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2013年12月 9日 (月)

アンサンブルの一体感

各駅停車は思った以上に寒い・・・停車時間が長く、ドアを開いたままだからだ。今朝などは到着直前は身体が震えるのを止めることができなかった。おかげで寝過ごしたりはしないのだが、何か考える必要はありそうではある。

それはさておき、この週末はオレイユの年末アンサンブル大会に向けた練習と、府中の第九の練習があった。第九は次の日曜日が本番なので、直前の1日練習だ。

双方の練習で際立って違っていたのは、アンサンブルに対する姿勢だろうか。

オレイユは弦楽アンサンブルで3-3-2-2-1。本番は3-3-3-2-2だが、これは「人数」。
府中はもちろんフルオーケストラで、弦楽器は7-6-5.5-5-4。もちろん「プルト」なので人数はこの倍だ。

なので規模はまったく違うわけだが、アンサンブルの姿勢は規模で決まるものでもないだろう。少なくとも気持ちにおいては。

技量的にできるできないというのはある。つかまりやすいのは「できない」所で、これは内容によってはやむを得ない事もあるだろう。一度できたから次ができるほど安定していないのもアマチュアの所以だ。もちろんだから許容して良いというわけでもないが、できないことを非難しても解決にはつながらないような気もする。

一方で、技量とはあまり関係なさそうな部分で、どうにも「あわなさ」というのを感じる場面も少なくない。個々に見れば出来ていないわけではないのに、全体としては破綻しているような奇妙な違和感。一人ひとりが違うものを見、求めているようなモザイク感。

オレイユのアンサンブルだって、細かく見れば破綻はいくらでもある。なんといっても初合わせでもある。それでも、なんとかなっていくのではないかという一体感が感じられる。それを合わせていこうという意思が感じられる。対して府中は、一体感が無いわけでもないのに、微妙に組み合わさっていないというか、意思のようなものが感じられない。

逆説的に考えるのであれば、オレイユはまだ個々がバラバラで、その自覚の中で一体感を作り上げていこうとしているのに対して、府中は一体であるという無自覚な認識と幻想の中で、結局バラバラに演奏しているという感じかもしれない。

もちろん、あと1回の練習と本番の盛り上がりの中で、その幻想は実体としての一体感に結びついていく・・・というのが、過去の府中の演奏会なのだが、そのやり方をしている限り、本番以外では本当の音楽の楽しさは得られない訳で、練習においても歓びを感じていけるような何かが必要な気はする。

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