルスが乱れるポイントを把握するまでがおそらく精一杯だとは思うが)ような練習の指示はしてみた。

後の問題は・・・そうした指示を出した自分が乱れる元凶にならないようにする事だー!

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2013年7月22日 (月)

演奏会終了

今日は朝の時間を別の事に使いたいため、ブログは電車内で更新する。せっかくKindleを手に入れたので本も読みたい所だが・・・。

週末に上野の森交響楽団の定期演奏会が終了。終了後の打ち上げで指揮者が結構厳しい評価をしていたのだが、個人的にも課題は多かった。流石に3団体掛け持ちで各3曲計9曲の練習は厳しい事を実感する。

もっとも、その分楽器に触れる時間は増えているし、これが1団体3曲だったら問題がなかったかといえばそうではないだろう。そもそも掛け持ちにしているのは、否応なしに楽器を弾く時間を増やすためだ。それが単純に減るだけとなる可能性の方が高い。

問題は週に3回あるアンサンブルの機会をどう生かすかだ。これがあまりうまく出来ていない気はする。集中力が不足しているというか。その時間だけで仕上げていこうという覚悟が足りないというか。

今のところ答えはないのだが、この体制でもきちんと乗り切れるような練習への姿勢(方法も含め)を確立するのが今後の課題だろう。仕事の関係で今後練習の時間が削られる可能性もある。

もう一つ今回の演奏会で強く感じたのは、自分の音が荒くなっている事だ。これもどう表現したらわからないのだが、府中ほど音量を出すプレッシャーはなく、実際セーブしているぐらいなのだが、にもかかわらず、あるいはだからなのか、自分の音の荒さが耳につく。

これも正直な話どうしたらよいという答えはない。毎回の練習で少しでも意識していくしかないのかもしれない。

次の土曜日にはアンサンブル・オレイユの演奏会がある。2週続けてというのは、直前の練習への参加ができなくなったりといった問題があるのだが、そこは何とか乗り切るしかない。少なくとも今週は一度練習時間を確保する必要があるだろう。

並行して府中の演奏会の企画をそろそろ形にしていかなければならない。運営委員会も本番まであと3回しか予定していないのだ。

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2013年7月19日 (金)

メモ

今日は時間がないので手短に。というか、メモ。

ようやくKindle paperwhiteを購入した。あえて3GではなくWi-Fiモデル。基本的にはこれでしか読まないつもりでいれば良いからだ。どうしても緊急に追加したい本はiPadなりiPhoneで読むこともできるが、それはあくまでも緊急回避的な話だ。

昨日のエントリーに沿って日報を(個人的に)書くことに決めた。とりあえずは自分のカレンダー上に書いていく。内容は【今日何をして何を得たか】【問い合わせ・相談】【明日何をするか】の3項目でとりあえずは箇条書きでメモ的にまとめる。意識していきたいのは「書くことがない日にならないようにする」事だ(もちろん問い合わせ・相談はその限りではない)。可能ならこれに週報と月報を加えたい。

昨日のミーティングで「寝ても覚めても四六時中仕事の事を考えるようになる」と言われた。「なれ」ではなく「なる」というのは結構重い。心構えの話ではなく、自然にそうなるよというある種の警告でもある。何しろ文脈としては、「だから頑張れ」ではなく「だから気をつけろ」なのだから。そういえば今は「仕事よりオケを優先しろ」と公言する某市民オケの代表は、自ら若い時に「仕事に集中するためにまったく楽器から離れた」事があると言っていた。それは当人の意思によるものだった訳だが、自分はどうなるだろうか。

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2013年7月18日 (木)

計画ではなく記録としてのタスクリスト

やったことリストというのは良いかもしれない。

あなたのやっていることは本当に生産的? 自分自身につきがちな4つの嘘(と、それをやめる方法) : ライフハッカー[日本版] www.lifehacker.jp
http://www.lifehacker.jp/a/2013/07/130716four_lies.html

昨日平河町ライブラリーで、今後の仕事の管理をどのように進めていくかという事を考えて悶々としていたのだが、今朝になってこのようなヒントを見つけた。

タスク管理というとついつい「これからやること」をいかに細かく効率的に管理するかを考えてしまう。仕事を細かい単位に細分化し、集中的にこなすというのはよく言われる進め方だし、小さな達成感を積み重ねるというのも、仕事術としてはセオリーだろう。

ただ、以前からこのブログで書いているように、自分自身の仕事のスタイルにはイマイチ当てはまらないというか、あまり上手くいった試しがない。

そこで(大枠での目標や方向性は掲げるにしても)計画にはあまりこだわらず、毎日やった事の記録を積み重ねてみる。事前に作ったチェックリストをチェックしていくのでは無く、チェック済みのチェックリストを作るような感じだろうか。

そもそもはっきりと手順や進め方が決まっていない仕事に対して、事前にチェックリストを作るのは労力が大きすぎる。チェックリスト通りに進めば遂行できると決まっている訳でもない。元々手探りで進める要素の大きい仕事なのだから、やることの計画ではなく、やったことの検証としてのリスト作成の方が効果的かもしれない。

もちろん、備忘録やリマインダーとしての「事前のタスクリスト」は必要だろう。でもそれは「仕事の計画」ではないと割り切ってしまえば、思いつきをそのまま断片的に登録しておいて問題ない。その段階で計画化してきちんとしたリストを作ろうとするから断念してしまうのだ。

あとは「やったことリスト」をどのように作成していくかだが、カレンダーに登録する形で「やったことスケジュール」を作成するようにすると良いのかもしれない。どこまで細かくするかは試行錯誤が必要だろうが、時間の使い方も含めて検証が可能になる。

ふむ、アイデアとしては良さげな気がしてきた。しばらくはこのやり方で進めてみよう。もちいろん、節目となるタイミングは決めておかないと、ズルズル後回しになりかねないので、そこは注意が必要だが・・・。

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2013年7月17日 (水)

新しい仕事

新しい職場に着任して、新しい仕事がスタートしたのだが・・・新規入職者向けの研修を受けながら、慌ただしく流されるように、結局進めるべき仕事は進まないままに、初日は終わってしまった。

やや焦りを感じる。それではダメなのだ。何よりも進めるべき仕事が第一で、それ以外は一見緊急性は高いように見えても、重要性までは高くない。当たり前の話なのだが、その配分がまだ自分の中でできていない。

1日目というのは関係ない。そのために引き継ぎも含めて準備はしてきた筈なのだ。だが、やはりどこかで引き継ぎには受け身の要素があったのだろう。自分が能動的に動こうとすると、どうしたら良いのか分からずに立ち止まってしまい、ついつい受け身でする作業に流れてしまっている。(それだけでもそれなりのボリュームだという事もある。)

上司がいて、指示されて遂行する仕事であれば多少の受け身は許されるが、自分の仕事は(前職も含め)そうではない。上司はいるが、指示を出す存在ではない。こちらから動かなければ何も動かない。

という訳で2日目の今日はその巻き返しを図らなければならない。スタートダッシュで遅れれば、いつまでも遅れたままになるだけだ。

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2013年7月15日 (月)

先々を話し合う

今日はお休みなのだが、朝食を食べに出てきたので、ついでにブログも書く。昨日は色々と有意義な話ができたと思うので・・・。

アマチュアオケの予定は、どの程度先まで決まっているのが理想だろうか。
現実は次の演奏会、せいぜいその次の演奏会までぐらいだろう。チクルスのような場合はさておき、実際のコンサートマネジメントを考えれば、1年半ぐらい先までというのが限界かもしれない。会場確保の問題などもあるからだ。

・・・が、そこを突破してその先を考えておきたい、という話で昨日の夜は盛り上がった。
実際に会場、指揮者、プログラムなどを「確定」しておくという話ではない。それには物理的に設定可能な期間というのがある。

でもその「確定」をスムーズに進めるために、「案」を持ち、常に話し合っておくのは決して悪いことではない。特に選曲はそうだ。

「確定するべき」タイミングでは、その時点ではっきりしている条件を基に選択をせざるを得ない。それはスケジュールであったり、会場であったり、予算だったりする。結果として無難な案にまとまってしまうことも少なくない。

だが、案の段階で色々と動いておけば、その条件を動かすことができる「かもしれない」。

大切なのはその可能性だ。青臭い言葉で語るなら「夢」と言っても良い。

例えば府中では今具体的に来秋の第70回定期演奏会の選曲がほぼ待ったなしになっている。これは条件もほぼ固まってしまっていて、ある程度その枠内で決めざるを得ない。でもその時に、次の第71回、第72回、第73回ぐらいまでを視野に入れて選曲案を作ってしまう。第70回のプログラムは「確定」だが、その先は「案」だ。でもそこまでを含めて団内に提示して、案に対して様々な意見をもらうようにする。

もちろん、その案は単なる「できると良いな」ではない。「確定」するまでは、常に変更の可能性はあるが、基本的にはその実現に向けて条件を整えていくべきものだ。条件が整いそうになければ変更するべきだし、逆にまったく別の案に置き換えられても良いものだが、大切なのは「そこに向かっていく意思」を持ち、示す事だろう。

それが、普段の会話や、練習へのフィードバックを生む。「あれやりたい」「これやりたい」はもちろん大切なのだが、3年後5年後に何かをやるために、今これをやるといった発想も生まれてくるはずだ。

何よりそうした流れができれば、目の前のことだけではなく、先のことを常に話し合うような雰囲気が生まれてくる。確定意識を持ってしまうとそうはならないかもしれないが、案として常に吟味をしている雰囲気ができれば、選曲はさらに幅が広がり、柔軟に進めていくことができるだろう。

その積み重ねが、記念演奏会のような機会にこれまで考えもしていなかったチャレンジをする土壌を生む。

条件に縛られないためには、その条件が生じる前に話を進めておく事が重要なのだ。それができるようになれば、もう一皮剥けたオーケストラになるような気がする。


・・・ちなみに、自分が念頭に置いていたのは府中の話なのだが、盛り上がった相手は上野の森の人である。意外とそういう関係の方が、色々話ができるのかもしれない。

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2013年7月12日 (金)

引き継ぎと仕事の可視化

異動の話があってから約1ヶ月半(こうやって書くと意外と長いな)、今日が今の部署での最終日となった。

その間、今の仕事の後任者への引き継ぎ、次の仕事の前任者からの引き継ぎをしてきたのだが、ルーチンではない仕事の引き継ぎというのは難しい。どんなに資料を作って話しても、足りない部分はある。引き継ぎは分身を作るためのものではないし、そもそもこうした仕事において担当者が変わるというのは、やり方も含めた変化が求められているという事でもあるのだ。

とりあえずやらなければいけない事はある。だが、求められているのはそれをこなす事ではない。もちろんそれはそれで押さえておかなければいけないが、求められているのはその先の事だ。そしてそれは自分で見つけ出すしかない。

とはいえ、今回引き継ぎというものを経験して(実はこれまでは前任もしくは後任と一緒に仕事をしながら委譲のような形で引き継ぐやり方ばかりで、今回のようなスッパリ入れ替わるような引き継ぎは初めてだったのだ)、そもそも普段の仕事の中で意識しておかなければいけない事があるのだということを改めて感じた。

それは仕事の記録とその可視化だ。

そんなの当たり前だと言われてしまうだろうが、今回改めてそれが出来ていなかった事を痛感した。よく「人に仕事が付いている」といわれる仕事のやり方があるが、まさにその典型といえるだろう。

「人に仕事が付いている」状態というのは、その人しかできないということもあるが、それよりも「その人の仕事のプロセスが記録として残っておらず周囲から見えない状態」なのだと思う。逆に言えば、どんなに属人的に仕事をしていても、その記録があれば良いとも言える。

何故なら後任者はそれを参考に自分の仕事を組み立てる事が出来るからだ。

マニュアル化、ルーチン化されない企画系の仕事というのは、実はそういう意識を普段から持って仕事を進めることが必要なのではないかという気がする。これは報連相とも少し違う。上司はその人の仕事を把握はしていても、引き継ぐわけではないし、後任者として大切なのはむしろその報連相に至ったプロセスだからだ。(もちろん報連相の記録は記録として大切だが、それは上司でも残しておけるものだ。)

引き継ぎ資料は、そのプロセスがごっそり抜け落ちるような気がした。だから直接話しながら引き継ぎも行うわけだが、それにしても限界はある。

今回自分からの引き継ぎとしては、整理した資料とは別に、メールボックスのアーカイブをそのまま資料として残すことにしている(もちろん不要な情報はカットする)。普段のやり取りというプロセスが残っている資料がそれしかなかったからだ。

だが、次も同じやり方ができるとは限らない。そもそもメールでのやり取りだけが仕事ではないから、そうした部分も記録し可視化していくためには、他にも工夫が必要になるだろう。そしてそれらを「引き継ぎ時」だけでなく、普段から行うことで、本当に万が一自分に何かあった時にも、継承してもらえるようにしておくことができる。

そんな事を改めて考えた引き継ぎだったのだった。
さてさて、今回の引き継ぎが上手くいったかどうかは、しばらく待たなければならない。

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2013年7月11日 (木)

音楽が好きという事

昨日は会社の壮行会があり、何年かぶりにカラオケに行った。基本的に歌わないので、他の人が歌う様を眺めていたのだが、そこで二つの疑問が浮かんでしまった。

一つは、皆はどうしてこんなに沢山の曲を覚えていて歌えるのだろうか、という疑問。

自分が歌わない理由の一つに「曲を知らない」と言うのがあって、これは言い訳でも何でもなく、本気で「ああこんな歌があるんだな」と聞いているのだが、興味の方向性の違いはあれども、時間は有限なのだから、聞いて歌を覚える上での条件はさほど変わらない筈だ。

考えられるのは、普通の人というのは何度か聞けば歌を覚えられるもので、それができない自分にはそうした歌を覚えたりする根本的な音楽的素養がないんじゃないだろうか、という事だ。
もちろん興味のあるなしはあるとは思うのだが。

そこで二つ目に感じるのは、そうした興味も含めて、本当に自分は音楽が好きなのだろうかという事だ。

カラオケを歌っている面々を見ていると、歌っている歌っていないを問わず一様に楽しそうで、音楽の愉しみに浸っているように見える。そういう感覚が、自分には欠けている気がする。ジャンルの問題ではなく、つまりカラオケではなくオケの練習ですらそのように感じる事があるのだ。

端からはそのように見えないよというツッコミもありそうで、という事はカラオケに興じる人たちも内心は同じかもしれない訳だが、こういう理屈を皆が絶唱している最中に考えてしまったりするのは、本当に音楽を愉しむ心を自分は持っているのかな?なんて事を考えてしまったのだった。

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2013年7月10日 (水)

iPadを重宝する場面

今日は別の事業所へ直行。家を出る時間は同じだが、到着はだいぶん早い。もちろんそのまま事務所に行くわけではなく、スターバックスにて朝食と・・・時間まで諸々をする。

日曜日にiPadの初期化をしてしまったので、アプリのインストールやら設定やらを一からやり直している。トラブルではなく意図的なものだ。音楽をもう一度取り込んだ(一時期消していた)ので、そこでは時間がかかったが、当面使いそうなアプリだけにするとずいぶんすっきりする。

というか、普段ほとんど使っていなくて、使うものは固定されているんだな。そう考えると、自分にとってはオーバースペックなデバイスではあるのかもしれない。そもそも仕事では使わないので利用頻度はかなり低いし。

それでも何か原稿を書こうとかいった場合には重宝するし、昨日はiPhoneのバッテリーがきれてしまった後の代替機の役割まで果たしてくれた。関係ないが、iPhoneはこのところ急激にバッテリーが減るようになってきた気がするので、やはり機種変更は必要な措置かもしれない。


さて、打ち合わせの時間までに推敲を一本と原稿を一本仕上げなければ。
こういう作業(特に推敲)は、流石にiPhoneよりiPadの方が助かるのだ。


・・・そういえばメールも打たないと。

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2013年7月 9日 (火)

電車内ブログエントリー

今日は上野の森の練習なのだが、この暑さで楽器持ちはきつい・・・とはいえ、本番間近でここで練習に出ない訳にはいかないのである。(やや仕事の状況に不安が残るが・・・。)

昨日エントリーでiPhone5への機種変更を宣言した(つもりだった)のだが、仕事が長引いた事によりあえなく撃沈してしまった。今日は上野の森の練習、明日は壮行会で、週末までに個人練習の時間を入れたくて、ついでに仕事の引き継ぎも佳境となると何となく今週は見送り感が漂ってくる。衝動的なものなので、放置しておけば冷めるという考え方はあるが、可能なのは昼休みぐらいか。

で、朝の時間も少々惜しくなってきたので、ブログも電車内エントリー。意外と問題なくいける。何より長文が辛いので書きすぎないのが良い。基本的に考えながら書くので、入力のスピードはあまり問題にならないという事も分かってきた。

後は他へのリンクを貼るような込み入った事をやるかどうかか・・・。

例えばこんな具合だろうか。

本当に知的な人間は表現方法は問わず内容で評価すると思うけどね。「【成毛】そもそも知的な人間は漫画なんて読まないよ。」 / “ファンタジーに逃げる“下流”の人々 -「年収別」心底、役立った1冊、ゴミ箱行きの1冊【1】:PRESIDE…” htn.to/fhhAcQ
送信 7月7日 7:29 From Hatena

このプレジデントの特集なのだが、冷静に考えると、本当に必要なのは現在の年収での比較ではなくて、ここ数年で年収の上昇した人がその前に何を読んでいたかであろう。もっともビジネス書などは旬もあったりするので、そうした過去に遡るようなような企画では今の本の売れ行きにつながらないのかもしれない。

どうせなら「今電子書籍化して欲しい紙の本ベスト100」とかやって欲しい。

・・・そういえばKindleもそろそろ欲しいのだった。

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2013年7月 8日 (月)

自パートの音を聴く

今日も朝ゆっくりブログを書いている時間がなさそうなので電車内にて。今後こういった事が増えそうでやや気になるところ。だからという事もあるがとりあえずiPhone5にはする。

週末のオレイユと府中の練習では、自パートの音を聴く事を意識してみた。そうやって改めて意識してみると、いかにこれまで注意を払っていなかったかがよく分かる。正直にいえば府中の方はまだ曲が体に入っておらず、あまり聴いている余裕がない。

とはいえ、聴く事のできたオレイユも、それで合わせられたかといえばそれは別問題。そもそも聴こえているというのが「違う音として」であれば、根本的に「合っていない」事になる。

流石にそこまで違うのはこちらが間違えた時ぐらいなのだが、そうではないにしてもパートとして一体となって音を出す事につながっているかと問われると自信がない。

元々オレイユは少人数のために一人ひとりの音のウェイトが高い。終わった後の飲み会で「(チェロでも)一人欠けると分かるね」といった話題が出たのだが、一体となっていなければ、それも明確に分かってしまうという事だ。

奇しくもパートリーダーからは音の粒をそろえるためにさらう箇所の指示も届いたので、可能な限りさらわなければ・・・ならないのだが、仕事の方は異動前の最後の週で今週どれだけ時間がとれるかはやや心許ない。

それでもなんとかしなければ。何事もそうだろうが、こうして追い詰められてのストレッチが地力の底上げにつながるのだ。

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2013年7月 5日 (金)

日本人は教えすぎている

思うに、日本人は「教えられすぎている」のではなく「教えすぎている」のだと思う。

Business Media 誠:日本人は教えられすぎている
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1307/02/news062.html

その典型がこの方の「研修プログラム」だ。

しかし私の分野は「仕事観・働く自律マインド醸成型」研修である。自分の仕事の意味をどうすれば見つけることができるか、自律的な人間になるための術は何か、幸せに働くための方法はどうかなどを教えることなどできない。

「教えることなどできない」と自ら言い放つものを、「研修」を通じて「教える」事を生業としているのだから、頭が下がる。

キング・カズの言葉は、彼が「教わる」側で、でも教わることなく何とかあがこうとしているからこそ力を持つ。
「教える」側が教わる側を評して「教えられすぎ」と言うのは、滑稽でしか無いのだが、「教えすぎる」人というのは、こうした不満を持つものなのだろう。

そもそも、ハウツーの要求が多いというのは「仕事観やマインドなんて教えられるまでもない。そんなくだらない事を滔々と教えるぐらいなら、きちんと技術論で語ってくれ」という事ではないのだろうか。必要なのはマインドを現実に落としこむ技術論であって「自分が教えるのはマインドで、それを実現する方法は各自がもがいて見出さなければならない」なんていうのは、現実に悩んでいる人間には寝言のようにしか聞こえないだろう。

メジャーリーグのコーチが教えるのは「技術やメンタルを改善するためのヒント」って、まさにテクニカルな話で、マインドなんてどこにもないではないか。確かにそれが正しい。この方の研修は真逆だ。
(受けたことはないので、本当は違うかもしれないが、少なくとも文面から読み取れるのはそうだ。)

方法論を問われて的確に答えられないコーチは、精神論を振りかざす体罰指導者と同じで、単なる役立たずだ。

マインドアップ系の研修って、どうも受けてもピンとこない事が多かったのだが、なんとなく理由が分かった気がしたのだった。人材育成担当者は、技術や方法論をきちんと語れる講師を選んだほうが良い。必要なのは「現実を変えられないマインド」ではなく「現実を変える技術」なんだから。

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2013年7月 4日 (木)

みんなでスーツを着る

少し前にこのような記事を見かけた。

「なぜ日本人は暑い季節にスーツで働いてるんだ!?」外国人が驚愕 | 日刊SPA!
http://nikkan-spa.jp/462476

確かに日本の夏は暑い・・・のだが、この記事に対する自分の反応はこうだった。

だから、このように口をそろえた外国人にはこのように問い返して欲しかった(番組は見てないので、問い返しているのかもしれないけど)。

「何故弁護士や銀行員はスーツを着るの?」
「社会的ステータスによって求められる服装が違うってことなの?」
「ではスーツを着ない営業マンという職業はステータスが低いってことなの?」

最後の方まで言ってしまうと別のハレーションが起きそうだが、その後もう少し考えてみると、実は両者の考えには根本部分で違いがある気がしてきた。

筆者は最後にこう書いている。

安倍首相が「みなさん、この夏からスーツ、やめませんか。日本には、『かりゆしウェア』という素晴らしいものがあるじゃないですか」と言ってくれたら、私はそれだけで彼を断固支持する。

ポイントとなるのは「みなさん」だ。

外国人が口をそろえているのは、ようは「みんながスーツを着る必要はないよね」なのだ。だから、どんな状況であれスーツを着る人もいる。
対して、筆者の主張は「みんなでスーツは着ないようにしようよ」。この両者の意見の間にはとてつもなく広い溝がある気がする。

日本人に必要なのは「みんなでかりゆしウェアを着ること」ではなくて、「みんなが同じ格好をする必要はない」という精神だと思うぞ。バカンスだって、取りたいなら取ればいいじゃないか。取らせてもらうのではなく。

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2013年7月 3日 (水)

パートプレイヤーとして弾く

昨日の電車内からの更新が悪くなかったので、今日もそれにて。気になるのはフリック多用による親指へのダメージと昨日はカバンから出る事なく無用で終わったiPadを今後持ち歩く必要性だろうか。

そんな話はさておき、昨日は上野の森の練習。土曜日に集中練習があったばかりだが、本番も近いので、いよいよ佳境という事になるだろうか。

昨日の練習では、先日のオレイユの練習で指摘された事を意識してみた。昨日書いた「トップの音の響きを広げる」ような音の模索だ。正直、解答がないというか、どうしたらそうした弾き方になるのか、試行錯誤するしかない。

ただそうした事を意識し始めると、自分がいかに普段周囲を意識せずに弾いているかを自覚させられる。正確にいうと、同じチェロパートへの意識の不足だ。ではどこを意識しているかというと、他のパートになる。

それはトップの役割だ。実際府中ではそのように弾く事を公言してもいる。それに合わせるのはパートのプレイヤーの責任だと。

つまりプレイヤーである場合、他のパートへの意識はもちろん何処かに持ちつつ、パートトップへの意識をより強く持つ必要があるという事だろう。

何だかその方が大変なんじゃないかと思わなくもないが、そうした立場で弾くのだから、もっとパートトップに合わせる意識を強く持った方が良いのだろう。

さて、昨日の練習では、ハーモニーの確認をする場面が多かった気がする。これをそろそろ仕上げをする段階に入ったとみるか、もうやっておかないと間に合わないと判断したとみるかは指揮者に聞いてみないと分からない所だが、個人的にはこうした確認があるのは助かる。少し前に書いたように音程感をアジャストできていない気がしているからだ。

で、その辺りはまだ不安があるんだな・・・。

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2013年7月 2日 (火)

運命の個人練習

今日はゆっくり朝食&ブログ書きとは言っていられなさそうなので、電車の中で書いてみる。

昨日、府中の運命の練習について次のような指示をした。

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・・・しばらく運命を弾いていませんが、2楽章3楽章のスラーの多い旋律は、必ずスラー無しでの練習もしておいてください。
目的は、右手と左手が干渉しない(互いの都合を出さない)で弾ける様になることです。

(第2楽章)
・スラー無しですべて弓を返して弾く(ダウンからとアップから双方)
・8分音符単位で弓を返しながら弾く
・(第一変奏なら)3音づつ弓を返しながら弾く
・すべて32分音符で刻んで弾く(特に主題と第一変奏)
などなど、左手の動きは固定したまま、右手の動きを変える練習をします。
その際必ずメトロノームを使用して一定のリズムで練習してください。
速さはゆっくりから多少速めまで何パターンか行うと良いです。
このように弾くと、つっかかりやすいところ、ごまかしているところが明らかになるので、そこが課題です。

(第3楽章)
・スラー無しですべて弓を返して弾く(ダウンからとアップから双方)
・すべて8分音符で刻んで弾く(特に主題)
こちらも必ずメトロノームを使うようにしてください。
速さもパターンを変えるのがお勧めです。

まずは左手を固めることで、右手で表情をつけていくことが可能になります。
そういう状態を作ることを意識して練習をしていってください。
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こういう練習は大学オケでは弾けるようになるために良く指示された気がするが、最近はとんとご無沙汰でほとんどやる事がない。

ただ、スケールなどもこうした右手のバリエーションを加え始めると、左手の乱れが如実に感じられるようになる。そこをいかに乱れないようにするかは、結局は積み重ねるしかない。

特にフレーズがゆったりとした緩徐楽章は、ほんの少しの左手や右手の乱れが音として伝わりやすい。速いパッセージと違って誤魔化しがきかないからだ。そういった意味でも、今のうちに徹底して乱れをなくすようなトレーニングをしておいた方が良いだろう。

アンサンブルの練習ではない「個人練習」は結局こうした積み重ねなのだ。1人で練習するのに、アンサンブルの時と同じような練習をしたって仕方がない。

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2013年7月 1日 (月)

ひとつのパートとしてまとまるという事

この週末は上野の森交響楽団、アンサンブル・オレイユ、府中市民交響楽団の練習が(重なる事なく)集中して、2日間ほぼ楽器漬けだったのだが、その中で考えたことなど。

トップはもちろんしっかり弾くことは最低限必要なのだが、パートとしてまとまる上ではメンバーがどのように弾くかも課題になってくる。あるいはトップとしてどのように弾くことを求めるかだろうか。
パートとしての響きを拡大させる役割がメンバーにあるのであれば、メンバーに求められるのは必ずしも「トップと同じような弾き方」ではないとも考えられる。理屈としてはなんとなく分かるのだが、ではどうすれば良いのかというのが分からない。

オレイユの練習で散々言われる「弾かなくて良い」というのは、弾くという行為がトップに求められる時に、他のメンバーに求められているのが「弾く」以外の演奏行為であるという事だ。空気を作る、ニュアンスを作る、響きを作る、表現はなんでも良いが、音以外で音楽を奏でるような、禅問答のような役割が求められているのかもしれない。

そうした視点で考えた時に、トップである府中はさておき(というかトップとして弾けてない状況はこれから何とかしなくてはいけない訳だが)、オレイユや上野の森での自分の「演奏」はパートとしてのアンサンブルを乱すものになってしまっている気がする。オレイユではそれでも指揮者から求められてそれらしい役割を志向して弾いている(つもりな)のだが、上野の森では完全にそうした部分お構いなしに逸脱して弾いてしまっている。

まぁそこまでの余裕が無いということもあるのだが、求められている音の出し方はどういうものなのか、もう一度考えなおす必要があると考えさせられたのだった。

・・・本番までもう殆ど時間がないんだけどね。

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