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2014年7月31日 (木)

ブランドの科学

ブランドというのはどういうものだろうかとよく考える。ブランドは言ってしまえばメッセージの受け手の想像の産物だ。人間という生物は、質問に関係ないランダムな回答にさえ、人格を見出せる想像力を持っている。その想像力が、対象の行動やメッセージに対して導いた「印象」がブランドになる。

その印象を一定のものとし、さらにポジティブなものにするためのアクションが、ブランドマネジメントだ。相手の印象が対象だから正解はないし、どこまでこちらの思惑通りの印象を抱いてもらえるかは未知の領域ではある。が、人の心理反応には一定の共通するパターンがあるため、観察や実験によって得られたその反応のパターンを活かして、相手に刺激を与えることで、望む印象を抱いてもらおうとする。

即物的に捉えるならそんな感じだろうか。重要なのは、相手に抱いてもらいたいポジティブな印象はどのようなものかという想定と、その印象を与えるためのアクションの一貫性だ。冒頭に挙げたようなランダムな回答では、相手の抱く印象もランダムになってしまうが、そこに一貫性と整合性があれば、似たような印象を導くことができる・・・筈だ(まあそれも一種の仮説には過ぎないが)。

また、一貫性があればあらゆる刺激を与えて良いかといえばそうでもなく、刺激の種類を選ぶことによっても反応は変わってくる。極論すれば、相手によって刺激を使い分ける必要も出てくる訳で、どこまで細かく対応するかは、与えたい印象の内容次第だろう。

ただ、相手によって印象まで変えたいということになると一貫性が失われるため、あくまでも接点をどうするかという話で、大元の与えたい印象については同じものである必要がある。

同じ印象を抱いてもらう範囲をどこまでで設定するかといった要素もある。範囲が広がれば、それだけ対象の一貫性を維持するのは難しくなるので闇雲に広げることはできないが、共通の印象を抱いてもらえるグループの範囲が広ければ、それだけ印象の強さや伝播性が高まるといった効果も想定できるからだ。

こうした捉え方をしてみた時に、全く別の科学の領域に、そうした反応をマネジメントする理論や方法論、捉えていく上で押さえるべき要素のヒントはないだろうか。

・・・何てことを考えてみたが、残念なことに理系ではないので、そっち系の素養はなかったりする。

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2014年7月30日 (水)

演奏会プロジェクト

直近の演奏会の事ばかり頭にあったせいか、先々の練習計画をスケジュールに入れるのがおろそかになっていた。

F響やU響は基本的に毎週練習があるのであまりその辺りを意識することがないのだが、本番も含めて決まったことは都度入れるようにしておかないと、肝心な時に意識からもれたりする。その辺りの先を見ておく癖はまだ身に付いていない(仕事含め)。
まぁオケの場合、先を見た所でそれほど今の行動に影響がある訳ではないのだが。

毎週淡々と練習を重ねるスタイルは、個人的には性にあっていると考えているのだが、一方で目標感がないというか、メリハリがない。本番も毎週の練習の一環のような感じで「気づいたら」来週だったなんて事になり、練習の延長のようにできないまま終わるという事態に陥ったりする。決まった事、決めた事を淡々と繰り返すのは得意だが、プロジェクト的にゴールを目指すという事が(多分)苦手なのだ。

だから演奏会の準備も(仕事も)プロジェクトではなくルーチンで捉えようとしてしまう(無意識に)。ルーチンならルーチンで徹底的にルーチン化すれば良いのだが、中途半端にできない(というか合わない)所があったりして、変な破綻の仕方をしたりする。

うーむ、何だか訳の分からない事を書き連ねてしまった。ようはもう少しプロジェクト的に演奏会というゴールを見据えた計画を立てて臨んでみたいという話だ。

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2014年7月29日 (火)

演奏会終了

四連発演奏会が終了。ゲーム音楽に始まり、子供向けのライトなコンサート、20世紀以降の作曲家を対象にした小編成オーケストラ、最後はいわゆる一般的なクラシックの演奏会と、それぞれに違った性格のプログラムだったが、どれも楽しかった。

・・・が、改めて終わってみて振り返ると、やはり個人的に一番好きなのは、いわゆる一般的なクラシックの演奏会なのだと感じたりする。あまり理屈でどうこう説明できないのだが、練習不足である事はいかんともし難かったけれども、それはそれとして楽しめた事は間違いない。

さて、前半の二つは先週振り返ったので、後半の二つについて。

土曜日のアンサンブルO@オペラシティは、前の週の直前練習に出られなかった事も祟って、満足できる出来具合だったとは(個人としては)言い難い。もちろん全体としては素晴らしいメンバー(何というか、弦のトップと管が頭抜けている)のおかげでまとまっている訳だが、明らかに足を引っ張ってしまった感がある。少人数のオーケストラ(チェロは4人)でこれは正直情けない。

技量的に本当に厳しかったのは2曲でこれは相当練習しても最終的にものになったかどうかは分からないのだが、残り3曲はもう少し何とかなったような気がする。技量的に厳しい2曲にしても、どうしても厳しい所以外は何とかなった筈なのだ。

その辺り、周囲ができる人達である事に甘えてしまったのかもしれない。声がかかるかは不明として、機会としては貴重なので、来年も参加したいが、きちんと練習時間を確保できないのであれば参加してはいけないだろう。

日曜日のU響@なかのゼロも、練習は不足していた。結局個人でさらう時間が取れないというのはそういう事なのだ。平日練習のおかげで、他のオケと練習が重なることは少ないのだが、直前の休日練習などの調整が上手くいかなくなり、振り返ってみれば降りるという選択肢を最も真剣に考える必要があったのは間違いない。

特に今回は日曜本番で、F響の練習を休むことになった。元々は影響させない事をポリシーに掛け持ちしているので、その辺りも今後参加していく上で考慮しなければならない点だろう。

演奏そのものは、適度な緊張感というか、プレッシャーを感じながら弾くことができたので、それなりの出来具合だったとは思うのだが、それだけに弾き込み不足が悔やまれたりする。

何だか反省と悔いばかり書いているのだが、それはそれとして、一連の演奏会はハードだが楽しかった。二度とやるか!とは思うが、これはこれで経験だろう。


さて、次はF響のマーラーである。これはさらう時間がないなんて言い訳は通じないし、さらわないで弾けるようになる訳もない。多少時間はあるといっても、練習の回数そのものの残りは16回である。曲の長さと難度を考えれば、十分とは言えず、気を抜けばあっという間に本番が来てしまう。

少し気合いを入れ直して臨みたい所である。

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2014年7月25日 (金)

やりたい事

いよいよ本番が明日明後日に迫ってきて、ああ結局練習できてないよせめて明日のは一度見ておきたいよ・・・という気分なのだが、それが叶うかは今日の(仕事の)進捗次第である。今週は諸々予定で残業ができなかったため、少々厳しい。いやまぁ残業なしでやれて一人前だとは分かっているのだが。(そもそもパフォーマンスが圧倒的に落ちるのも自覚しているし。)

やることの整理ができていない。

いやある程度整理はできているのだが、結果としてマネジメントができていない。優先順位をつけて進めるのは良いのだけれども、何時までたっても優先順位の上位に立てない(でもいつかはやらなくてはならない)案件が、ズブズブと積み重なっていく。

1年後でも良い案件(は極端だが)は、今やっても良い案件でもあり、後回しにできる案件でもある。締切を自ら定めるタイプの案件というのは、自覚はしていてもどうしても塩漬けになってしまいやすい。そのまま消えていく案件は、ようは必要なかったということで、それはそれで無駄を省いたことになるのだが、一方で突如として緊急案件になってしまう事もある。

結局のところ「やらなくてはならない」案件は何かという視点で進めているうちは、仕事に追われる状況から脱却できないのだ。「やりたい」案件は何か、それは何故やりたいことなのかという視点で棚卸しをして、そうした案件に集中していく事が、今のような仕事を進めていく上では重要な心構えなのだろう。

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2014年7月24日 (木)

会議に根回しが必要な理由

土日の打ち上げに続き一昨日昨日も飲み会があったためやや(胃腸が)お疲れ気味の朝ですおはようございます。

・・・そういえば毎朝そんな感じの挨拶Tweetをしていた時期もあったのだが、何でやっていて何でやめたのか忘れてしまった。単なる挨拶というより、何かクリック寄付に似たような理由があったような気もする。

さて、今朝はこんな記事をネタにしてみる事にする。

「気配りの呪縛」がニッポンを滅ぼす
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20140715/268692/

会員登録をしてログインしないと読めない先に会議が紛糾してまとまらなかったことに対する上司の評価として、こんな言葉が出てくるのだ。

「今日の会議は良かった、皆の本音が聞けた。これで適切に対応できる」

そんなエピソードから、筆者は余計な気配りをせずに意見を戦わせることを薦めているのだが、そもそもそれ以前の問題があるような気がする。

「今日の会議は良かった、皆の本音が聞けた。これで適切に対応できる」これって、決めるのが会議ではなく自分(上司)だから言える言葉なんだよなぁ・・・会議が紛糾して困るのはそれが意思決定の場だからだよ。 / “「気配りの呪縛」がニッポン…” htn.to/gzq1bZy
送信 7月23日 8:42 From Hatena

異なるのは会議に求められている機能であって、会議に臨む姿勢ではないような気がするのだ。

最終的に一人が意思決定するスタイルと、合議で意思決定するスタイルの違いという事はないだろうか。

意見を聞くための会議で意見が出ないのも、決めるための会議で決まらないのも、同じように困る事には違いない。
そういうシステムやスタイルに踏み込まないと、無意味に会議が荒れることになる。

もちろん、決める会議では意見を言うなということではない。意見を聞く場では主体となるのは主催者だから言いっ放しでも良いが、決める会議で主体となるのは参加者全員だから、その意見により生じた議論を収束させる事にも当事者として責任を持てというだけの話だ。

そういう意味では、決めるための会議の方がずっと参加者にとってはハードな筈なのだが、そこに当事者としての責任感が欠如していると言いっ放しで最後は多数決で決めれば良いやという話になり、結果決めて欲しい側がいろいろ根回しをしなければならなくなったりしている気がする。

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2014年7月23日 (水)

演奏の印象を記憶にとどめる

諸般の事情により少し節約をする事になったので、朝のスタバも毎日通うのはしばらくやめてみる事にする。実際、ブログを書いたりするのに、会社に出社してしまってダメということはない。事務所ではなくカフェに直行すれば良いだけの話だ。

諸般の事情・・・については、もう少し先の機会に譲るとして、昨日のU響の練習の話など。

曲がある程度頭に入ってくると、チラチラと楽譜から目を離して指揮者を見るようになる。それはそれで悪いことではないのだが、楽譜から目を離しても弾けるほどには弾き込んでいないため、油断すると落ちてしまう。

ブルックナーは、反復するような音型も多いため、比較的目を離しやすい(楽譜から)。Rシュトラウスは長く伸ばしているような所でも、数えていないと分らなくなったりするので、簡単には目を離せない(楽譜から)。

うん、何を書きたかったんだ?

そうそう、そんな訳で少しづつ指揮者の動きや表情にも注目できるようになり、振り方を変えたな〜なんて事にも気づくようになってきたのだが、昨日の飲み会ではトロンボーン隊から指揮者が練習中ニヤニヤしている(オケが間違うと)という指摘があり、そういえばそういうことにはあまり気がついていないなとか思い立った。

何というか、見てはいるのだが、実はそれほど注意は払っていない。払っていないというと語弊があるかもしれないが、刹那的な見方をしているというか、その時々で挙動を捉えて反応はしているはずなのだが、それを覚えていないのだ。
(指揮者の表情とかも、視覚情報としては捉えていた筈であるが、あまり記憶として認知されていない。)

自分にとって、その辺りの音楽への反応というのは、極めてその場限りに近いような気がする。

先日のTオケの本番でも、何度か指揮者と目線が合う事があった。それは音程やリズムのずれの修正、音量の調整といったその場その場の要請の表れなので、当然可能な範囲でリアルタイムに修正していく訳だが、後後それがどこだったかというのが記憶に残らない。自分がどう反応したかというのも、実はあまり記憶に残っていない。

そうした刹那性は他のパートの印象にも及び、どこのパートが失敗したとか、良かったとかいうのが、終わった後に振り返れない事が多い。聴いていない訳ではなく、聴いた端から忘れる、というか、その瞬間のアウトプットに利用して、そのまま留めずにスルーしていってしまうという感じだろうか。これは以前にも書いたことがあるような気がする。

それがどういう脳の働きによるものなのかはよく分らないのだが、何れにせよそんな感じで、実は演奏会でも練習でも自分が弾いている時の音楽の印象はほとんど記憶にとどめていません。ブログに書いたりする演奏の感想が具体的でないのは主にそのためで、打ち上げなどで個々の感想を求められたりするのも正直苦手です。そもそも「あのパートが・・・」といった話題にもついていけていない事が多いですごめんなさい。

(誰に謝っているのかはよく分らないがなんとなく。)

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2014年7月22日 (火)

演奏会終了

四連発演奏会の二つまでが終了。残り二つがこの週末に控えているが、とりあえず一息ついた感じ。

土曜日のTオケ@パルテノン多摩は、サブカルなのかFFTなのか、いずれにせよ集客力の強さを改めて思い知らされた演奏会だった。自分の(普段の)界隈ではほとんど興味を持たれないし、特にアピールされている感じもなかったと思っていたのだが、知られるべき人のところにはきちんと浸透していたという事だろう。

それにこうした反応が見えたりするのも、普段のクラシックのオケと違う楽しさがある。

http://togetter.com/li/695178
http://togetter.com/li/695270

何というか、事前の期待感の強さとか、当日の興奮度合いとか、恐るべしという感じがする。終演後、舞台上からはけるまで拍手が鳴り止まなかったというのも初体験で、不覚にも感動してしまった。特に知り合いがという訳でもなかったので、終演後ロビー側に出ることもなかったのだが、お見送りだけでもした方が良かったかもしれない。
(いつもだと片付けでそれどころではないが、今回はスタッフが充実していたこともあってその程度の余裕はあった。)

日曜日のF響@府中の森は、2年に一度のファミリーコンサートということで、子どもの泣き声が絶えないほのぼのとした演奏会。前回までと違って事前申し込みなしだったので、どの程度入るか分からなかったのだが、結果としては用意した席数にかなりの近い感じになった。

レセプションルームを使ったフロアコンサートなので、特に正面に座る子どもたちとの距離が近い。チェロは内側なので、真横という訳ではないが、逆に正面から顔がよく見える。演奏そっちのけでおもちゃで遊んでいる子もいれば、目をらんらんと輝かせてこちらを見ている子もいて、その辺りの反応が微笑ましかったりするのだが、いつか彼らを静かにさせるような演奏をしてみたいものだ。

実際某ディズニーのメドレーをやった時に、一瞬だけ静かになったのだが、1曲まるまるはもたなかった。その辺りは、選曲も含めてもっと磨くことができるのかもしれない。

ファミリーコンサートって、想定としては小学生を対象にしているのだが、実際には幼児からせいぜい小学校低学年までの子どもを連れてくる親御さんが多い。そうしたニーズがあるという事なのだろうが、そうした子どもたちを惹きつけるのが最も難しいのは確かで、まだまだ工夫の余地はあるような気がする。


さて、ゲーム音楽と比較的ライトなクラシックのコンサートは終わった訳だが、この後、この週末に控えているのは重量級の演奏会二連発である。

土曜日のアンサンブルOは、結局あまり曲を理解できぬまま突入する事になってしまった。昨日も練習しようと思ったのだが、軽めとはいえ本番明けの惚けた状態ではほとんど練習にならない。

アンサンブル・オレイユ第20回演奏会
http://homepage3.nifty.com/hptome/E00-Oreille.htm

バルトークと間宮は何とかなるとして、どうにもならなそうなのがリゲティで、何とかあがきたいのがコダーイだろうか。
ああ、コダーイは本当に何とかしたい。せっかくの美しい曲なのに。

続く日曜日のU響は、曲は流石に頭に入ったが、フィンガリングが一部ついてきていない。これは今日最後の練習があるので、そこで再確認。

上野の森交響楽団第73回定期演奏会
http://www.laforet-ueno.com/concert.html

ブルックナーの6番は、珍しくトレモロが少なく、時間も短め(先日の通しが約55分・・・十分長いよ!)なのだが、重量級なのは間違いない。前日の本番を引きずってできるかと言われると、やや心もとない。

先の二連発の疲れ方でも、翌日は何もできないに等しかったのだが、何とか乗り切ることはできるだろうか。

しかもその後にはすぐマーラー5番の指揮者分奏が控えているんだよなぁ・・・。

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2014年7月18日 (金)

演奏会直前

演奏会が明日に迫って(明後日にも迫っているが)、この後に及んでTオケのパート内に指示を書き連ねるかを迷っているのだが、今更という気もするし、多少は改善の余地があるような気もして、やや悩みどころ。

正直な話、もう少し早く動いていれば良かったのだが、メンバーがなかなか揃わない事で後回しになっていたという感覚はある。揃った時でいいやという奴だ。その辺り、F響のように出席率の高いオケに慣れていると、直前までなかなか揃わないオケで指示を伝えていくのは色々工夫が必要だよなと改めて感じたりする。パートですらそうなのだから、指揮者はなおさらだろう。弦楽器はパートリーダーに任せてしまって良いが、1人1パートの管楽器はそうとも言っていられない。

それでもTオケは若い集団だけあって、ITの活用などもされているし、指揮者自身がメンバーでもあるので、伝わりやすい側面はあるのは確かだ。少なくともF響ではこうはいかない。いや流石にメールとかは使うけどね。

さて、今週の最大のミッションは、体調を回復させることだったので、酒席は断り、無理に練習に行くこともせずに養生していたのだが、今朝の時点でまだ完璧とは言い難い。正直長引いている気もするが、行動に支障が出るほどの状態ではないので、後は打ち上げに気をつけていれば良いだろう。何分2日連続の本番だけに、1日目で崩してしまうわけにはいかないのだ・・・。

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2014年7月17日 (木)

成功したブランド

ブランドの強さとは何だろうか。

ぶっちゃけ定量的にはそれはシェアと利益で測れるものだろうと考えていたのだが、よくよく考えてみるとそうではないパターンもある。例えばラグジュアリー系やプレミアム系のブランドというのは、利益はさておきシェアとしてマーケットを席巻しているとは限らない。希少であることに価値があるのに、市場の7割に流通していたら意味がないだろう。

百歩譲って「強い」ブランドはシェアと利益であったとしても、「成功した」ブランドには、様々なパターンがあるのかもしれない。

市場においてトップではないけれども、企業として特にコストをかけなくても売上と利益が維持できる・・・なんていうのも、ある意味ブランドとしては成功している(最小の企業努力で価格競争もなく持続しているという点で)ブランドと呼べなくもない。

一方でトップシェアで市場牽引力もあるけれども、そのために企業が必要以上の努力を強いられているとしたら、それは商品としては強くても、ブランドとして成功していると言えるだろうか。

ブランドというのものを、かかるコストを最小限にして売れ続ける仕組みと捉えれば、競争環境において多大な努力によって維持されるブランドよりも、何もしなくても維持されるブランドの方が優れていると捉えることも出来るのだ。

もちろん、何らかの環境変化により維持されなくなるという事はあるが、それは環境の問題であってブランドの問題ではない。あるいはブランドというのが仕組みであれば、その強さは取り巻く環境構造にも起因しており、それを変えないようにする事もまたブランドの力だろう。

そうやって考えると、ブランドの成功というのは一律には評価し得ない。長年愛されているブランドや多くの人に支持されているブランドというのも、それだけをもって成功しているとは言い切れない気がする。

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2014年7月16日 (水)

徒然

今朝は・・・特にブログを書くためのネタが浮かばない。

ここしばらく体調はイマイチで、大事をとっていたのだが、ようやく回復の兆しが見えてきた。とはいえ、先週金曜日に一旦これぐらいの状態までは回復したのを飲み会で吹き飛ばした過去があるので、今週末に向けて油断は禁物である。完治させておかなければ、打ち上げもままならない。

今朝のスタバは開店前から随分と待ち客が居て何事かと思ったのだが、新しいタンブラーやマグカップが発売になったようで、プレゼント用の包装を頼む男達だった。

今日明日はプロジェクトのミーティングが続く。準備と進行とまとめに追われるわけだが、何とか効率良く乗り切りたい。とはいえ、準備の段階ですでにやや追いついていなくて、バタバタしている。事前に計画的にこなせたかどうかは微妙な案件(結構突発的事案なので)なのだが、その分他にしわ寄せがいってしまうと諸々遅れてしまうのが悩みどころだろうか。

後は勉強する。

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2014年7月14日 (月)

本番直前

7月後半の4つの本番に向けて練習が佳境に入っているのだが、週が明けてみると何とか週末を乗り切った・・・という感覚がある。何というか放心した感じで、およそ今日が月曜日という感じがしない。

土曜日は午後がTオケのG.P.で通しの練習。夜はアンサンブルO。
日曜日は午前中にF響、午後が再びTオケで、夜がU響。本番が近いため通しの練習が増えており、終わると少々ぐったりする。気を抜いても弾けるほど練度が上がっていないので、ずっと楽譜に集中していることもあるかもしれない。

掛け持ちそのものよりも、本番が近すぎるのだ。1ヶ月程度のインターバルがあれば、これほど過密になる事はないし、気持ち的にも余裕が出来るが、今回は欲張り過ぎた。仕事もそうだが、何事も詰め過ぎてはいけない。

まだ本番は終わっていないが、この週末に改めて感じたのは、「好きでやっていることでもやり過ぎれば疲れる」という当たり前の事実で、好きだからいくらでも頑張れるというのは、趣味でも仕事でもあり得ないだろうという事だ。仮に全然平気という事があるなら、それはテンションの高さにより何処か失調をきたしているか、単にまだ全力ではない可能性が高い。

実際、長時間楽器に接していても、あまり上手くなったといった実感がない。これまでの資産を食いつぶしながらというのは以前も書いた気がするが、成長というのは多少背伸びはしつつも丁寧に行動を積み重ねる事が必要で、勢いに任せれば荒れるだけなのだ。

そんな訳で演奏会のチョイスにはやや反省を感じつつ、来週からの本番をまずは乗り切る事にする。

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2014年7月11日 (金)

ブランドをどう切り分けるか

今週は週初に休んでしまったため全体にバタバタしている。上司には「どんなに仕事を効率的にこなしても休めば全て吹っ飛ぶからな」と言われたが、まさにその通りだろう。休むのは計画的でなければならない。
(そういえば有給の計画にあわせて熱が出たことがあったな・・・。)

ブログの更新もやや不定期だが、一つ前に書いた企業ブランドと商品ブランドの話の続きを考えてみる。そもそも企業ブランドとはなんだろうかという話だ。

ブランドの起源は「焼印」である。牛飼いが自らの所有する牛につけた焼印がその始まりだ。それがやがて自分が作ったもの、あるいは売るものの保証の証として付ける印になった。印そのものは商品に付けられ、商品を差別化するためのものだが、その差別化の原泉となっているのは、作り手や売り手が誰かという事だ。その作り手なり売り手が企業となることで「企業ブランド」という考え方が生まれると思うのだが・・・何となくしっくりきていない。

作り手が代替わりした時に、ブランドも受け継いだとする。それは「個人ブランド」なのだろうか。企業は永続的な存在なので代替わりという事はないが、例えばライセンシーやフランチャイズの場合はどうなのか。それは企業ブランドなのだろうか。
いや、多分それらは商品ブランド(サービスブランド)だろう。

そのブランドから想起される人物や組織があるということは確かにある。だが、それをもってそのブランドを「個人ブランド」「企業ブランド」というのは、やや違う気がしなくもない。先のエントリーと矛盾するが、企業ブランド商品ブランドという切り分け方自体、あまり適切ではないようにも思えてくる。

そんなのビジネスに関係あるかと言われれば、多分ない。ないのだが、一方でビジネスで必要とされるのは、もやもやしたブランド全体の中のどの部分か、という事は問われても良いだろう。その一要素が企業ブランドであり、商品ブランドなのだ。

そのブランドから得られると連想されるベネフィットをどう切り分けるか・・・そんな話なのかもしれない。

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2014年7月 9日 (水)

企業ブランドと商品ブランド

企業ブランドと商品ブランドの違いは何かを考える時に、非常にざっくりとだが、

・取引相手としての信用保証=企業ブランド
・商品の価値保証=商品ブランド

とする考え方はないだろうか、とふと思った。

取引相手としての信用保証というのは、メーカーにとっては問屋やお店に対する信用保証ということだ。これは普段の取引における担当者の姿勢や、商品のお店に対する貢献(=売れ行き)により積み上げられる。商品に問題がなくても、取引先に扱ってもらえなければ売る事は出来ない。そうした信頼関係の総体が企業ブランドだと考えると、企業ブランドを語る際に理念や行動規範といったものが重要になってくる理由が理解できる。

もちろん、間接的には消費者も取引相手にはなるのだが、特にメーカーの場合、コンシューマ向けの商品を作っていてもビジネスそのものはBtoBだから、より大切なのはそうした直接の取引先に対する姿勢だろう。それを表すのが企業ブランドという事だ。

そうやって切り分けると、商品ブランドはよりドラスティックに「消費者の心に響く何か」という事に絞り込める。従業員の行動は、それを商品を通して直接的に伝えられないのであれば、企業ブランドの領域の話という事になり、商品ブランドの話ではない事になる。もちろん作り手のこだわりという形で商品を支えるストーリーとなれば、それは商品ブランドの一部という事だろう。

で、このように考えると、欧米に比べてビジネスがウェットな日本において、企業ブランドが重視され、欧米において商品ブランドが売り買いされる傾向がある理由が見えてくる気がする。

契約で取引を縛れるビジネスフィールドにおいては、取引先に求める信頼とは契約履行に関する信頼であり、より重視されるのはその契約によって取引される商品が「売れるか否か」だ。そのためより消費者に響く商品ブランドかどうかが重視される。

一方、取引が担当者や企業同士の信頼関係によって成り立っているビジネスフィールドでは、それ以前に「信頼できる相手か」どうかが重要になってくる。ここで力を発揮するのが企業ブランドという事だ。もちろんそうであっても契約は重要だが、その「相手との信頼関係の構築」という所に、ブランドを求める(自分の目だけでなく、周囲の目も判断の材料にする)のが、日本らしいといえば日本らしいし、実際にはグローバルなビジネスフィールドにおいても、ややそうした傾向が出てきているような気がする。

加えてコンシューマ向けの商品の場合、取引先の担当者も一消費者である。そこで企業ブランドと商品ブランドを同じものとしてアピールする事によって、その印象をより強くする事が可能になる。
そうやって、日本企業のブランドは強くなってきたのではないだろうか。

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2014年7月 8日 (火)

体調管理

昨日はついに発熱で休んでしまった。

先週後半から微熱状態が続いていて、週末はなんとか乗り切ったのだが、月曜の朝に一気に熱が上昇し、休む羽目になってしまった。平日踏ん張って休日に発熱ならともかく、休日踏ん張って平日に発熱というのは、なんだかなとは思うが、仕事の遅れは残り4日間の中で取り返せても、休日やることの遅れはとても残り1日では取り返せないので、とりあえずは良しとしよう。

とはいえ、2日分の遅れを3日で取り返すとなるとこれはきついので、今日は出社。昨日寝ていたのと、薬のおかげで、先週後半程度の体調には復活している。

それでも申し訳ないがU響の練習はお休み。この分を取り返すのもまた容易ではないが、昨日の今日で楽器を持ってウロウロするのはしんどい。

体調管理って難しいね。

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2014年7月 4日 (金)

ボウイング合わせとカーボン弓

昨日は平河町ライブラリーでTオケのボウイング合わせをした。といってもゲストとして入れる人数の関係でコンマスとコンバスのみ。残りは明日の午前中に行うことになっている。

本番が7月19日なのになんて悠長な・・・という気もするが、要所要所で確認はしてきているので、最終確認と気がついていないような所を洗い出すのが目的になる。
それでもコントラバスとは幾つか調整が発生した。まぁ複雑なボウイングという訳ではないので、なんとかなるであろう。その辺りはあまり心配していない。むしろ残り少ない練習の中でどこまで仕上げられるかの方がよほど課題ではある。

一昨日は練習をしたのだが、サイレントチェロを久しぶりに使ってみた。利点は音が安定している(というか、でないのだが)事だ。生楽器の場合、その日の調子でどうにも音が出にくい事があったりすると、テンションがだだ下がりで練習にならない事があるのだが、(それが甘えであるという話はさておき)サイレントチェロでは少なくともそういうことはない。目的は音質を高める事よりも、音程をさらう事にあるので、練習としては十分効果がある。

で、そうやって弾いていると、弓も専用で欲しくなってくる。生楽器の方は2本の弓を状況で使い分けていて、現状はそのうちの1本をサイレントでも使用しているのだが、専用にカーボン弓があれば、いちいち持ち運ぶ必要がなくなってくるし、サイレント+カーボン弓なら場所を選ばずに気兼ねなく(それこそ外でも)弾ける気がする。いや実際に弾くかは別問題として。

実際には木の弓でもかなり安価なものは出回っているのだが、気分的にはカーボン弓を試してみたいといった所だろうか。なんとなく試奏をして買うべきとは思うのだが、まぁとりあえずで買ってみても良いかもしれない。

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2014年7月 2日 (水)

空気を読んだ意思決定

正直に言えば、賛成派も反対派も何をしたいのかがいまいちピンとこないのである。

集団的自衛権行使の容認についてだ。

まず個人的には「自分以外の誰か悪い奴が儲けようとしている」的な陰謀論には全く意味がないと思っている。そうした陰謀論的な話を耳にしても「自分ならそうする」的な話としてはあまり伺ったことがないからだ。いや自分ならやらないってことを他人ならやるって簡単に決めつけちゃダメでしょ。

戦争をする国になるのか、という意見も釈然としない。仮に戦争をしたい人がいるとしても、「出来るようになる」ことと「実際にする」ことの間には結構な距離がある。乱暴な言い方かもしれないが、仮に「する」という意思決定がされれば、それは出来なくたってするに違いないのだ。そして出来るということがするという意思決定を容易にするかといえば、そんなことはないような気がする。出来るならしてみたくなるっていうのは、子どもの理屈であろう。
(もっとも平然とセクハラパワハラをするようなメンタリティの民族だからそうするだろう的な話であれば、そおれはちょっと考えてしまうかもしれない。実際のところ体罰の議論も含めて直接的行為もやむなし的な発想する日本人て少なくない気もするし。)

一方、集団的自衛権が必要だという意見も何となく平和ボケな気がしなくもない。この手の話でいつも分からなくなるのは、自国にとっての友好国同士が喧嘩を始めたらどうなるのだろうか、という話で、ようするに集団的自衛権を行使出来ることが、自国の安全保障にとって意味があるという理屈がよく分からないのだ。

いや待て、そもそも「集団的自衛権」って言葉通りの受け止め方で良いのか?

しゅうだんてきじえいけん しふ—じゑいけん 8【集団的自衛権】
ある国が武力攻撃を受けた場合に,これと密接な関係にある他の国が共同して防衛にあたる権利。この権利を行使する国に対して,直接かつ現実の武力攻撃があることを必要としない。国連憲章で加盟国に認められている。→個別的自衛権
大辞林 第三版

こべつてきじえいけん —じゑい— 7【個別的自衛権】
自国に直接加えられた侵害に対して国家が行使する防衛の権利。国際法上,国家の基本的権利とされる。→集団的自衛権
大辞林 第三版

密接な関係にある場合に共同して防衛にあたる、というのは権利の話で意思の話ではない。意思として集団的自衛権が行使されるには、それが自国の利益につながるか、間接的には自国の防衛につながる事が必要になる。少なくとも「密接な関係にある他の国を共同して防衛にあたらせる権利」ではないのだから、そこには自国の意思が必要だ。

それってつまり「想定的自衛権」という事になるのだろうか。自国に害が及ぶと想定される場合に、武力行使を行う権利ということだ。

で、このように解釈すると少々きな臭くなってくる気もする。理屈はなんとでもなるって話に近くなってくるからだ。

一方それでも、では何をしたいのかという事が見えてこない。他国の軍事行動に連携したい目的がよく分からないからだ。自国を守ることは個別的自衛権の範囲で認められているのだから、ことさらに集団的自衛権が必要な理由が分からない。それが国際社会における責任ある国の在り方だというのは、グローバル化に必要だからもっと女性を活用せよ的な話と同じくらい訳が分からない。

なんというか、もう少し自国の論理によった議論が必要なのではないだろうか。他がそうだからとか、国際的に認められるためといった、周囲の顔色を伺う考え方が、本当に意味のある議論なのかという気が(集団的自衛権容認という意見には)してしまうのだ。

日本における「大人」には「空気を読んで意思決定ができる」というニュアンスがあるような気がするのだが、本来は「空気に左右されず意思決定ができる」のが大人だろう。

集団的自衛権の必要性についても、後者のスタンスが見えればもう少し分かるのだけれども、今のところどうも前者のスタンスしか見えてこないんだよなぁ・・・。

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2014年7月 1日 (火)

本日の予定

今日はU響の練習日なのだが、夕方に外出の予定が入ってしまい、出席を断念する。さすがに外出先に楽器を持っては出かけられない。半歩譲って相手方は笑ってくれたとしても、会社を出る時に何だという事にはなるだろう。いずれにせよ、仕事で移動するのに楽器を背負うというのはしんどい。
(もっとも、取引先に招かれたパーティーに楽器を背負って行った事はあるな・・・。)

昨日はTオケの楽譜を改めてチェックする。今頃まで放置しておいて何だが、他のパートとボウイングを合わせるためだ。問題はこの後実際に他のパートと調整する時間が取れるかだが、これは何とかしたいところ。幸いなことにチェロパートはそれなりに弾ける人が集まっている(と思っている)ので、今頃のボウイング変更でもそれほど混乱はないはずだと信じている。

で、夕方から外出のため、それを逆手に取ってそのまま平河町ライブラリーに行く予定。楽譜の製本(今頃かよ!)とパート内への指示をまとめて、ボウイングの調整スケジュールを決めたら、ひとまずTオケ関係は一段落ということで、今週の残りの時間はアンサンブルOのパート練習に向けた個人練習をしなければならない。せめてちょっとさらえば出来るところは出来るようにしておきたい。

いやいや、その前にF響の楽譜の手配と今週末のパート練習の内容予告をしなければいけないのだった。どの辺りを練習するかはある程度目処をつけているのだが、できればそこまでを今日やっておきたい。スケール練習用の音源も共有しなければいけないし、何だか色々立て込んでいるな・・・。

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