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2014年8月21日 (木)

無料の勉強会に参加するのは実はそれなりの覚悟がいる

ちょっと別の視点で考えてみる。

無料の勉強会にはやっぱり残念な貧乏人しか来ない。 - 拝徳
http://tokunoriben.hatenablog.com/entry/2014/08/09/143129

個人的には有料だ無料だというのはお役立ち度には関係ないと思っていて、有料の方が多少有用性は高いかなという程度の感覚。そもそもセミナーの価値は聞き手の態度で決まるのであって、そこで話し手の質を評価するのはただの評論家のやる事である。

そんな話はさておいて、この中で書かれている、

何かが無料という場合、それは単にボランティアでもなんでもなくて、あなた個人自身の価値が別の形でその費用を弁済しているだけに過ぎない。

というのを逆の視点で読むと、

「有料のセミナーに参加する人間は、主催者側から見ればそれだけ個人としての市場価値が低い」
(だから有料にして不足分のコストを回収する。)

なんて見方もできてしまうのではないかと思ったのだ。

無料でセミナーを開催する側に様々な思惑があるのは確かだ。

しかし、見込み客の獲得にせよブランディングやリクルーティングにせよ、主催側としてその辺りの効果を考えるのは、有料でも無料でもそれほど変わらないのではないか。

それを有料にしてコストの一部を集まった人たちに負担してもらうか、全額自分たちの負担でやるかは、その結果集まる人たちの市場価値によって決まってくる。全額負担してでも集めるメリットがある時に無料になるのだとすれば、見込み客としての価値は無料セミナーに集まる人達の方が高いと判断している事になる。


まぁこれは単に天邪鬼的に見たらこんな見方もできるよという話でしかないのだが、仮に参加側としてきちんと主催側に対価を払おうと考えた場合、有料であればその払ったお金でカタが着いている考えて良いが、無料の場合は自身の市場価値によって報いていかなければならないという事だ。

それが出来なければ、主催者の負担にタダ乗りした無価値な人間という事になる訳で、実は結構シビアな覚悟が問われているのではないかと思ったりしたのだった。

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