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2014年8月22日 (金)

長時間労働が奪う社会のリソース

昨日はCSRの勉強会だったのだが、終了後の懇親会でこんな事を考えてしまった。

ブラック企業というのは、企業と従業員との関係で測ろうとする限り、なくなりようがないという事が今日は良く分かった。企業による従業員の搾取ではなく、企業と社会とのリソースの奪い合いという文脈で語る必要があるのだ。
送信 8月21日 23:11 From Hootsuite

つまりCSR側面で労働時間を語る場合は、従業員への負荷という視点ではなく、本来投入されるべきだった社会へのリソースがどれだけ奪われたかという視点で捉える必要があるのかもしれない。
送信 8月21日 23:14 From Hootsuite

そうでなければ「本人は満足(納得)している」という論理を突破出来ない。ワークライフバランスとも違う。公私における公(公とは社会への奉仕であって対価を得る私的労働の話ではない)を果たす為の時間を企業は奪っているという考え方があって始めて私的活動を制限する事が出来る。
送信 8月21日 23:20 From Hootsuite

いやメンバーにワーカホリックな感じの方がいたからということもあるのだが、例えば次のような制度を考えたらどうなるだろうか。

・残業は無給とする
・企業は残業代相当及びその時間に生産されたものから得られた利益を税金として納める

多くの人はなんだそれ冗談じゃないと思うのではないだろうか。

だが、上記の金額がつまり、投入されるべきリソースが得られなかったことによる社会の損失なのだ。(理屈上は。)

公私で対比される場合の「私」というのは、私生活の「私」ではなく、「私的経済活動」の「私」であり、対価を得る活動はつまり「私」の領域の話だ。長時間労働というのは、その「私」が「公」を食い尽くす行為だと考えれば、公私のバランスが取れておらず、いわば公私を区別せずに私ばかりを行い、他者の公にぶら下がる身勝手な行為と捉えることができる。

もっともこれは極端な見方で、実際には多くの企業は公的な機能も担っているので、全てが私的活動とばかりは言えない。社会のシステムが高度に複雑化する中で、公私の役割分担が行われているのが現代社会だから、必ずしも全ての市民が公私双方を活動的に担う必要はない(金銭的に担う仕組みが税金)というのも、一つの考え方だろう。

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