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2014年8月 7日 (木)

スケルツォの捉え方

昨日Twitter上でやりとりをしたのだが、マーラー5番の第3楽章についてちょっと考えてみる。

その方曰く、前回の演奏会でやった際に、聴きに来てくれた人から、第3楽章が重かったという指摘をもらったのだという。テンポが遅かったということのようなのだが、続く第4楽章がアダージェットという緩徐楽章であるこもあって、重く感じられてしまったらしい。

なるほどというか、5番の3-4-5楽章は、急-緩-急というイメージがあって、それが緩-緩-急となっては確かに重く感じられるかもしれない。

ただ、ちょっと気になったのは、前回の(といっても6月だが)合奏の際に、第3楽章については「急がないように」という指示を受けているのだ。実際楽譜上の指示も、冒頭には「Kraftig, nicht zu schnell(力強く、速過ぎないで)」とか「Nicht eilen(急がないで)」などが並んでいて、あまり軽快な感じがしない。

その辺り聴き知っているイメージとは少し違う捉え方をした方が良いのかもしれない。

第3楽章はScherzoだが、これは語源的には「冗談」で、本来テンポを表す指示ではない。少し長めにWikipediaから引用してみる。

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楽曲の性格を現す語であり、特定の形式や拍子テンポに束縛されない。ただし、初期のものは、テンポが速いことを除けば、3拍子だったり、舞踏的な性格を持ったり、トリオ(中間部)を持つ複合三部形式をとったりと、メヌエットの性質を借用していることが多い。主部は「舞踏的な性質」「歌謡的性質の排除」「強拍と弱拍の位置の交代」「同一音型の執拗な繰り返し」「激しい感情表現」などが目立ち、中間部は逆に「歌謡的な性質」「牧歌的な表現」が目立つことが多いのは、緩徐楽章との対照を狙っていると考えられている。
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http://ja.m.wikipedia.org/wiki/スケルツォ

つまり、必ずしも「速い曲」であることは意味しない。むしろ「舞踏的な性質」「歌謡的性質の排除」「強拍と弱拍の位置の交代」「同一音型の執拗な繰り返し」「激しい感情表現」などは、確かに第3楽章はそうだと感じさせられる。

ようは、テンポではなく、そういった性格的なものをいかに表現するかという事なのだろう。

昨日のやりとりでは、「軽快感」といった表現を使ったのだが、改めて楽曲を振り返ってみると、そうしたイメージでもない。全体としてはやや重々しく、例えば巨像がワルツを踊るようなイメージがある。全体としては調子っぱずれで滑稽なのだが、時々本来の獣性というか、荒々しさが顔を出してハッとさせられるような。

全体の構成で言えば、第1、第2楽章の第1部、第4、第5楽章の第3部に挟まれ、第3楽章は単独で第2部にあたる。第1部が暗、第3部が明とはっきり性格が分かれる中で、そのブリッジの役割を担っているので、暗さと明るさが入り混じっており、そこにマーラー的な掴み所のなさや、激しい感情の起伏などが加わって、楽曲の雰囲気が形作られていると考えるべきだろう。

ただし、全体としてはそんな感じでそれ程急く感じはないのだが、最後は畳み掛けるように速度が上がっていく。

Drangend(テンポを前へ、せき込んで)
Noch rascher(さらに速く)
Sehr drangend bis zum Schluss(楽章の終わりまで、非常にせき込んで)

これが上手く表現できると、続く第4楽章との対比が明確になるのかもしれない。

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