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2013年11月27日 (水)

練習計画

上野の森交響楽団での練習はその後の飲み会も含めて考える機会が多い。本当はそれらを府中にフィードバックできれば良いのだが、それはさておき昨日帰り際に話題になったのは練習計画の話だ。

先日上司がこんな話をしていた。「自分にある権限は会議の議題を決める事だけ」
だが、その会議の議題設定により、会社は動いていく。年間の会議予定の中で、どこにどの議題をはめ込むかという計画により、会社の動きは左右されるのだ。

オケにとっての練習計画というのも、実はそういうものではないだろうか。本番でしっかりした演奏をするために、どの時点でどこまでできるようになっているかを設定し、練習回数を制約条件として、必要な練習メニューを考え、実行し、状況を把握し、進捗に応じて組み替える。

数回のリハーサルで仕上げるプロと違い、アマチュアの練習は多くは長丁場だ。数年前からカウントするようにしているが、府中の練習で大体21回から23回程度。1回2時間の練習ですべての曲を練習することはできないので、どの曲にどのような練習をいかに割り振るか、指揮者トレーナーはどうするか、といったことを「本来は」スタート前に考えて計画を作っておかなければならない。

・・・が、実際にはそれが難しい。一つは出席状況が影響するということだ。特に管楽器の影響が大きいが、弦楽器だって半分とフル編成では違ってくる。今エキストラでお邪魔しているオケでは、本番までの出欠予定を予め聞かれたが、そうした事は府中も上野の森もしていない。出欠が把握できていなければ、どの時点で何の曲を練習するという計画も立てようがない。

その辺りの出欠に関する感覚は、毎週定例的に練習するオケではあまり重視されていない感じがする。自分もそうだが、定期的な練習の中で、その時の自分の都合で出欠を決めているからだ。余談だが、そうしたオケでは、おそらく出席率の高い団員が、徐々に運営などのポジションを占めるようになる。

対して一発オケなど、練習自体が不定期なオケはそうではない。そもそも出席できるかどうかで本番に乗れるかどうかが決まってくるという事もあるだろう。定期的に練習するオケではそういう感覚は育まれにくい。

定期的に練習するオケでは、練習が日常化しやすいのだ。それはそれで大切な要素(恒常的に団員不足に悩むアマオケではむしろそこらの方が重要だろう)なのだが、だからこそその中でどのように練習計画を組むかが問われるような気もする。

練習計画をがっちり組むべきという提案は実は府中ではしたことがある。というか、練習計画を組むために演奏委員会をしっかり開催すべしという提案だ。本番の翌週を休みにするのであれば、それをあててでも演奏会の反省と次の計画作りをしたらどうかというのは、悪い考えではないと思っている。

一方で、それは合議ではなく、インスペクターのような権限と責任で決めていくものかもしれないとも思う。負担はかかるが、その方が検証などはしやすいし、意思決定や軌道修正も早い。場合によっては演奏会毎に担当を変えても良い訳だ。

実際のところ、分奏などを入れようと考えると、練習会場の問題も出てくる。府中では現時点で来秋の定期までの練習場所がほぼ決まっていて、これはそうせざるをえない事情によるものだが、曲も指揮者も決まっているので、実際には今の時点から練習計画の検討は可能なのだ。

まぁそんなことを諸々考えながら、一方で仕事でもないのにそこまでシャカリキになってもなぁと考えたりもする。趣味だからこそ力を入れるという考え方もあるが、趣味だからこそ力を抜くという考え方だってあるのだ。

そう考えると、練習計画も「まぁ弾ければ良いや」で良いのかもしれない。何だかグダグダな終わり方ですみません。

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2013年11月18日 (月)

指揮者の役割、オケの役割

先週の上野の森の練習でトレーナーに言われたことが印象に残っている。

「オケが指揮者にテンポを依存していると、常に片手をそのために使わなければならなくなるんですよ」
「なのでオケの方でテンポをそろえられるようになると、指揮者は表現により力を注げるようになるんですよね」

趣旨としてはそのような感じだろうか。ああなるほどというか、テンポだけでなく例えばアンサンブルを作るという点においても、オケ側である程度できるようになると、指揮者は「アンサンブルを整える」事にそれほどエネルギーを注ぐ必要がなくなり、より曲の表現に対して要求をすることができるようになるという事だ。

確かに、巨匠と呼ばれるような指揮者ほど、タクトは分かりにくく感じたりする。この「分かりにくい」という感覚は、アンサンブルを整える役割を指揮者に依存しているからこそ感じる事なのかもしれない。逆に「分かりやすい」バトンテクニックを持っていると感じる指揮者というのは、それだけこちらに「合わせてくれている」という事も言えるだろう。

そうした視点で練習に参加し、録音を聴いてみると、確かに指揮者に依存しているという事が感じられる事が多い。露骨にいうのであれば、各自が指揮者と点でつながりながら、それぞれに指揮者に合わせようとしてしまっている。結果として各自の感覚や、指揮者のタクトの捉え方の違いが、アンサンブルの乱れを生んでいる。

そして我々はこう言うのだ。「棒がわかりにくい(から合わせづらい)。」

役割が違うと考えれば良いのだろう。アンサンブルを合わせるのは、オケの役割。それを音楽として高めるのが指揮者の役割。もちろん、アンサンブルを整える上でどうしても指揮者に頼らざるを得ない場面もあるだろうが、そうした要所は押さえてもらうにしても、それが全てということはあり得ない。

なんとなく、上司にはしっかり報告をしながら、他のメンバーとの連携は上司の指示待ち、みたいな縦割り組織を連想してしまったのだった。

そうした情報的なハブの役割を指揮者に委ねるか、そこはオケ側でアメーバのように対応しつつ、指揮者には全体の向かう方向性などを示してもらう事を求めるかによって、ずいぶんと変わってくるような気がする。

とはいえ、その役割をコンマスが担うというのも、ちょっと違うような気がするんだよなぁ・・・オケの一人ひとりの心構えとして、アンサンブルをどう整えていこうとしているかというのが問われているのは確かだろう。

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2013年11月15日 (金)

自分でやれる事を探すということ

昨日ブログを書いていない理由のような事を書いたので、今日はあえて会社に直行しないでみた。そうすると、なるほど書かなければ的な気分にはなる。いや会社に行っても書かなければ的な気分になることはできるのだが、他にすることがない今日のような環境と違って、ようは「気が散る(仕事に)」のだろう。

さて、仕事に絡んだことが書きづらいなら、オケの事を書くしかない。

府中の第九は準備が佳境に入ってきた。そういえばそろそろFacebook上でイベントとか作らなければ・・・と思いつつ、手が回っていない。練習・・・はもちろんしなくてはならないのだが、プログラムの原稿書き、当日の実施要綱の作成、打ち上げの手配など、やるべき準備が溜まっている。というか、何故全部自分でやることになってるんだこれ?

理由は簡単で、他人にお願いせずに自分でやろうとしてしまうからだ。

とはいえ、正直な心情をいえば、こちらからお願いしなくてはやらないような人に何が任せられるのか、的な気持ちもある。他人が諸々やってくれるなら自分は何もやらなくて音楽に集中していればいいやという人は、アマチュアオケには本来不要だというのが本音だ。それで音楽にきちっと貢献してくれるのであればお願いしてでも留まって欲しいが、そうだと胸を張れる人はどれぐらいいるだろうか。

何をすれば良いかわからないから、というのは、休日することがないからと家でゴロゴロ昼寝をするオヤジと一緒である。少し注意を払えばやることはいくらでも見つかるものだ。最初からやるのは無理でも、まずは意見を言い、仕組みを知る。自分にできる事というのは、天や他人から降ってくるものではなく、自分で見つけていくものだろう。

とはいえ、自分にそうした「自分ではやることを見つけられない」人達のマネジメントが求められている事も分かってはいる。ただ、正直な所面倒臭い。報酬をもらっている訳でもないし、自分で少々無理すれば済んでしまう事だからだ。会社であればそうした個人依存がリスクになることは分かるから何とかしようとは考えるが、アマチュアの市民団体で自分が抜けた後の事なんて考えるのは正直鬱陶しい。口ではもちろん将来の事を考えてなどというが、本音はそんな事まで考えていられるかと思ったりする。


・・・とまぁ少し毒を吐いてみた。こういう心情になってしまうのはそれなりに疲れているって事なんだろうか。しかしなー、「何でも一人で抱え込むな」とか「お願いしてくれれば良かったのに」とか言われると、だったら替われよ、とイラっときてしまうのは確かだ。

お願いされればやるなんていうのは、ようするにその事を受け身でしか捉えていないって事じゃないか。

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2013年11月14日 (木)

ブログを書く習慣

最近のブログの書いてなさ感が半端ないのだが、習慣が崩れるというのはこういうことなのかと実感する。崩れるというか、再構築されるというか、いや再構築はされていないか。

仕事が変わった時にも、ここまでの変化はなかった。変わったのはここ1ヶ月で、それはつまり職場が引越しをして、出勤のリズムが変わったという事だ。もっとも、今日のように書ける日もある事を考えると、単純に仕事に追われて時間の確保が難しくなっただけかもしれない。

それだけでなく、ネタに詰まるようになっている。機密に触れる仕事が増えて、考えている事を書く事もリスクになる場合が増えてきたからだ。直接的に書くわけではないから、自分の事を知らない人が読んでもそうはならないだろうが、自分の事を知っている人が読めば、そうした事が筒抜けになってしまう。それは困る。

もちろんそうではないネタを仕入れて書いていくという事が、この場合に求められる最適解だろう。ただそういう事に頭のリソースを割く余裕がなくなってきているというだけの話だ。

現実問題として、仕事の事を考えているか、オケの事を考えているか、最近はどちらかしかないぞ。まぁそれでもまだ二つ考えているだけ余裕があると言われれば言い返せないけれども。

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2013年11月 6日 (水)

ブルックナーの難しさ

月曜日に多摩管弦楽団のブルックナーを聴いてきたのでその感想など。上野の森の飲み会でも少し話題になったので、メモとして残しておく。

率直な感想としては、そうか、ブルックナーは聴く立場だとこのように聴こえるのか、という感じだろうか。4番、7番、8番と演奏した事はあるが、聴く立場になるのは初めてなので、その感覚はある種新鮮だった。

多摩管弦楽団の名誉のために書いておくと、下手だったという事ではない。
(しかし話している最中に「決して褒めないね」とは言われた。)
実際前プロの軽騎兵序曲、中プロのメンデルスゾーンの演奏はしっかりしていたと思うし、ブルックナーもしっかりしているのだろうと思いながら臨んだ。

その期待を裏切られた・・・というのとは少し違うだろう。個人的にアマオケを聴きに行く理由は、自分が演奏する上での参考点が分かりやすい、露骨に言うなら「アラが目立ちやすい」からだ。それを頭の中で補整する時に、恐らく自分(達)も抱えているであろう課題が明らかになる。そういった意味では、そつない演奏の方が期待を裏切られた感じになったりする。

閑話休題。重ねていうが、オケの技量として問題があったとは(あえていうならホルン以外は)思わない。むしろその技量をもって明らかになった課題と考えても良いだろう。

ブルックナーの音楽はオルガン的な響きを特徴としている。
ではオルガン的な響きとは何だろうか。オルガン的な響きをオーケストラで奏でる上でのポイントは?

鍵盤楽器であるオルガンは、音の切り替わりが実ははっきりしている。あれだけ大量の音を重ねても、どこか芯のハッキリした音楽になるのは、おそらくそのせいだろう。加えて音色自体は共通で、音階上のどの音であっても同じ響きを実現する事ができる。

これをオケで実現するのが難しい。特にアマチュアはそうだろう。

まず縦のラインが合わない。多少合わなくたって気にならない音楽もあるが、少なくともブルックナーらしい(オルガンらしい)響きを出そうと思ったら、それは致命的な問題だ。鍵盤を押すことで発音される音のキレを、複数の楽器の集合体である弦のパートで揃えるのは、様々なレベルのプレイヤーが混在するアマオケでは至難に近い。

加えてその上で音色や響きを揃えなければならない。A線とD線で移弦すれば音色が変わる、なんて言い訳はブルックナーには通用しない。異なる弦を弾くパート同士の違いも許さない。弦の違い、楽器の違い、弾き方の違いを最小限におさえた先に「オルガンらしい響き」はある。さらに時には管楽器と弦楽器の違いさえ乗り越えなければならない。違いを生かすような箇所もあるが、違いを殺さなければならない箇所もあるのだ。

その上で(まだある)プレイヤーには全体の響きを理解した上でバランスをとっていく事が要求される。プロでは当たり前で、アマチュアでも上級になればできることだが、これまた難度の高い取り組みだ。ほぼ常に和声での響きを要求されるので、旋律だって好きに弾くことは許されない。

そもそもこの人は、旋律にそれを生かす和声をつけたのではなく、和声にそれを生かす旋律を加えたのではないか、という気がしなくもない。曲中頻繁に旋律や調子が変わったりするのは、旋律の流れを重視しているのではなく、和声の変化を重視していて、旋律はおまけだからではないかと思えるのだ。

アマチュアの弦楽器プレイヤーは、旋律や歌が好きな人が多いので、これまたあいにくい。むしろ要求されるのは、そのブロックに求められる和声の理解と、それを生かす旋律を奏でる事なのだが、これはかなりのパラダイムシフトだったりする。

何しろ自分の旋律に伴奏をつけてもらうことに慣れていたところに、伴奏のために旋律を弾くことを要求されているようなものなのだから。

そんな訳で、次にブルックナーを演奏することになったら、さてどうしよう・・・みたいな課題感を満載に感じてしまった演奏会だったのだった。

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2013年11月 4日 (月)

パートへの指示

パート練習をしたので備忘録的にメモなど。

冒頭30分はベースと一緒にスケールの練習。チェロパートの練習では毎回行っているが、パートでのスケールの練習は個人でのスケール練習とは違って「他の人と響きを合わせる」ためのものだ。そんな訳で、音色が一色になってしまうチェロだけでなく、他のパートと合同でやりたいとは以前から思っていた。今回は弦楽器が一斉に行うパート練習だったので、最初だけと持ち掛けて実現したのだ。

感触としてはやって良かったと思う。時間は短時間だったが、こういうのは長時間やるよりも何度もやった方が良い。チェロでは徐々に効果が現れてきていると思いたいが、本当はもっと様々なバリエーションでできると良いとは考えている。とはいえ、曲の練習は曲の練習で必要だ。

第九は何度もやっている曲ではあるが、別に簡単な曲ではないし、むしろやったことのある油断に足をすくわれやすい。細かくみればいくらでも難度は上がっていくのだが、中途半端に理解してしまっている事で、逆に「できそう」と思わせられてしまったりする。

そんな訳で、練習初期の今の状況でのコンマスとトレーナーの評価は最悪。本番までの残り1ヶ月半でそれを挽回しなければならない。現実問題として、パート練習はそうした問題点が如実に明らかになる。練習不足という現実は変えようがないが、それにしても何か方法はないものか。

一つ言えるのは、これまでの演奏会がそうであったように、ポテンシャルとして「弾けない」訳ではない事だ。もちろん弾けないメンバーもいるのだが、全体としてはカバーし合う事でそれなりのクオリティにはなる。問題は「そこまで持っていくのに時間がかかる」事で、その原因は・・・いちいち言われないとできない(いいかえれば「やらない」)体質ある。コンマスの怒りも、できない点ではなくやらない点にあって、要するに「真剣に練習していない」ということなのだ。

ただ、その辺りの自分の捉え方は少し異なる。努力も才能の一種であるように、言われなければできない体質も、それが分かったからと意識次第で何とかなるようなものではない。仮に何とかなるにしても、それにはトレーニングが必要だ。

ではどうするか。具体的に細かく都度指示をしていくしかない。そしてそれをしていないのは、パートリーダーとしての怠慢だと考えるしかない。コントラバスは、パートリーダーがすべての譜面に書き込みを行っている。自分はしていない。そもそもどうやって弾かせようかということも、さほど考えているわけではない。

それがパートの音やオケの音に出ているのだと受け止めるしかないのだ。

脱線した。心構えの問題ではなく、具体的な指示の問題だ。昨日のパート練習はそれほどメンバーが出席したわけではないが、それでもおおよその傾向は分かった・・・はずだ。その上で気付いた点を、大雑把にではなく、細かく個別に指示をしていく必要がある。一方で、沢山だとおそらく消化しきれないし時間的にも間に合わないので、重要なポイントに絞り込んで考えなければならない。

さて、今回の演奏会で、最低限クリアすべき課題は何だろうか。

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