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2014年10月 3日 (金)

赤信号を渡る理由

今朝は寝坊をした。

一度目覚ましで起きた後にもう一度眠りに入ってしまったようで、30分程寝坊。家を出るのは20分程遅れることになったが、着いたのは結局いつも通りだった。

普段利用する各駅停車とは発車時間が15分程違ったのだが、特急だったので最終的には同じ電車になったという事だ。その程度の時間差はある。

で、少し前に読んだ、誰も回りにおらず車も通る気配がない赤信号を渡るか否かという話を思い出したのだが、見当たらなかった。

その人の結論は「自分は渡る」で、その主張には何となくモヤモヤした事を感じたのだが、原文に当たれないのでそのことに対する云々はさておき、自分はどう考えるかを書いておこう。

自分の結論は「渡らない」だ。

もちろん原則の話で、後ろからナイフをもった誰かが追いかけてきているとか、そんな場合はその限りではない。

個人的には、「それがルールだから」というのも一つの回答だと思っていて、そもそもこうしたルールは互いの信頼で成り立っているので、ルールを守る守らないではなく、信頼に応える無視するという次元で論じる必要があるとは思っているのだが、それはさておき、今朝の出来事から導かれる自分のスタンスは、

赤信号を無視する程余裕のない状態にはなりたくない

という感じになるだろうか。

そもそも赤信号をわざわざ「渡らなければならない」理由は何だろうか。ここで重要なのは、渡らない理由が問題なのではなく、渡る理由は何かということだ。多くの「赤信号渡って良い」理論では、渡らない理由を問う(なぜ守る必要があるのかなど)意見が多く、何故そうまでして渡る必要があるのかという事が語られる事は少ない。

渡る理由がないなら、渡らなくて良いではないか。

赤信号はある種の「立ち止まるきっかけ」である。立ち止まって辺りを見回せば、そこで何か発見があるかもしれない。

それを自分が進む上での障害物と思うから、何故立ち止まらなければならないのか、となる。

もちろん切羽詰まって立ち止まる余裕なんてないということもあるかもしれない。ならばそれを理由に渡れば良いのであって、「車の通らない赤信号は意味がない」とか「守る必要があるのか」なんて、外部に理由を求める必要はない。自分の都合だと堂々と言えば良いのに、それを言えない時に出てくるのが、「赤信号守る必要があるのか理論」だろう。

そもそも、車も人もほとんど通らないような道を、赤信号を無視する程急ぐ理由ってなんだよ。

その急ぐ理由こそが渡る理由なのであって(ないとは言わない)、赤信号が無意味なのが渡る理由ではないだろう。

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