« ブラームスとマーラー | トップページ | カーボン弓とサイレントチェロ »

2014年10月 8日 (水)

リズムとは端折る事

昨日はU響の練習。シューマンは「筋力を付けていく」という表現をされていたが、最終的にテンポについていけるかどうかが課題になるような気がする。もっとも昨日の段階では遅いテンポですら満足に弾けていないが。

軽快感のある演奏にしていく上では単純な速さよりもリズム感などが大事になってくるのだが、指揮者に「リズムとは端折る事だ」と言われて、なるほどと感じたりする。個人的な解釈としては、リズムの要となる音を強調する(例えば強拍をしっかり弾く)事よりも、そうではない部分をいかに抜くかが重要という感じだろうか。これは拍子だけでなく、調性などにも言える考え方かもしれない。もちろんテンポというか、パルスは一定のままでの話だ。テンポをただ速くするのではなく、強弱(特に弱)によってリズミカルな演奏にする事で、軽快感を生み出すというのは大事な考え方だろう。

全てを弾こうとするのではなく、要となる音は何かを考えて、そうではない音を適度に抜く事が大切なのだ。そしてそうした音は、奏でる音形を鼻歌のように歌ったりすると自然に分かるものだという。それも分かるような気がする。

昨日の練習でもう一つ気になったのは、全体の騒がしさだ。演奏の、ではなく、会場が騒々しく感じられた。部屋の響きのせいなのか、練習の雰囲気の問題なのか、はたまた自分自身の体調(耳鳴りとか)なのかは判然としないのだが、とにかく何処か騒がしい。あるいは空調の音だったのかもしれないが、何となく落ち着かない気分だった。
(もっともU響の練習は、正直雰囲気として待機中もやや騒々しさがあるとは以前から感じている。私語とかコソ練がちょっと多いのだ。)

何というか、その環境音のような騒々しさは、演奏中にも感じられて、他のパートや自分の音などがマスクをかけて話している時のようなくぐもった音に聞こえていた。音程感、調性感、リズム感などが、どことなく距離があるというか、喧騒の向こう側に置かれているような感じだ。

あのフィルター越しのような演奏感の正体はよく分からない。耳が疲れて、要するに自分の体の問題で生じていたような気もするし、単に環境的に騒がしかったようにも感じる。普段意識からはカットされているが、ふと空調音の意外な騒々しさに気がつくようなものかもしれないが、昨日はかなり自覚的に騒がしく感じたのは確かだ。

音に対してそれだけ敏感になったという事であれば、それはそれで良いことだと思うのだが、少し他の練習でも気にしてみた方が良いのかもしれない。

|

« ブラームスとマーラー | トップページ | カーボン弓とサイレントチェロ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/22760/60442315

この記事へのトラックバック一覧です: リズムとは端折る事:

« ブラームスとマーラー | トップページ | カーボン弓とサイレントチェロ »