« 演奏会終了 | トップページ | 会議に根回しが必要な理由 »

2014年7月23日 (水)

演奏の印象を記憶にとどめる

諸般の事情により少し節約をする事になったので、朝のスタバも毎日通うのはしばらくやめてみる事にする。実際、ブログを書いたりするのに、会社に出社してしまってダメということはない。事務所ではなくカフェに直行すれば良いだけの話だ。

諸般の事情・・・については、もう少し先の機会に譲るとして、昨日のU響の練習の話など。

曲がある程度頭に入ってくると、チラチラと楽譜から目を離して指揮者を見るようになる。それはそれで悪いことではないのだが、楽譜から目を離しても弾けるほどには弾き込んでいないため、油断すると落ちてしまう。

ブルックナーは、反復するような音型も多いため、比較的目を離しやすい(楽譜から)。Rシュトラウスは長く伸ばしているような所でも、数えていないと分らなくなったりするので、簡単には目を離せない(楽譜から)。

うん、何を書きたかったんだ?

そうそう、そんな訳で少しづつ指揮者の動きや表情にも注目できるようになり、振り方を変えたな〜なんて事にも気づくようになってきたのだが、昨日の飲み会ではトロンボーン隊から指揮者が練習中ニヤニヤしている(オケが間違うと)という指摘があり、そういえばそういうことにはあまり気がついていないなとか思い立った。

何というか、見てはいるのだが、実はそれほど注意は払っていない。払っていないというと語弊があるかもしれないが、刹那的な見方をしているというか、その時々で挙動を捉えて反応はしているはずなのだが、それを覚えていないのだ。
(指揮者の表情とかも、視覚情報としては捉えていた筈であるが、あまり記憶として認知されていない。)

自分にとって、その辺りの音楽への反応というのは、極めてその場限りに近いような気がする。

先日のTオケの本番でも、何度か指揮者と目線が合う事があった。それは音程やリズムのずれの修正、音量の調整といったその場その場の要請の表れなので、当然可能な範囲でリアルタイムに修正していく訳だが、後後それがどこだったかというのが記憶に残らない。自分がどう反応したかというのも、実はあまり記憶に残っていない。

そうした刹那性は他のパートの印象にも及び、どこのパートが失敗したとか、良かったとかいうのが、終わった後に振り返れない事が多い。聴いていない訳ではなく、聴いた端から忘れる、というか、その瞬間のアウトプットに利用して、そのまま留めずにスルーしていってしまうという感じだろうか。これは以前にも書いたことがあるような気がする。

それがどういう脳の働きによるものなのかはよく分らないのだが、何れにせよそんな感じで、実は演奏会でも練習でも自分が弾いている時の音楽の印象はほとんど記憶にとどめていません。ブログに書いたりする演奏の感想が具体的でないのは主にそのためで、打ち上げなどで個々の感想を求められたりするのも正直苦手です。そもそも「あのパートが・・・」といった話題にもついていけていない事が多いですごめんなさい。

(誰に謝っているのかはよく分らないがなんとなく。)

|

« 演奏会終了 | トップページ | 会議に根回しが必要な理由 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/22760/60029590

この記事へのトラックバック一覧です: 演奏の印象を記憶にとどめる:

« 演奏会終了 | トップページ | 会議に根回しが必要な理由 »