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2014年4月14日 (月)

幻想の食卓

今週末は珍しく落ち着いて本を読んだ。ここ最近本というと電車の中で読むぐらいだったのだが、こういう時間も悪くない。だらだら寝て過ごすぐらいならその方が良いのだろう。

流し読みで何冊か読んだ中で、まだ読み終わっていないのだが、岩村暢子氏の「『親の顔が見てみたい!』調査 家族を変えた昭和の生活史」(中公文庫)が興味深かった。タイトルのセンスはイマイチというか、注目を集めるために本筋と異なるキャッチーなタイトルをつけたのか、本人が調査の本筋を全く理解していないのか定かではないのだが(いくらなんでも後者ではないだろうが)、サブタイトルの「家族を変えた昭和の生活史」で捉えると良いのだろう。そもそも旧題は「〈現代家族〉の誕生」なので、その方がしっくりくる。

本の内容は【食DRIVE】という調査に基づく分析である。この調査は、1998年に始まり、家庭の食卓の様子を日記と写真とで捉えたものだ。岩村氏の他の著作では、そうした写真を淡々と紹介していく内容のものもある。

序章の冒頭にはこうある。

「今、ごく普通の家庭の食卓が、想像を絶するほど凄まじく崩れ、激変している。」

おおよそ、他の著作でも主張は似たようなものだろうか。本の改題もこうした思いが裏にあるからかもしれない。

が、個人的にはこの捉え方は首肯できない。激変しているのは確かだが、「崩れている」を証明できるデータが提示されていないからだ。自分の読み込み不足かもしれないが、「変化」はデータが示しているが、「崩壊」は想像と価値観から提示された願望にすぎない気がするのだ。

この調査のデータが示しているものは、もっとドライなもののような気がしてならない。それは「古き良き日本の食卓」そのものが「作られた幻想」だったのではないかという推論だ。

特にこの「『親の顔が見てみたい!』調査」を読んでいると、その思いが強くなる。写真こそないが、【食DRIVE】の調査対象となっている世代のさらに親世代へのヒアリングを中心にしたこの本は、今我々が思い描いている「古き良き日本の食卓」など無かったのではないかと示唆するような内容に満ちている。

それが何故、本の冒頭の「崩れ」という主張につながっているのかが分からないぐらい、その食卓には「あるべき姿」がない。そもそも食卓に「あるべき姿」などあるのだろうかと感じさせられる程だ。

分かるのは、食卓は社会と共に変化し、今も変化の途上にあり、それはどこかに行き着くことがないだろうということ・・・つまり「あるべき理想の食卓」などないという事だ。そうした食卓は、人々の価値観と願望の中にあり、現実はそうではないという事かもしれない。


さて、先週後半は立て込んだためにブログを書く時間がなくなったのだが、今週もボチボチそういう事がありそうである。

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