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2014年8月29日 (金)

Kオケ本番決まる

今朝はやや余裕がある。今朝が、であって、今日が、ではないけれども。でもまぁそういう時間が1日の中に多少はあっても良いだろうとは思う。

Kオケの本番が急遽決まってしまい、想定よりも1年(⁉︎)早いため、やや焦る羽目になった。月2ペースの練習を週1に組み直すといった事は出来るが、メンバー不足の件は何ともならない。

もっとも、メンバー不足だから演奏会がどうこうなるといった事はない事情を持つオケではあるのだが。

それにしてもU響とあわせて平日週2回練習というのは、ちょっと個人的にはきつい気もする。楽器を弾くという行為よりも、楽器を持って通勤するという行為がだ。その辺りは様子見という事になるかもしれない。

演奏する曲目はおおよそ決まったのだが、メンバーが確定しないので、やや未確定。ただ、これまでの練習は遊びに近い感覚だったが、人前で演奏するとなれば、それなりに気合を入れて練習しなければならない。昨日の練習は、その辺りのマインドチェンジというか、シフトアップが自分自身まだ出来ていない感じではある。

ま、元々がスロースターターではあるので、その辺りは徐々に持ち上げていくことになるだろう。どちらかというよりも課題は演奏面よりも運営面だろうなぁ・・・。

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2014年8月28日 (木)

足掻く拘り

今日もキーボードがない(時間もない)。

計画性がないといえばそれまでだが、何故かやたらと立て込んでしまうタイミングというのがある。諦めてなるように任すという事もあり、そうもいかなくて足掻く事もあるのだが、とはいえ徹夜でやるとか、個人的予定をキャンセルするとか、そうした覚悟まではなかったりして、その辺りが中途半端なのは否めないだろう。

最終的には流れに任せてしまう事は少なくない。それでも流れていくのであれば、それはその程度の事だったというだけの話という達観があるのかもしれない。単に諦めが良いだけという話もあって、もう少し拘れる事もあるのではないかと思うのだが。

そんな訳で、ブログは通勤の電車内で書いてしまって、これから少し足掻くのだった。

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2014年8月26日 (火)

速度を上げる

今日はキーボードがなく、MacBook Airを持って来てもいないので、ブログを書くのは少々しんどい。

昨日は通勤時にマーラー5番の練習録音を聴いていたのだが、改めて第3楽章の難しさというか、らしさを出す難しさを感じた。

昨日のマーラー5番第3楽章の練習録音を聴いているのだが・・・うーむ、これは最後相当テンポをあげられないと、続く第4楽章が相当に重く沈むように感じられるのは間違いない。なるほどね。
送信 8月25日 22:30 From Hootsuite

第3楽章のスケルツォについては、以前一度書いている。

スケルツォの捉え方
http://projectk.txt-nifty.com/enigma/2014/08/post-2e44.html

最後に速度をあげていく事で第4楽章とのコントラストを表現する事を書いているのだが、録音を聴くとまさにその通りというか、テンポがあがりきらずに重い感じで終わってしまっている。弾いている時はそれなりの速度感だったのだが、聴く側にまわると・・・まぁ確かにこんなものかもしれない。

その辺りは第5楽章のラストにも言えることなのだが、

続けて第5楽章。これも必死に弾いたわりにはのんびりと聴こえる。まぁそういうものではあるのだが、ラストは楽譜を見て弾いている余裕はなさそう。
送信 8月25日 22:37 From Hootsuite

・・・という感じで、聴いている側が勢いを感じる速さというのは、奏者側の感覚とはかなり違うというのを改めて実感する。

速いパッセージというのは、なんだかんだ言っても練習量がものを言う。考えて弾いている余裕はないのだから、スポーツと同じで自然に指が動く状態にまで持っていかなければ、ある程度以上はテンポはあげられない。どのように指と弓を動かすかを決めた上で、反復練習を繰り返すのみで、練習時間が限られるアマチュアにはなんともシビアな課題である。ただでさえ量が多いのに。

でもまぁその辺りは泣き言を言っても始まらない。せめて多少なりとも効率的に練習する方法を探りたいものだ。

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2014年8月25日 (月)

Super Band 2014

昨日はF響のマーラー5番の練習だったのだが、その前に土曜日に聴きに行ったブラスのコンサートについて。

Super Band 2014
http://www.superband.jpn.org

たまたま知り合いからの誘いだったのだが、オケで一緒に演奏していても、実は管楽器の世界のことはほとんど理解しておらず、時々カルチャーショックを受けたりするので、そうした意味でもこうした機会は貴重だったりする。

第一部のダフニスとクロエは、オケの選曲では何度か挙がった事があるのだが、恥ずかしいことに聴いたことがなかった。改めてiTunesのライブラリを見ると、曲自体がなかったので、そもそも手許にない。そんな訳で初めて聴いたのだが、何か微妙に・・・違う感じがする。奏者は難しいパッセージを見事に吹きこなしているのだが、全体として何となくラヴェルっぽくないというか、音色に透明感が欠けるというか・・・。

その辺りは、おそらく原曲のラヴェルのオーケストレーションというのがそれだけ見事で、弦楽器の音が加わって初めてそれらしくなるという要素があるのかもしれない。いや聴いたことがないので、原曲もこんな感じなのかもしれないが、何となく他のラヴェルの曲で感じる擦弦楽器の囁き感のようなものが、管楽器だけでは再現が難しいのかもしれないなどと、やや失礼な事を考えたりしたのだった。

第二部のポップスステージは、そういえばオケでこうした曲を演ることは殆ど無いよな、などと考えながら聞いていた。フィドルはもう少し前で弾けば良いのにと思ったのだが、パーカッションの2人に圧倒されてしまった。

一方で、アマオケでポップス曲を演奏するのは、難しいかもしれないとも感じた。何というか、金管と打楽器の音が大きすぎる(やり過ぎということではなく、そもそもの曲の構成として)。木管の音でさえ、目の前で聞いていてほとんどかき消されてしまう事を考えると、大人数とはいえ弦楽器が生音で対抗するのは難しいように感じた。

そういった意味では、ポップス曲というのは、弦楽器もアンプで増幅することを前提としたアレンジになっている気がする。普通のオケの編成で生で聴くと、おそらくポップスらしい迫力が出ないのだ。(実際オケでの演奏を聴いたこともあるような気がするのだが、いまいち物足りなかったような気がしなくもない。)


演奏会に聴き手として行く機会はあまりなくて、本当はもっと行ったほうが良いと思いつつなかなか行けていないのだが、行くたびに感じるのは、練習や本番以上に音楽に対するモチベーションが上がることだ。多分のあの中に自分がいないことに何かを感じたりするのだろう。ふつふつと練習したくなったり、次の演奏会のプログラムをどうしようとか考えたりする。

ま、とはいうものの土曜日はその後練習の時間が取れず、結果昨日のマーラーは散々な状態だったのだが、それは別に振り返ることにする。

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2014年8月22日 (金)

長時間労働が奪う社会のリソース

昨日はCSRの勉強会だったのだが、終了後の懇親会でこんな事を考えてしまった。

ブラック企業というのは、企業と従業員との関係で測ろうとする限り、なくなりようがないという事が今日は良く分かった。企業による従業員の搾取ではなく、企業と社会とのリソースの奪い合いという文脈で語る必要があるのだ。
送信 8月21日 23:11 From Hootsuite

つまりCSR側面で労働時間を語る場合は、従業員への負荷という視点ではなく、本来投入されるべきだった社会へのリソースがどれだけ奪われたかという視点で捉える必要があるのかもしれない。
送信 8月21日 23:14 From Hootsuite

そうでなければ「本人は満足(納得)している」という論理を突破出来ない。ワークライフバランスとも違う。公私における公(公とは社会への奉仕であって対価を得る私的労働の話ではない)を果たす為の時間を企業は奪っているという考え方があって始めて私的活動を制限する事が出来る。
送信 8月21日 23:20 From Hootsuite

いやメンバーにワーカホリックな感じの方がいたからということもあるのだが、例えば次のような制度を考えたらどうなるだろうか。

・残業は無給とする
・企業は残業代相当及びその時間に生産されたものから得られた利益を税金として納める

多くの人はなんだそれ冗談じゃないと思うのではないだろうか。

だが、上記の金額がつまり、投入されるべきリソースが得られなかったことによる社会の損失なのだ。(理屈上は。)

公私で対比される場合の「私」というのは、私生活の「私」ではなく、「私的経済活動」の「私」であり、対価を得る活動はつまり「私」の領域の話だ。長時間労働というのは、その「私」が「公」を食い尽くす行為だと考えれば、公私のバランスが取れておらず、いわば公私を区別せずに私ばかりを行い、他者の公にぶら下がる身勝手な行為と捉えることができる。

もっともこれは極端な見方で、実際には多くの企業は公的な機能も担っているので、全てが私的活動とばかりは言えない。社会のシステムが高度に複雑化する中で、公私の役割分担が行われているのが現代社会だから、必ずしも全ての市民が公私双方を活動的に担う必要はない(金銭的に担う仕組みが税金)というのも、一つの考え方だろう。

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2014年8月21日 (木)

無料の勉強会に参加するのは実はそれなりの覚悟がいる

ちょっと別の視点で考えてみる。

無料の勉強会にはやっぱり残念な貧乏人しか来ない。 - 拝徳
http://tokunoriben.hatenablog.com/entry/2014/08/09/143129

個人的には有料だ無料だというのはお役立ち度には関係ないと思っていて、有料の方が多少有用性は高いかなという程度の感覚。そもそもセミナーの価値は聞き手の態度で決まるのであって、そこで話し手の質を評価するのはただの評論家のやる事である。

そんな話はさておいて、この中で書かれている、

何かが無料という場合、それは単にボランティアでもなんでもなくて、あなた個人自身の価値が別の形でその費用を弁済しているだけに過ぎない。

というのを逆の視点で読むと、

「有料のセミナーに参加する人間は、主催者側から見ればそれだけ個人としての市場価値が低い」
(だから有料にして不足分のコストを回収する。)

なんて見方もできてしまうのではないかと思ったのだ。

無料でセミナーを開催する側に様々な思惑があるのは確かだ。

しかし、見込み客の獲得にせよブランディングやリクルーティングにせよ、主催側としてその辺りの効果を考えるのは、有料でも無料でもそれほど変わらないのではないか。

それを有料にしてコストの一部を集まった人たちに負担してもらうか、全額自分たちの負担でやるかは、その結果集まる人たちの市場価値によって決まってくる。全額負担してでも集めるメリットがある時に無料になるのだとすれば、見込み客としての価値は無料セミナーに集まる人達の方が高いと判断している事になる。


まぁこれは単に天邪鬼的に見たらこんな見方もできるよという話でしかないのだが、仮に参加側としてきちんと主催側に対価を払おうと考えた場合、有料であればその払ったお金でカタが着いている考えて良いが、無料の場合は自身の市場価値によって報いていかなければならないという事だ。

それが出来なければ、主催者の負担にタダ乗りした無価値な人間という事になる訳で、実は結構シビアな覚悟が問われているのではないかと思ったりしたのだった。

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2014年8月20日 (水)

ペール・ギュントとセビリアの理髪師

昨日は飲んだ量はいつもと変わらない筈なのだが、今朝は頭が痛い。おまけに電車が(座ったけど)風が直接当たる席だったので、変な体の冷え方をしてしまった。気をつけよう。

昨日はU響の練習でペール・ギュントとセビリアの理髪師。どちらも経験のある曲なので、譜読み自体にはそれ程苦労はしない。が、きちんと弾くとなると、それはそれで別の話だ。

ペール・ギュントは、音色のハモり感というか、響きを作るのが難しい気がする。「朝」などは、調性的にやや弾きづらい事もあって、微妙に音程がはまらない。そのくせ右手側にも繊細なコントロールを要求してくる。

もっとも、そのように感じられるのは、そうした部分に気を使える程度に余裕があるからだ。本来はどんな曲でもそうした要素はあり、ペール・ギュントに限った話ではない。そう考えれば、良いトレーニングの機会と考えた方が良い。

セビリアの理髪師は、まだテンポ的に本来の速さではないため、難しくなってくるのはこれからだろう。ゆっくりであればそれ程苦労する曲ではないが、求められる速さによっては難易度が跳ね上がる。

速いパッセージについていけなくなっているのは、最近の(というかもう結構長年の)課題である。大学時代のように指が動かないというか、誤魔化すことを覚えてしまって怠けているというか。単純に練習不足といってしまっても良いのだが、そこは工夫でなんとかしたい所ではあったりする。

だめだ、頭が痛くて集中出来ない。早めに切り上げて仕事が始まる前に少し休めるようにしよう。

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2014年8月19日 (火)

他人の考えへの関心

昨日は夕方外出だったので、その後平河町ライブラリーへ。先日準備を忘れて(具体的には会員証を所持せず)行きそびれたのだが、随分と久しぶりの訪問だった。

正直、有効活用できているとは言い難い。遠くなったといっても、毎週U響の練習で中野に通っているように、現実には仕事が終わった後に通えない距離ではない筈なのに。

その辺りは、通うモチベーションというか、習慣化が上手く出来ていないのだろう。そもそもスケジュールに入れていないのが良くないのかもしれない。

もっとも、何のために通うかという話もあって、勉強なら勉強、仕事(なら会社という話もあるが)仕事ときちんと目的がなければ、なかなか仕事後に自宅とは逆方向に向かおうとは思わないものだ。幸いというか不幸にしてというか、やらなくてはいけない勉強も仕事もいくらでもあるので、あとはそれを計画として設定するだけという話ではある。週末に翌週の予定を見直す時に、行ける日をブロックしてしまうと良いのかもしれない。(ついつい平日5日間の日中10時間ばかり気にしてしまうのだが、1週間は7日で1日は24時間だ。)

昨日はやや予定外だったので、行くための用意意外に特に準備はしておらず、ライブラリーの蔵書をゆっくり読書する事になった。

今日は「ねずみに支配された島」(ウィリアム ソウルゼンバーグ ow.ly/3ouPIv )を読んだのだが、何というか文系なのにこういう本が好きというか、それ以前になんでビジネス書にはこの本に感じるような知的好奇心を(自分は)感じないのだろうか。
送信 8月18日 21:20 From Hootsuite

ビジネス書が知的好奇心の対象となるのかはさておき、一つの傾向として、自分の代わりにすべきことを考えてくれるような啓発系の本や、人が定めたルールの話などは、イマイチ受け付けないのは確かだ。「ああしなさい」「こうしよう」系が苦手とも言える。

多分「他人の考えや主張」に対して関心が薄いのだろう。いきおい、そうした傾向が弱い自然科学系や歴史物などに興味関心が流れやすい。人の考えや主張についても、他者が描く物については、それほど抵抗感がなかったりする。

自分自身はこうしてブログなどで自分の考えを垂れ流しているのに、変な話である。いや逆にだからこそ他人の考えには興味が薄いのかな・・・。

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2014年8月18日 (月)

マーラーの表現

お盆のお休みは、初日に新しい車が納車されて、ドライブして、練習して・・・の繰り返しで終わった。ドライブというか、練習のための移動から少し足を伸ばしたというか。

で、日曜日のF響の練習でその成果は・・・多少はあったかもしれない。弾けたいう訳ではないが、少しづつ楽譜が頭に入りつつある。もっとも第1楽章と第2楽章は比較的構造がはっきりしていて、楽譜もシンプルなので、難所は第3楽章になるだろうという事も分かってきた。
(第1第2楽章が簡単という訳ではなく、特に第2楽章は「単純に」難しい。フィンガリングの工夫もそれ程出来る余地がなく、ただ「弾く」しかないのだ。)

とはいえ、マーラーの場合、楽譜を追えて、音が並ぶようになっただけでは到底弾けたとは言えそうにない。再三言われている「切迫感」や「訛り」のようなものを技術的にどう表現したら良いかという糸口がまだ見つかっていないのだ。

指示があったように、アクセントでは、弓の速度を上げ、ビブラートを細かくすることで、それらしい雰囲気になる。これは徹底するとして、さらに例えば裏拍を歩みとして感じさせるような弾き方をするにはどうしたら良いのか。動く前の「溜め」を感じさせ、繰り返しのフレーズに変化をつけるにはどうしたら良いのか。

その辺りはまだこれからの課題である。いやそれ以前に音を並ぶようにするだけでも一苦労ではあるのだが。

・・・で、少し楽譜を見ながらその辺りを考えようかと思ったら、鞄に入れ忘れてきていた。まぁ休み明けだし、今日は仕事に集中しろという事かもしれない。

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2014年8月13日 (水)

楽譜への感度

今日から夏休みなのだが、勢い余っていつも通りに起きてしまったので、近所のマックで朝食を食べてブログを書いてしまう事にする。

昨日はU響の練習。シューマンの春は・・・思ったよりきつかった。まだ初回(初見)という事でテンポもゆっくりで練習をしているため、それほど読むのに苦労はしないのだが、最終的に本来のテンポになった時には、単純にそれが難易度を一気に押し上げるのではないかと感じなくもない。

旗2つ(16分音符)でもかなりの速さの刻みになるのに、途中からさらに旗3つ(32分音符)って、ただ細かく刻めば音に厚みが出て良いとか考えていたんじゃあるまいな>シューマン。

とはいえ、楽譜そのものはマーラーに比べればずっと素直でホッとする。マーラーの様なある種複雑な楽譜を直近で見ていて良いのは、他の楽譜を読む時に、色々と細かいところに気がつく感度が上がることだ。ここは弾き分けようとか、ここは何故そうなっているのだろうかとか、諸々考えるようになっている。
(もっともリゲティのメロディーエンぐらいになってしまうと複雑さが度を越してしまって何ら波及効果がないのだが・・・。)

勉強不足なので作曲者の意図までは推し量れないのだが、例えば第1楽章の主題は、場所によってスタッカートがついていない音とついている音がある。困ったことに、多分適当に端折られている(ベートーヴェンなんかでもあるが)ので、何処から何処までがその奏法を求められているのかがはっきりしないのだが、そうした弾き分けを雰囲気ではなくテクニカルに行うにはどうしたら良いのか、何て事を考えてみたりする。マーラーでもそうだが、そうした場合に難しいのはむしろスタッカートのついていない方で、ともすれば轟々とノイズが響き渡るだけになってしまったりする。

いずれにせよ、初見でついていけたのは、単にテンポが練習用だったからというだけなので、これもちょっと気を抜く訳にはいかないだろう・・・楽しいけど。

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2014年8月12日 (火)

休み前

昨日は珍しく(実際珍しいのだが)会社の人達と東京タワーのハイボールガーデンに行ってきた。職場内で行われているコミュニケーション活動の一環というか、複数の部署のメンバーが「夏の思い出」というテーマで何かをするというイベントだ。

複数のチームに分かれて活動し、互いに内容をシェアしているので、それぞれ他のチームにはない
「ユニークな」活動を行うべく、仕事とは無関係に頭をひねったりする。

自ら仕掛けようというテンションはないのだが、巻き込まれて参加するのはそれはそれで楽しいものだ。


さて、明日からはちょっとだけ夏休み。そしていよいよ新しい車が納車されるのです。

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2014年8月11日 (月)

アンサンブルの中で練習する

日曜日のF響の練習は、マーラー5番の第3、第5楽章の分奏の予定だったのだが、結局第3楽章だけで、しかも後半は流し気味になってしまった。想像以上というか、想定通りというか、出来ない所が多すぎる。

前日に個人でもさらったのだが、4ページ目ぐらいですでにグロッキー状態(第3楽章のチェロの譜面は11ページ)。分奏でも、その辺りまでで何度も繰り返して練習する羽目になった。

ただ、どうせやるならみっちりやってくれた方が良い。大切なのは、それで出来るようになった所を次回以降はきちんと弾くことだ。もっとも、現実には「課題が明確になった」程度で、弾けるようになったとはとても言えないような状態ではあるのだけれども。

昨日の練習の指示で印象的だったのは、スタッカートが付いている音とそうではない音の弾き分けの話が出たことだ。当たり前といえば当たり前なのだが、明確に弾き分けようと思うと、スタッカートをきちんと弾くよりも、そうではない音の方を気をつける必要がある。これはTオケで弾き分けを指示した時の話に似ている。

ただ、そうやって意識的に弾き分けようと楽譜を見ると、想像以上に芸が細かいというか、どう弾き分けろと?というような箇所も沢山出てくる。第3楽章は曲の性格上特に多いのかもしれないが、そもそもマーラーの性格として、他の楽章でもそうかもしれない。同じパターンのように見えて微妙に違っていたりして、「執拗に繰り返し」ながら、同じものではなかったりする。

もう一つ印象に残ったというか、意識しなければと思ったのは、「三拍子だけど三拍子に囚われない」という奴で、ようするに通常の三拍子とは強拍弱拍が異なる場合が多い(2拍目3拍目にアンサンブルが集合するなど)。これが弾いていると無意識に1拍目を強拍にして弾いてしまったりする。この辺りも先週調べたScherzoの性格通りという感じがする。

マーラーはとにかく音の数が多く
、こちらの想定を外すような音の並び方をしているので、個人で練習していると気が滅入ってくるのだが、アンサンブルの中で練習しているとまた少し気分が違ってくる。何より、「何故こんな音?」と思っていた音が「なるほどこんな音か」と分かってくるのが良い。単独では意味の分からない音が、アンサンブルの中でどのような価値を持つかが分かってくるからだ。

以前にも書いたが、自分はアンサンブル中に他のパートの事をほとんど気にしていない。自分勝手に弾いているという意味ではなく、自分の音がアンサンブルの中でどう位置付けられるかだけが興味の対象で、他のパートが良かったとか間違ったとか、そういった事に気を回している余裕がないからだ。(だから同じアンサンブルのメンバーから自分の音を評されると、嬉しい反面、そんな余裕がある事を不思議に思ったりする。自分が目立っているのだとしたら、アンサンブルを乱しているのだろうとも。)

昨日の練習でも、ずいぶんと前日の個人練習では訳が分からなかった所が解明された。次回練習までに忘れてしまっては意味がないが、この理解を少しでも次につないでいきたいものだ。

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2014年8月 8日 (金)

楽譜への執拗さ

今朝通勤中にBluetoothヘッドフォンのバッテリーが切れてしまった。こうなるとどうしようもない。最近ちょっとバッテリーの減りが早くなってきたのではないかという気がする。

昨日はマーラーのパート譜のドイツ語の指示に訳をつけていた。ネットで検索すればそうした情報があっさり手に入るのが助かる。何カ所かなかったりするのは版の違いということになるだろうか。

それにしても、「いくぶん」とか「気づかれないように」とか、微妙な指示が多い。気づかれないようにテンポを戻すとか、どうしろと(笑)
ただ、そうした指示のニュアンスを意識して弾くのと、考えずに指揮者について弾くのとでは全然演奏は異なってくる・・・筈だ。

とりあえずそうした指示を書き込んで、その後練習録音を聴きながら反芻・・・と思ったのだが、思った以上のボリュームで、書き込みだけで力尽きてしまった。そんな訳でそれは今日以降の課題だったのだが、今は聴くことができない・・・。

こうして楽譜のチェックをしていると、ふとTオケの楽譜を思い出したりする。交響曲FFTは、チェロについてはそれ程難易度が高いわけではないのだが(何カ所かいやらしい所はある)、その分楽譜の指示を細かく読み分ける余裕があった。デジタルで作られているので、その辺りは意識して(そして割り切って)弾き分けようと指示をしていたのだが、同じような細かさというか、楽譜に対する執拗さが、マーラーのこの楽譜にも求められる気がする。(余裕はないけど。)

本来は、どんな曲であれそうした事は求められているものなので、殊更マーラーだけという訳ではないのだが、細かく書かれた指示を読んでいると、そんな気になってくるのだ。(指示の内容は曖昧だけど。)

次回の練習は第3、第5楽章の分奏。第5楽章は比較的シンプルで、いかに反復練習をするかでおおよそ決まってくる感じだが、第3楽章は昨日書いたような雰囲気を出すのが難しい。はまった時は一番楽しい曲のような気がしているが、はまらせるのが難しいのだ。

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2014年8月 7日 (木)

スケルツォの捉え方

昨日Twitter上でやりとりをしたのだが、マーラー5番の第3楽章についてちょっと考えてみる。

その方曰く、前回の演奏会でやった際に、聴きに来てくれた人から、第3楽章が重かったという指摘をもらったのだという。テンポが遅かったということのようなのだが、続く第4楽章がアダージェットという緩徐楽章であるこもあって、重く感じられてしまったらしい。

なるほどというか、5番の3-4-5楽章は、急-緩-急というイメージがあって、それが緩-緩-急となっては確かに重く感じられるかもしれない。

ただ、ちょっと気になったのは、前回の(といっても6月だが)合奏の際に、第3楽章については「急がないように」という指示を受けているのだ。実際楽譜上の指示も、冒頭には「Kraftig, nicht zu schnell(力強く、速過ぎないで)」とか「Nicht eilen(急がないで)」などが並んでいて、あまり軽快な感じがしない。

その辺り聴き知っているイメージとは少し違う捉え方をした方が良いのかもしれない。

第3楽章はScherzoだが、これは語源的には「冗談」で、本来テンポを表す指示ではない。少し長めにWikipediaから引用してみる。

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楽曲の性格を現す語であり、特定の形式や拍子テンポに束縛されない。ただし、初期のものは、テンポが速いことを除けば、3拍子だったり、舞踏的な性格を持ったり、トリオ(中間部)を持つ複合三部形式をとったりと、メヌエットの性質を借用していることが多い。主部は「舞踏的な性質」「歌謡的性質の排除」「強拍と弱拍の位置の交代」「同一音型の執拗な繰り返し」「激しい感情表現」などが目立ち、中間部は逆に「歌謡的な性質」「牧歌的な表現」が目立つことが多いのは、緩徐楽章との対照を狙っていると考えられている。
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http://ja.m.wikipedia.org/wiki/スケルツォ

つまり、必ずしも「速い曲」であることは意味しない。むしろ「舞踏的な性質」「歌謡的性質の排除」「強拍と弱拍の位置の交代」「同一音型の執拗な繰り返し」「激しい感情表現」などは、確かに第3楽章はそうだと感じさせられる。

ようは、テンポではなく、そういった性格的なものをいかに表現するかという事なのだろう。

昨日のやりとりでは、「軽快感」といった表現を使ったのだが、改めて楽曲を振り返ってみると、そうしたイメージでもない。全体としてはやや重々しく、例えば巨像がワルツを踊るようなイメージがある。全体としては調子っぱずれで滑稽なのだが、時々本来の獣性というか、荒々しさが顔を出してハッとさせられるような。

全体の構成で言えば、第1、第2楽章の第1部、第4、第5楽章の第3部に挟まれ、第3楽章は単独で第2部にあたる。第1部が暗、第3部が明とはっきり性格が分かれる中で、そのブリッジの役割を担っているので、暗さと明るさが入り混じっており、そこにマーラー的な掴み所のなさや、激しい感情の起伏などが加わって、楽曲の雰囲気が形作られていると考えるべきだろう。

ただし、全体としてはそんな感じでそれ程急く感じはないのだが、最後は畳み掛けるように速度が上がっていく。

Drangend(テンポを前へ、せき込んで)
Noch rascher(さらに速く)
Sehr drangend bis zum Schluss(楽章の終わりまで、非常にせき込んで)

これが上手く表現できると、続く第4楽章との対比が明確になるのかもしれない。

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2014年8月 6日 (水)

ペール・ギュントとフィガロ

昨日はU響の練習。グリーグのペール・ギュントとロッシーニのセビリアの理髪師の譜読み。

安住してはいけないのだが、やったことのある曲というのはホッとする。もちろん、やったことがあってもさっぱり歯が立たない曲も数多あるのだが、今回の曲は数カ所を除けばそれ程苦労しない。

安住してはいけないのはそういう時で、とりあえず弾けてしまう安心感から、無意識に甘く見てしまい、最後まで弾けない所がクリア出来なかったりするのだ。

ペール・ギュントは、以前F響でやった時には、第1第2組曲を物語の筋に合わせて組み直してやった記憶がある。今でも覚えているのは、休憩時にロビーに行った時に、旋律を口ずさんでいるお客さんがいたことだ。それだけ魅力的で印象深い曲という事だろう。
(後にも先にもこの時しかそんな経験はない。まぁたまたま出くわしただけといえばそれまでだが。)

今回のU響は第1組曲が中心で、第2組曲からは抜粋なので、物語に合わせて組み替えるといった事はないと思うのだが、元が物語なので、本来はそうした場面場面を思い浮かべながら演奏できると楽しいのは間違いない。もっとも、ペール・ギュントって、話自体は結構ええ?という感じだった気もするが。

セビリアの理髪師(序曲)は、直近ではアンサンブルOの年末アンサンブルでブラームスの4番をやった時のカップリングで・・・ということは、落ちた(!?)時なので最後本番では弾いていない事になる。

F響でもやっていた気がするので調べてみたら、2006年でずいぶん前だった。モーツァルトの39番、ブルックナーの4番との組み合わせで、覚えているような忘れているような・・・。

今回の演奏会は、この他にメインとしてシューマンの第1番「春」がある。こちらは初めてなので、それはそれで楽しみだったりする。

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2014年8月 5日 (火)

U響練習再開

今日からU響の練習も再開。先週は本番直後でお休みだったが、今週からは次回の演奏会に向けた練習が始まる。F響もそうだが、一発オケではない市民オケというのは、その辺りが非常に安定していて、何事もなかったかのように練習の日々が戻ってくる。演奏会の興奮が今だ冷めやらず、再び打ち上げような形で集まったりしたTオケなどとはかなり異なる所だ。
(どちらが良い悪いといった話ではない。)

ただ、基本的に最優先の位置づけにあるF響に比べると、自分の中のU響の位置づけはやや微妙ではある。平日に楽器を弾ける機会を得られるのはありがたいが、今回の演奏会がそうであったように、本番の事を視野に入れて乗り降りを考えないと、自分の首を絞めかねない。今日はやや仕事が長引く予定なのだが、そうした仕事との兼ね合いもある。

とはいえ、それでも2年4回の演奏会を経験してきたのだ。その間に会社のオフィスの引越しや、F響の運営委員長から降りるといった事もあった。気づいたら、というか、時間はあっという間に過ぎるものだ。

もっとも2年4回やってきたのだから、そろそろ潮時かという話もある。厳密には入団後それほど経たずに演奏会に乗っているので、年数としては1年半とちょっとという所で、区切りとしてはむしろ次の演奏会あたりかもしれない。

何れにせよ、夏の演奏会に比べて冬の演奏会は日程的にも余裕がある。アンサンブルOの練習もないし、比較的じっくり取り組めるので、継続して乗ってもそれほど問題ないだろうと今の所は考えておこう。
(ただF響と同じで、本番までの練習回数とかはよく把握しておく必要があるだろうなぁ。仕事都合がある限り全ての練習に出られないことも考慮しておかなければならない。)

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2014年8月 4日 (月)

マーラーの練習再開

本番ラッシュが終わって、正直もうしばらくはやや惚けた状態でいたいのだが、次の演奏会に向けた練習はもちろん待ってはくれない。

日曜日はF響のマーラー5番。本番指揮者による分奏。6月中旬に合奏して以来離れていたが、いよいよ腰を据えて取り組まなければならない。本当は先週リハビリを兼ねた分奏を経た上で臨みたかったが、別の本番があった為どうしようもない。

分奏は、まずは弦だけとなる第4楽章から。基本的に第4楽章はハープが加わるまでは分奏での練習が中心になる(当たり前だが)。

「小節毎にドラマがある」という指揮者の言葉通り、小節の前半で切迫感を伴って前に進み、後半でそれをためらいと共に引き止めて元に戻す、というパターンを基本に、細かくテンポが揺れ動く。(小節単位であったり、複数小節にまたがってであったり。)
その辺りのテンポを、旋律ではなく、低弦が中心となって引っ張っていく必要がある。

音量も揺れ幅が大きいのだが、小さい音に関しては縮こまったり停滞しないようにする必要がある。実際にきちんと音楽になる音量にした上で、前後のフレージングなどで強弱を演出していく必要があるのだろう。

とはいえ、第4楽章に関しては、曲自体がゆっくりということもあり、ある程度考えながら弾くことができるので、何とかなりそうな気配はある。甘くみて練習をしないでいれば惨憺たる事になるだろうが、きちんと分奏・合奏で弾いていれば、気を抜かない限りは大丈夫だろう。

問題は他の楽章である。

昨日の練習の2曲目はおそらく最難関と思える第2楽章。ちょっと酷かった(自分が)。

こちらは第4楽章のように考えながら弾くという事では間に合わない。考えて弾く事は重要だが、弾く前に考えて後はその通り動くように体を作っておく必要がある。

昨日は体を動かすどころか、考えることすら追いつかないような状態。音源を聴いていれば理解できるというようなものでもなく、楽譜をしっかりイメージできるようにならなければならないのだが、そうやって細かく楽譜を追える状態にさえなっていない。

練習不足、確認不足といってしまえばそれまでだが、前日にちょっとさらったぐらいの付け焼き刃では全く歯が立たない。とはいえ、できなかった事はどうにもしようがないので、いかに挽回を図るかを考えるしかない。

闇雲にさらうしかないような所もあれば、その前に構造をしっかり理解する必要がある所もある。前者は他の楽章も含めて地道にさらっていくしかなく、後者はまず理解する所から始めなければならない。8月後半には2回目のパート練習も予定しているので、それまでに何とか構造の理解まではしておく必要があるだろう。

それと、やはり調性の移行に伴う音程感の変化が曖昧になってしまっている。そもそも音程の把握がいい加減で、昨日も随所で指摘された。前日にさらう時に、面倒になってスケールの練習を省いてしまったのだが、その辺りも単純にスケールとして個別にさらうのではなく、調性の変化を意識した上で行う必要があるのかもしれない。

これは第2楽章に限った話ではない。第1楽章で5回、第2楽章で12回、第3楽章で11回、第4楽章で4回、第5楽章では実に21回も調性の変化があるのだ。そうした変化をしっかり意識した上で、能動的にしかけていく事が必要だということだ。

これ何とかなるんだろうか。いや、何とかしなければならない。

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2014年8月 1日 (金)

1人で弾く

昨日はKオケの練習。
ベートーヴェンの運命を練習したのだが、Vn3、Vc1、Cl1、Tp1のみというなかなか壮絶な練習だった。(それどもとりあえず通したり出来てしまうのが不思議なところだ。)

メンバーがほとんど揃っていないKオケの練習は、他のオケとはまったく違った緊張感というか、楽しさがある。各自の音がダイレクトに聞こえてくるし、明らかに聞き慣れた音がない状態を、想像力で補って前へ進めていくのも、なかなか貴重な経験だと考えている。

一方で、普段大人数の中で弾いていては気がつかないような、自身の音の乱れとか、音の捉え方のいい加減さなども浮き彫りになったりする。カルテットなどをやっていれば日常的にそうしたことを意識できるのかもしれないが、それはそれで「カルテットのための」意識だ。オケにおけるプレイヤーの意識として、「1人で弾く」事がもたらす効果は、確かにあるような気がする。

いやそれにしても荒れ荒れだった。気づかぬままにオケの中でこうした音を出しているのだとすれば、先日のブルックナーなどは周囲にとって大迷惑に違いない。直前の練度が足りないとはいえ、つい最近やったばかりの曲でこうまで荒れているというのは、何というか・・・反省。

もう少し落ち着いて丁寧に音を出す意識が必要なのだろう。気と手を抜かなければ、一音一音の隅々にそうした意識を走らせることが出来る曲ではあるはずだ。(例えば先日のリゲティなんかだととてもそれどころではなかったりするのだが、運命はそうではない。)

出来たばかりのKオケは、メンバーも揃っていないし、そもそも何を練習していくのかもまだハッキリとは決まっていない。運命はプラクティスとしてここ2回ほど練習をしたが、このまま続けていくにしても、きちんと演奏会(一応構想している予定はある)に向けた曲として決めなければならないだろう。

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