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2014年4月30日 (水)

Rシュトラウスの難しさ

昨日の練習後に、チェロはRシュトラウスは難しいのか、と指揮者に聞かれた。

いや弾けていないのは単なる練習不足ではあるのだが、Rシュトラウスはチェロも内声的に使う事が少なくないので、低音部に慣れていると戸惑いはあるかもしれない、と答えた。慣れたポジションとは異なる響きを要求されるからだ。

いやまあだから慣れるように練習が必要な訳だが。もっとも昨日の練習で捕まっていたのはそうした内声的な箇所ではなく、旋律的な部分だったのだから、本当にただの練習不足なのである先生すみません。

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2014年4月28日 (月)

連休の練習

カレンダー通りであるが、連休に突入した。といって、特別に何かあるという訳ではなく、ただ少しばかり楽器を弾く時間は長そうな気配がある。

土曜日は会社の上司(直属ではない)に誘われた練習だけのオケに参加。本番はなく、集まって通す(多少は練習もする)だけという年2回のオケだ。技術云々ではなく、いかに楽しめるかという会だが、音楽の楽しみ方としてはこうした機会があっても良い。

日曜日は午前午後と府中。

午前中は5月18日に迫った定期演奏会に向けた練習。まだかなり不安が残る。弾けない所があるのはいつものことだが、指揮者の棒についていけない。いや、厳密にいえば、指揮者の棒とオケのアンサンブルの不整合についていけない。

前にも書いたが、府中は典型的な指揮者集権型のアンサンブルを得意としていると考えている。きっちり振ってくれて各自がそれに合わせるうちは緻密な事もできる(はずな)のだが、これが指揮者をきっかけとしてオケ側でアンサンブルをしなければいけない状況になると途端に乱れてしまうのだ。棒から受け取った音楽の解釈の差が、アンサンブルに出てしまうからだ。

要するに互いをあまり聞いていないのだが、それでも聞いて合わせようというプレイヤーはいて、それがアンサンブルの乱れにさらに拍車をかけたりする。合わようとする相手がそれぞれ異なっていたりするからである。

今回はブラームスの交響曲第一番と馴染みのある曲で、各自がよく知っているというのも、逆効果に働く場合がある。各自の知っている演奏の解釈が同じとは限らないからだ。難しくも何ともないのに乱れに乱れた(そして毎回そうなっているのに未だに修正がきかない)第一楽章の最後などはその典型だろう。しかしあの場所はなんだって一度でアジャストできないのだろう。初回は忘れていたとしても、2回目以降も同じになってしまって何度も繰り返す羽目になるのは、求められている事が理解できていないという事なのだろうか。
(もっとも、その辺りを「分かりやすく丁寧に」振ってくれる指揮者ではないのだが・・・。)

午後は6月22日のオペラ「魔笛」の練習。これまた課題が多い。まだ練習回数が少ないという事がないとは言えないが、長丁場なのでもともとそれほど個々に時間をかけられる訳ではないのだ。前回の練習は諸事情により欠席となったのだが、録音をしてくれる人がおらず、細かい動きは楽譜に書かれた指示に頼りきり。その辺りをきちっと書いておいてくれたサイドには感謝するばかりだが、それでもいきなりついていくのは難しい。

まぁ難しいのは分かっていたことだ。この曲の場合、練習の絶対量と曲の長さの相乗効果で練度が圧倒的に低いのは否めない。何か挽回する方法があると良いのだが。


さて、連休であるが、明日午後夜間と練習。土曜日と日曜日も練習がある。残りはやや微妙だが、練習が必要そうな気はする。

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2014年4月25日 (金)

企業ブランドと商品ブランド

今日はネタがない。

いや頭の中を駆け巡っている事案はあるのだが、内実すぎて書けないという話。以前は内実であっても一般論として書きやすく、仮にそうでなくてもそれほど開示が問題になるような事案ではなかったのだが、今はその辺りが少々事情が異なる。もっとも、もう少し理解が進めば、一般論として論じることができるようになるだろうか。その辺りがまだ掴めていない。

先日ふと考えたのは、企業内で「企業ブランド」「商品ブランド」と言っているものは、お客様にとってはどれだけ差別化できているのだろうか、という命題。ブランディングにおいて両者を切り分けて考えることは少なくないと思うのだが、それはお客様にどれだけ伝わっていて、どれだけの価値があるのだろう。

ようはお客様にとって、「その企業の商品あるいはサービス」というブランド観と、「その商品あるいはサービス」というブランド観の違いはあるかという話だ。書いていても難しいと感じるのだが、そんな区別はされていないのではないだろうか。違うのは同じブランドで括られる商品やサービスあるいは世界観の「範囲の違い」であって、それが企業ブランドであるとか、商品ブランドであるというのは、ブランドマネージャーやブランドコンサルタント、広告代理店が便宜的に使い分けるための「言葉の違い」であるような気がしてきている。

もちろん定義的には違いを語ることはできる。

その企業の商品・サービスを含めたあらゆるアウトプットを束ねたものが「企業ブランド」。
その企業の特定の商品・サービスにおけるアウトプットを束ねたものが「商品ブランド」。

両者の違いはアウトプットの対象となる領域の違いであって、価値的な違いがあるわけではない。

対象となる領域が異なってくるのは、ブランディングにおいて個性を際立たせる差別化のためだ。当然だがその企業の提供する商品やサービスの幅が広がれば、そのアウトプットは多岐に渡り総花的となる。それは特定の商品やサービスにおいては、マイナスに働くことがありうる。

イメージする対象が「この商品・サービス」である場合と「この企業の商品・サービス」とでは異なってくるからだ。特に後者の範囲が広がれば広がるほど、性格は曖昧になり、他との差別化がされなくなるのは、想像に難くない。

そこに両者を使い分ける必要が生じてくる。実際には全体を束ねるマスターブランドと、個々の個性を示すサブブランドという関係で捉えるのが良く、それを便宜上「企業ブランド」「商品ブランド」と呼び分けているというのが実態なのだろう。

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2014年4月23日 (水)

楽譜に反応する筋力

昨日はこのような事をTweetしていたりした。

練習が出来ていないのは団体や曲が多いからではなく、普通に練習環境と時間を確保出来なくなってきているからです。ただ、その環境で練習についていけなくなっているのは、この所やった曲を演奏する機会が多くて逆に楽譜への感度が下がっているからの気がする。
送信 4月22日 19:06 From HootSuite

勢いでごまかしてしまうせいか、初見的に楽譜に集中し、次の音に瞬間的に対応する「感性」や「筋力」のようなものが低下している気はする。ほしらべに参加した頃も掛け持ちは多かったけど、あの頃は新曲チャレンジが多かったせいか逆に対応出来ていたような。
送信 4月22日 19:13 From HootSuite

結局記憶や慣れで弾いていると、楽譜への対応力が低下するという事なのかもしれない。
送信 4月22日 19:15 From HootSuite

反復練習で弾けるようにするための時間が確保出来ない時に、初見的対応力が低下するというのは痛い。
送信 4月22日 19:17 From HootSuite

楽譜から与えられた情報にどのように反応するかを考えた時に、理想はもちろんあらかじめ分かった上で弾くことなのだが、それがままならなければいかに反射的に弾くかという事になる。経験上、それにはある種の筋力が必要で、しかも鍛えていないとあっさり鈍ってしまうものと感じている。基本的には、新曲への対応を繰り返すことで、その筋力は鍛えられていく。

振り返ると、ここしばらくそうした「新曲」がない。府中は今回がブラームスの1番でその前がベートーヴェンの第九、運命、チャイコフスキーの悲愴、ドヴォルザークの8番。上野の森は、前回がブラームスの4番でその前がドヴォルザークの新世界、マーラーの巨人と、改めて振り返ると2度目3度目という曲が多い。もちろんプログラム上は他に初めての曲があるのだが、もっとも練習時間を割くメインにおいてやったことがあるというのは、一見弾けるようになるのが早くて良いようで、それ以上は弾けるようにならない甘えのようなものが自分の中で発生してしまっている気がする。

ましてや初見から弾けるようにしていく筋力という意味で捉えると、ここしばらくそうしたトレーニングは行われていないという事になる。厳しく捉えるなら、これまでの資産を食いつぶすかのように過去やった曲を(惰性で)弾いているだけ、と言えるかもしれない。

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2014年4月22日 (火)

iPadの機種変更

朝の電車の中で何通か返したもののブログを書く時間があったら返信しろよという程度にはメールが溜まっているのだが、昨日帰りにソフトバンクショップに寄って色々聞いてきたので、連休中にでもiPadの機種変更をする事にした。(とはいえ最寄りのソフトバンクショップではiPadは扱っていない模様)。

あとはAirにするかminiにするか、容量はどの程度にするかという問題なのだが・・・。

現在のiPadのディスク占有状況はおよそ40GBほどあるので、そのまま考えれば64GB以上が選択肢となり、昔の発想からすれば最大容量の128GBにして音楽を詰め込めるだけ詰め込む・・・という事になるのだが、先日書いたように最新機種を乗り換えていくのであれば、ストレージにはあまりこだわらずクラウドを活用し、端末コストを下げた方が良いという事になる。

正直、iPadにすべての音楽を詰め込んで持ち歩くメリットはあまりない。いや、ない訳ではなく、そもそも今までは出来なかった訳だから、できるようになったことで活用するようになるかもしれないのだが、今の所はその場面を想像できない。

想像できない場面は、多分実際にも発生しない。想像していてさえ発生しない場面は多々あるのだ。

現状の40GBは、正確に確認はしていないが音楽とビデオによる占有がそれなりにあるはずだ。アプリについても、多くはKindleによるもの(のはず)で、これは削ぎ落とす事ができる。であれば、16GBは流石に難しくても、32GBぐらいに抑える事は可能だろう。音楽はiPhone、ビデオは買ったけど使っていないモバイルストレージを使うことにすれば良い。(そもそもビデオはあまり持ち歩くメリットがない。)

そのかわり通信機能は欲しい。Wi-Fiモデルである事の方が、利用上の制約は大きくなる。iPhoneのテザリング機能とセットにすると料金が割引になるそうだが、そこにはそれほど魅力は感じない。大切なのは、単独でもある程度完結する事で、特にクラウドを活用するのであれば、通信部分に制約は設けない方が良いだろう。

迷いが大きいのはAirかminiかという点だろうか。Airの場合、多少は小さくなるにしても、今までのiPadとそれほど利用場面は変わらないだろう。一方miniにすると、これまでとは異なる場面で持ち歩く事が増えるはずだ。それは悪くない。

正直なところ、込み入った作業が必要になってくると、iPadではなくMacBook Airの出番が増え、でもネット環境の都合でiPadも持ち歩いたりということが少なくないのだが(2画面使える便利さというのもある)、そういった意味でもminiの方が都合が良いかもしれない。

そのかわり、画面サイズが小さくなるというのは、これまでiPadでは容易だった事に不便が生じる可能性がある訳で、この辺りは悩みどころではある。

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2014年4月21日 (月)

肩こり

土曜日から猛烈に肩が痛い。肩こりについては無自覚派で、時々マッサージを受けるとこっていると言われるわりには自覚がなかったのだが、今回はかなりしんどい。

症状としては肩こりというよりも寝違えた時に近いだろうか。首が回らないからだ。ゴッドハンド輝で紹介されていた寝違えの症状を緩和するストレッチを試してみると、確かに緩和されるからだ。が、しばらくするとまた復活してくる。それに首の痛みとは別に、肩甲骨のあたりに重さを感じる。

何にせよ3日目ともなると流石に気が重くなってくる。マッサージを受けても良いのだが、寝違えている時は受けない方が良いとも聞いたので、微妙だ。

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2014年4月18日 (金)

情報機器の断捨離

昨日書いた物欲の続きというか、裏側の話になるのだが、新しい機器にスイッチしていくのは良いとして、悩みどころは旧機器の取り扱いである。あるいは勇んで買ったは良いが思った以上に使わなかったモノなどだ。捨てるには忍びないが、一方で無用のモノ(長物ではなく小物だが)である。

そういった意味での切り替えが上手くいった例は最近では2つしかない。結果論だが、それまで使っていたモノが壊れた場合だ。MacBook AirとiPhone5sは、どちらも壊れての乗り換え(もっともiPhone5sは初期不良の交換のようなものだが)だったので、そのまま引き取ってもらえたという経緯がある。そもそも使えないものは持っていても仕方がないので、仮に自分で廃棄する場合でも抵抗はなかっただろう。電子機器なので面倒ではあるが。

問題は中途半端に使えてしまう場合だ。ついつい手元に残してしまい、最初は使ってみたりするのだが、結局は持て余すようになる。そうしてその時点で処分しようとすると手間がかかるので放置して先送りするようになる。

昨日書いたような「新型への乗り換え」を基本的な考え方にするのであれば、もうその時点で前機器は処分してしまうのが理想の形なのだろう。もちろん処分の方法は様々で、タイミングが早ければリサイクルショップやオークションといった方法がある。その時点では社会的にも利用価値があるからだ。時間を置いてしまうとそうした事も通用しなくなり、処分するしかなくなってしまう。

そういった視点で見回すと、自分の周りには思ったより「使わないモノ」が溢れている。「使わないモノは買わない」のが基本的な考え方なので、先述のような「買ったけど使わなかった」モノはそれほどないのだが(あることはある)、買う時点では使っていたモノで、買い替えにより使わなくなったモノにはそうした考え方が及ばない(及びようがない)。

もうこの際思い切って処分してしまおう。いや、思い切るでもなく処分してしまおう。欲しい人がいればあげてしまえば良いし(あまり売るという発想はない)、それがダメならバッサリ捨ててしまう事にしよう。

断捨離だ!

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2014年4月17日 (木)

iPadの買い替え

現在使用しているiPad(第3世代)、そろそろ2年を迎えようとしている。3Gモデルなので、契約を継続するかも含めて「次」を考えた方が良い頃だろう。ああ物欲の検討って楽しいな。

さておき、3Gの契約というのは、掛けているコストに見合うかはさておき、意外と役に立った実感がある。特にナビとして使用した時は、GPSの機能とあわせて重宝した。初代のiPad(Wi-Fiモデル)をモバイルルーター経由でナビとして使用した事もあるのだが、これはほとんど使い物にはならなかった。実用度を考えれば、ナビゲーションにおいてGPSは欠かせない。

単独で通信できるというのは、モバイル環境で使うような時には威力を発揮する。最近では公衆無線LANサービスも広がってきたが、それでも無い環境というのはあって、いざという時できるかできないかは大きい。

もっとも、現在の環境はiPadを購入した時とかなり異なる。iPhoneもXperiaもテザリングは可能で、モバイルルーターまで持ち歩かなくても(というか、持っている必要あるのかあれ)通信は可能だ。ナビゲーションも、iPhoneでは少々小さいが、Xperiaであれば多少はカバーできる(実証済み)。

そして現在ブログはiPadで書いているが、キーボードさえ持ち歩けばiPhoneでもXperiaでも可能である。そもそもiPadが登場するまでは、そうした携帯機器+キーボードで書いていたりしたのだ。

・・・うむ、何だか無くても良いような結論になってしまいそうだぞ。

現在のiPadの最大用途は、Kindle端末としてだ。書籍はXperia中心なのだが、コミックはiPadぐらいの画面サイズが欲しい。あるいは楽譜の閲覧。元々たいして参照はしていないのだが、それでも冊子を持ち歩いていた頃に比べると、iPadで何冊も持ち運べるのは、いざという時の備えとしては助かる。

しかしこのように考えると、あまり日常使い的ではない事が分かる。ようはたいして活用していないのだ。ブログ執筆端末として使ってはいるが、言い訳のようなものだろう。そういった意味では趣味的なおもちゃにすぎない。初代のiPadも所在無げに鎮座するだけになっている事を考えると、新しいデバイスの購入は不要なものを増やす行為ともとれる。

一方で、OSアップデートもしていない今のiPadをこのまま使い続けるのも限界がある。iPhone5sに買い替えて改めて感じたのは、旧機種を工夫して使いこなすコストとリスクを考えると、新機種に乗り換えていくメリットは意外と大きいということだ。物理的にリアルな機能を持つモノ(例えば楽器)と違って、ソフトこそが問題になるこうした情報端末は、古いものに固執するメリットがほとんどない。旧型でしか動かないソフトがある時の最善の選択肢は、旧型で使い続けることではなく、自身も含めてソフトを新しいものにしていく事だろう。古いソフトを使い続けることは、結局先送りでしかないからだ。

そういった意味で、すでに旧式となっているiPadは「乗り換えなければ」ならない。現状は先送りにすぎず、それを続ければ続けるほど乗り換えた時の断絶が大きくなり、機器はともかく自分のアップデートが追いつかなくなる。

まぁそんな言い訳のような理屈はさておき、契約に関わる2年の節目であるのは確かなので、ここで何かはしておかなければならないだろう。しかしできれば旧型機の行き先も含めて考えておきたいところだな。

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2014年4月15日 (火)

効果的なアウトプット

効果的なアウトプットをするにはどうしたら良いだろうか。効率も必要なのだが、この際それは後回しでも良い。アウトプットがアウトプットとして成果を出すには、他の人に響く効果的なものでなければならない。

プレゼンテーションのスキルとか、そういった話ではなく、どこか自己都合でアウトプットをしてしまっているような気分がつきまとう。言ってみればこのブログの延長のようなもので、そうやって改めて考えてみると、自分のやっている事は(発信側の)アウトプットではあっても(受信側の)インプットになっていないという事かもしれない。

音楽の感動は、聴いた人のものだ。いや演奏側にも感動はあるのだけれど、それは本質的には聴く側の感動とは異なるものだろう。演奏がアウトプット、視聴をインプットと考えると、求められているのはアウトプットのためのアウトプットではなく、インプットのためのアウトプットであるという事だ。

アウトプットの効率はアウトプット側の事情だが、アウトプットの効果はインプット側の事情である。効果的なアウトプットとは、つまりインプットがスムーズに行われるという事だろう。それは自明の理だ。ではインプットがスムーズであるために必要な事は何だろうか。

そこで壁に突き当たる。自分をインプットの側に置いた時に、スムーズであった経験があまりないからだ。いや、おそらくスムーズであった時は印象に残りづらいのだろう。インプットに残る記憶は、むしろ苦労して飲み込んだ記憶だ。しかし、それを糧としてインプットを考えてしまっては、スムーズなインプットを想像する事はできない。

印象や記憶にはあまり残らないけれども、結果として血肉になっているようなインプットこそが理想と考えた場合、アウトプットに求められる要素は何だろうか。

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2014年4月14日 (月)

幻想の食卓

今週末は珍しく落ち着いて本を読んだ。ここ最近本というと電車の中で読むぐらいだったのだが、こういう時間も悪くない。だらだら寝て過ごすぐらいならその方が良いのだろう。

流し読みで何冊か読んだ中で、まだ読み終わっていないのだが、岩村暢子氏の「『親の顔が見てみたい!』調査 家族を変えた昭和の生活史」(中公文庫)が興味深かった。タイトルのセンスはイマイチというか、注目を集めるために本筋と異なるキャッチーなタイトルをつけたのか、本人が調査の本筋を全く理解していないのか定かではないのだが(いくらなんでも後者ではないだろうが)、サブタイトルの「家族を変えた昭和の生活史」で捉えると良いのだろう。そもそも旧題は「〈現代家族〉の誕生」なので、その方がしっくりくる。

本の内容は【食DRIVE】という調査に基づく分析である。この調査は、1998年に始まり、家庭の食卓の様子を日記と写真とで捉えたものだ。岩村氏の他の著作では、そうした写真を淡々と紹介していく内容のものもある。

序章の冒頭にはこうある。

「今、ごく普通の家庭の食卓が、想像を絶するほど凄まじく崩れ、激変している。」

おおよそ、他の著作でも主張は似たようなものだろうか。本の改題もこうした思いが裏にあるからかもしれない。

が、個人的にはこの捉え方は首肯できない。激変しているのは確かだが、「崩れている」を証明できるデータが提示されていないからだ。自分の読み込み不足かもしれないが、「変化」はデータが示しているが、「崩壊」は想像と価値観から提示された願望にすぎない気がするのだ。

この調査のデータが示しているものは、もっとドライなもののような気がしてならない。それは「古き良き日本の食卓」そのものが「作られた幻想」だったのではないかという推論だ。

特にこの「『親の顔が見てみたい!』調査」を読んでいると、その思いが強くなる。写真こそないが、【食DRIVE】の調査対象となっている世代のさらに親世代へのヒアリングを中心にしたこの本は、今我々が思い描いている「古き良き日本の食卓」など無かったのではないかと示唆するような内容に満ちている。

それが何故、本の冒頭の「崩れ」という主張につながっているのかが分からないぐらい、その食卓には「あるべき姿」がない。そもそも食卓に「あるべき姿」などあるのだろうかと感じさせられる程だ。

分かるのは、食卓は社会と共に変化し、今も変化の途上にあり、それはどこかに行き着くことがないだろうということ・・・つまり「あるべき理想の食卓」などないという事だ。そうした食卓は、人々の価値観と願望の中にあり、現実はそうではないという事かもしれない。


さて、先週後半は立て込んだためにブログを書く時間がなくなったのだが、今週もボチボチそういう事がありそうである。

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2014年4月 9日 (水)

おばあさん仮説再び

おばあさん仮説という考え方について、以前組織に当てはめて書いた事がある。
(検索してもなかなか見つからなかった。何故だ・・・。)
http://projectk.txt-nifty.com/tsubuyaki/2005/07/post_1e86.html

改めて考えると、これにはもう少し追加しなければいけない事がある。
それは、組織を成長させていくためには、一方で若い層に「男子力」が必要である事だ。周囲と争い、ボスを追い出してでも自分がトップになろうとする「男子力」がなければ、その組織は停滞してしまう。

しかし、そうなると難しいのは、そうやって歳をとった男子は、どうやっても「おばあさん」にはなり得そうにない事だ。むしろ自分の下から男子を排除し、女子を従えて君臨しようとするのが普通だろう(性別の話ではないよ)。

もっとも、組織のトップまでおばあさんになることはないと考えれば、おじいさん(のメンタリティを持つ)ボスをおばあさん(のメンタリティを持つ)マネジメントが支え、男子(のメンタリティを持つ)プレイヤーと女子(のメンタリティを持つ)プレイヤーを上手く使い育てていくという図式が理想という事になるだろうか。

余談だが、マネージャーというのは、高校野球のマネージャーのような役どころがあるべき姿で、組織の方向性を指し示すディレクター(監督)とは機能が異なると考えると、会社組織におけるマネージャーって呼び名を変えた方が良いよな〜と思ったりする。

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2014年4月 8日 (火)

資料作成の目的

今日は楽器持ちのためいつもと朝の動きが異なるし、会社でやることもあるのでブログを書くか何となく迷ったのだが、特にネタもなく書き出してみた。

プレゼンテーションの資料を作成する時に一番の悩み事は、自分の伝えたい事をどうやったら分かりやすく伝えられるか・・・ではなくて、そもそも本当に自分の伝えたい事は何なのかと向き合う事だったりする。

伝えたい事がないならプレゼンテーションなどする必要ないのだが、そうではなく、漠然とはあるのだ。ようはそれが研ぎ澄まされていないのである。このブログと同じで、伝えたい事を説明するためではなく、自分自身の考えを確認するためにプレゼンテーションを考え始めてしまう事が少なくない。結果としてそれは、自分の思考の紆余曲折をなぞった、自分にしか分からない資料に成り果てる。

しかもそこまでやっても、自分の伝えたい事が整理されていない事がままある。何やっているんだ・・・。

ゴールに辿り着いていないのは問題外として、自分の思考をなぞること自体は、それもストーリーではあるので全くダメという事はないだろう。寄り道を排して、結論までの筋道がはっきりすればだ。であれば、結論が出た後で振り返って見ることは悪いことではない。

何れにせよ、自分が今作っている資料が、自分の考えをまとめるものなのか、何かを他人に伝えるものなのかという自覚はもう少ししっかり持っていた方が良いような気がする。今更だけど。

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2014年4月 7日 (月)

次回演奏会の練習計画

アマオケの場合、本番までに10〜20回ぐらいの練習を行うと思うのだが、その組み立てはどのようにあるべきだろうか。本番に向けて完成度を高めていくために、どのようなロードマップを設定するのが良いかという事だ。

一般的には、最初の譜読みである程度全体の流れをつかんだ後は、パート練習や分奏などで細部の精度を高め、その後合奏で全体の調整をしていくという感じになるだろうか。全体の練習回数が少ない場合は、分奏やパート練習の部分は個人に任せ、合奏のみで仕上げていくという場合もあるかもしれない。

特に大切なのは、初期の頃の練習をどのように組み上げていくかだ。後半の練習というのは、そもそもそんなに自由度が効く訳ではない。本番が近づくにつれ、やる事できる事というのは限られてくる。ただし、そこでできる事の幅は、前半の練習をどのように過ごしたかで決まってくるだろう。

そこで個人的に気になっているのは、最初の譜読みでどれだけのメンバーが全体をつかめているかだ。この部分が、想定しているよりも心許ないのではないかと感じている。そのために、パート練習や分奏を経ても、あまり精度が高まらない。そもそもどのように精度を高めるべきかを理解していないからだ。

アマチュアの場合、出席率にばらつきがあるという事もある。最初の譜読みを何らかの理由で欠席していたら、そもそも全体像を掴むどころではない。その後の練習でも、タイミング次第では本番までにほとんど合わせることなく臨むような箇所ができてしまったりする。

それらはある種の「避けられない課題」だ。個人としてはそれをカバーするために個人練習をするべきだが、それをオケの側が前提とする事はできない。参加の事情は個人毎に異なり、オケの練習の時にしか楽器に触れる時間を確保できないようなメンバーもいるだろう。その上でそれらを勘案した上で組むのがオケ全体の練習計画というものだ。

先に触れたように、その場合に重要なのが初期の頃の練習計画なのだが、難しいのは直前の本番の方が優先となって、初回の練習までにその辺りを検討するまで気が回らない事だろうか。結果として前半は慣例通りの練習となり、その後修正が可能なのは後半だけで、でも後半にできる事は限られるという悪循環に陥ることになる。一番の難点は、会場の確保が必要な場合にそれが追いつかない事だ。

結局その辺りは演奏系のリーダーが考えていくしかない。目の前の曲を仕上げるのは勿論だが、その先の事も考えておく事が、特に本番が近づいてきた時期には必要なのだろう。

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2014年4月 4日 (金)

分かりやすい説明

昨日はそこそこ遅くまで打ち合わせの資料作成に追われたのだが、改めて「自分の考えを整理するための資料」と「それを他人に説明するための資料」との違いの難しさに直面している。そもそも自分は後者の資料として自分自身が分かって納得できた資料というのにあまり接したことがない。

自分にとって「分かりやすい」というのは、説明が分かりやすいというよりも、提示された発想自体が自分の考えと一致して得心する、という事なのだ。発想自体の波長が合っていない場合には、どのような説明をされても、それは「分かりやすい」という形では響いてこない。だから、分かりやすい発想には膝を打つが、分かりやすい説明というのは、その考え方自体がピンとこない。

だが、そうしたスタンスのままでは、他の人に説明するための資料というのは作れない。そもそも説明というのは、波長の合っていない相手にするものだ。波長が合っていれば、ほとんど説明など必要ないだろう。

そうやって改めて昨日作成した資料を振り返ってみると、自分の考えを並べ立てているが、波長の異なる相手への説明資料になっているかは甚だ疑問だったりする。というか、そもそもの投げかけの趣旨自体が、提示した考えに賛同して一つになって欲しいとかではなく、みなさん一人ひとり考えが異なるかと思いますが、それをまずはぶつけ合いませんかというもので、それ自体がすでに相手の意識とずれてしまっているんじゃないかと思わなくもないんだな。

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2014年4月 3日 (木)

仕事のウエイト

昨日ふいに「このテーマは仕事全体の中の何%ぐらい」と聞かれて、答えることができなかった。
これには2つの点で問題がある。

一つは、自分の仕事の中で、それぞれのテーマに実際どれだけ割いているかを把握できていないこと。
もう一つは、そもそもどの程度の配分でやろうとしているかを意識していないことだ。

そしてあえて3つ目を挙げるとすれば、そもそも全量を把握できているかという問題も見えてくる。

考えてみたら、それではいつまで経っても仕事が効率的に回るはずがない。自分自身の中で、それぞれのテーマへの配分基準がなく、行き当たりばったりで進めてしまっているということだからだ。

もちろん都度都度でウエイトが変わるということはあるだろう。だがそれは「変える」という意識があってのものであるべきで、結果「変わった」というのは意味がない。

そもそも自分は全体としてどの程度のテーマを抱えていて、それぞれをどのような配分で進めていこうとしているのだろうか。テーマをどの程度細分化するかという問題はあるが、大きくカテゴライズした場合の配分と、個別に積み上げた場合の配分のイメージはあっているだろうか。

その辺りの整理を一度きちんとした方が良いのかもしれない。問題はその時間を確保できるかだけども。

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2014年4月 2日 (水)

ボウイングとフィンガリング

昨日は久しぶりに上野の森交響楽団の練習に出席。前回の本番が終わってから結構経つのだが、これまでにわずか2回の出席で、ずいぶんと休んだ感じがする。楽譜が新鮮な感じだ。

練習では、弓を使いすぎているという指摘と、フィンガリングを早く決めるようにという指示を受ける。弓の使いすぎというのは、アマチュアに良く見られる傾向だそうだ。自分の技量を超えた弓幅を使う事で、結果として発音の精度が下がるというのは、やってみると確かにその通りなのだが、音量を大きくするためという思い込みや、我を忘れて弓を振り回す癖などは、なかなか抜けない。

弓を使う幅をコンパクトにするのが目的というよりも、最適な発音をするための自分にとっての適切な弓の量はどれぐらいかを冷静に見極めろというのが本質的な話なのだろう。

フィンガリングに関しては、なかなか考える時間がない。しかも最近は散々考えてもその通りには指が回らず、結果として全く違うフィンガリングをしてしまうことも多い。先日トラで行ったオーケストラで、楽譜にたくさん指番号が書いてあるけど大丈夫かとトップに心配されたのだが、そもそもその辺りは自分の場合あまり気にならないのだ。

もっとも、臨時記号が増えてくると、事前に最適解をはじき出しておくことは必須になる。正直なところ、府中の方でもその辺りが追いついていないのだが、そればかりはどこかで個人練習を入れないことにはどうにもならないんだよなぁ・・・。

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