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2013年9月 3日 (火)

「現実を説明する」のがブランド?

ブランドに対する考え方や知識というのは、どの程度一般的なのだろうか。
その辺りの距離感が分からなくなる事がある。

ナレッジマネジメントやCSRは、考えるまでもなく「まだ一般的には知られていない」という前提だった。だから話をする時は、相手はその事について知らないものとして、基本的な部分から説明をするスタンスで進める事になる。

ブランドの場合、そこまで知られていないということはないだろう。一方で、どこまで理解されているかといえば、それほどでもないような気がする(自分も含めて)。むしろ、最近のCSRがそうであるように、中途半端に人それぞれの理解がバラついているというのが実態ではないか。

というか、元々はっきりこうだと言えない世界なのだろう。その辺りは、学問的な概念が先行し、言葉としての定義におおよその起源があるCSRと異なる。ブランドは実体が先行した概念だ。その解釈、理論、定義には諸説様々あるというのが現実で、そうした実体を理論が追いかけることで成り立っている。

そういった意味では、ブランドの世界こそ、ブランドという言葉を先行させて考え方を説明していくことを避けなくてはいけないのかもしれない。常に理論が現実を追いかけるのがブランドの世界であるのに、理論としてのブランドを先行させて現実に追いかけさせるというのは、何だか微妙な感じだ。

ブランドという言葉には、中途半端に分かったような気分をもたらし、現実に霞をかけてしまうリスクがあるのではないか。

ある商品ブランドを強化すると考えた時に、実際にやらなければならないことは、ブランドという言葉とは直接関係ない日々の仕事だ。その仕事の精度がブランドの価値を向上させるのは確かだが、ブランドのために仕事の精度をあげる訳ではない。精度を高める方向性はもちろん必要だが、そこに「ブランド」という言葉は必ずしも必要ない。

CSRは「現実を変える」ために生み出された言葉であり概念だ。企業活動はかくあるべきだという理想を示し、その方向に活動を変えていく原動力とするためのものだ。
対してブランドは「現実を説明する」ために生み出された概念なのではないか。企業が活動を進めた結果、評価されたのは何故か、その理由を説明する根拠として生み出されたものではないだろうか。

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