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2014年3月31日 (月)

練習時間と場所の確保

土日の練習は2団体。少し前に比べればずいぶん穏やかになったような感じだが、それほど悠長な事は言っていられない。

府中の本番までは2ヶ月を切っているのだが、どこか指がついてこないもどかしさを感じている。指揮者の指示や、音楽上求められている事などが分かってくるようになるようにつれて、それについていけない技量不足、厳密には練習不足を感じるのだ。楽譜の要求に対して体がついていっていない。

解決策はただ一つ、さらうしかないのだが、これが難しい。掛け持ち云々の話ではなく、場所とセットになった練習時間の確保が難しいのだ。特に場所の確保なのだが、最近は時間の確保も難しくなってきていたりする。

しかし、もうしばらくすればオレイユの練習が加わり、個人練習の必要性はさらに高まってくる。場所がない時間がないなどと言っていられない。正直なところオレイユでやるような曲は個人練習がほとんど効かない(一人で弾いていても何をやっているのかさっぱり分からないため)のだが、せめてそうではない曲については、練習時間(と場所)を確保するようにしなければならないだろう。

そうしないと7月の本番ラッシュを乗り切れない。しかもその時には府中ではマラ5の練習が始まってしまっているのだ。

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2014年3月27日 (木)

従業員に優しい会社

月曜火曜と風邪で寝込んだため、2日間の予定がキャンセルになった。こういうのは結構大きい。計画性がないというか、ギリギリで動いている事が多いからだ。追い込まれなければやらないというよりも、順番にこなしていくとこうなるという感じで、全体が後ろ倒しになってしまっている。

まぁそんなことはブログにいくら綴っても改善される訳ではない。どこかでリセットするなり、仕事のやり方を変えない限りは、いつまでも悪循環は続くだろう。

さて、寝込んでしまう前にこんなTweetをした。

ふと気がついたのだが「従業員に優しい会社」というのは、それが会社や経営者の温情であったら意味がなく、きちんと労働者の権利主張の結果そうなっているのでなければ、CSRとしてしっかりしているとは言い難いのではないだろうか。
送信 3月23日 16:27 From HootSuite

従業員に限らず、相手が株主であれ消費者であれ社会であれ、彼らへの優しさや配慮というものが「企業側の意図」であるのであれば、そのことにステークホルダーは危機感を覚えるべきだ。少なくとも、そうするのが当然のような甘えは排除し、どうやったらその関係が続くか、続けるためにはステークホルダーとして何をすべきかということを考えていく必要がある。

それは賞賛という形で名誉を与えることかもしれないし、もっと直接的な利益をもたらすことかもしれないが、いずれにせよ、そうすることが互いにとって、もっと広くは社会全体にとって良いことだという事を示すことができなければ、そうした関係は長続きしない。もちろん、逆にリスクとして示すやり方もある。

元々企業というのは資本家でもある経営者だけで成り立っていた。企業と呼ぶにはやや未成熟な状態だが、商人や職人というのは元々そういうものだろう。

そこから資本家が独立した。独立することで、ステークホルダーとしての関係が生まれた。

続いて労働者が独立した。利害関係者として、企業の意思決定に影響を及ぼすようになったというのは、そういうことだ。

そしてステークホルダーとしての消費者が登場した。それはつまり単に購買する者ではなく、企業の活動や意思決定に対して影響を及ぼす存在になったということだ。

次のステークホルダーは誰だろうか。例えば取引先、特に顧客ではない側の取引先は、まだ意思決定に影響を及ぼすほどの関係になっていないといえるだろう。消費者ではない社会や環境といった存在も、まだ影響力は弱い。

そんな現状にあるのだろうと思ったのだった。大切なのは、どのような配慮をされているかではなく、どのような影響力を持っているかであって、配慮というのはその結果でしかないのだ。

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2014年3月20日 (木)

報連相の順番

相手が相談を受ける心算なのに、こちらが報告のスタンスであれば、そこはちぐはぐするだろう。しかも実際には報告に値しないような内容を持っていったら、噛み合わないことこの上ない。

考えてみればこれだけ電子的な手段が普及すれば、報告や連絡はメールなどで十分で、わざわざ会話までしたい案件というのは相談しかないという考え方もできる。そういう意識転換ができていないという事なのかもしれない。

それに報連相というと並びが良いが、実際のステップは相談、連絡、報告の順番だ。そのステップをもう少し意識するようにしないと、相談、連絡をすっとばして報告という事になり、相手は面食らう。

今更ながら結局そういう仕事の進め方が身についていなかったのだな、という話。ただ、やり方を変えていないということは、今まではなぜそれで仕事が回っていたのだろうか。関心が低く、どうでも良い案件だった・・・とは思いたくないが、やや謎ではある。

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2014年3月19日 (水)

テンション

今に始まった事ではないが、テンションが低い。そもそも普段から低空飛行なのだろう。モチベーションよりもテンションの低さが自分の場合は課題だろうと思うのだが、課題と捉えてみてもあげようがない感じもする。

もっとも、低いということを時々の自覚するようにしないと、それが普通のように思ってしまうようになる。昨日感じたのはそんな事で、そういえば自分はテンションが低いなという何だか奇妙な感覚だった。こうしたテンションの低さは、自分から何かをしようという勢いや、外からの何らかのストレスに対する反発力といったものの低さとして自覚される。

鬱というのは高いテンションによりフィラメントが耐えきれずに切れてしまった状態をいうのだろうと思うのだが、テンションが低いというのはフィラメントに投入されるエネルギーが少なくて常に暗い状態にあるということで、負荷が低いので切れる心配はほとんどない。その辺りは心配していないのだが、明かりが弱いということは、周囲に対して影響力を発揮できないということで、それはあまりよろしくない。

テンションというのは、つまるところやる気だ。いや微妙には違う。やる気というのは目的意識に基づくものだが、テンションというのは精神状態だ。やる気の高さがテンションに影響することはあるが、テンションが高いからやる気があるとは限らないだろう。

そこでふと思う。自分にとってやる気につながる目的とは何だろうか。それを自覚的に設定できれば、もう少しテンションを高めることもできるかもしれない。

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2014年3月18日 (火)

勉強の時間

今日は練習があるということもあって少し早い電車にしているため、いつものようにブログを書いている時間がない。なので電車内で書くことにする。

昨日の夜に書いた事にもつながるのだが、曲の理解を進めるにはどうしたら良いだろうか。もちろん合奏含め実際に楽器を弾く機会を除いた場面での話だ。

ひたすら聞くというのも一つの方法で、確かにそらで歌えるほどになってくると、弾きながらそうした他パートを歌うということも可能になってくる。ただ現実的にはそこまで聞けるかというとなかなか難しい側面もある。ま、集中して聞くか、流して聞くかという問題もあるが。

少なくとも、何かをしながら流して聞くというのはあまり効率が良くないので、電車の中でもこうしてブログなんか書かずに耳に集中した方が良いのは確かではある。

もっとも、楽譜があまり頭に入っていない状態だと、どんなに耳を傾けても限界がある。となると楽譜を見ながらというのが当然のごとく必要になってくる。この辺りのステップは当たり前の手順だろう。出来ているかはさておき。

楽譜を見ながら聞くというのも、実際には目的意識を持っていないと漫然と自パートを追いかけるだけになってしまったりするので、何をするために聴くのかというテーマが欠かせない。他のパートの理解が主であればその意識は最低限必要で、理想はそれらの情報を逐次楽譜に書き込んでいってしまう事だろう。

そうなると電車の移動中などは無理で、ある程度腰を据えて取り組む必要がある。つまりは音楽であれ仕事であれ勉強の姿勢というのはあまり変わらなくて、どれだけ真剣に時間を投入できるかということだ。

しかしそうなってくると、その時間は音楽ではない勉強の方に投入しなければという事情も浮上してくる。その辺りは悩ましい。

要するに投入できそうな時間は通勤時間だけなのだけれども、その時間にできることは限られているというジレンマがあるという事だ。まあ言わずもがなの話ではあるので、できることを積み重ねていくしかないのであるが。

・・・しかしこうして書いてみると、段落単位でTweetするのとあまり変わらないな。

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2014年3月17日 (月)

他のパートを把握する

今朝は人間ドックのためブログを書かなかったのだが、帰り道に中途半端にTweetした事の続きを書くことにする。

今朝はブログを書けなかったのだが、昨日の練習を振り返っておこう。というか、この所複数のオケで「オケの機能としてのアンサンブル能力」に言及される事が多い気がするんだな。
送信 3月17日 21:47 From HootSuite

閑話休題。ようはオーケストラ自身でアンサンブルを作れるようになると指揮者とのコミュニケーションがより深くできるようになるという事なのだが、比較的立て続けに耳にしたというのが興味深い。
送信 3月17日 22:02 From HootSuite

何度かこのブログでも書いている気がするのだが、つまるところ「指揮者のリソースをアンサンブルのために使うのは無駄遣いだから、それはオケ自身で何とかしようぜ」という事を、表現を変えながら再三言われているという事になるだろうか。

もっとも、アマオケの場合、そのリソースをアンサンブルに振り向けたら、それはそれで精一杯になってしまって、やはり指揮者と密なやり取りをするのは難しくなるような気もするのだが・・・。

さておき、オケ自身でアンサンブルをしようと思ったら、演奏中に他のパートに耳を傾ける以上に、そもそも他のパートが何をしているかを事前に把握・理解しておく事が不可欠である。そんな訳で、昨日の練習ではコンマスから高弦に対して「木管の旋律を暗譜で弾けるようになってこい」という宿題が出たのであった。少々酷だな〜と思うのは、クラリネットの楽譜は多分読めないだろうといった事だったりするのだが、弾くのはすぐには無理でも、今の段階で歌えなければ、それはそれでアンサンブルは無理だろうなというのは分かる理屈ではある。

その辺りの「他のパートの把握」というのは、きちんと勉強して理解する人の他に、天然で把握できてしまう人というのがいて、そういう人たちというのは、演奏後に他のパートの事についてあれこれ論評できたりする。この能力は、少々羨ましい。多分当人たちはあまり自覚がなくて、他の人も普通にできるぐらいにしか思っていないような気がするが、できない自分からすればあれは立派な才能である。いやまぁ血の滲むような努力の結果得たものかもしれないけれども。

自分の場合は、オケ全体の中で自分の音に違和感がないかを感じ取るのがせいぜいで、他のパートまで分解して聴き取る余裕はほとんどない。それも瞬間瞬間の把握が精一杯で、あらかじめイメージするのはかなり厳しい。これから出そうとする音に対してイメージがなければ、結局当たるも八卦当たらぬも八卦という事になってしまうので、正直あまり役に立たない。

何だか身も蓋もない内容になってしまったが、それでもできることはと言えば、それは結局頭で理解することに努めるしかない訳で、勉強次第という話ではある。

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2014年3月14日 (金)

目的とねらい

昨日このようなTweetをした。

恥ずかしながら目的と狙いの違いが未だもってよく分からない。言葉の定義とかの問題ではなく、肌感覚とか腹落ち感として。
送信 3月13日 20:20 From HootSuite

特に両者を分けて記述してしまった時の曖昧感は半端ない気がする。あまりストンとくる書きわけにはお目にかかった事がない。
送信 3月13日 20:27 From HootSuite

多分「目的」を直接的な結果、「狙い」を副次的間接的な効果とした場合に、後者を「明示的に記述する」という行為が、前者への意識上のシフトを招いてしまっているのだろう。結果や効果において、両者には差がないからだ(差があるのは行動との結びつき度合い)。
送信 3月13日 20:32 From HootSuite

本来の意味に立ち返ってみる。大辞林ではこうなっている。

もく てき 0【目的】
①実現しよう,到達しようとして目指す事柄。めあて。「━を達成する」「━をとげる」「本来の━にかなっていない」
②〘哲〙行為において目指すもの。それのために,またそれに向けて行為が行われ,実現が求められるもの。⇔手段。→目標(補説欄)
大辞林 第三版

ねらい ねらひ 0【狙い】
①(弓や銃で)ねらうこと。「━をつけて矢を放つ」「━を定める」
②ねらった目標。意図。「━はいいが実現は難しい」
大辞林 第三版

ついでに目標はこんな感じ。

もく ひょう —へう 0【目標】
①そこまで行こう,なしとげようとして設けた目当て。「年内完成を━にする」「━を掲げる」
②射撃などの,的。「━に命中する」
③目じるし。「車上にて弗と目につきしは両替屋の━なり/千山万水乙羽」〔類義の語に「目的」があるが,「目的」はその実現に向けて行為が行われる事柄(対象)の意を表す。それに対して「目標」はそこまで到達しようと定めたところの意を表す〕
大辞林 第三版

こうして改めて比較してみると、

目的:達成、実現すべき成果、結果
ねらい:その成果を得るべき理由

ぐらいに捉えた方が良いような気がしてきた。記述するならこのように書き分ける事になる。

目的:(その行動により)達成すべきこと
ねらい:達成すべき理由(達成により得られること)

このように考えると、副次的・関節的な効果なんかよりずっと書き分けやすい。

例えば何らかの発表をする際に、その目的とねらいは何かを整理しようとした場合、

目的:その発表により何を伝えたいのか
ねらい:伝えることにより何を得たいのか

となる。

しかしこうなると、目的よりもねらいが先ということになるな。目的があってねらいがあるのではなく、ねらいがあってそのために目的を設定するという感じだ。記述としては目的が先だが、思考としてはねらいが先という訳だ。なるほどそれを記述順に考えていたら、しっくりくる訳がない。

組み立てとしてはまずねらいは何かを考え、そのために達成すべき目的を考えるという順番だが、それをアウトプットする際には、まず何を達成するかの目的を伝え、次にその理由としてねらいを伝える方が良いということだろう。

それにしても今頃こんな整理をしているなんて本当に恥ずかしいな。

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2014年3月13日 (木)

段取りをパターン化する

会議であれ、イベントであれ、そこに必ず付随する「準備」という行為は、想像力の産物である。空想妄想という意味ではなく、どこまで必要とされるものを想像できるかという意味だ。それをきちんと計画として明確化したものが「段取り」ということになるが、段取りの質の高さはそうした想像力によって違ってくる。

一方で、その想像をある程度パターン化したものが段取りと捉えることもできる。段取りのパターンというのは、つまり事前に想像し想定しておかなければならない事のリストという事だ。ゼロから起こりうることを想像するよりも、ある程度のパターンをベースにして時々の条件を加えていく方が、ずっと効率的だし、抜け漏れが少ない。

その辺りの段取りパターンの蓄積不足を今更ながらに感じるのは、これまでそうした事を意識する必要があまりなかったからだろう。その時その時では拙くも想像はするが、その結果を振り返り、パターンの形で蓄積するという事を、これまではあまりやってこなかった。現実問題としては、そうした事を必要とする頻度が少なかったという事はあるが、本来は少ないからこそその希少な機会をどれだけ次に生かせるかを考えなければならない。それを怠っていたと捉えることもできる。

パターン化をしようと考えた場合、事前の想像の段階からの記録が欠かせない。その記録というのは、結果だけでなくプロセスにおいて想像したことも含めてのものだ。その記録があるからこそ、次に同じ事を行う際には、それにさらに上乗せした進化が可能になる。結果の記録だけでは、その結果をなぞるだけになってしまう。

昨日感じたのは外部との情報交換における段取りの不足だが、当面は会議の段取りが課題だろう。自分が段取りをしなければならない会議というのは、それほど多くない。せめてそうした定例の会議についてだけでも、そうした蓄積をして進化をさせていかなければならない。

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2014年3月12日 (水)

相手をパターンで捉える

昨日のセミナーで聞いた話では、会社には5種類の人間がいるそうだ。
・強い意思を持ち成功するまでチャレンジする環境変革型が5%
・サブリーダーとしてそれを支える環境改善型が10%
・主体性がなく良い方にも悪い方にも妥協する環境順応型が35%
・自分には無理と常に不安を表明する環境逃避型が45%
・他人の失敗を喜ぶ環境破壊型が5%
自分はさすがに破壊型ではないけれども、逃避型か良くても順応型かな・・・とか考えたりしたのだが、この手の類型は自己評価はほとんど意味がない。変革型か改善型であれと自分に言い聞かせるとしても、評価自体は他人がして初めて意味があるものだろう。

そういった意味では、あまりごちゃごちゃ自分について考えてみても仕方がない。どちらかというと、相手がどんな型なのかを見極める目を身につけた方が良いのだろう。そういう目線は自分はほとんど持っていない。

こうした類型が良いか悪いかはともかく、ある種自分なりのパターンを持って他人を評価している人というのは、それだけ良く他人を見ているということでもある。それは興味関心の裏返しであり、コミュニケーションの意思があるからこそ、そうした見方をするという捉え方もできる。相手をありのままに受け入れるというのは、懐が深いようでいて、実は無関心の裏返しなのかもしれない。

パターン化とレッテル貼りは紙一重だが、何らかのパターン化をして相手を捉えないと、適切な対応ができないという事はあるのだ。コミュニケーションに限らず、例えば楽器演奏の技術一つでも、レベルを細分化して捉えられれば、アプローチできる幅が広がる。何となくで捉えている限りは、いつまでも漠然とした具体性のないアプローチしかできないだろう。

「あの人って○○だよね」という語彙を自分はほとんど持っていない。それは逆にいえば相手の事をほとんど見ていないという事でもあるのだろう。そんな事を考えてしまった。


・・・ところで今日のエントリーはiPadで書いたのだが、やはり効率としてはiPhoneとあまり変わらないような気がしてきた。もっとも、親指フリック入力で長文作成を続けていたら確実に親指が腱鞘炎になるのは間違いないので、iPhoneが良いかどうかはまた別の話。

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2014年3月11日 (火)

使いこなす

うっかりしたことに、今日はiPadを持って来なかった。不要と思ったのか、その時何をどう判断したのかは不明なのだが、とにかく鞄に入れなかった以上、ブログを書くにもiPhoneかXperiaしかない。日本語入力の効率から考えれば、まだiPhoneに軍配が上がるだろうか。

そういえば先日参加したセミナーでは、隣に座った女性がiPhoneでメモを取っていて、なんともすげーと思ったのだが、そういう速さを持っていれば、iPadである必要さえないわけだ。スマホと違ってブラインドタッチができる携帯であれば、さらに効率的なのは間違いない。

しかし、そういう形で自分のスキルというか、能力を磨くということはとんとしていない。PCの入力ですらブラインドタッチができないというのは怠慢だろうか。怠慢かもしれない。iPhone+キーボードというのも一時期試したりしていたが、それも入力が格段に速くなる訳ではない。ちょっと便利にはなるが、それを突き詰めて使いこなしている訳では無い。

そんな中途半端感をひしひし感じながら、そうやって考えながら書く分にはiPhoneでもiPadでも時間はあまり変わらないのだった。片手で入力できる分、むしろiPhoneの方が便利とさえ言えるかもしれない。もう片方の手で本を開いて押さえたりも可能だからだ。おお、そうだ、その方が資料の確認とかは便利じゃないか(と今頃気づいたりする)。

そうやってとことん使い尽くす事を考える事も必要かもなぁ。そう思っていれば辞書登録とかもするだろうし、何となく力技というか、最低限できればそれで良いや的な諦めが自分にはあるのかもしれない。

・・・昔はそうでもなかった気もするが。

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2014年3月 7日 (金)

アイデアを問う習慣

昨日は今週2度目の平河町ライブラリー。月曜日に行っておくと週に2回ぐらい行きやすくなる。

アカウンティングの勉強をするつもりでテキストは持って行ったのだが、実習的にやろうとしていたことの資料の準備を忘れてしまった。

アカウンティングの勉強がイマイチ身に入らないのは、実際に役立つ知識としての実感が湧かないからだ。テキストには様々な指標が紹介されているが、それを現実に生かす機会がないと、どんなに必要性を説かれてもピンとこない。そのため、過去何度かチャレンジしたのだが、ことごとく挫折している。

だが、今回は曲がりなりにも関わっている企業がある。そこでその企業を対象にテキストで紹介されている分析を片っ端から試すことにした。それはそのままその企業に対する理解にもつながるし、普段の会話などでも生かせるだろう。

で、その資料を忘れてしまったので、仕事の別の課題を考えた。考えたといっても、それほど突き詰めた訳ではなく、思いつきを書き連ねた程度だが、そのアイデアをそれ以上発展させるには、他人の評価を仰ぐ必要がある。ひらめきに近い内容だから、考えすぎても仕方がない。自分の場合、傾向として考えすぎるほど独善的な袋小路に陥りやすいのだ。

その手のアイデアというのは、会社ではなかなか思いつかないもので、平河町ライブラリーのような所だと不思議と色々と着想が生まれたりする。

そうしたアイデアを生かすためには、さっさとそれを形にして、自分でこねくり回してしまう前に周囲に問う必要があるのだろう。そんな訳で今日はこれぐらいにして会社に行くことにする。

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2014年3月 6日 (木)

技術者の評価は低いのか

前の日にTweetをしていたりすると、翌朝ネタに困らなかったりする訳だが・・・。

日本では技術者が評価されないという批判はよく聞くのだけど、一方で日本製の商品が明らかに技術視点優先で作られていると批判されるのはどういう訳だろう。技術者が評価されていなかったら、技術しか語られないような製品は生まれてこないんじゃないの? 送信 3月5日 19:42 From HootSuite
ああそうか、技術視点で作りに作り込んだ商品が評価されないから、技術者は評価されないって嘆いているのかな? 送信 3月5日 19:47 From HootSuite

二つ目は単なる嫌味なのだが、逆に考えれば日本は「技術者以外の(特にマネジメントやマーケティングの)評価が低い」のではないかという気がしなくもない。

その意識の最たるものがこの言葉に表れているのではないだろうか。

「生涯一技術者」

この「技術者」を置き換えられる言葉はそれほど多くない。教師や医師、研究者、刑事などがそれにあたると思うのだが、それと同じと考えれば、技術者の格というのは相当に高い。

「生涯一事務員」

を同じようなニュアンスで使えるだろうか。いや事務員の方スミマセン・・・。

そもそも「評価が低い」というのは、「評価は高くあるべきだ」の裏返しである。もうそこにボタンのかけ違いがあるような気がしてならない。

最初のTweetに戻るなら、技術者の評価が低いのではなく、相対的に消費者の評価が上がったのだ。技術だけでは評価されなくなるというのは、技術者の評価が「下がった」のではなく、技術以外への要望が「上がった」という事であって、企業の意思決定がそれに合わせてシフトした事に対して「技術者の評価が低い」というのは、「消費者は我々の提供する技術を黙って享受するべきだ」と言い続けるに等しい。

現実には技術に対する評価が下がった訳ではない。動機付け要因から衛生要因へのシフトや、相対的に他の要素への評価が上がっているとみるのが妥当だろう。

それを捉えて「技術者の評価が低い」というのは、失礼な話だが勘違いという事はないだろうか。

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2014年3月 5日 (水)

Toodledo

ふとした事だが、Toodledoの使用を再開してみようと思いついた。

実はほとんどない使わなくなってもう1年以上になる(気がする)。登録されているのは古いタスクばかりだ。
しばらく前に仕事関係はすべて削除し、オケ関係だけのタスクリストにしていたのだが、運営委員長ではなくなってその必要もあまりなくなってしまった。

一方でタスクをうまく管理できない状態は相変わらずである。

そもそもがそうしたやり方に向いていないんじゃないかと思わなくもないが、自分が向いている向いていないと、それが必要とされているかは全く別の話だ。現実に日々がうまく回っていない状態をどう解決するかである。

とりあえずは宣言ということで、使い方はおいおい考えていこう。
ま、一番の問題はその考える時間を確保できてない事にあるような気もするが。

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2014年3月 4日 (火)

練習したい

今日から上野の森交響楽団の練習(への参加)を再開する。

再開するといっても、本番直後はお休みで翌週は所用で参加できなかったため、2週間休んだだけの話だ。それだけの話なのだが、別の事情もある。

今回は本番が日曜日に予定されているのだ。府中を優先すると公言している身としては、これは悩みどころではある。練習といえば練習だが、まだ指揮者のスケジュールが決まっていないので、重なった場合は・・・さてどうしたものか。

それはまぁ確認次第という事にするしかないかもしれない。

加えて悩みどころだったのは、その前日と前週の土日すべてにすでに本番の予定が入っていることだ。さすがにこれだけ詰まった事はない。

ただし、練習はそれほどかぶらない。何しろ上野の森は火曜日練習で、仕事とかぶることはあっても他のオケの練習とかぶることは(祝日に当たらない限り)ほとんどない。土日に行われる練習や合宿への参加が難しくなるだけだ。

このジレンマは小さくなかった。元々上野の森に参加したのは「平日に楽器を弾く機会を増やすため」でもあるのだ。しかし、練習だけ参加させてくれという訳にもいかないだろう。
加えて、現実には個人でさらう時間が曲の多さに溢れてしまっているという事情もある。(あとは会社で昼休みとかにさらえるようになると良いのだが、まぁ現実には仕事に追われるのでそれは無理っぽい。)

むーん、練習したい。

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2014年3月 3日 (月)

スケジュールを死守するものとして作っているか

先週練習のスケジュールについてちょっと書いたのだが、考えてみると自分の場合ちょこちょことスケジュールは作成してカレンダーに書き込んでいるのだが、それを死守するものとしての意識が弱いような気がする。何というか、自分との約束のような感じでズルズル変更してしまったり、流してしまうことも多い。

死守する覚悟で作っていないのだ。

意識の問題もあるだろうが、何というか「自分の意思でなんとかなる」ような組み方をしてしまっているのかもしれない。作業のスケジュールなどもカレンダーに書き込む事は多いのだが、結果アウトプットまで結びつていなかったりするのは、その対象まで含めたスケジュールの作り方をしていないからだろう。

出来なくても先送りにできるという奴だ。

自分との約束だけでスケジュールを組んでしまうと、こうした甘えが起こる。もちろん一人の作業はあるのだが、そこに何らかの形で他人を介在させておく必要があるのだろう。あるいは自分だけとの約束だとしても、そこに何らかの明確なアウトプットを想定しておく事で、無理にでも何かをしたという形を作っておくようにすると良いのかもしれない。

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