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2014年10月 7日 (火)

ブラームスとマーラー

今日はU響の練習なのだが、そう言えば土曜日にU響の方に誘われて別のオケの練習に飛び入り的に参加して来た事を書くのを忘れていた。

オケの名は仮にGオケとしよう。いや別に仮にする必要もないのだけれど、GAME関係ではない。

2日間だけの参集で、本番は録音のみというスタイルなのだが、日曜日はF響の練習があるため、土曜のみの参加。本番に乗らないという考え方が是かはさておき、ブラームスの交響曲2番ということで、やったこともあるしまぁ良いかという感じで参加する事にした。

ただ、冷静に考えるとブラームスの2番はF響で過去2回演ったのだが、実はあまり良く弾けた記憶がない。楽しいか楽しくないかと言えば、楽しい部類に入る(明るい曲だし)のだが、演奏の出来はどうかというと(オケがではなく自分が)あまりスッキリ弾けた感覚がない曲ではある。

今回は本番もないということで、何も考えずに楽しく弾き散らかしてしまったので、周囲には迷惑を掛けたような気もするのだが、そんな評価を聞く事もなく(つまり初日練習後の飲み会も参加せず)そそくさと帰ったので、その後どうなったのかは不明。日曜日は台風接近による悪天候もあったので、その辺りも心配ではある。

さて、そんな状況はさておき、演奏について。

正直ほとんどさらう時間がなく、前週に一度楽譜をなめる程度で臨んだのだが、そこそこ覚えてはいるもので、精密とはとても言えない乱暴な演奏ではあるが、楽譜を追う事は出来ただろう。その辺りなんというか、音の進行が自分の感覚と外れないので、自覚の薄い指の動きであっても、そうそう外れる事はない(ただし勘違いかもしれず、周囲からは外しまくりと思われているかもしれない)。

またまたマーラーとの比較で恐縮だが、その辺りの感覚が、マーラーの場合は形成されていない。意識的に外されているのか、単なる慣れの問題なのか、ただ、前者だとすれば、それがあの曲の独特のテンションを形成する一役を担っているのは確かだろう。それがマーラーらしさと言えば、確かにそうかもしれない。

ブラームスにもそうしたテンションというか、奏者へのプレッシャーを形成している部分はあって、例えば2楽章などは調性や拍子の関係で意外とストレスがあるのだが、あくまで部分的にとどまっていて最後には必ず解放される。マーラーにはそれがない。

誰もいない浜辺で叫ぶ解放感と、満員電車の中で叫ばされる解放感の違いとでも言おうか。後者は、それが許されるならそれなりの解放感を感じる(いやむしろ突き抜ければ浜辺より大きな解放感かもしれない)のだろうが、それでも「周囲に押された不自然な姿勢」という抑圧状態で叫ぶ事に変わりはない。そんな抑鬱的な感覚がある。

それにしても、改めて感じるのは音楽に対する理解の不足だ。特に頭での理解が不足している。おそらく感覚では調性の変化なども掴んでいると思うのだが、それを頭の中でイメージとして事前に構築出来ない。結果として「音を出してから」そのモニタリングの結果として調性を感じていて、それはつまり聴衆とたいして変わらないという事だろう。演奏家であるというのは、事前に音をイメージした上で、実際にそれをなぞる音を出せるかで決まるのだ。

ブラームスはそれでも過去の経験と楽譜としての素直さ(マーラーに比べて、という話)などもあって、比較的事前のイメージも持ちやすいのだが、練習不足なのかマーラーにはそのイメージがほとんど形成されていない。

面倒なのは、そうしたイメージは個人練習で楽譜をなぞっているだけではほとんど形成出来ず、合奏の響きの中で獲得するか、あるいは楽譜を読み込み頭の中で構築するしかない事だ。後者ができれば苦労はしないのだが、その為の土台が自分には欠けている。前者はそもそも時間が足りないのが実情だろう。

こう書いてしまうと八方塞がりな感じだが、それでもその中で出来るだけのことをやるしかあるまい。

・・・結局マーラーの話になってしまった。

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