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2014年10月31日 (金)

iPad miniと通信環境

今日はいつもと違う形で、スタバに寄らずに会社に来てしまった。会社のカフェ(食堂)でブログを書こうとiPad miniを取り出して思い出した事実・・・ここではネットにつながらない。

いやもちろんテザリングという手段はあるので、その設定をすれば良いだけの話ではある。
ただまぁそういった事情を考えるとiPhoneで書いた方が面倒がなかったかもしれない。

iPad miniは、Cellularモデルは不要と思ってWi-Fiモデルにしたのだが、そういった意味では時々不便さが頭をもたげる。カレンダーの更新がリアルタイムに行われないし、Kindleでも読んだページの更新が行われない。大々的に通信の必要があるわけではないのだが(例えばSNSなどは別にiPad miniでチェックできなくても気にならないし、メールも必要な時だけつながれば良い)、実はちょっとした通信が行われていることが便利さに通じているのだと感じたりする。

何気にカレンダーについては日中も更新が結構あり、会社のカレンダーとも連動しているので、iPhoneで確認すれば良いのだとはいえ、折角のiPad miniがあまり活かせなかったりする。手帳代わりに使おうというのに、これに関しては少々考え不足だったかもしれない。そもそもカレンダーとKindle(加えるとevernote)こそがスマートフォンではなくタブレットの領域だったのに、その部分が通信の制約で使いづらいというのはやや微妙ではある。

前のiPad3ではCellularモデルだったのであまり気にしていなかったのだが、特にiPad miniは手帳的要素がiPadよりも強くなるので、むしろ通信環境は重要であった気がする。

ま、その辺りは学んだ事としてこのブログで残しておこう。さて、テザリングの設定をするか・・・。

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2014年10月30日 (木)

赤信号

仙川のスターバックスは交差点に面しているので、朝食を食べながらぼんやりと眺めていると、想像以上に多くの歩行者が赤信号を無視して渡っているのが目に入る。赤に「なった」のをチラリと確認してから堂々と渡り始め、車にクラクションを鳴らされてもそれほど急ぐでもなく渡りきる猛者までいる。

信号を守る守らないについては、過去何度か書いているのだが、そうして改めて考えると、日本人はすでに信号を守らなくなっているんじゃなかろうかと思わなくもない。いやもちろん守っている人はいるのだが、そうした人たちが目立つようになったら、それはすなわち守らない人が多数占めるようになったという事でもある。

そもそも彼らは「車が来ないから」渡っているのではない。隣には信号待ちの車がいたりするからだ。何も考えていないのか、それでも車が配慮すると考えているのか、その様子からは何とも読み取れないが、よくある「赤信号車が来なければ渡る自己判断の大切さ」論とはかけ離れた判断(というか惰性)があるような気がする。

こんな道を車で通るのは大変だろうなぁ。渡っている人の多くは(少なくとも子供でない人たちは)免許を持っているのではないかと思うのだが、そういうドライバーの事が考えられないなら、片っ端から免停にしてやればいいんだよ。

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2014年10月29日 (水)

忘却

今日は朝から平河町ライブラリーへ・・・の前にエクセルシオールカフェで朝食。ついでにブログも書く訳だが、初めてiPad miniのソフトウェアキーボードを使ってみる。

さておき、昨日はU響の練習。トップ不在で自分の練習不足を(不足というかそもそも出来ていない訳だが)を痛感したのはさておき、練習後の飲み会でマエストロからハッとさせられるコメントを2つほど聞いた記憶があるのだが、その場で記録をしなかったので忘れてしまった。その後の笑いを誘う話の方が印象に残ってしまっている。

目の前で話していたので、あからさまにiPhoneなどを取り出してメモするのもはばかられたのだが、ちょっと失敗したなと思う。そういえば、以前(大分前だ)そうした時に即座に携帯のボイスメモに吹き込んでいた人の事を思い出す。結局そうした行動の積み重ねが、大きな差につながっていくのだろう。忘れる程度の事だったと割り切る考え方もあるが、なまじハッとしたことだけは覚えているからタチが悪い。

何かきっかけがあれば思い出せると思うのだが、飲み会の場というのはあまり関連付けなく話が飛ぶので、そうしたきっかけが残りにくい。そもそも音楽の話でもなかったような気がする。どちらかというとブログや仕事につながるような話だったと思うが、ああ何だったのか。

・・・とまぁここまで書きながら悶え悩んでも思い出せないものは仕方ない。メモしようとかなと思ったことだけ覚えているなんて意味ないよな・・・。

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2014年10月28日 (火)

いらだち

ここに来て乗り降りの変更とか勘弁して欲しいのだが、作業の時間がない。
厳密にはあっても決めた時間以外はやりたくない。

あえて毒を吐こう「疲れた」と。主に気持ち的に。

元々演奏会前は気分は盛り上がるよりも落ち込む方なのだが(本番直前に一番「やめよう」と思っていて、終わると「まぁいいか」となる)、今回は3週間も前からそんな状態に陥りつつある。

気持ち的に疲れたと思うのは、以前なら取れていた時間が取れずに、作業がままならないからだ。平日に2回練習があるというのは、練習自体にはほとんど影響を及ぼさないが、そうした時間で済ませていた事が出来なくなる程度には影響がある。

本番近くになるとそうした作業が増える訳だが、それがなかなかできない。いやできるのだが、そのためにはそれまでは何もなかった別の何かを犠牲にしなければならない。それはそれで困る。(そう考えると練習だけが問題という訳でもないな。)

結果として気持ちだけが焦る。イライラする。落ち着かない。

本来は、そうした事を勘案して何かを変える必要があるのだろう。仕事では「変えるのだったらまず何かをやめろ」と思ったりするのだが、プライベートではなかなかそれができないもどかしさ。いや仕事でも簡単にはできないけれども。

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2014年10月27日 (月)

実施要綱

F響の定期演奏会が迫ってきた。

遅ればせながら昨日は練習後に実施要綱を作成。いつも思うのだが、色々気にしながら作っても、それほど実効力を発揮した事がない。結局経験頼りというか、当日の動きというのは各人の経験による所が大きい。それは自分自身がほとんど実施要綱に沿った形では動いていない事からも明らかだ。

それでも作成するのは、初めてお願いする方もいるからで、ただそれも最終的には自身で考えながら動いてもらうしかない。マニュアルなんてそんなものだろう。ましてや実施要綱はマニュアルというよりはガイドぐらいのもので、それほど細かいものではない。

そんな訳で、本当は最低限というか、必要なことだけ共有できるものがあればそれで良いと思うのだが、作る側としてはついつい細かい所が気になったりして、仔細に作り込んでしまったりする。そうやって内容が肥大化していき、読む側も読んだ事しか出来なくなっていくのだ。

さておき、本番まで残り3週間。大切なのは運営以上に演奏である。昨日の練習はかなりヤバイ状態だったのだが、ここからなんとか仕上げられるのだろうか。

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2014年10月24日 (金)

iPad miniの携行

iPad mini、スマートカバーだとどうしても机に置くときは横向きになってしまうのだが、キーボードを使う時は縦向きに使えると良いな・・・。

さて、iPad miniは昨日から携帯しだした訳だが、今の段階では少し使いづらい。メモ帳やらノートパッドやらも別途持ち歩いているからだ。これにiPhoneとXperiaが加わり、会社の携帯とPCを携行するとなると、ただモノが多いだけでほとんど意味がない。

iPhoneとXperiaの問題はさておくとして(実際にはXperiaは鞄の中で待機が多い)、iPad miniを持ち歩く以上、メモ帳とノートパッドはなんとかしたい所ではある。手書きを全く排してしまう事は出来ないので、今考えているのはこれを使う事だ。

http://direct.sanwa.co.jp/ItemPage/200-PDA145

実際の所は使ってみないと分からないのだが、手書きのメモ帳は残しつつ一体化させられるケースはそれほど多くない。他にもう少し手頃な感じのものもあったのだが、ギミック的にいろいろ気になったので購入してしまった。後は組み合わせる手帳(システム手帳は大仰なので今考えているのはバインダータイプ)を探す必要があるが、それで少しは携行性が増すだろう。

一方で手書きの要素をiPadにも持ち込みたいとは考えていて、話を聞きながらのメモなどは紙に頼らざるを得ない気がしているが、考え事をする時のメモぐらいは移行させたかったりする。その場合はもちろん指でとはいかないわけで、対応したペンと使いやすいアプリが必要になってくる。理想はevernoteにそのまま取り込めることだろうか。いやそれは紙に書いたメモもそうだけれども。

その辺りを週末に整えて、実質的には来週から本格的に使い始めるという感じかな・・・。

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2014年10月23日 (木)

ライフネット生命のマニフェスト

iPad miniのスマートカバーを購入し、iOSも8.1にアップデートしたということで、今日からいよいよ本格利用開始。Wi-Fi環境をどうしようか迷ったのだが、どうにも接続が安定しないdocomoの接続は別途検討することにして、何時ものスターバックスでは、Starbucks Wi-Fi Serviceを利用してみる事にした。

後はキーボードをBluetoothで接続し、ほぼ準備完了。とりあえずここまでの入力はすこぶる快適だ。

さて、昨日はセミナーでライフネット生命保険のCEOである出口治明氏の話を聞いてきた。「私はネット企業のCEOですので、写真もTweetもいくらでもしてもらってOKです」と最初に断っていたのがユニークだが、そうした事が会社のブランディングにも繋がる事を良く自覚しているのだろう。自身もFacebookやTwitterをやっており、ホームページには社員のブログがあって、とにかく情報発信を積極的に行っている。

講演の中では、「名前を知ってもらう事と信頼を得る事は別」という話もあったのだが、そうはいっても名前も知らない存在を信頼するという事はないし、こうした形で発信をして「人となりを知ってもらう」事が信頼感に繋がるのは確かだ。もちろん、その人となりに確固たるものがなければならないけれども。

テーマは会社のブランディングについてだったのだが、とにかく大切にしているのはホームページにも公開されているマニフェストだという事で、COOの岩瀬大輔氏と徹底的に議論するのをライターの人に横で聞いてもらい、その内容をマニフェストとしてまとめてもらったのだという。自分達で文章化すると想いが過剰になって伝わらなくなるという考えだそうだが、なるほどと考えさせられた。確かにプロというのはそういう存在だろう。

このマニフェストを全社員に徹底する事で、会社としての判断や行動に一貫性を持たせている。徹底というよりも、賛同・共感できる人でなければ採用されないし、そもそもマニフェスト自体が公開されているので、そういった人しか募集してこない。その辺りはベンチャーの強みかもしれないが、そうでなければ生き残れないという事もあるかもしれない。

このマニフェストの特徴は、抽象的な理念とは違って、具体的である事だ。そうすることで社員が判断に迷いがなくなり、ぶれなくなる。曖昧な言葉は迷いやブレにつながり、いちいち相談するようになったり、結果として仕事も遅くなるという考え方で、その辺りはかなり合理的な考え方とも感じた。

話を聞いていると、そもそも出口氏の発想自体にブレがない。それだけ日々深く考えているのか、確固たる考え方が確立しているようで、マニフェストにまとめられている事も、憲法のようなもので、普遍的で当たり前の事をまとめたものと話していた。

その他、幾つか考えさせられる話を聞いたのだが、聞いて理解するだけでなく、行動に移せて初めて学んだといえるわけで、その辺りを意識していきたいものだ。

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2014年10月22日 (水)

大編成ならではの最弱音

先日購入したCDを聴いた。

今回もどーんと買ってしまった。 マーラー1番のハンブルク稿版
マーラー2番の小編成編曲版
マーラー4番の室内管編曲版
ブラームスピアノ四重奏曲1番のフルオーケストラ編曲版

・・・と青木十良先生のバッハ無伴奏6番。
送信 10月15日 20:24 From Hootsuite

一気に聴ける訳もなく、まずはマーラーの4番から。

うーん、大地の歌の室内オケ編曲版は雰囲気含めてフルオケ版よりぐっとくるものがあったのだが、4番はなんか淡々とした感じで原曲通りといえばそうなんだが逆に物足りない感じが。
送信 10月21日 18:34 From Hootsuite

つまり4番の場合は、フルオケならではの音の厚みが効果的にマーラーらしい雰囲気を生み出しているって事なんだろうか。確かに第3楽章のクライマックス付近の盛り上がりの箇所なんかは、曲全体の淡々とした印象を覆す圧力があって、あれはフルオケの厚みがないと醸す事の出来ない迫力かもなぁ。
送信 10月21日 18:39 From Hootsuite

そしてマーラーの2番。

小編成オケ編曲版の復活は、意外とフルオケと印象が変わらない。結局弦楽器が複数か単独かというのが大きいのかなぁ。
送信 10月21日 19:01 From Hootsuite

室内オケ版の4番と小編成オケ版の復活の違いは、細部はともかく弦の厚みの違いだと思うのだが、そういう聴き比べをすると自分は基本的には弦の厚みというのが音響的な好みなのだろうと思う。ダイナミクスだけならブラスでも実現可能だと思うのだが、それにはいまいち食指が働かない。
送信 10月22日 0:17 From Hootsuite

そのように考えると、室内楽をあまり聴かない理由も分かる気がする。積極的にやろうと感じない理由も。弦楽器の音ではなく、弦楽アンサンブルの音が好きなんだな。
送信 10月22日 0:19 From Hootsuite

で、復活の方は第5楽章のクライマックスが音飛びで途切れるという壮絶なオチを(今朝)迎えてしまったのだが、改めて今練習しているマーラーの5番などとも重ね合わせると、オーケストラにおける弦楽器の役割というか、魅力というのは、1本の弦楽器では到底出ないダイナミクスを実現できる点にあるのだろうと感じる。

大きい音だけではなく、小さい音に関してもだ。実際弦の各パートがほぼ1本のマーラー4番の室内管版よりも、フルオケ版の方が印象としては音が小さい。例えばそれは、シェーンベルクの浄夜の弦楽四重奏版と弦楽合奏版との比較であったり、バーバーの弦楽のためのアダージョと元になった弦楽四重奏曲との比較でも感じる。

それはおそらく、1本の楽器では音にならないような囁くような響きを、同じ楽器を複数重ねることによって実現できるからだろう。1本の楽器では音楽上それ以上小さくできない限界を超えて、さらに小さい音を出すことができる。大きい音に関しては言わずもがなだから、結果として(上手であれば)管楽器をはるかに上回るダイナミクスを実現出来るのが、「弦楽器」ではなく「弦楽合奏」の強みなのだ。「管楽合奏」では、おそらく同じような最弱音は実現出来ない(出来たらごめんなさい)。

逆に言えば、オケとしてそれが出来るようになれば、表現の幅が格段に広がることになる。一人一人一台一台としては聞こえないほどの弦楽器の音の積み重ねが、オーケストラの「囁き」を生み出す。マーラーなどで時折出てくるはっとするような静寂感は、そうやって表現されているような気がする。

逆に古典の曲などであまりそうした瞬間がないのは、想定しているオーケストラの規模の差で、1台1台がある程度の音を出す事が前提の書かれ方をしているからだろう。そう考えると大編成だからこそ、最弱音の表現が可能なのだとも言える。そうした効果が出せることに気がついた作曲家が、そのような表現を生み出してきたのかもしれない。

そうした音はどうやったら出せるようになるのだろう。個人での練習では、一つの楽器として落とせる限界までしか音量を小さくすることができない。10の楽器であれば、さらに落とせる音量を個人練習でイメージするのは至難の技だ。だが、それができなければ、結局マーラーの求める音量まで落とすことができず「うるさい(喧しい)」という事になってしまう。そもそも、合奏中に自分の楽器の音が聞こえていたら(溶け込んで聞こえないという事ではなく音量として)ダメなわけで、そうした「自分の楽器から出る音を耳でモニタリングしながら音を出す」やり方では到底奏でられるはずがない。

さて、どう練習したら良いのだろうか。

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2014年10月21日 (火)

iPad miniのセッティング

昨日は会社の飲み会があったので、帰った後は(それほど遅い時間ではなかったが)そのまま何も出来ずに寝てしまった。今日は楽器持ちで会社に直行(スタバではなく)なので、iPad miniを持ってきた。(それとPocketWiFi。)

という訳でこれから少しセッティングをする。

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2014年10月20日 (月)

iPad mini購入

週末にiPad miniを入手したので、今日からブログの更新はiPadで・・・という訳ではなく、諸々準備不足のため持ち出せなかった。設定自体済んでいないという事もあるが、なんというか、ケースもカバーも用意していなかったのが最大の敗因だろうか。
今日も明日も夜は予定があるため、しばらくは自宅待機という感じで、使った感触などもおあずけである。

もっとも、購入してみたらOSは7のままだったので、8にするべきかを思案中。最初から8なら多少何があっても比較しようがないので、使い始める前にアップデートしてしまうのが多分正解だろう。

あわせてこの週末は、電源スイッチが壊れて使えなくなっていたiPod nano(第6世代)を修理に出した。いろいろ探したのだが、クリップが付いている使いやすさは他にないという結論に落ち着いた。夏場はカナル型のATH-BT04NCをiPhoneにつないで使っていたが、冬場は密閉型のヘッドフォンを使いたいので、そんな時にはクリップ付きのiPod nanoが重宝する。iPhoneをXperiaに変えてしまおうと考えている現状では尚更だ。

そんな訳で、少し身の回りのデバイス環境に変化がありそうな状況。もっともそんなにガラリと変わる感じではなく、iPhoneを中心とした環境に落ち着くまで(CLIEとか、Sigmarionとか、他にもあった気がする)に比べれば、たいした変化ではない。データもほとんどそのまま移行できるし、その辺りは大半をクラウドで管理できているのが大きい。そもそも、iPadにせよiPod nanoにせよ、少し前に戻るようなものでもある。もっともiPad miniは、iPadとは少し別の活用の仕方ができそうだが。


さて、128GBのiPad miniには、とりあえずiTunesライブラリのミュージックを全部入れてみたのだが、9000曲超で、96GBほどの容量。これを全て入れておくか、一部は除くかはやや思案しどころである。

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2014年10月17日 (金)

iPad mini 3

さて、新しいiPadが発表されましたが・・・。

うーむ、iPad miniはほとんど変化なしですか、そうですか。

Touch ID搭載という事なのだが、今時点でiPhone5sのTouch IDさえ使っていない。便利だったのだが、指紋の認証率が極端に落ちたためだ。冬場は皮膚が荒れる(特に指先)のだが、そのために認識出来なくなったらしい。追加で登録をしようとしても、登録出来ないとエラーになってしまった。

こうなるとiPad Air2の方が気になってくるが、サイズとしてはやや微妙。実際iPad3は持ち歩かなかった事も多いので、その経験に照らせば同程度にしか持ち歩かないということになるだろう。
もっとも、ではminiだったら持ち歩くのかといえば、これは初めての経験なのでどうなるかは分からないという話ではあるのだが。

ここは思案のしどころである。
価格次第だが、3を待たずに現行のRetinaモデルを購入してもあまり変わらないという事になるからだ。ふむ・・・。

さて、どうしたものかね・・・。

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2014年10月16日 (木)

新型iPad

さて、新しいiPadが発表されますよという事で・・・。

一旦は手放して、今の所それほど不都合も感じていないiPad。新型次第ではあるのだが、再び購入する事を考えている。といっても多分miniの方だ。

iPhone6が常時持ち歩くにはちょっと大きいと感じている事もあり、Xperia Compactへの切り替えを検討しているのだが、そうなると今度はタブレット用途の端末がサブに欲しくなってくる。

というか、不都合を感じていないと書いたが、厳密には電子書籍の閲覧においては少々不便を感じているのだ。今のXperiaは、画面はもちろんそれなりに大きいが、電子書籍にはやはりちょっと小さい。本であればiPhone5sでもサイズ的に問題ないが、コミックはしんどい。

理想はminiではなくiPad Airになるが、そのサイズだと手帳的に使うにはちょっと大きい。贅沢な話だが、社内で(会社の端末で)iPad miniを使用している人を見ていると、あのサイズだと大判のシステム手帳という感じで、悪くないよなと思ったりする。(何より私物で持ち歩いていても社内で目立たない。)

同サイズのタブレットは他にもあるのだが、iPhoneをXperiaに切り替えるとなると、アプリの資産をどうするのかという話になってくる。無理に使い続ける必要はないのだが、一方でiPadを所持していた頃のiPad用のアプリ(iPhoneでは使えない)の幾つかはやはり使いたいという気持ちもある。それらのアプリをiPadで引き継ぎ、ついでにiTunesライブラリの音楽も可能な限り詰め込んでしまえば、とりあえず普段のモバイル環境は成立する。

さて、SoftBankのiPhone5sをdocomoのXperiaに切り替えるということは、docomoのXperiaが2台体制になるということで、これは流石の自分でも無駄と感じる2台持ちである。
電話番号はiPhoneが主機なので、これをXperiaに切り替えざるを得ないのだが、現在のXperiaの回線を他社に移してiPadで使うか、この際契約をやめてしまうか・・・それなりにお金もかかるので(というか、現状かけすぎ)、やめてしまうのが妥当な選択であろうなぁ。
(しかし昨日気付いたのだが、京王線は社内でauのWiFiが使えるので、auにすると色々便利なのではないかと思ったりもしている。)

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2014年10月15日 (水)

断捨離

今日は鞄が重い。

久しぶりに平河町ライブラリーに行こうと思い、諸々必要なモノを詰め込んだからだ。こうしてみると、ずいぶんと溜め込んだことが分かる。問答無用で捨てても良い気もするが、一通り目を通して、残すものは残す必要がある。

断捨離したい。

したいなどと書いている余裕があったら、さっさとすれば良い訳だが、いざとなるとなかなか踏み切れない。捨てられない、というよりも、捨てにくい。ゴミとしていつでも出せれば良いのだが、不燃も可燃も資源物も収集日が決まっていて、捨てると決めたその日に捨てられない。多くの場合、断捨離のような作業は休日に行うわけだが、とりわけ休日には捨てられない。

単なる言い訳だが、それも理由の一つである。捨てるつもりでまとめたものが、暫くの間部屋の中に鎮座しているかと思うと、それはそれで気分的に億劫だし、そもそも断捨離の爽快感が半分くらいになる(経験上)。実質的には未練がましくしばらく残る事になるからだ。

とはいうものの、そうそうズルズルと先延ばしには出来ない状況にもなってきた。特に衣類はそうだ。ネクタイハンガーにかかったネクタイから、ほんの2〜3本しかローテーションしていない事に気づいたりすると、なおのことそう思う。クールビズ中は使わないので気にならないのだが、無意味に溜め込んでいて、その使わないネクタイが新しいネクタイの購入を拒んでいる(気分的に)。

まぁ今日は平河町ライブラリーで出来る断捨離を(少しだけ)するわけだが、家でしなければいけないこともやっていこう。

そう思ってごみ収集のカレンダーを確認したら、主に来週だった・・・orz

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2014年10月14日 (火)

アウトプットの時間

今更ながらに気がついたのだが、家ではほとんどアウトプットをしない。ブログはもちろん書かないし、Tweetもほとんどなし。メールも必要最小限で、通信教育のレポートまで自宅では書けていない。

変な話だが、そうしたことをするには、外出する必要がある。カフェでもなんでも、それほど場所は選ばないのだが、自宅だけは唯一アウトプットをする気にならないらしい。

で、職場が仙川に移ってから、外で何かをする機会が減っている。朝の時間だけは変わらず確保できているが(それも渋谷の頃よりは減ったがそれは場所ではなく仕事のせい)、昼休みや夜に確保する時間がなくなったことで、全体に作業時間が減っている。それは時間確保の問題だけでなく(時間だけなら通勤時間が減った分増えている)、気分確保の問題だ。

そういうモチベーションというか、やる気というのは、行動の際の動機付けとしてどのように考えるべきだろうか。モチベーションを高めるような仕掛けを考えるのが良いのか、そんなものがなくても動けるような仕組みにするのが良いのか。

個人的に、会社におけるマネジメントの基本は後者だと思っていた。ただ、これはいわゆるマネジャーとワーカーを峻別する考え方で、あまり日本的ではないだろう。

一方、個人のレベルでは、前者が重要な気がしている。言ってしまえばモチベーションというのは「自分自身でなんとかする」ものだ。自分に対してそれを最大限高めるような工夫は必要だが、他人に対してそれを仕掛けたり、あるいは与えて欲しいと思うのは、どこか違うような気がしなくもない。

まぁそんな話はさておき、アウトプットのための時間が不足しているのは事実で、結果として諸々に不都合が出てきている。ちょっとなんとかしなければ。

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2014年10月10日 (金)

淡々と練習を重ねるリスク

またまた台風が接近中だが、そういえば「台風の中無理に会社に行くなんてナンセンス」といった人たちは、休日の予定(旅行とか結婚式とかコンサートとか)に台風がぶつかった場合、当然無理に行くのはナンセンスとしてキャンセルとかしてるのだろうか。(もちろん開催される場合でも。)


・・・そんな話はさておき、昨日はKオケの練習。11月に本番があるといっても、元々それ程高いクオリティは目指していない(と書くと語弊がありそうだが)所もあるので、その意味ではそこそこまとまってきたように思える。不安要素は全員揃ったことがない事だが、特に出席率が高いメンバーにとっては、毎週練習するのはやや中だるみしそうな状況になってきている。

その辺りの練習計画の組み方は難しい。あるいはその先に向けた練習を組み込む方法もあるのだが、今のところそれで何を練習するのかは決まっていない。正直な話、そこまで手が(気が)回っていない。毎週練習があるというのは、気がつくと時間が過ぎてしまうような落ち着きのなさというか、逆に気分的には落ち着いてしまって思考停止に陥るような所がある。F響も気がついたら残り1ヶ月という状況になっていて、ルーチンのように淡々と練習をこなす事のリスクを感じたりする。

マーラーの5番、ちょこちょことさらって、だんだんスムーズに指が回るようにはなってきたのだが、インテンポで行ける状態かといえばまだ微妙なんだよね・・・。

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2014年10月 9日 (木)

カーボン弓とサイレントチェロ

先週のKオケの練習の後、流石に週2回(U響とKオケ)楽器を持って出勤は厳しいという事で、当面会社に楽器を置いておけるKオケに関してはサイレントチェロにさせてもらう事にした。

ただ、置きっ放しとなると、弓がない。弓自体は2本持っているのだが、これは練習により使い分けているので、手許に(というかノーマルチェロと一緒に)持っておきたい。

という訳で、以前から興味のあったカーボン弓を1本購入してみた。サイレントチェロとセットでYAMAHA・・・はちょっと高かったので、今回は別の弓を購入。昨日届いたので、早速弾いてみた。

手にした感じは木製よりもかなり硬い感じがあるのだが、弾いた感じは・・・よく分からない。そもそもサイレントチェロ自体がノーマルの木製チェロとは少し違う感覚なので、弓の違いがどの程度の違いなのかが判別しにくいのだ。
(と思っているが、ノーマルでも違いが分からない可能性もある。)

サイレントチェロはあくまで練習用として使用しているものだが、感覚としては普段のチェロよりも疲れる。推測だが、それはインプットとアウトプットのバランスが異なるからだ。

どういう事かというと、この程度力を込めればこの程度の音が出るという感覚に食い違いを感じるため、余計な力が入ってしまうのではないかという事だ。そもそもデジタルに音を出すサイレントチェロは、特に音量の感覚は普通の楽器とはかなり異なる。

以前は全く出力せずに、音が出ない状態で練習する事が多かったのだが、最近はスピーカーに繋いである程度音をモニタリングしながら練習している。そうやって音を気にするようになると、音量や音色をどうしたいかという事を無意識に考えるようになり、それが思ったように出ないストレスが、余計な力につながる・・・そんな事ではないかと想像している。

これまでは個人の練習でしか使っていなかったのだが、今回はアンサンブルの中での使用だ。これはこれでストレスがありそうな、発見がありそうな、そんな楽しみが増えたと考えている。

カーボン弓の話というより、サイレントチェロの話になってしまった。カーボン弓は正直ノーマル楽器で試してみないと分からないかもなぁ・・・。

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2014年10月 8日 (水)

リズムとは端折る事

昨日はU響の練習。シューマンは「筋力を付けていく」という表現をされていたが、最終的にテンポについていけるかどうかが課題になるような気がする。もっとも昨日の段階では遅いテンポですら満足に弾けていないが。

軽快感のある演奏にしていく上では単純な速さよりもリズム感などが大事になってくるのだが、指揮者に「リズムとは端折る事だ」と言われて、なるほどと感じたりする。個人的な解釈としては、リズムの要となる音を強調する(例えば強拍をしっかり弾く)事よりも、そうではない部分をいかに抜くかが重要という感じだろうか。これは拍子だけでなく、調性などにも言える考え方かもしれない。もちろんテンポというか、パルスは一定のままでの話だ。テンポをただ速くするのではなく、強弱(特に弱)によってリズミカルな演奏にする事で、軽快感を生み出すというのは大事な考え方だろう。

全てを弾こうとするのではなく、要となる音は何かを考えて、そうではない音を適度に抜く事が大切なのだ。そしてそうした音は、奏でる音形を鼻歌のように歌ったりすると自然に分かるものだという。それも分かるような気がする。

昨日の練習でもう一つ気になったのは、全体の騒がしさだ。演奏の、ではなく、会場が騒々しく感じられた。部屋の響きのせいなのか、練習の雰囲気の問題なのか、はたまた自分自身の体調(耳鳴りとか)なのかは判然としないのだが、とにかく何処か騒がしい。あるいは空調の音だったのかもしれないが、何となく落ち着かない気分だった。
(もっともU響の練習は、正直雰囲気として待機中もやや騒々しさがあるとは以前から感じている。私語とかコソ練がちょっと多いのだ。)

何というか、その環境音のような騒々しさは、演奏中にも感じられて、他のパートや自分の音などがマスクをかけて話している時のようなくぐもった音に聞こえていた。音程感、調性感、リズム感などが、どことなく距離があるというか、喧騒の向こう側に置かれているような感じだ。

あのフィルター越しのような演奏感の正体はよく分からない。耳が疲れて、要するに自分の体の問題で生じていたような気もするし、単に環境的に騒がしかったようにも感じる。普段意識からはカットされているが、ふと空調音の意外な騒々しさに気がつくようなものかもしれないが、昨日はかなり自覚的に騒がしく感じたのは確かだ。

音に対してそれだけ敏感になったという事であれば、それはそれで良いことだと思うのだが、少し他の練習でも気にしてみた方が良いのかもしれない。

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2014年10月 7日 (火)

ブラームスとマーラー

今日はU響の練習なのだが、そう言えば土曜日にU響の方に誘われて別のオケの練習に飛び入り的に参加して来た事を書くのを忘れていた。

オケの名は仮にGオケとしよう。いや別に仮にする必要もないのだけれど、GAME関係ではない。

2日間だけの参集で、本番は録音のみというスタイルなのだが、日曜日はF響の練習があるため、土曜のみの参加。本番に乗らないという考え方が是かはさておき、ブラームスの交響曲2番ということで、やったこともあるしまぁ良いかという感じで参加する事にした。

ただ、冷静に考えるとブラームスの2番はF響で過去2回演ったのだが、実はあまり良く弾けた記憶がない。楽しいか楽しくないかと言えば、楽しい部類に入る(明るい曲だし)のだが、演奏の出来はどうかというと(オケがではなく自分が)あまりスッキリ弾けた感覚がない曲ではある。

今回は本番もないということで、何も考えずに楽しく弾き散らかしてしまったので、周囲には迷惑を掛けたような気もするのだが、そんな評価を聞く事もなく(つまり初日練習後の飲み会も参加せず)そそくさと帰ったので、その後どうなったのかは不明。日曜日は台風接近による悪天候もあったので、その辺りも心配ではある。

さて、そんな状況はさておき、演奏について。

正直ほとんどさらう時間がなく、前週に一度楽譜をなめる程度で臨んだのだが、そこそこ覚えてはいるもので、精密とはとても言えない乱暴な演奏ではあるが、楽譜を追う事は出来ただろう。その辺りなんというか、音の進行が自分の感覚と外れないので、自覚の薄い指の動きであっても、そうそう外れる事はない(ただし勘違いかもしれず、周囲からは外しまくりと思われているかもしれない)。

またまたマーラーとの比較で恐縮だが、その辺りの感覚が、マーラーの場合は形成されていない。意識的に外されているのか、単なる慣れの問題なのか、ただ、前者だとすれば、それがあの曲の独特のテンションを形成する一役を担っているのは確かだろう。それがマーラーらしさと言えば、確かにそうかもしれない。

ブラームスにもそうしたテンションというか、奏者へのプレッシャーを形成している部分はあって、例えば2楽章などは調性や拍子の関係で意外とストレスがあるのだが、あくまで部分的にとどまっていて最後には必ず解放される。マーラーにはそれがない。

誰もいない浜辺で叫ぶ解放感と、満員電車の中で叫ばされる解放感の違いとでも言おうか。後者は、それが許されるならそれなりの解放感を感じる(いやむしろ突き抜ければ浜辺より大きな解放感かもしれない)のだろうが、それでも「周囲に押された不自然な姿勢」という抑圧状態で叫ぶ事に変わりはない。そんな抑鬱的な感覚がある。

それにしても、改めて感じるのは音楽に対する理解の不足だ。特に頭での理解が不足している。おそらく感覚では調性の変化なども掴んでいると思うのだが、それを頭の中でイメージとして事前に構築出来ない。結果として「音を出してから」そのモニタリングの結果として調性を感じていて、それはつまり聴衆とたいして変わらないという事だろう。演奏家であるというのは、事前に音をイメージした上で、実際にそれをなぞる音を出せるかで決まるのだ。

ブラームスはそれでも過去の経験と楽譜としての素直さ(マーラーに比べて、という話)などもあって、比較的事前のイメージも持ちやすいのだが、練習不足なのかマーラーにはそのイメージがほとんど形成されていない。

面倒なのは、そうしたイメージは個人練習で楽譜をなぞっているだけではほとんど形成出来ず、合奏の響きの中で獲得するか、あるいは楽譜を読み込み頭の中で構築するしかない事だ。後者ができれば苦労はしないのだが、その為の土台が自分には欠けている。前者はそもそも時間が足りないのが実情だろう。

こう書いてしまうと八方塞がりな感じだが、それでもその中で出来るだけのことをやるしかあるまい。

・・・結局マーラーの話になってしまった。

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2014年10月 6日 (月)

台風

台風である。

会社からは金曜日の段階で、自己判断で必要なら休んでも良いと指示が出ていたのだが、今回の場合直撃のタイミングが昼頃というのが微妙で、行けないこともなければ、帰れなくなることもなさそうだという事がある。

ま、基本的にはこうした場合は電車が止まらない限りは出るようにするのだが。

で、電車の遅延による混雑に揉まれながら、オフィスのある駅に着いた所で雨足が強くなり、何時ものスタバでこのブログを書きながら、どのタイミングで会社まで歩くかを思案中。なるべくなら、せめて風が弱いタイミングを狙いたい・・・が、XバンドMPレーダーなどでみても、望み薄な感じではある。

元々今日は早めに出て少し資料作成を進めたかったので、この時点で想定外に遅れていることになるのだが、まぁあとは覚悟を決めて歩くだけか・・・。

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2014年10月 3日 (金)

赤信号を渡る理由

今朝は寝坊をした。

一度目覚ましで起きた後にもう一度眠りに入ってしまったようで、30分程寝坊。家を出るのは20分程遅れることになったが、着いたのは結局いつも通りだった。

普段利用する各駅停車とは発車時間が15分程違ったのだが、特急だったので最終的には同じ電車になったという事だ。その程度の時間差はある。

で、少し前に読んだ、誰も回りにおらず車も通る気配がない赤信号を渡るか否かという話を思い出したのだが、見当たらなかった。

その人の結論は「自分は渡る」で、その主張には何となくモヤモヤした事を感じたのだが、原文に当たれないのでそのことに対する云々はさておき、自分はどう考えるかを書いておこう。

自分の結論は「渡らない」だ。

もちろん原則の話で、後ろからナイフをもった誰かが追いかけてきているとか、そんな場合はその限りではない。

個人的には、「それがルールだから」というのも一つの回答だと思っていて、そもそもこうしたルールは互いの信頼で成り立っているので、ルールを守る守らないではなく、信頼に応える無視するという次元で論じる必要があるとは思っているのだが、それはさておき、今朝の出来事から導かれる自分のスタンスは、

赤信号を無視する程余裕のない状態にはなりたくない

という感じになるだろうか。

そもそも赤信号をわざわざ「渡らなければならない」理由は何だろうか。ここで重要なのは、渡らない理由が問題なのではなく、渡る理由は何かということだ。多くの「赤信号渡って良い」理論では、渡らない理由を問う(なぜ守る必要があるのかなど)意見が多く、何故そうまでして渡る必要があるのかという事が語られる事は少ない。

渡る理由がないなら、渡らなくて良いではないか。

赤信号はある種の「立ち止まるきっかけ」である。立ち止まって辺りを見回せば、そこで何か発見があるかもしれない。

それを自分が進む上での障害物と思うから、何故立ち止まらなければならないのか、となる。

もちろん切羽詰まって立ち止まる余裕なんてないということもあるかもしれない。ならばそれを理由に渡れば良いのであって、「車の通らない赤信号は意味がない」とか「守る必要があるのか」なんて、外部に理由を求める必要はない。自分の都合だと堂々と言えば良いのに、それを言えない時に出てくるのが、「赤信号守る必要があるのか理論」だろう。

そもそも、車も人もほとんど通らないような道を、赤信号を無視する程急ぐ理由ってなんだよ。

その急ぐ理由こそが渡る理由なのであって(ないとは言わない)、赤信号が無意味なのが渡る理由ではないだろう。

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2014年10月 2日 (木)

隔日の練習と朝の時間

今日はKオケの練習。火曜にU響、木曜にKオケ、そして日曜にF響と定例化してくると、流石に多いかな〜という気になってくる。というか、週2回、平日に楽器を持って通勤するのは結構しんどい。これが火曜にKオケ、木曜にU響だったら少し話が違ってくるのだが、こればかりはどうしようもない話ではある。

ほぼ隔日で練習があり、土曜は大体個人練習という事を考えると、悪い環境ではないのだが、平日に2日も練習日があると、その合間に個人練習をするという気力はかなり薄れるため、個人練習の時間が減ってしまうという問題がある。いやいや毎日しろよという考え方もあるのだが、基本的に移動が発生するため、流石にちょっとしんどい。一方でマーラーの譜読みの状況を考えると、土曜日に少し個人練習をするだけでは追いつかない。といってU響やKオケを無視することも出来ず、その辺りはややジレンマだ。

それにマーラーだけに集中すれば良いというものでもない。

昨日書いたように、他の曲を練習する事によるフィードバックは決して見逃せない。単なる気付きで済ませるのではなく、それを多少は演奏自体にフィードバックさせるぐらいの事は出来る自負もある。何れにせよ、演奏能力向上という点においては、相乗効果はあると感じている。

それに楽器に触れる時間は長い程良いのは間違いない。譜読みの効率化はそれとはまた別の次元の話として対応しなければならないだろう。


・・・しかし、ここまで書いて思ったのだが、今日は何を書いているのだろう。新しい発見を書くでもなく、メッセージを発信するでもなく、ただ頭の中に浮かんだ事を書き出してはみたが、よく考えるとあまり生産性がない。

この朝の時間は、仕事が立て込んでいない限りはほぼ定期的に確保できる時間であり、それをどう生かすかというのは以前から良く書いているのだが、なかなか思った通りには活用できていない。そういうものなんだと言ってしまえばそれまでだが、しばらくは割り切って譜読みとかに活用するみたいな事があっても良いのかもしれない。
(しかし実際にはそうした決断をした後に限って仕事がばたついてそれどころではなくなったりしている・・・。)

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2014年10月 1日 (水)

マーラーが室内楽である事

昨日はU響の練習。グリーグの「ペール・ギュント」とシューマンの交響曲第1番で、ずいぶん久しぶりに弾いたのだが、このところマーラーばかり弾いていた身としては、そのオーケストレーションの薄さにドキドキする。自分の音がストレートに回りに響いてしまうような感覚はいかにも室内楽的なのだが、なるほどマーラーを室内楽と言われてピンとこないのは、その辺りの厚みも影響しているのだろう。

素直な感覚で言えば、シューマンは相当慎重に響きを合わせないと、それが如実に自分に跳ね返ってきて「うわぁ間違えた」となるのだが、マーラーはそうしたフィードバック自体が得られにくい。なんというか、シューマンは無音の空間で自分だけが音を出すような緊張感があるのに対して、マーラーはどこか騒々しい中で音を出しているような感覚がある。

もちろん、騒がしくしてしまっているのは自分たち自身の問題だから、それはつまりシューマンと同じような緊張感と慎重さをもってアンサンブルに臨まなければいけないのだが、結果合わない事により騒がしさが生まれてしまい、それがマイナスのスパイラルのように緊張感を失わせていってしまうのだ。言葉にするのが難しいのだが、アンサンブルの乱れがそのままストレートにフィードバックされるシューマンのような曲と対比すると、マーラーはアンサンブルの乱れが環境音のように拡散してしまい、ともすればそれがマーラーらしさのように勘違いさせてしまっているような感じだろうか。

そう、その乱れは多分勘違いなのだ。だがその勘違いが空気のように共有されてしまっているために、自覚出来ない。あるいは知覚出来ない。そんな状態にあるのではないか。大編成のオーケストラの中でばかり弾いていることの弊害かもしれない。そうではない場で磨くべき感覚というのが欠けているような気がする。

そういえば個人的に好きな演奏に、大地の歌の室内オーケストラ編曲版というのがあって(手元に詳細データがないのでそれ以上は説明出来ない)、以前やったアンサンブルOのマーラーの10番(これも室内オケ編曲版)のように、実はマーラーの「室内楽らしさ」を楽しむには実はそうした小編成向けの編曲版などをやってみると良いのかもしれない、などと思ったりする。でも5番にそんなのあるのかしらん(なさそう)。

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