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2014年6月19日 (木)

CSRとマテリアリティ

また齢を一つ重ねてしまった。

・・・てな話はさておき、昨日は月に一度のCSR勉強会。いくつかある話題の中で、マテリアリティの設定について、そういえばブランドが持つべき「とんがり」の話と似ているよな、などと考えてしまった。

もし同じようなものだと考えるのであれば、考えなければならないのは、その設定プロセス以上に、最終的に定められたものが「マテリアリティ足りているか」であるような気がする。

マテリアリティが、マテリアリティとして成り立つために重要な要素は何だろうか。何が重要かを定めるというのは、何が重要ではないかを定めることでもある。つまり「やらないこと」が明確になっている事ではないか。

ブランドのとんがりを作るのは「やること」ではなく「やらないこと」であると最近思う。それも「出来ないこと」ではなく、「出来るし、することに価値があるけれど、それでもあえてやらないこと」だ。それがブランドとしてのこだわり、個性につながっていく。

同じことをマテリアリティにあてはめようとした時に、しかし違和感が生じる。CSRの重点課題は基本的にすべて「やるべきこと」として定められており、マテリアリティを設定することで「やらないこと」にする事が不自然だからだ。「できるし、やるべきだけど、やらないこと」なんて、CSRの課題において設定可能なのだろうか。

しかし、それをやらないのであれば、ではマテリアリティとは何なのか、という話になる。「すべてやるべきことだが、その中でも特に力を入れること」なんていうのが、重要性を設定した事に値するのだろうか。それは「100のエネルギーをすべてに分配せよ」に上乗せして、「さらに20を重点分野に投入せよ」というもので、「100のエネルギーを軽重をつけて分配せよ」とはまったく異なる。

マテリアリティの設定について、悩みが生まれるのは結局そういうことではないか。つまり、そもそもそうした発想が馴染まない中で、無理やりウェイト付けをしてリソース分配をしようとしている、という点だ。

最初に書いたように、それは「出来ることからやりましょう」という話とはまったく次元が異なる。「全部は出来なくても出来る所からやりましょう」と「全部出来ても、やらない所を決めましょう」は異なるからだ。

もっとも「全部出来ないなら、もっともやるべき所からやりましょう」の意味であれば、成り立つかもしれない。全部は出来ないという前提の上で、でも出来る所をやれば良いというものではなく、もっともやらなければならない事をやれという事だ。それをマテリアリティと定義するのであれば、成り立つような気もするが、言葉のニュアンス的にはなんとなく馴染まないような気もする。

CSRにおけるマテリアリティって何なのだろうか。

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