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2013年8月30日 (金)

ブランド日記を書くべきか

このブログの原型というか、スタートのきっかけになったのは、ナレッジマネジメントを担当する事になって始めた「ナレッジ日記」である。そしてCSRの担当になった時には「CSR日記」と、担当が変わるたびに、そのテーマに関して考えた事、感じた事などを書き散らしてきた。

それがそのテーマに対する自分の考えをまとめ、自分なりの言葉を創り上げる事につながっていたのは、多分間違いない。ある程度自分の考えが固まれば、単に日々考えた雑多な事を書くだけになってしまうのだが、元々のスタンスはそういう事だ。

今の担当になってからは、それをしていない。だから、担当になって1ヶ月半、辞令を受けてからは2ヶ月になろうというのに、未だに語る言葉がない。昨日の打ち合わせで、それを痛感した。もちろんそれはブログを書いていない事ではなく、自分の言葉がない事だ。

書いていない理由は幾つかある。

テーマ的に踏み込もうとすると、自社の戦略に大きく触れる事になり、機密上問題がある、という事。
ナレッジマネジメントやCSRほど、会社にとって「未知の領域」ではなく、すでにある程度の筋道が出来上がっている事。
単に仕事のペースがあがってそれ(考える)どころではなかった事。

でも、それらは先送りにする口実にしかなっていない。自分なりの理解、他人に語れる自分なりの言葉を得るために書き散らす事が必要であるなら、それをやる以外選択肢はないはずなのに、何となく先送りにしてきただけかもしれない。

機密上問題があるなら、オープンな場には書かなければ良い。
すでに筋道があるなら、それに対する考察から始めれば良い。
仕事のペースに関係なく、このブログを書く時間は確保できている筈だ。

あえて抵抗するなら、クローズに書くのでは、そもそもモチベーションがあがらないという事はある。「見てもらう」事が必要という話ではなく、「見られている」意識、ある種の緊張感が必要という事だ。「見られてしまうかも」程度でも良いのだが、自分のための書き散らしといっても、そこには「読み手に何らかのインパクトを与えられる内容にする」という動機付けが必要だという事でもある。

さて、どうしたものか。


ちなみに、先日クラッシュしたMacBook Airは、残念ながら復活不可という事が判明したため、11インチにサイズを落として新たに購入した。そのセットアップの話などは後日。

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2013年8月29日 (木)

個人練習をしなければ

火曜日の練習を振り返ってみる。

ブラームスの交響曲第4番は、演奏したこともあるし、有名な曲なので、譜読みに困ることはないの(音を追いかける程度には、の話)だが、それと弾けるというのは全く別物である。単純に指が追いつかないパッセージなども多々存在していて、適当に誤魔化してしまっていたりする。

府中では(実は)その辺りは割り切っていて、弾けようが弾けなかろうが、動ぜずザッツを出し続けるというスタンスで(笑)、音を出すのはパートのメンバーに任せていたりするのだが、上野の森では逆の立場なので、それはつまりきちんと音を並べなければいけないという事であろう。

弾けない所は限られているので、きちんと練習すれば良い訳だが、とりあえず弾けてしまうところも少なくないので、どういう訳かあまり個人練習をするという気分にならない。いやまぁ元々個人練習は苦手なのだが・・・。いずれにせよ、少し(少し?)さらう必要はあるだろう。

振り返ると言いながら、練習内容についてはあまり思い出せなかった。それはつまりまだ楽譜を追いかけるのが精一杯で、指揮者の指示や周囲に気を配る余裕がないってことだ。その辺りも解消しておかないと、もうしばらくすると再び3団体掛け持ち状態になるし、年末のアンサンブルに備えた準備も必要になってくるだろうし・・・。

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2013年8月28日 (水)

仕事のペース感

このところバタバタしているというか、生活のリズムが安定していない。元々長期の休みがあると崩れやすいのに加え、昨日までの仕事の慌ただしさが原因だろう。ただまぁしばらくは落ち着きそうにない。いずれにせよ、新しい仕事にあわせてリズムを変えていかなければならないからだ。

バタバタしているのは、ようするにそういう事だろう。リズムを変えなければいけないところを、リズムを変えずに対応しようとしたから、崩れるのだ。その辺り、ペース感も含めて新たに構築していかなければならない。

今回骨身にしみたのは、準備の前倒しに対する感覚だ。自己完結しない調整業務が増えたので、以前の仕事よりもかなり長い準備期間を想定しておく必要がある。直前では調整もへったくれもないからだ。土壇場ギリギリで追い込みができるものとできないものがある。その辺りの「長いペース」の感覚が掴みきれていないとは感じる。

もう少し厳密にいうのであれば、従来の仕事だって長期的なペースというのはあったが、最終段階に至るまでの熟成を「自分の中で行うか」「相手の中で行うか」という違いがあるように感じる。自分の中であれば、構想を練りながら後は直前に仕上げるという進め方が可能だが、相手の中で行うのはそうではない。その進め方の感覚が掴めていないのだろう。

本当はそんな事にはとっくに気づいて、お盆休みのような期間にじっくり考え、やり方を変えておかなければいけないわけだが、実感として気づいたのが昨日までの一連の流れを実体験してというのが泣けるところだ。

それでもこうしてブログにかける程度には自分を見つめる余裕が出てきたのだろうか。
いやまだ余裕があるとはとても言えないな・・・。

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2013年8月27日 (火)

問いを投げる

今日は諸事情により通勤時間を繰り上げ。今日を乗り切れば一息つける・・・と良いのだが、先をみるとそうも言っていられない。まぁそれでも今日のような対応は特別であろう。

新しい仕事になって、大きく変わった事の一つに、「自分がいかにやるか」ではなく「他人にいかにやってもらうか」を中心に物事の進め方を考えなければならなくなったというのがある。他人というのは「部下」ではなく、むしろ「上司」の事だ。それも直属で利害が一致する上司ではなく、他部署で利害は対立しかねない上司である。
(もちろん会社全体での利害は一致していて、各論の話。利害というより優先順位と言った方が良いかもしれない。)

そんな事もあわせて、今の自分に必要なのは、提示される課題に対して答えを出す事ではなく、答えを導く問いを出す事なのだと感じている。その問いを相手に投げかけ、その答えを通じて課題を解決「してもらう」というスタンスだ。何分直接解決する権限がない。

難しいのはその際にどこまで「答えを想定しておくか」だ。

もちろん想定しておくに越した事はない。というか、仮説としては想定しておく必要がある。問題は問いを投げる際に、どこまで自分の持っている答えに導くかだ。正解がない問いを投げるのだから、当然予想外の答えが出る場合もある訳だが、その時にそれも答えとして受け入れるべきか、問いが悪かったとして修正を図るべきか。

その辺りの距離感というか、バランスが難しい。上司が部下に投げかける問いは一種の誘導だから、問いかけの失敗として修正を図るべきだろうが、自分が求められているのはむしろコーチングのような性格のものだ。

一方で担当者としてはその課題に熟知し、一定の方向性を持って社内全体を誘導していかなければならないという命題も抱えている。上司(他部署の)が出した答えだからそのまま受け入れて良いかといえば、それも微妙な問題なのだ。

そんな悩みに頭を悩ませながら、まずは今日を乗り切らなければならないのだった。

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2013年8月26日 (月)

クラッシュ

MacBook Airが・・・立ち上がらなくなった。さて、困ったぞ。

日曜日の朝方に、何やらファンの回る音がするなと思ったら、スリープしているはずのMacBook Airがシャーッと唸りながら発熱していた。何の操作も受け付けず、結局強制的に電源を切ったのだが、その後立ち上がらなくなってしまった。

セーフモードでの起動なども受け付けず、ネットからのリカバリーを・・・と思ったのだが、肝心のネットに繋がらない。何が分からないって、その原因が分からず、昨日はそれ以上は断念してしまった。

さて、どうしたものだろうか。そろそろ買い換えようかと考えていたのは確かだ。そんな事を考えていたからすねた・・・なんて擬人化するつもりはないが、そのための準備はぼちぼちしつつも、全部終わってはいない。バックアップは不定期にとっていて、最近はしていない。

大抵のデータはクラウドや外部媒体にあるが、一番ネックなのがiTunesのライブラリだ。少なくともこの間取り込んだディーリアスの18枚組の分はまだバックアップもしていない。うわぁまたあれをやるのか・・・おそらくそれ以前のも欠けているだろう。

なるほどクラッシュするというのはこういう事か・・・と、やや呆然としながら考えたりした。

さて、どうしますかね。

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2013年8月23日 (金)

本を読む

思うに自分にとって、本を読むという行為はある種の逃避なのだろう。
読んでいる間は、何も考えずにその世界や考えに浸っていられる。

もちろん読みながら何かを考えるということはある。
だがそれは本が提供する情報を触媒とした「反応」で、自らが無から発するものではない。

ようは受け身なのだ。
受け身というのは、楽だ。


・・・なので、この後もう少しだけ「メニー・メニー・シープ」の世界に浸ることにする。

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2013年8月22日 (木)

議論を進める技術

今日も電車内でブログを書く雰囲気。あまり定着させたくないが、時間の使い方としては無駄がないような気もする。もっとも、たいした事は書けず、流しているだけのような気分もある。

会議の進行は難しい。個人的にファシリテーションはそれほど苦手ではないと思っていたのだが、どうやらそれは勘違いだったらしい。このところ連戦連敗である(勝ち負けではない)。

大きな課題は、テーマそのものがまだ自分の中に入っていないことだ。厳密にはその状態でもいかに要点を早く掴んで議論をリードするかが課題であって、テーマを自分のものにする必要はないのだが、本来そのテーマは自分のものとなっている事が必要な類のものなので、そこで自分が理解していない事が見えない不安となってリードを鈍らせる。

とはいえ、これは大きな課題を自分に突きつけているような気もする。本来今のような状態でも進められるのがファシリテーションだとすれば、これまで自分がやってきて苦手ではないと思っていた会議の「進行」は、単なる独演会で、議論の場になっていなかったという事かもしれないからだ。

ポジティブに捉えるなら、今の状態でも議論を推進していけるスキルを身につけるチャンスという事にはなるのかもしれない。

ようはその日の議論の進め方、落としどころをイメージし、それに沿って進めるという事を、「自分の中に蓄積されたテーマに対する理解」に頼らずに、ある種の技術としてできるようになる必要があるということだ。

まずはそうした要点整理を、頭の中のイメージではなく、きちんとした言葉に変換して落とし込む作業ができるようにならなければならないって事だよなぁ。

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2013年8月21日 (水)

楽譜を覚える

昨日は上野の森の練習で、ベートーヴェンの交響曲第1番とレオノーレの合奏。府中の運命といい、このシーズンはベートーヴェンを弾く機会が多い。年末には第九もある。

何分初見(申し訳ありません)だったので、やや様子見という感じではあったのだが、にもかかわらず途中からコンタクトが霞んで楽譜がよく見えなくなったのは困った。

いやまぁ覚えていれば良い事なのだが。
そんな訳でこうしたTweetには一理ある。

@TakagiSota: クラシックのオーケストラは楽譜を読みながら演奏する。曲を覚えてないんなら金払った客の前で演奏するなっつーの!舞台俳優が台本片手に演技するか?落語家が台本読むか?エロ本読みながらセックスするか?それがどれだけ失礼なことなのか業界全体でわかってないのだから処置なしである。
http://twitter.com/TakagiSota/status/369723881763770368

もっとも、楽譜は台本やマニュアルとは違うので、楽譜を読みながら演奏する事自体が悪いとは思わない。朗読劇のようなもので、楽譜を用意しておくのは、楽譜に対する真摯な姿勢からというのが本来だろう。
オーケストラは、ライブといっても、本来アドリブが許されるような舞台芸術ではないからだ。

とはいえ、実際問題として「楽譜を読みながら」では音楽にはならないのは確かだ。要所の確認はするが、基本的には次に何を弾くか覚えている中でアンサンブルを創り上げるのが基本だろう。

そんな訳で、暗譜まではいかないまでも、もう少し曲を体に入れていくための時間が必要なのだった。

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2013年8月20日 (火)

調の変化

今日もやや時間がなさそうな気配なので、電車内にて日曜日の府中の練習を振り返ってみるなど。

運命の場合、細部の詰めはともかく楽譜から置いていかれる事はないため、どうしても事前の準備がおろそかになってしまうのだが、スケジュールの都合でどうしても2週間は練習間隔があくので、結局忘れている事も多い。

で、どうなるかといえば、1回目はできなくて2回目から本気出すといった感じになる。本番はもちろんそんな2回目はない。

正直なところ、運命についてさえまだ楽譜が体に入っているとは言い難い。第一楽章はともかく、第二第三楽章などはどうしても「あれ?こうだったっけ」という事態に陥りやすい。事前に一度でも弾いていれば多くの事態は防げるのだが、そういった事ができていないのだ。

さて、日曜日の練習は第三第四楽章からスタートしたのだが、先に第四楽章を弾いてからだと、第一楽章が随分と薄いオーケストレーションに感じられるのが面白かった。第一楽章から練習を始めるとあまりそういった印象はない。そう考えると、きちんと曲の構成が最後に盛り上がるようになっているという事なのだろう。運命はハ短調で始まり、ハ長調で終わるという構成な訳だが、確かにこれが逆になると気分が違う。

ハ短調から始まればなんでもない感じが、ハ長調の音楽からハ短調に移行すると、そのくすみ感というか、短調なのだという感じがどーんと迫ってくる感じがある。いや迫ってくる必要なんて全くないのだけれども。

楽章間や曲内での調の変化というのは、基本的にはそれが自然に感じられるようにできているので、普段意識する事が薄い(本来はよくない)のだが、こうして順番を変えたりすると、その違いを意識するきっかけにもなる訳だ。

いやいや自然に移調をしているにしても、それを意識してやるのと無意識なままでは全然違うわけで、もっとその辺りは普段から意識する必要があるのだろう。ハ長調でした、ではなくハ長調です、と歌えるようになる事が重要なのだ。

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2013年8月19日 (月)

考える事は重要だがそれもプロセスにすぎない

一週間の休みが終わり、今日から出社。先週の休みは3日までは会社休日だが、2日は有給の形なので、その分のメールなどが溜まっている可能性がある。
・・・なので、ブログは電車内で書いて早めに出社するようにしよう。

例年お盆に合わせて休みを取る事はなかったのだが、今年は休みにしてみた。元々年初の想定では先々週から休む予定にしていたのだが、急な異動もあってそれは断念。やや中途半端な形になって、特に旅行などもしなかったのだが、多少はのんびりできたので良しとするべきだろうか。

変な話だが、休み中、仕事についてゆっくり考える時間が少しとれたのは良かった。それを休みと呼ぶかはやや微妙だが、勉強も含めて考える時間は貴重だ。もっとも本気で考えるための素材はやや欠けている事も実感した。ベースとなる知識量、必要な情報量がまだ不足しているのだ。そのため、どうしても中途半端な思索になる。

引き継ぎ期間も含めるともうそこそこの期間を経ているのだから、本来この状態はあまり好ましくない。考える事自体は、結果を出す前のプロセスにすぎないと考えれば、とっくにその状態は脱していなければ、成果を出していく事はおぼつかないという事だ。

やる事がない訳ではなく、むしろ追われていて、要するにアクティブノンアクションな状態に陥っているのが問題という事なんだろうなぁ。

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2013年8月16日 (金)

マネーボール

マネーボールを読了したので感想など。

率直に言えば、自分にはよく分からない領域が多かった。事前の期待と違ってストーリー仕立てではなかった(映画にもなっているのだから物語だと思っていたが、実際は少し違う感じ)し、自分のように野球にさっぱり興味のない輩からみれば、本書の内容さえも「社交クラブ」の中の話に見えてしまう。

まぁ仕方がないだろう。この本はメジャーリーグに多少なりとも関心のある人に向けられた本であって、そうでない人に向けて書かれた本ではない。少なくとも登場するチームや選手について、多少なりとも知識を持っていないと、そこに込められたメッセージを自分なりに読み取るのは難しい。

実際のところ、ビジネスの世界では、多くの場合資金を多く持っている方が、その資金をより効率的に活かす方法を持っているものだ。例外はあるにせよ、確率的には、本書に登場するアスレチックスのような組織が大半を占め、その中でしのぎを削っている。メジャーリーグの場合は、少々その比率が一般的なビジネスの世界とはかけ離れていたという事だろう。

もっとも、球団経営として見た場合、必ずしも「試合に勝つ」だけが成功とは言えないあたりが、ビジネスとしては少々特殊という事は言えるかもしれない。いやもちろん勝つことも重要な要素には違いないけれども、そもそもメジャーの球団にとって「成功」といえる状態が何で、アスレチックスがその点においてどうかという評価は、この本ではなされていない気がする。
(というか、この本の主眼は「試合に(低コストで)勝つ」という事に置かれているので、それはそれで良いのだが・・・・。)

うーむ、何というか、あまり本の内容に触れていないエントリーになってしまった。それはつまり、残念ながら自分にとってあまり印象に残る本ではなかったという事だろう。もちろんそれは本書の問題ではなく、自分の興味関心の方向性の問題である。

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2013年8月13日 (火)

なぜ私は私なのか

知人から「今ここの問い」というのを教えてもらった。

なぜ私は私なのか - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/なぜ私は私なのか

・・・うん、分からない。個人的にあまりそういった問いを感じたことはない。(もっとも、昔感じたことがあっても忘れているだけかもしれない。)

世界中に今現在 沢山の人がいる、また今までに数多くの人が生まれてき、これからも多数の人が生まれてきて死んでいくだろう。しかしそれにも拘らず「なぜ私は他の誰かではなく、この人物なのか?」(Why am I me, rather than someone else?)

なぜこの問いが必要なのか。それが分からない。

極めてみもふたもない言い方をするなら、自分がこの問いの質問者に感じる感覚はこうだ。

「私がこの人物であることには何か特別な理由があるはずだ(それを教えて欲しい)」

そんなものはない。いや、あっても良いけれども、それは私にとって大切なことであって、他人や世界にとってはどうでもよいことだ。

Wikipediaの解説にある「自分と4人の友人」の図は、この状態に「ある特定の地点へと中心化された特殊なあり方を<現に>しているのか?」という投げかけをしているが、客観的に捉えるなら、5つの○すべてについて、各地点に中心化されたあり方が成り立つので、それは特殊でも何でもない気もする。同じあり方が5つ別々に重なっているだけの話で、それは最初の5つの○と何ら変わるものではない。

「なぜ私は私なのか」という問いは、私だけが特別という主観的な視点に立った問いだ。客観的には○でしかない自分を●であると認めたいがための問いとも言える。自分が●なら他人も●なのだが、そうではなく自分が●で他人が○であるためには、自分は何者である必要があるか、という問いにも思える。

まぁWikipediaの記述を読んだだけで分かったような気になってはいけないのだろうが、紹介されているトマス・ネーゲルの言葉が個人的にはしっくりくる。

わたしがトマス・ネーゲルや、他の客観的に特定できる人物に対して、もつかもしれないどんな関係も、偶然で恣意的なものにすぎないと思われる。

偶然と恣意が両立するかはさておき、それらが単なる偶然で「私が私である理由(必然)などない」からこそ、それは自分自身で作り上げていく価値がある。

自分が自分である理由を、客観的必然性に基づいて定義されたいなんて、冗談じゃない。

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2013年8月12日 (月)

チャリティー番組

今週は休みなのだが、火曜日に練習があったりして何処かに遠出してのんびりという訳にもいかない。というか、その前に体調を回復させないと・・・。

さておき、少し始動が遅くなったのだが、今日は平河町ライブラリーへ。折角の機会だから活用させてもらわなければ。オケも仕事も、考えることやることはいくらでもある。家からは少々遠いが、この猛暑の中快適な環境を維持できるのも助かる。

で、このブログは別の話。

日テレ24時間テレビ「チャリティーなのにギャラおかしい」 週刊誌が出演者のギャラ金額を報じ、議論が再燃
http://news.livedoor.com/article/detail/7941762/

再燃というか、恒例行事だろうと思うのだが・・・。

24時間テレビといえば、始まった頃は手塚アニメを見る番組ぐらいの位置づけで、最近はもうどうでも良い感じで特に興味はないのだが、「チャリティーなのにギャラおかしい」というのが、「出演者へのギャラ支払いの是非」「チャリティーなのにギャラが払われるのはおかしい」という方向の議論ばかりで、「あれはチャリティー番組ではない」という方向にいかないのが不思議だったりする。

チャリティーと思わず、番組も見ず、寄付は自分がこれ思うところへすれば良いではないか。大体、チャリティーなのにギャラおかしいという人の中で、実際に寄付している人はどれぐらいいて、そもそもその寄付の動機は何なのだろうか。

要するにあれか、自分は寄付しているのに、出演者がギャラをもらうのはけしからんって話か。
でも税金ならともかく、寄付は任意なんだから払う必要はないし、ましてや寄付先が日テレである必要なんてないはずである。

この話を耳にするたびに、ああ出演者のギャラを下げたいテレビ局がリークしているんだろうなぁ・・・とか思ってしまったりするのだった。

そもそも気になるのは、「出演者のギャラ」と制作費は別かという話だ。番組を支えるスタッフや会場費なども「チャリティー」であるとは誰も思っていないだろう(それでは「チャリティー」というより「ブラック」になりかねない)。出演者のギャラと、スタッフのギャラ・・・それらは違うだろうか、同じだろうか。

そういった意味では、引き合いに出される海外のチャリティー番組の話などは、ようは出演者のパフォーマンスの話で、チャリティーとしてあるべき姿と捉えるべきではないのかもしれない。いやもちろんあちらではスタッフもノーギャラ(それは番組制作として考えると、つまり欠勤や休暇扱いになるという事だ)であるのが当たり前というのであれば、それはごめんなさいという事になるのだけれど。

出演者がノーギャラであるべきって人は、スタッフはどうあるべきと思っているのだろうか。

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2013年8月 9日 (金)

休暇前モード

今年はお盆の休暇にあわせて個人の有給も取得する事にしたので、来週は丸々一週間お休み。そして今週は前半に海外出張だったため、休み前の気分とあわせて何となく仕事をしていない感が強い。とはいえ、時間ではなく成果で測るなら(客観的にではなく主観的にである)、今日だけでも十分に仕事をした感を持つことは可能だ。休み明けには色々と控えているので、今日は少々踏ん張りたいところではある。一番やりたくないのは「休み中にやれば良いや」になることだろうか。

もっとも、体調はイマイチなままなので、来週は「予定された病欠」になる可能性もある。特にやることがあるわけでなし、それはそれで別に構わないといえば構わないのだが。
(いやいや、実際にはオケの練習はあるのである。)

うーむ、ブログの内容は完全に休暇前モードだなぁ・・・。

昨日は(体調はイマイチにもかかわらず)会社の人と暑気払いに行ったのだが、思わぬ形でオケの話が盛り上がった。グループ内にも意外とプレイヤーがいるという話で、グループのメンバーで構成される訳ではないのだが、うち何人かが参加しているというオケに誘われてしまった。
もっとも、年に一度集まって一発合わせで練習だけするというオケだそうなので、特に府中や上野の森と掛け持ちになるわけではない。

年に一度合わせるだけといえば、大学のOBオケを思い出すが、そういえば最近は開催されているのだろうか。何度か参加したのだが、府中の合宿と日程が重なる事が多くて足が遠のいてしまった。今はスケジュール的にはかぶらないんだがなぁ。

休み中はじっくり練習をしたいのだが、暑さに耐えられるかどうかは微妙なところ。


・・・ああ、本当に休暇前モードだ。仕事には持ち込まないように気をつけなければ。

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2013年8月 8日 (木)

細部を感じ取る視点

月火水とブログを更新していなかったのだが、海外出張に行っていた。実際にはそこで更新することもできたと思うのだが(iPadも持って行ったし)、もろもろの事情により断念。まぁ実際それほど時間が取れた訳ではない。

仕事だけでなくプライベートでも初の海外ということで、何らかのカルチャーショックがあるかなと思っていたのだが、思ったほどそういった事はなかった。何というか、感受性が低いのかもしれない。最後に訪問した地元マーケットも、似たような雰囲気が日本でないかといえばそういう訳でもない気がする。もちろん細部は違うので、そういった細部をどう見て感じ取るかが課題と言われればその通りかもしれない。

でもそうした細部の違いを感じ取れるかどうかは、国内であっても同じ事だ。
マーケットの見方もそうだが、そういう眼を今後は鍛えていかなければならないかなとは感じたのだった。

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2013年8月 2日 (金)

日本人って

今日は時間がない・・・上に、「百年法」(山田宗樹/角川書店)が佳境に入っていて目が離せない・・・まぁ読み終えるにはもう少しかかるよとKindleは言っているのだが。

で、まだ読み終えていないので、作品そのものを評価する訳ではないのだが、ちょっと感じた事など。架空の歴史を歩んだ近未来の日本(と書くとちょっとややこしい)を舞台にしており、登場人物の心の動きなど、読んでいると「ああ日本人ってこうだよねぇ」と感じてしまったりしていたのだが、よくよく考えてみると、それは登場人物の名前が日本名であることからくる勝手な思い込みではないかと思ったりした。

そういう視点で、舞台を外国や異世界にして、登場人物の名前をカタカナに(頭の中で)置き換えてみると、「ああ人間ってこうだよねぇ」となることに気づいたのだ。極端な話、これを完全に異星の話に置き換えても「ああ・・・」となっているかもしれない。

実は「日本人って・・・」という感じ方は、単なる根拠のないレッテルなんじゃないかな、という話。

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2013年8月 1日 (木)

ブラームスの4番

昨日は何やら衝動的に厭世的なエントリーをしてしまったが、何となく今読んでいる「百年法」に影響された気がする。まぁ現実はほおっておいても永遠にはならないので、実はそれほど心配するような事でもない。

で、飛ばしてしまったのだが、火曜日の上野の森の練習の話など。

次回の演奏会のメインはブラームスの交響曲第4番なのだが、ブラ4といえば・・・思い出すのは2年前の用水路落下だろう。何か久しぶりに当時のエントリーを読み返してしまった。今年は第九もあるし、色々とオーバーラップするものが・・・。

そんな訳で2年ぶりに弾いたのだが、覚えているような、忘れているような、いつもそんな微妙な感覚が「やったことのある」曲にはつきまとう。覚えているのに弾けないもどかしさ、逆に目は楽譜を追いかけきれないのに指だけは勝手に回っていく事もある奇妙な感覚。

やった時の感覚を取り戻すにはそれなりに時間はかかるが、ただ本来大切なのはそういったことを忘れて一から楽譜を読み直す事だろうとは思う。傾向として、やったことのある曲は、その記憶に中途半端に影響されて、しっかりと楽譜を読まずに終わる事が少なくない。

まぁ最近は、新曲であっても楽譜をそれほど読まないままに弾けるようになってしまったりして(そういうことはある)、それはそれで問題なのだが。

やったことのあるアドバンテージは確かにあるのだから、それは活かせるようにした方が良い。逆にいえば、最初の頃に「多少弾ける」状態に安心せず、細かいところをきちんと読んでおく必要があるという事だろう。お盆で生活リズムが若干変わるタイミングだから尚更だ。

暑いから練習する気を維持するのも簡単ではないんだけどね・・・。

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