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2014年9月30日 (火)

イメージトレーニング

今日はU響の練習。出張やら風邪やらでしばらく出席していなかったので、ずいぶん久しぶりの感じがする。楽器を持って通勤すること自体が久しぶりだ。

欠席が続けばそれだけさらっていないという事になる訳で、今日の練習はややドキドキする。先日のF響の練習の時に指揮者が「シューマンはやらないのか」と言い出し、マーラーの後にシューマンをやると見えてくる世界があるような話をしていたのだが、たまたまというかU響はシューマンで、とはいえ何か見えたかといえばまだそれ程練習はしていないというのが実情ではある。

この週末は単発でブラームスの2番を弾くのだが、これまたマーラーの練習の時にブラームスの2番との類似性を話していたことがあって、それ自体は偶然でも、そうした偶然をいかに活かすかは自分次第という事だろう。

そんな訳でマーラーの5番であるが、昨日のエントリーと似たような事を、練習録音を聴きながらTweetしていた(もう少し集中して聴けよ)。

何というか、練習録音を聴いていて恐ろしいのは、最初の頃とあまり変わっていないような気がすることだ。いや気のせいだと思いたいけれども。
送信 9月29日 20:27 From Hootsuite

弾けていないというよりも、その音を聴いた時に自分の中にどう音を出そうとしているかのイメージが湧いてこないという状況が変わっていないということ。それはつまり楽譜を見ながら反射的に弾いているだけって事なんだよ。
送信 9月29日 20:29 From Hootsuite

実際にはそうして自分の音をイメージしながら、耳では他のパートを意識的に聴き分けて、録音から聞こえてくるパートの音をイメージの中で修整出来なければならない。そういう聴き分けが出来ていない焦燥感が(今回は)あるなぁ。
送信 9月29日 20:33 From Hootsuite

実際には3つ目のTweetのような事がいつも出来る訳ではないのだが、複雑で難しい曲程聴く/弾く回数が増えるので、そうした事が出来るようになりやすい。それがいまだそうした状態にならないのは、それだけ難しいという事なのか、単に聴く/弾く回数が不足しているのか・・・。

おそらく後者だろうと思うのは、多くの曲ではそうした箇所というのはそれ程多くないのだが、今回は練習中にやたらと「さらっておいて」「練習ポイント」といった指摘が多いのだ。ようは出来ていないわけだが、それだけ練習の必要な箇所が多いというのは、単純に量の問題でその分時間を増やさなければ、いつものような練習量を確保出来ないという事になる。

何やら仕事が増えたらその分残業を増やして必死に対応するみたいで何とも言い難いのだが、コンマスからは「弾けるようになるには弾けるまで練習する事です」との指示も下り、うわあ・・・とは思いつつも代替案がある訳でもなく、あとは昨日書いたようなイメージトレーニングを増やすぐらいしかないのだった。

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2014年9月29日 (月)

音楽のイメージ

昨日はF響のマーラー5番の練習。本番まで2ヶ月を切って、本来ならもう少し弾けなければいけないのだが、なかなかブレークスルーが訪れない。

何というか、長すぎていまだ数回しかさらっていないような所があるような気がする。同じ曲の中に、暗譜と初見が混じっているような感じで、曲を理解できている感覚がない。

理解、という点については、知的な要素を感じないという指摘を再三指揮者にされている。ダイナミクスや調性の変化を理解しておらず、その変化に心がついていっていないという指摘なのだが、正直そこまでの余裕がない。本来は「弾けなくても」その部分に心を砕くべきなのだが、そこはやはりある程度弾けてこそ注意を払える領域なのだろう。

しかし、そろそろそんな事は言っていられない。そもそも、身体がついてこないなら頭だけでも理解するというのは、スキーと同じだ。スキーでは、イメージを先行出来る(しかし身体はついていかない)のに、楽器ではそれが出来ないという事はあるまい。そもそも自分の場合、楽器の方はイメージが貧困で、音を出して初めて楽譜の意図を理解するというパターンが多すぎる気がしなくもない。

練習は早々出来ないのだから、後はそうしたイメージトレーニングで補うしかないのだろう。楽譜も重要だが、楽譜がなくてもイメージできるぐらいに理解していなければ、身体のコントロールはおぼつかない曲全体のおぼろげな理解というよりも、微細な一つひとつをくっきりイメージ出来るようにならなければならない。

考えてみたら、実際に身体が動くかどうかはともかくとして、スキーではそうしたイメージが出来ている事が多い。音楽の方でそれが出来ないというのは、どういう事なのだろう。

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2014年9月26日 (金)

AppleからSONYへ

今日は久しぶりにキーボードを使って入力する。そういえばiPadをやめてiPhoneでブログを書くようになってからもそこそこ経つような気がする。

iPhoneといえば、まだ6の予約をしていない。チラッとだけだが、実機を見た印象がややイマイチで尻込みしてしまったからだ。

iPhone6の実機をチラッと確認。基本plusで考えていたのだが、あのサイズだと利用方法から考え直す必要がありそう。Xperiaに求めている部分と重なる要素も多い。
送信 9月20日 10:25 From Hootsuite

改めて、今回のiPhone6は常時身近に置くデバイスとしての立場を見直す事になるような気がしてきた。それを視野に入れてのApple Watchなんだろうけどさ。
送信 9月20日 11:31 From Hootsuite

スキー場も含めて常に身につけているには今回のiPhoneは大きすぎるんだよなぁ。
送信 9月20日 11:32 From Hootsuite

で、そうなるとこの際Apple製品にこだわる必要もないよなと見渡してみたのだが・・・あまりピンとくるものがない。そもそも大きさを問題にするのであれば、Androidの方が先行して大型化しているので、乗り換えようがないのだ。

さて、Apple製品の見直し、という話になると、話はMacBook Airの領域にまで拡大する。元々自分がMacを使い始めたのは、iPhoneの母艦としての要素が大きい。実質的な使い方そのものは、Macに依存している要素は(実は)殆どないため、改めてWindowsに戻る事も不可能ではない。そもそも、BootcampでWindowsも使っているし、MacにはOfficeも入れている訳で、Surfaceにしても(多少の慣れは必要だろうが)それ程困ることはないはずなのだ。

・・・膨大なiTunesのライブラリを除けば。

もっとも、iTunes自体はWindowsでも使える訳で、移行さえなんとかできればそれ程問題ではないだろう。

そうやって見渡してみると、音楽を聴くのはWALKMANでも良いという事が分かってくるし、なるほど久しぶりにガラッと世界を変えてみるのも良いかもな〜などと思ったりして、SONYではなくなったけどVAIOを母艦にSONYファミリーに鞍替えしてみるか〜などと考えたりもしたのだが・・・。

・・・Xperiaをメインに使おうとするとどうしても操作に慣れなかったりする。特に日本語入力の差は小さくない。単なる慣れの問題なのだが、慣れていないストレスというのは改めて感じ出すと恐ろしく大きい。

そんな事を実感しながら日々を過ごして・・・日々という程でもないな。

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2014年9月25日 (木)

ダウン

先週に引き続いてまたもやダウンしてしまった。

予兆そのものは日曜日にすでにあったと思うが、実質的には月曜日夜に発熱。翌日火曜日は休みだったが、医者も休みだったため結局寝ていても治らず、水曜日に病院へ。薬が効いてようやく熱は下がったが、今朝の時点でまだだるさと喉の痛みが残っている。

こういう形で毎週のように1日削られるのは痛い。打ち合わせの予定変更や終わらせるべき作業の予定が吹き飛ぶやらで、諸々が崩壊していく。先倒しにしていたとしても、全体がずれるのは避けられない。

休むにしてももう少し計画的に休みたいものだ。

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2014年9月22日 (月)

室内楽と管弦楽

今日も少々朝が立て込む予定のため、ブログは電車内にて。

F響のマーラーは先週の合宿を経ていよいよ佳境に差し掛かってきた。ということは、演奏以外の演奏会に向けた準備もそろそろ始めなくてはいけないのだが、今のところ全くの未着手で、どうも運営委員長でなくなってからその辺りの意識が緩んでいる気がする。
何れにせよ、今週中に要綱の叩き台だけでも作っておかなければならない。いや練習もしなくてはならないのだけれども。

さて・・・、

マーラーは室内楽だということをこの所散々言われている。

あの大編成で室内楽というのは何とも感覚的には受け入れ難い面もあるのだが、編成の問題ではなく気持ちの問題だ。具体的に言われるのは「聴き合う事」で、特に静かな箇所(こうした箇所は実はかなり多い)において、互いを聴きながらアンサンブルを作っていく事である。もう少し踏み込むなら、楽譜が求める要素を先読みして、必要に応じて各パートでリードしていく事が求められる。

しかし自分にはまともな室内楽の経験がない。そもそも、室内楽と管弦楽の違いを意識した事がない。管弦楽であっても、聴き合う力は大切であろう。そういった意味では、個人的には両者は切り分けられていない。弦楽四重奏とかになると、個人の責任範囲が大きくなるとは思うが、アンサンブルとしての心構えは変わらないはずだ。

変わらないはずだと思っていたのだが、もしかしたらそこには自分が知らないだけで大きな違いがあるのだろうか。そうだとしたら、それは何だろうか。

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2014年9月19日 (金)

長期目標と短期対処

今週も気がついたら週末で、先週末のF響の合宿の振り返りも出来ないままに終わってしまった。落ち着かないというか、取り戻せていないというか。安定平穏な日々が本当に良いかは微妙なのだが、せめてブログは書ける状態に戻したいものだ。

という訳で、今日は無理やり時間を確保してみた。本来は会社行事の関係で休暇扱いなのに出勤する(ちょっとだけ・・・の予定)のだから、これぐらいは良かろう。もっとも、この時間で出来ることが無いわけではない。火曜日に体調を崩してしまった為、色々予定が軋んでしまっているからだ。

さて、昨日人と話しながら改めて感じたのは、長期的な方向性を考える役割と、それに沿って目の前の状況に対処していく役割とは、どこまで両立出来るのだろうかという事だった。あるいは個人でそれを両立しようという場合に、必要な事は何だろうか。

役割によって人が分かれていると仮定しよう。多くの場合は、長期的な方向性を決めるのが上位者で、それに沿って部下が執行するという形になる。現実が順調にその方向に進んでいけば問題ないが、そうではない場合、目の前の現実への対処と、長期的な方向性とは、どちらが優先されるべきだろうか。

長期目標だけを優先していたら、現実に対処出来ない。といって現実への対処ばかりを優先していたら、長期目標はいつまでたっても達成出来ないだろう。

ましてやこれが「ブランドの確立」といった命題であった場合、いつまでたっても一貫性と統一感を持ったブランドの構築ができないという事になってしまう。

さらに加えて組織的には、権限と責任はどのようにあるべきかという話も出てくる。

ブランドの方向性を定めるブランドディレクターのような役割と、実際にプロダクトを開発しビジネスを生み出すプロダクトディレクターという役割があったとして、両者の権限と責任はどのように分かれると考えるべきだろうか。分かれているのが不自然で、同一であるべきというなら、彼の判断軸はどちらを主軸とすべきだろうか。

しかしこのように考えると、そもそも「ブランドの確立」というのは至上命題でも何でもなく、あるプロダクトを市場に浸透させる為の一手段にすぎない、ぐらいの割り切りをして、ではそのブランドを確立してプロダクトを浸透させるにはどうしたら良いか、と考えていく方が良いような気もしてくる。冷静に考えれば、「ブランドが確立」したからプロダクトが浸透するのではなく、「プロダクトが浸透」したからブランドが確立したと考える方が自然な気がしなくもない。

一方で、今目の前にあるプロダクトの、目の前の市場への浸透を考えた場合は確かにそうなのだが、長期的な視野で捉えた、その市場における安定的なポジションを確保するといった事を考えると、ブランドの確立という要素は欠かせないし、その為にプロダクトをリリースしていくという考え方も不自然ではない。

それはつまりビジネスのスパンの問題で、結局はどちらかと割り切るというよりはシームレスに繋がっているものなのだろう。となるとやはり長期的な目標と短期的な現実への対処をどのようにバランスしていくか、その為に必要な事は何かという話に戻っていく事になるな・・・。

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2014年9月12日 (金)

研修なのだが・・・

今日は昨日同様近隣事業所での研修で、本来ならのんびりできる筈なのだが、一昨日会社を出る時に忘れ物をしていた為、朝はいつも通り仙川の事業所へ出勤した。出勤したというより立ち寄っただけだが、それでも、いつものスターバックスで朝食を食べて戻って間に合う程度の余裕はある。ま、渋谷だったらそうはいかないだろうが。

何を忘れたって、会議や練習録音用のICレコーダーで、この週末はF響の合宿だから、レコーダーなしという訳にはどうにもいかないのである。最初忘れた事に気付いた時には、Kオケの練習に顔を出すことも含めて昨日の夜に取りに行く事を考えたのだが、研修に来ていた同期と飲みに行く事になったので、今朝という事になったのだった。

幸いな事に定期券の範囲内で、特に交通費がかかる訳ではないので、正直いつも通りのリズムで行動できていた方が楽だったりする。いや、忘れ物をしていなければ今朝はこの移動時間を別の事に当てていたけれども、それもレコーダーがなければ出来ない事なので、結局忘れ物はよろしくないという事ではあるな。

さて、そろそろ向かいますかね。

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2014年9月11日 (木)

ランチの時間

今日明日は自宅近隣の事業所で研修のため、朝の時間に余裕はあるが、意外とそういう「いつもと違うリズム」の時は、ブログを書くタイミングを確保しづらい。

おまけにキーボードもないので、今日は昨日のTweetをまとめておくだけにする。

今日のランチは社食ではなく外にしたのだが、食べながらふと、自分にとって「注文して待つ時間」というのは意外と貴重なのかもなぁなどと感じた。その時間に何かをリセットしているというか、頭の中で考える事を切り替えていている気がする。
送信 9月10日 12:43 From Hootsuite

社食はカフェテリア方式なのでそういう時間がない。そこで落ち着かなさを感じたりするのだが、それだけでなく、頭の切り替えができていないのだろう。その前に考えていた事をそのまま引きずってしまい、奇妙な混戦状態を生み出してしまっている感じがある。
送信 9月10日 12:45 From Hootsuite

食べている時間というのは、散歩の時のように、思わぬ閃きを広げる効果が多分あると思う。ただ、その為には導入が必要で、少なくとも自分の場合はそれが「注文してから待つ時間」なのだ。そこで上手くそれまでとは異なる刺激を加える事が、発想の時間としてのランチにつながるんじゃなかろうか。
送信 9月10日 12:49 From Hootsuite

そして食べ終わった後にコーヒーでも飲みながらその閃きを反芻する事で、サイクルが完結する。社食では食べる前の待ち時間も、食べた後の時間も確保しようがない。
送信 9月10日 12:53 From Hootsuite

もちろん常に閃くというものではないが、そうしたある種の遊びがなければ、そもそも生まれようがないと考えれば、これもある種の「発想をマネジメントする仕組み」だと考えられなくもない。可能性を機会として生み出していくことが大事なのだ。
送信 9月10日 12:56 From Hootsuite

別にだから社食がダメとかそういう訳ではなく、機能が違うというか、目的に応じて使い分ける必要があるのかなとか、そういう話ではある。

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2014年9月10日 (水)

iPhone6とブランドのコモディティ化

今朝は久しぶりに仙川のスターバックスへ。キーボードを使ってブログを書くのも久しぶりである。

しばらく書けない日が続いていたのは、出張やら朝一からの会議の準備やらに追われる日が連続したためで、1週間ほど慌ただしい朝が続いていた。いや厳密には出張の場合の朝は比較的ゆったりしていたのだが、ブログを書ける環境ではなかった。

まぁそんな事はどうでも良くて、iPhone6が発表されたのだが・・・。

大きくなりましたか、そうですか。

あまり噂などは気にしない達であるし、結局現物を見てからと思っているのだが、正直な話iPhoneに関しては選択の余地がないと感じている。何というか、言われるままに買い換えていくしかないというか、色々考えて選ぶのも面倒臭いというか、新機種に無条件で切り替えていく月額契約とかないかしらんとか考えてしまう。

その辺り、考えるのが面倒というのは、年かな〜とも思ってしまったりするのだが・・・。

で、こんな形でiPhoneを使い続けるユーザーというのは、iPhoneというブランドにとって良いことか悪いことかと考える。

何も考えずに買い続けるというのは、ある種の優良顧客といえるだろう。企業にとってみれば、何もしなくても買ってくれるわけで、そこまで浸透すればブランドとしては成功と思わなくもない。

思わなくもないのだが、一方でそうした購入動機は、必ずしもブランドにとってプラスではないような気もする。それは購入の意思決定が顧客側だけの事情で決まっていて、イノベーションやサービスといったブランド側のアプローチがほとんど響いていない状態で購入されているとも言えるからだ。

実際、酷な言い方をすれば、iPhone3からiPhone4、iPhone5sと買い換えてきたのは、新しい機種に強い魅力を感じたからというよりは、古い機種にストレスを感じるようになったからという動機が小さくない。次のiPhone6はなるべく早い段階で入手したいと考えているが、それもどうせ後でストレスを感じることになるなら、さっさと買い換えてしまった方が良いだろうという身も蓋もない話で、我ながら何でこんなに冷めているのかと思ったりする。

コモディティ化というのは、もしかするとこういうことなのかもしれない。

コモディティか —くわ 0【コモディティ化】〔commodification; commoditization〕
従来は特別な価値をもっていた商品やサービスが,何らかの理由で日用品化すること。機能・品質・ブランドなどによる差別化が困難となり,価格・供給量などが購入基準となる。部品の標準化により差別化が困難になったパソコンなどが好例。→コモディティー
大辞林 第三版

今の自分の中では、iPhoneというのは、価格さえ購入基準ではない(まぁ元々高いので、そもそもあまり購入基準にならないのだが)。

購入はしてもらえるが、ブランド側のアプローチが何ら響いていない状態というのは、つまりいつスイッチが起こってもおかしくない状態にあり、しかもそれを防ぐ予防的措置が一切通じないという事である。今の自分がiPhoneを買うのは、いわば「スイッチが面倒」という動機による部分が大きく、それはそれで継続的な購入をしてもらう上で重要な仕組みには違いないのだが(ほぼ唯一の予防措置となっているが)、そうした仕組みはブランドのイノベーションにはほとんど寄与しないので、結果ゆるゆると衰退していってしまうような気がしなくもない。

もっとも、自分のような人間は多分かなり珍しく、iPhoneの場合はまだまだ圧倒的にブランドのイノベーションに魅力を感じている人が多そうなので、それほど心配するような事ではないのだろうが、こういう状態に陥っている「強い」ブランドって意外とあるかもしれないよな〜などと考えてしまった。


・・・念のためお断りしておくと、iPhone6は買いますよ。それが何か?

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2014年9月 5日 (金)

ブログを書く目的

今週は朝の予定が変則的で一度もブログを書いておらず、今日も通勤の電車内ぐらいしか時間がないのだが、そういう状態が続くと自分にとってこのブログはどういう意味を持つのだろうかなどと考えてしまったりする。

そもそもの書き始め(このブログは2006年からだが、その前身は2000年からスタートしている)は自分の行動や考え、感じた事を漠然と整理記録する目的があって、人に読んでもらうとか、読者を増やすとか、そうした考えはなかったのだが、一方で公開型でやっているのは、内容によっては意見が欲しかったりするからで、その辺りは今だに整理が(考え方の)されていない側面はある。

また、考えを整理するという点では、仕事面の事はやや公開では書きづらくなったという事情によるスタンスの変化はあるだろう。一般論ではあまり整理にならず、具体論では公開できないというジレンマがあって、そういった意味では「考えを整理する」という役割を果たしきれていないのだ。

本来の目的に戻るのであれば、公開型で進めるのが限界という事かもしれない。現在公開でブログを書いている時間を、非公開で考えの羅列をする時間にあてれば、もう少し頭もクリアになってくるのではないか・・・という事も考えなくもない。もっともそうした完全な日記型でモチベーションを維持できるかというのは難しい所だ。何だかんだ言って、少数とはいえ見られている事によって続けられているのは間違いない。そもそも過去、完全に非公開でやったことはないのだ。

結局このブログはこうして答えも結論もなく考えた事を書き連ねるだけなのだが、本来書きたいのはオケの話なんかじゃなくて(それも書くには書くが)仕事の話で、その部分がままならないというのは何だかストレスだな〜と感じていたりする。

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