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2014年10月 1日 (水)

マーラーが室内楽である事

昨日はU響の練習。グリーグの「ペール・ギュント」とシューマンの交響曲第1番で、ずいぶん久しぶりに弾いたのだが、このところマーラーばかり弾いていた身としては、そのオーケストレーションの薄さにドキドキする。自分の音がストレートに回りに響いてしまうような感覚はいかにも室内楽的なのだが、なるほどマーラーを室内楽と言われてピンとこないのは、その辺りの厚みも影響しているのだろう。

素直な感覚で言えば、シューマンは相当慎重に響きを合わせないと、それが如実に自分に跳ね返ってきて「うわぁ間違えた」となるのだが、マーラーはそうしたフィードバック自体が得られにくい。なんというか、シューマンは無音の空間で自分だけが音を出すような緊張感があるのに対して、マーラーはどこか騒々しい中で音を出しているような感覚がある。

もちろん、騒がしくしてしまっているのは自分たち自身の問題だから、それはつまりシューマンと同じような緊張感と慎重さをもってアンサンブルに臨まなければいけないのだが、結果合わない事により騒がしさが生まれてしまい、それがマイナスのスパイラルのように緊張感を失わせていってしまうのだ。言葉にするのが難しいのだが、アンサンブルの乱れがそのままストレートにフィードバックされるシューマンのような曲と対比すると、マーラーはアンサンブルの乱れが環境音のように拡散してしまい、ともすればそれがマーラーらしさのように勘違いさせてしまっているような感じだろうか。

そう、その乱れは多分勘違いなのだ。だがその勘違いが空気のように共有されてしまっているために、自覚出来ない。あるいは知覚出来ない。そんな状態にあるのではないか。大編成のオーケストラの中でばかり弾いていることの弊害かもしれない。そうではない場で磨くべき感覚というのが欠けているような気がする。

そういえば個人的に好きな演奏に、大地の歌の室内オーケストラ編曲版というのがあって(手元に詳細データがないのでそれ以上は説明出来ない)、以前やったアンサンブルOのマーラーの10番(これも室内オケ編曲版)のように、実はマーラーの「室内楽らしさ」を楽しむには実はそうした小編成向けの編曲版などをやってみると良いのかもしれない、などと思ったりする。でも5番にそんなのあるのかしらん(なさそう)。

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