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2014年7月24日 (木)

会議に根回しが必要な理由

土日の打ち上げに続き一昨日昨日も飲み会があったためやや(胃腸が)お疲れ気味の朝ですおはようございます。

・・・そういえば毎朝そんな感じの挨拶Tweetをしていた時期もあったのだが、何でやっていて何でやめたのか忘れてしまった。単なる挨拶というより、何かクリック寄付に似たような理由があったような気もする。

さて、今朝はこんな記事をネタにしてみる事にする。

「気配りの呪縛」がニッポンを滅ぼす
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20140715/268692/

会員登録をしてログインしないと読めない先に会議が紛糾してまとまらなかったことに対する上司の評価として、こんな言葉が出てくるのだ。

「今日の会議は良かった、皆の本音が聞けた。これで適切に対応できる」

そんなエピソードから、筆者は余計な気配りをせずに意見を戦わせることを薦めているのだが、そもそもそれ以前の問題があるような気がする。

「今日の会議は良かった、皆の本音が聞けた。これで適切に対応できる」これって、決めるのが会議ではなく自分(上司)だから言える言葉なんだよなぁ・・・会議が紛糾して困るのはそれが意思決定の場だからだよ。 / “「気配りの呪縛」がニッポン…” htn.to/gzq1bZy
送信 7月23日 8:42 From Hatena

異なるのは会議に求められている機能であって、会議に臨む姿勢ではないような気がするのだ。

最終的に一人が意思決定するスタイルと、合議で意思決定するスタイルの違いという事はないだろうか。

意見を聞くための会議で意見が出ないのも、決めるための会議で決まらないのも、同じように困る事には違いない。
そういうシステムやスタイルに踏み込まないと、無意味に会議が荒れることになる。

もちろん、決める会議では意見を言うなということではない。意見を聞く場では主体となるのは主催者だから言いっ放しでも良いが、決める会議で主体となるのは参加者全員だから、その意見により生じた議論を収束させる事にも当事者として責任を持てというだけの話だ。

そういう意味では、決めるための会議の方がずっと参加者にとってはハードな筈なのだが、そこに当事者としての責任感が欠如していると言いっ放しで最後は多数決で決めれば良いやという話になり、結果決めて欲しい側がいろいろ根回しをしなければならなくなったりしている気がする。

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