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2013年9月 4日 (水)

表現としてのテンション

このところ週に一度以上は発生している気がするが、今日は少し早めに出社したいので電車内でブログを書く。

昨日の上野の森の練習はベートーヴェンを2曲。レオノーレの3番と交響曲1番で、府中の運命といい、このところややベートーヴェンづいている。年末には第九もあるので、かなりの密度だ。

ベートーヴェンは、楽譜を読むのに追われるという事は少ないのだが、逆に楽譜を追いかける事が要求される感じがある。もちろんどんな曲でもそうした事は必要なのだが、なんというかそうしないとらしさが出ないような感じなのだ。

例えば府中の運命は、音は並ぶようになってきたのだが、当初の(楽譜に追われる)必死さが薄れてきて、逆にエネルギーが落ちてきている。熱意というか、気迫というか、そういったパワーが薄れ、安定というか(いや安定は必要なのだが)、落ち着きが出てしまっているのだ。そうすると第一楽章などは、迫力に欠ける気分に(弾いていると)なってくる。

テンションの低い、何となくつまらない感じの演奏になってしまうのだ。

もちろん本番は別の形でテンションが上がるのだろうが、できるのであれば、そうした状況環境には左右されずにベートーヴェンらしいテンションを生み出せるようになりたい。

上野の森は、まだまだ譜読み中の感じもあり、そうした意味でのテンションの高さは持てていると思うのだが、楽譜が読めてきて、気分としてのテンションが落ちてきた時に、いかに表現としてのテンションを保ち続けられるかが課題になってくる気がする。

それができるようになれば、一皮剥ける事につながるだろう。

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