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2013年10月21日 (月)

生産性の定義

気がついたら先週の木曜日、金曜日、今日とブログを書いていなかったので、とりあえず近所のタリーズに入ってブログを書くことにする。特にネタがあるという訳ではないのだが、習慣化しているブログというのは、一度その習慣が崩れると途端に継続が難しくなったりする。

事務所の引越は、少なくともブログを書く習慣に対しては大きなダメージとなるようだ。

早く着くのは良いのだが、早すぎてブログを書くようなカフェがまだ開いていない。自然会社に行くことになるのだが(朝食は会社で食べられる)、会社に行けば気分が仕事になる。自分の場合、会社では仕事、カフェではブログ、そして家では何もしない、とその場によって完全に気分が切り替わってしまうらしく、その気分をコントロールできない。習慣恐るべし。

もちろん意識すれば矯正はできるのだろう。長い時間をかけて作り上げた習慣ではあるが、作り上げられたものには違いない。今の自分にそれだけの気力があるかどうかはともかく。

と、これぐらいの戯言はカフェに入ってしまえば書くことができるのだが、休んだ後の内容がこれでしかも明日からも休むかもしれない状況でこの内容では少々情けない。

そこで、最近生産性に関する意見を多々見かけたので、個人的な意見など。(個々のブログに対する意見とかではなく、ただ単に生産性というキーワードに対する自分の意見である。)

同じ成果を出すのに、より短時間で出せる・・・それは確かに企業にとって生産性の高い社員だろう。
でも逆に働く側からすると、より労力をかけずに同じ給与を得るのも、また「生産性が高い」と言える。

この辺りにジレンマというか、トレードオフがあるような気がする。問題は、時間の使い方と、時間当たりの投下労力に関する感覚は人それぞれだということだ。

よく言われるように、時間というのは極めて平等で、20時間働いたからって1日が23時間で終わるわけではないし、6時間で切り上げたからって1日が25時間になるわけではない。生産性が問題になる場合の時間効率の考え方は、時間が平等だから単位時間あたりの行動量を増やそうという考え方な訳だが、逆に一行動あたりの時間を長く持たせてゆとりを確保するというのも、また時間の使い方に対する考え方だ。

そもそも、生産性を高める発想というのも、その浮いた時間をゆとりに回すという動機を持っている事が少なくない。仕事の生産性を高めて生み出した時間は私生活のゆとりに使われ、私生活を切り詰めて生み出した時間が仕事に使われるようなものだ。いずれにしても、1日の時間は変わらない。

いずれにせよ個人にとって生産性を高めるというのは、時間あたりの労力を減らしつつ、時間あたりの成果を増やすという事なのだ。つまり究極的には暇だけど給与が高い状態をめざす事になる。これは時間あたりの労力や、給与あたりの成果を増やすという企業にとっての生産性向上とはある種相反している。

そういう状況で生産性をあげようっていうのは、どういうことなのかなという話で、その辺りの捉え方は一度整理した方が良いような気がする。

一応断っておくと、だから生産性を高めなくて良いとか、逆に高めるべきだという話ではない。高めるの定義をどう考えますかという話だ。

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