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2015年1月30日 (金)

惰性感

気が付いたら1月が終わろうとしている。

チラッと今月のエントリーを見直してみたが、どうにもまとまりがない。全体に苦し紛れというか、今日のエントリーもそうだが、無理矢理書いているような印象がある。内から迸るものが・・・とまでは言わないが、書かずにはいられない的ではなく、明らかに書かなければ的に書いている。

では休んでしまえとも思うが、それも何となくできていない。経験上、そういった形で休めばまず再開できなくなるからだ。いやまぁ、一時休止ではなく完全休止のつもりならそれでも良い訳ではあるが。

そういった惰性というか、あまり明確な意思なく続けてしまっているという事は決して少なくない。そのように感じた時に、止めてしまう覚悟がない。現実問題として、それを止めてでは代わりに何をやるのか、という事もある。そういったものなしに止めてしまっては、何もしない人生になってしまう。それはそれで(なんとなく)嫌だったりするのだ。

何かを止めるのは、それが嫌だったり無駄だからといった理由ではなく、他にやりたい事があるからという理由の方が良い。理由というよりも、動機だ。止めるのは理屈でも始めるのは動機である。それがないままにそれまでやってきた事を止めても、そこからは何も生まれない。


少し前にこんな事をtweetしている。

今日のスキーは平穏無事に終了し、帰りの渋滞も全く無かった訳だが、昨日を思い出して今オケを辞めたらどうなるだろうとか考えてしまった。もちろんオケがではなく自分がどうなるのかという話。
送信 1月12日 18:28 From Hootsuite

そもそも日曜午前中の予定がないなんてコトは想像だにしない生活を15年以上続けている訳で、そうなった場合の休日の過ごし方というのが全く想定できない。
送信 1月12日 18:33 From Hootsuite

一方で与えられたものではなく求めたものである以上、そこから何が得られるのか、何を得ようとしているのかは、本当はもう少し真剣に考えるべきなんだな。
送信 1月12日 18:35 From Hootsuite

少なくとも惰性ではダメなのだよ。

・・・惰性だけど。
送信 1月12日 18:36 From Hootsuite

オケの活動に惰性感を感じるというのは、自分にとっては由々しき事態ではある。が、そうした呟きが出る程にそうした感覚が強くなっているのも確かなのだ。といって、楽しくない訳ではないというのが悩ましい。

暇だからそんな事を考えてしまうのだという事もあるかもしれないが。

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2015年1月29日 (木)

ドミナントとダダリオ

U響の本番が近づいてきた。

だからという訳でもないが、念のため弦を購入しておく。今回はダダリオ。ドミナントは音色や弾き味(というのか?)は悪くないのだが、先日巻線が切れた事でやや弱い印象があるのと、ピチカートの響きがどうしてもコントロールできないからだ。

切れるのは予備を買っておけば良いことなのだが(それも考えた)、ピチカートに関しては何ともし難い側面がある。一言で言ってしまえば「響きすぎる」のだ。ピアノでペダルを踏んだ時のように、やたらと響きが持続する。普通は減衰するので、響きを残すためにはどうしたらよいかを工夫するものなのだが、ドミナントの場合は響きを残さないための工夫が必要になってくる。

何故そこまで響くのか、メカニズムは不明なのだが、「硬めで締まった打楽器のようなピチカート」などを要求されてしまうと、ほとんどお手上げになってしまう。

一方、柔らかめで良く響かせたい時には最適かもしれない。もっとも、響きが残る分音程はシビアで、発音してしまってから後悔することも少なくない。

そういった意味では、以前知り合いに弾かせてもらったガット弦の感触に近い気がする。響きの良いホールで、バロックなどを演奏する場合には気持ち良さそうだが、大編成のオケの中で弾くには、それなりに覚悟が必要かもしれない。

個人的な感覚では、ダダリオも印象は近いのだが、ドミナント程ではないので、ぐっと弾きやすくなる感じがする。曲目によって張り替えるといった事をしないのであれば、比較的オールマイティな印象で、価格もそれほど高くない(聞いた話では、ダダリオはギター弦からスタートしているので、価格設定の考え方がそちらに近いのだそうだ)ので、張り替えの頻度を上げても良いだろう。

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2015年1月28日 (水)

紙情報のスキャン

月曜日に久しぶりに平河町ライブラリーに行った。

年末年始の片付けの中で出てきたカードの明細やらコンサートのパンフレットやらを片っ端からスキャンして捨てる。会社でももらった書類の多くはスキャンして捨てている訳だが、時々これがどのように役立つだろうかと思う事もある。

特に個人のものは、ある種気休めのような記録だ。多分捨てても問題ないのだが、捨てきれないものを吹っ切るために、とりあえずスキャンする。多くの場合はそれっきりで見ないのだが、とりあえずは残してあるという安心感がある。

もっとも、過去全く役に立たなかったかというとそういう訳でもない。まぁ無くてもなんとかなったとは思うのだが、あって多少は役に立ったというのも事実だ。

そうしてスキャンした情報の多くはevernoteに保管しておくのだが、保管されている情報自体は雑多であまり整理がされていない。検索が可能なので、整理がされていない事自体はあまり困る事はないが、保管してある記録自体が欠けていたりするので、実は完全に活用するには不完全だったりもする。

まぁ正直な話、再活用を意図した保管というよりは、捨ててしまう恐怖から逃れるための保管という事は言えるだろう。それでも紙でそのまま取っておくよりはずっと良い訳で、少なくとも気持ち的には結構スッキリする。

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2015年1月27日 (火)

物語の愉しみ

amazonで、角川書店のフェアをやっていたせいで、勢いに任せて何冊か購入してしまい、久しぶりに小説にはまっている。元々本を読むのは嫌いではない。表現や描写の美しさのようなものにはあまり興味がなく、物語を読むのが好きなだなので、普段はその辺りが楽なコミックに流れてしまうのだが、改めて読み始めると、小説の形で物語を読む楽しさというのは、想像する楽しさなのだと感じたりする。

次にどういった場面や局面が来るのかを想像する。どんなどんでん返しがあるのかと期待する。そうした思考が働くのは、活字を読む速度がどうあっても頭の働きには追いつかないからだ。そこに想像が生まれる。こうなるのではないかとドキドキしながらも、一字一字読んでいかなければそこにたどり着かない、もどかしさと紙一重の愉しさ。

そのように考えると、自分にとってコミックにおける物語は刹那的な消費に近い。読む速度が想像を凌駕してしまうからだ。テレビと同じで、次の展開を物語の都合ではなく自分の都合で待たされることがない。目の前の情報を処理し、咀嚼し、次の展開を想像する前に、それらが提示される。それはそれで心地良いのだが、小説という形で提供される物語とは少し趣きが異なってくる。

物語の前半、断片的な情報の中から筋と伏線を拾い集める段階では、小説のようなスタイルが向いている。丁寧な描写は読む速度の足枷となり、それが逆に想像の幅を広げるからだ。コミックが持つテンポ感は、そうした想像の余地を少なくさせる効果がある。

一方、物語の後半、クライマックスに向けて畳み掛ける段階では、コミックのような映像の方が向いている。小説の場合、場面を丁寧に描写するほど読み進む速度が遅くなってしまい、ある程度見えてきた結末への展開の足枷となるからだ。それを逆手にとるようなよほどの仕掛けがない限り、そこで読者にカタルシスをもたらすのは容易ではない。

そんな事を考えながら、昨日は「ファントム・ピークス」を読んでいた。ネタバレは避けるが、この物語を映像化やコミカライズする場合、前半のドキドキ感を生み出すのは難しい代わりに、後半の迫力は格段に上がるだろうな、と。

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2015年1月26日 (月)

練習参加へのスタンス

昨日はF響の練習とU響の練習のダブルヘッダー。U響の本番が近いため、土日の集中練習が入ったためだ。

このU響の集中練習というシステムは、普段平日練習でどうしてもメンバーが揃いにくい中で、まとまった時間を確保して練習をすると同時に、エキストラが参加しやすくするための工夫だろう。F響では直前に1日練習というシステムがあるが、曜日は同じだから普段の練習とそれほど異なる訳ではない。

自分の場合、昨日は練習がかぶっていたため、基本的にはF響を優先し、その後U響に通うという形になる。本番が近いのだから、本来はU響を優先するべきかもしれないし、U響の側でもそれを求めても良いはずなのだが、そういったプレッシャーはかからない。弦楽器で、F響ではトップという事を差し引いても、大体においてU響はその辺りは寛容である。

いや、F響がそうではないと言うべきか。

団としての性格の違いは様々あるだろうから、その事にとやかく言うつもりはないのだが、他人事のように言うならその違いは興味深い。もちろん基本的には参加したくて入団している訳だし、練習その他への出席というのは当然という前提はあるのだが、自分がそう思うのと、他人にそれを求めるのとでは少しニュアンスが違っていて、その部分に双方の違いが垣間見えている感じがする。

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2015年1月23日 (金)

デバイスが生活を変えるわけではない

スマートフォンにしてもタブレットにしても、それなりに所持はしているのだが、あまり有効活用できている気がしない・・・という気分に時々取り憑かれる事がある

自分の使い方というのはかなり限定的で、iPhoneからXperiaに乗り換える時にそれほど混乱がなかったのもそうした事情による(と思っている)。使用するアプリやサービスはそれほど多くなく、その大半はクラウドなのでデータの移行といった話も発生しない。そもそも大抵のサービスを使い始める基準が、PC(Mac)を含めたマルチデバイスで使用可能かどうかだったりする。

実際、日常使いとしてはそれでほぼ事足りるのだが、それなりに高価なデバイスなので、気持ち的には物足りなさも感じる。もっと色々活用できるのではないかという気分になるのだ(あくまでも気分の話だが)。

で、そのためにノウハウ本を買ってみたりもするのだが、すぐに飽きる。飽きるというのは気分が失われるという意味ではなく、期待外れで萎えるという意味だ。結局はアプリを入れてこれができるみたいな話で、まぁ機能として便利になるのは分かるのだが、それが何だと考えてしまうのだ。

その便利さが、自分の生活を変えるようなインパクトには感じられないからだ。

しかしまぁ、そもそも手のひらに乗るようなデバイスに、自分のライフスタイルを変えるようなインパクトを求めるのが間違っているのかもしれない。結局変えるのは自分であり、そこに意思があって初めてデバイスが助けになる訳で、その逆というのはそうそうないのだ。

ちなみにGoogleカレンダーだけは、確かに自分の生活を変えたと思わなくもない。

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2015年1月22日 (木)

怒りや嫉妬をマネジメントする

最近再び聞き始めたPodcastの中で、怒りや嫉妬をマネジメントするというテーマがあって、その方法論が基本的にはどちらも「抑える」方向であるのがふと気になった。

もちろん、一般的な話としては怒りや嫉妬は抑えた方が良くて、それは本人だけでなく周囲にとっても良い事なのだが、もう一歩踏み込んで、上手に怒る、上手に嫉妬するという方法論はないのだろうか。
話の中では、ポジティブに転化した話(怒りをバネに努力して成功するといった話)も出ていたのだが、それは抑えたエネルギーを別に使ったという話で「上手に(相手に意図を伝える上で)怒る」という話ではない。

とはいえ、教育論の中には、「怒るのではなく、叱る」といった事もよく言われるので、怒るというのは結局外に発散される限りはネガティブな現象という事なのであろう。それを抑えるのは、ぶつけられる被害者となる相手の為ではあるのだが、相手の自分に対する感情にも影響するので、結局は自分の為でもある。(血圧が上がるとか、そういった話はまた別。)

ただ、怒るも叱るも相手にとっては同じだったりする事もあるわけで、自分の中の「意識として」使い分けても仕方がない。「上手な怒り方=叱り方」と考えるのであれば、方法論として怒り方のマネジメントというのがあっても良いような気がする。

一方、怒りが主に外に向けられるものなら、嫉妬は主に内に向けられるものなので(嫉妬から相手への嫌がらせとかをするのは話が別だが)、こちらはよりポジティブな方向への昇華の仕方が知りたい所だが、内容としてはやはり抑える方向だった。

何故そのよう事を考えてしまったかといえば、何となく自分の感情が枯れているような気がしてきていて(周囲からはそのように見られていないかもしれないが)、もう少し怒りや嫉妬もした方が良いのではないかと感じてしまったからだ。

もちろんそれはネガティブに発散したり籠ったりするものではなく、あくまでも行動のエネルギーとしてという事なのだが、嫉妬を抑えるために心のシャッターを降ろすなんて話は、嫉妬なんてものを感じる前から降ろしっぱなしだしなぁとか思ってしまったりして、何やら別の意味の課題を感じてしまったりしたのだった。

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2015年1月21日 (水)

気がつくと今月のスキーが終わっていた件

ふと気がつくと、すでに今月はスキーに行けなくなっており、来月も月初は行けないのである。それで良いのか?本当に良いのか?
送信 1月21日 0:10 From Hootsuite

いや、あまりよろしくない。少なくとも気持ち的には。しかし、練習の計画以上に、スキーの計画は立てづらい。年間10日以上を最低ラインとしていた頃が懐かしい。

しかし、昔に比べて行けなくなった理由がはっきりしない。
仕事だろうか・・・いや確かに今回そういった事も発生しているが、そうそうあるものではない。
オケだろうか・・・これは多少あるかもしれない。本番が土曜日に入ったり、練習が組まれたり。

ただまぁ、やはり気持ちが萎えているという部分も多少あるのかもしれない。行けば楽しいのは確かだが、行くのは億劫でもある。日帰りを基本としていると、前もって計画を立てるという事も少ないので、他の予定を入れてしまいやすい。そもそもスキーの方が優先されるという事はあまりなく、後回しになりやすい。

そう思って、とりあえず行けそうな日に予定として入れてみた。やや強引なものも含めれば、なんとか年間10日を確保できる感じ。

休みを取っていくという方法もない訳ではないんだがな。

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2015年1月19日 (月)

新世界の難しさ

昨日はF響の練習でマエストロとの初合わせ。毎回思う事だが、指揮者によって音が変わるというのは不思議な現象である。

ただし、はっきり言われた。「粗い」と。

正直、自分自身に関して言えば自覚している。弓の毛の切れ方といい、力を込めすぎである。テンションが無駄に上がって、音のコントロールができていない。そもそも丁寧に譜読みをする事なく、過去の経験で適当に弾いている時点で、演奏が粗くなるのは必然だろう。

ドヴォルザークの新世界は、過去2回経験がある。これは譜読みの大半を省略できるという点ではメリットだが、それに油断してしまうというデメリットがある。いや、油断という気分的な問題ではなく、過去作られてしまった弾きグセを修正できないという問題かもしれない。

一度染みついてしまった弾きグセは、実は簡単には払拭できない。ベースとなる基礎力の部分をすっ飛ばして、無理やり曲をさらう中で積み重ねてしまった癖だからだ。なまじある程度覚えてしまう程度には弾き込んでしまっているからこそ、そうなってしまうとも言える。
(だからと言って、そうしなければ弾けるようにはならないのだから、そうしない訳にはいかないのだが。)

そもそも、新世界は自分の中ではワースト幾つかに入る難しい曲にあたる。過去2回を振り返った時に、上手く演奏できたという印象がないからだ。魅力的な旋律とは裏腹に、アンサンブルがやたらと難しい印象がある。何というか「曲にならない」難しさで、弾けてしまえばいなんとか曲になるような曲とはどこか違っているという感覚がある。

例えば第2楽章で指摘されたような、フレーズを長く捉え、さらに次のフレーズへ繋いでいくような演奏というのを、気持ちはともかく技術としてどうすれば良いのかというのは、正直見当がついていない。

演奏が粗いという指摘も、言っていることは何となく分かるのだが、それをどう修正すれば良いのかは結構曖昧である。弾けない曲を弾けるようにするのではなく、すでにある程度弾ける曲を、指の体操ではなく音楽にしていくプロセスを自分は持っていないのだ。

おそらくその辺りを解消しなければ、今回も不完全燃焼のような気分で終わってしまうだろう。合奏自体は楽しいし、本番も楽しいだろうとは思うのだが、どこか物足りず不満が残るような演奏になるのは想像に難くない。

そのためには何をすれば良いだろうか。

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2015年1月16日 (金)

本を読む

このところ本にしてもコミックにしても買うのはAmazonでばかりなのだが、一昨日都内へ出た際にふと思いついて本屋に寄ってみた。目的の本がある場合はAmazonの方が早いのだが、偶然の出会いというか、そういったものは本屋の方が良い。

ただ、物理的に紙の本が増えるのは極力避けたいので、本屋には申し訳ないのだが、タイトルだけチェックして後からKindleストアで探してみる。結果、タイトルをメモした4冊中、3冊がヒット。すぐには読めないので、とりあえずほしい物リストに登録した。

Kindleの場合、積ん読によるプレッシャー効果が薄い。ライブラリの整理機能もそれほど便利ではないので、買ったまま意識の外に置かれてしまっている本も少なくない。紙の本だと一期一会的な要素もあって、その場で買わないと二度と巡り会えない気分になったりするのだが、電子書籍はストアに取り置きしておけるような感覚があるので、ほしい物リストが結構膨れ上がっている。

正直に言えば、本はなかなか読めていない。

電車の中で読めば良いのだが、ついついSNSのチェックを優先してしまうのと、一方でなるべく目に負担をかけないよう、なるべくスマホを見ないようにもしているので、読むための時間を確保できていないのだ。持ち歩きが容易な電子書籍の利点をあまり活かせていない。

短時間で効率的に読むとか、大量に読むといった事にはこだわっていないので、ゆっくり読めれば良いと考えてはいるのだが、逆にちょっと丁寧すぎるので、もっと読み散らしても良いのかなという気もする。ビジネス書などだと、気になるフレーズをいちいちメモしたりしているので、本当はもっとざっと読んで大まかに掴むような読み方を考えた方が良いのかもしれない。

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2015年1月15日 (木)

今朝やるべき事

昨日は外出先から平河町ライブラリーへ行く予定だったのだが、飲み会になってしまい、行く事が出来なかった。

飲み会自体は楽しかったので、それはそれで良いのだが、その時間にやろうとしていたことが出来なかったので、今朝はそれを考える事にする。

・・・いや、非公開で。

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2015年1月14日 (水)

弦の巻線が切れる

昨日はU響の練習・・・だったのだが、その前にF響の練習を振り返っておこう。年末年始で2週間空くというのは珍しいのだが、それはさておき、練習中に弦が切れるアクシデントに遭遇した。

厳密には、巻線だけが切れるという初めてのアクシデントで、弦そのもののテンションは変わらないのに、突然音が出なくなった。直後に気づかなかったのは、恥ずかしながらアンサンブルに溶け込んで聞こえなくなっていると勘違いしたからだが、良く聞いてみるとそもそも音が出ていなかった。

普通は芯線が切れるので、弦のテンションがなくなり、押さえる左手の感触で切れた事が分かるのだが、そうではなかったので、しばらく気がつかずに弾き続けてしまったのだ。その程度には周囲の音が大きかったセクションだった事もある。

切れたのはA線で、練習していたのはドヴォルザークの新世界。抜け出して弦を変えても良かったのだが、ザッツも出さなければならないので、休憩まではと弾き続けた。音が出ていなくても、それほど影響はしないのだが、第2楽章のソロで無理矢理D線で弾こうとして対応しきれなくなった。もっとも、改めて音を出してみると、音程をしっかり取れるのであれば、D線の方が響きが良いかもしれないと感じたのは、発見かもしれない。

さておき、今回は買った記憶もないのに手許にあったトマスティークのベルカントゴールドにA線だけ張り替える事になった。何故かA線とD線だけ所持していて、そんな買い方をするはずない(基本的に4弦をまとめて買う)のだが、何故手許にあったのか、正直謎の弦ではある。

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2015年1月13日 (火)

1月12日スキー@富士見パノラマ

成人の日といえば、2年前に大雪で帰れなくなるというひどい目にあった日なのだが、懲りもせずに同じスキー場に行ってきたので、そのまとめなど。

一本目。緩斜面でロングターン。初回なので身体の調子と雪面の感じを確かめる。今日は天気も良いし、さい先良い感じ。
送信 1月12日 8:17 From Hootsuite

2本目。そこそこ高速のプルークターン。ずらす感触を確かめるが、やや板の前後がぶれる。しっかり乗りきれていない感じ。
送信 1月12日 8:24 From Hootsuite

3本目。パラレルのミドルターン。ロングターンほど身体を横に向けず、常に姿勢を下に向けたまま滑る。内足が時々暴れるのはしっかり雪に噛ませてないからであろう。
送信 1月12日 8:29 From Hootsuite

4本目。もう一度ミドルターン。外足が内倒気味な感じがする。ずれるのを受け入れてしまえば良いのたが、ずらさないように必要以上にエッジを立ててしまっている。
送信 1月12日 8:35 From Hootsuite

5本目。ミドルターンでずらしを意識してみる。パラレルでのプルークターンのイメージだが、姿勢が不安定で足が閉じてしまう。以前インストラクターに、スキーの性能が上がって簡単にカービングができるようになったかわりにずらすターンができない人が増えていると言われたのを思い出した。
送信 1月12日 8:43 From Hootsuite

6本目。録画。開脚でのずらすミドルターン。プルークターンと違ってターンのきっかけが掴みづらい。考えてみたら昔はそのきっかけをつかむ動作を色々練習した訳だよ。
送信 1月12日 8:49 From Hootsuite

7本目。ミドルターンでテールのずらしを意識してみる。シュテムターンの基本動作なのだが、できなくなってる。結局全身を使わなくとも膝をちょっと倒すだけで曲がれるようになったので、そうでない技術が使えなくなっているんだな。
送信 1月12日 8:55 From Hootsuite

8本目。トップを落とすターンをしてみるつもりが単にエッジを立てただけのターンになってしまった。本当にその辺りの技術ができなくなってるが、まぁ必要なくなったともいうのかも知れない。
送信 1月12日 9:01 From Hootsuite

9本目。トップを落とす方はあきらめてテールをずらすミドルターン。イメージとしては前半ずらしてターンインをして、後半はずらさずにスキーを前へ押し出して加速していくターンをしたい。
送信 1月12日 9:07 From Hootsuite

10本目。ロングターン。ターンインでずらし、ターンアウトを切っていきたいのだが、どうしても後半でずれる。それだと加速ができないんだよ。
送信 1月12日 9:14 From Hootsuite

11本目。録画。斜面を中斜面に変更。ずらすターンとスピードコントロールを意識するが、スピードもターン弧も一定に保つことができない。
送信 1月12日 9:25 From Hootsuite

そしてゴンドラで上へ上がる。
送信 1月12日 9:26 From Hootsuite

12本目。録画。3kmのダウンヒルだが、初回なのであまり考えずにとりあえずノンストップで滑る。というか、あまり考える余裕がない。おまけに下と違って雪面が荒い。
送信 1月12日 9:46 From Hootsuite

13本目。ゴンドラを利用してのロングクルーズはそれ自体は楽しいのだが、何も考えずにtuttiを楽しむのと同じであまり技術的に注意できる箇所がない。とりあえずショートターンを織り混ぜてみたがただそれだけという感じ。
送信 1月12日 10:07 From Hootsuite

14本目。いつもノンストップで下まで降りているので、今回は途中止まりながら写真を撮ってみた。この後休憩して集中投下する。
送信 1月12日 10:33 From Hootsuite

こうして休憩しながら滑るというのは数年前の滑走スタイルからは考えられなかったな。歳だな・・・。
送信 1月12日 10:51 From Hootsuite

15本目。下に降りたらまたしばらく緩斜面を滑るつもりが、気がついたらゴンドラに乗っていた。
送信 1月12日 11:51 From Hootsuite

16本目。ロングクルーズ。大分滑りが荒れてきた感じなのでここからは緩斜面で丁寧に滑ることにする。
送信 1月12日 12:09 From Hootsuite

17本目。ショートターン。緩斜面なのでほとんど回さないのだが、時々エッジが引っ掛かる。
送信 1月12日 12:17 From Hootsuite

18本目。カービングのショートターン。上半身はほとんど動かさず下半身だけ回していくのたが、何度か切り返しが間に合わず、外エッジが引っ掛かる。
送信 1月12日 12:26 From Hootsuite

19本目。カービングのショートターン。姿勢を高い位置に保ちたいのだがついつい沈みこんでしまう。力を入れれば大きい音が出るわけではないように、姿勢を低くすれば強く踏めている訳ではないのだが、脚の筋肉の緊張が高まれば踏めていると錯覚してしまうのだな。
送信 1月12日 12:34 From Hootsuite

20本目。カービングのショートターン。姿勢を高く保とうとすると、脚を伸ばす事になるので、足元の緊張が失われてふわふわした感覚になる。体重を乗せている感覚がない。これって腕の重みで音を出す弦楽器のボウイングの感覚に似てるのかも。
送信 1月12日 12:40 From Hootsuite

21本目。ショートターン。コース上に人がそこそこ出ているので、ロングターンの軌道を確保できない。しばらくはショートターンが続く。そしてHootsuiteからのFacebookへの連続投稿が限界に達したようなので、以降はTwitterのみの投稿。
送信 1月12日 12:46 From Hootsuite

22本目。録画。ショートターン。カメラがまっすぐ下を向いて、左右にぶれなければ成功であるが、多分映像としてはまったく面白くないであろう。
送信 1月12日 12:52 From Hootsuite

23本目。たまたま前を滑り出したインストラクター(生徒なし)の後をトレースしようと思ったが無理であった・・・。
送信 1月12日 13:02 From Hootsuite

24本目。ある程度加速してからでないとターンが安定しないのは、きちんと乗れていないからであろう。そして通行止めは解除された模様。そろそろかな。
送信 1月12日 13:09 From Hootsuite

25本目。すっかり失念していたが、姿勢を高く保つというのは、脚を伸ばすのではなく腰を伸ばす事だった。足首と膝を曲げて腰を伸ばして上体を起こす。膝と腰を曲げて上体を倒してしまうと、力が逃げていく。
送信 1月12日 13:16 From Hootsuite

26本目。少し力を伝えられているような感じが出てきた。ようは膝を前に出すような感覚なのだが、その際のポジションを腰ではなく足首で作っていく意識が必要なんだな。
送信 1月12日 13:22 From Hootsuite

27本目。足首を意識すると力がしっかり雪面に伝わっている感じが出てくるのだが、実際には向こう脛で押しているような感じで純粋に足首でターンをリードはできていないような気もする。
送信 1月12日 13:30 From Hootsuite

28本目。ミドルターン。ショートターンは踏んだ反発で抜く感じだがミドルやロングの場合は抜く動作自体を意識的にコントロールする。ただ大抵は雪面からの反発を利用してしまうので、スムーズなターンにならない。
送信 1月12日 13:38 From Hootsuite

29本目。ショートターン。最初はどうしても姿勢が低くなってしまう。踏み込んだ時に上体を沈めてしまうからだが、これなんとかならんかな。
送信 1月12日 13:42 From Hootsuite

とはいえキリ番なので次で終わることにする。そういう時は上に上がってしまったりしたくなるのだが、そういった事はしない。
送信 1月12日 13:44 From Hootsuite

30本目と撤収作業完了。さて帰るべし。
送信 1月12日 14:14 From Hootsuite

30本というとそこそこ多そうなのだが、投稿間隔を見れば分かる通り、1本が極めて短い。ロングコースを滑走した数本を除けば、1本40秒程度の滑走なので、実はそれほど負担はなかったりする。正月のスキーの方がよほどきつい。

改めて振り返ってみると、内足でのターンのトレーニングをしていない。昨シーズンはあまり滑る機会が取れなかったので、感覚を忘れてしまっている。不安定なターンなので、人が多いと怖くてできないという事もあるが・・・。

さて、正月に続いて今回と、まぁまぁ良いスタートをした今シーズンだが、どの程度行けるであろうか。

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2015年1月 9日 (金)

Kオケ新年初練習

昨日はKオケの新年初練習。編曲をお願いしていた新曲の楽譜も揃い、新たなメンバーや新たな見学者を加えての練習となった。幸先の良いスタートである。

もっとも、新曲はそこそこ難しい。年末から練習している曲もそうだが、指揮者なしでアンサンブルを作っていくのはやや難しい感じもある。新たなメンバーの事もあり、楽しさは失いたくないと思いつつも、気分としては遊びという訳にはいかない雰囲気もある。

楽譜自体も、馴染みのあるクラシックとは少し違った趣もあるため、本来はもう少し勉強が必要なのだろう。編曲者は音源まで用意してくれているのだが、実はまだ聴いていない。会社でデータを受け取っているので、聴く機会を作りづらいというのが正直な話なのだが、楽譜から受け取るイメージとは(編曲者のイメージとは)異なる可能性もあるので、本来は聴いておかなければならないだろう。

練習のペースを月2回に戻したため、次回の練習は2週間後になる。それまでに少し準備をしておきたいものだ・・・などと言いつつ楽器以外の楽譜など一式は会社に置いてきてしまったけれども。

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2015年1月 8日 (木)

三食外食という事

毎日カロリーやら体重やらを記録し始めると、それなりに気になってくるもので、今朝のスターバックスではラテではなくドリップコーヒーにしてみたりした。もっとも、スターバックスのコーヒーは自分には強すぎて(飲み慣れていないともいうが)、一度飲むとしばらくは欲しくなくなったりする。

自分の場合、三食をほぼ外食に頼っているため、食生活について心配される事が多い。多くは栄養バランスやカロリー摂取量に関する話で、正面切って論争するものでもないので笑って受け流しているのだが、いつも思うのは、「家庭で手作りされた料理の方が栄養バランスに優れてヘルシー」と考える根拠はどこにあるのか、というものだ。
逆に言えば「外食の方が栄養が偏り不健康」と考えている根拠は何だろうか、という事でもある。

個人的な想像としてはこうだ。そうした事を言う人達にとって、外食はたまの機会であり、好きなモノを食べるハレの食事である。そういった食事が偏るのは当たり前だ。偏りを気にせず好きに食べる機会こそが「外食」であり、普段の食にはそんな自由はなく「制約されている」。

その制約の中身は何かと言えば、栄養であったり、健康だ。そもそも、我々は幼い頃から健康のために嫌いなものでも「我慢して食べる」ように躾されており、逆の条件づけとして「我慢して食べる=体に良い」「好きなように食べる=体に悪い」が意識に染みついてしまっている。
(当たり前だがそこに経験的根拠はあっても科学的根拠はない。身も蓋もない言い方をすれば、栄養的理由よりも経済的理由だったりもする。)

三食を外食に頼るというのは、三食ハレの食事をするという事ではない。むしろ自分の場合、たまに家で作る時の方がハレの食事になるため、好きなモノを思い切り作りすぎて、結果として過剰摂取になる事の方が多かった。問題なのは、食べる場面ではなく、食べる際の意識にある、というのが個人的な感覚だ。

「お金を払って食べるのだから好きなモノを食べたい」というのは、気持ちとしては分からなくもないが、「お金を払った上自分で作る手間までかけるのだから好きなモノを食べたい」というのが、自分の「手作り料理」に対する感覚である。外食にかかるお金というのは、「好きなモノを食べる対価」ではなく「自分で作る手間をかけない対価」なので、自分の意識の中ではむしろ制約は大きい。

もちろん、三食の外食をすべてハレの食事にしてしまうような人もいるだろうし、そうした人には「制限された」日常の食としての家庭料理という場面が必要なのかもしれない。そしてそうした人達の方が一般的(そうした事を言う人自身も含めて)だと考えれば、かかる心配は一般論として通用するのかもしれない。

しかし、そうした心配をしてくださる人達の、若い頃一人暮らしをしていた時分の食生活の乱れっぷりの話を聞いたりすると、いやいやそんな生活を続けていたらヤバいかもしれないけど、そんな生活していないし同じにしないでくれよとか思ってしまうのは自分だけだろうか。

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2015年1月 7日 (水)

本を読む

年末年始の休み中に出来なかった事の一つに読書がある。いや、全く読まなかったという訣ではないのだが、想定していた程には読めなかったという話で、本来は休み明けには別の本に取り掛かっている筈が、まだひきずっている。

小説は、まぁテンポよく読み進められればそれで良いのだが、ビジネス書はそうもいかない。読んだ内容を頭の中に残すのがあまり得意ではないので、気になったフレーズをメモしながら読み進めるのだが、なかなか進まない。電子書籍はその辺りコピペで良いのだが、紙の書籍は打ちなおす必要があるという事もある。
(マーカーを使わないのは、情報を集約させる意味で、個々の本の中に情報を残してもあまり意味がないと考えているからだ。使い倒すという意味でマーカーやメモをしまくる人もいるが、使い倒したいのは情報であって媒体ではないので、自分の場合はあまりそうした事はしていない。綺麗にしておけばリユースに回せるという事情もある。)

そんな訳で、早々に切り上げて残りの時間で少しでも読み進める事にする。

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2015年1月 6日 (火)

Smartband TalkとFitbit

年末からSmartBand TalKを使い始めたのだが、そこで何故か以前から使っていたFitbitの方を(活動量計としては)使っていこうという結論に至ってしまった。

1.Fitbitはアプリがウェルネスに特化している
特化しているという表現はやや変だが、SmartBand Talkでログを記録していくLifelogというアプリは、あくまでも「スマートフォンを使用したログ」という方向の作りになっていて、体重の日々の変化を記録できなかったりする。一方で音楽や読書(電子書籍)など、スマートフォンを使用した履歴機能は充実していて、それはそれでライフログとしては面白いのだが、それらすべてをXperiaで賄おうとすると、バッテリーの持続時間が不安になるという問題に突き当たったりする。
そもそも今のところ音楽はiPhone、読書はXperiaZ1(共に通信はWiFiのみ)に分散をしているので、Lifelogの機能をフルに生かすことができない。
対してFitbitは、体重、食事、水分などの記録が(手動だが)可能で、健康管理用のログアプリとしては情報を一元化しやすい。

2.Fitbitは着けている事をあまり意識しない
使用しているデバイスはOneというモデルなのだが、朝ベルトに着けてしまえば、その後は着けている事を意識する必要がない。SmartBand Talkは腕時計型のデバイスなので、どうしても気になる。まぁ元々着信等の通知を受け取るためのものなので、それはそれで良いのだが、外すこともある訳で、ライフログ用のデバイスとしてはどうなのかという気もする。
もっともFitbitも腕時計型のデバイスというのは出していて、結構いいなと思ったりしたので、その辺りは微妙。

3.Fitbitはバッテリーがもつ
Smartband Talkもバッテリー持続時間は長い(といってもスマートフォンに比べればの話)方なのだが、Fitbitとは比べ物にならない。この差は結構大きい。まぁ、機能の違いを考えればやむなしとも言える。
余談だが、諸事情によりXperiaZ1の回線契約を以前のガラケーに戻したのだが、その待受時間の長さに圧倒された。通話はしなかったとはいえ、年末年始の3泊4日のスキー期間中、一切充電不要でしかもバッテリーはほとんど減っていないというのは、スマートフォンの充電事情に慣れた身からは衝撃的でさえある。

そんな訳で、Smartband Talkはあくまでもスマートフォンからの通知を受け取るためのウェアラブルデバイスという事でLifelogの使用も停止し、ライフログとしてはFitbitを使用していく事にした。
少々気合いを入れて、食事のカロリーなども可能な範囲で記録していく。そういう気持ちでいると、朝のスタバでもドリンクやフードのカロリーを調べてしまったりする。

まぁ今日はU響の新年会があるので、そうしたものもカロリー計算は無理であろう。その辺りはゆるく考えていく事にしよう。

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2015年1月 5日 (月)

2015年

あけましておめでとうございます。

2006年からスタートしているこのブログもゆるゆる続けて9年目に突入。その前も含めればさらに長くなるのだが、内容にはあまり進化がない。

この年末年始は猪苗代でスキー三昧。といっても2日間だけだが、筋肉痛になる程度には滑った。今シーズンはウェアラブルカメラを導入し、滑走中の自分の視点を撮影したりしている(自分を撮ってもらうのは諦めた)。
http://youtu.be/uL7NUWr_cx0

今シーズン初滑走の感触は悪くなかったので、昨シーズンとは違って回数を稼ぎたいところ。とはいうものの、天候次第という側面はある。とりあえず次は12日を狙いたいが、前日にF響の新年会があるのがやや微妙だ。

それから年末年始にGmailの過去のメールの大幅な削除を行った。といっても、削除したのはメルマガが中心で、削除しながら思ったのは、よくもまぁこんなにもメルマガを溜め込んできたものだというもの。購読の見直しもして、特に会員登録に付随するタイプのメルマガはほとんど解除したのだが、こんなにもノイジーな情報を受け取っていたのかとも感じたりした。

きっかけとなったのは、SmartBand Talkでメール着信のたびに通知があるのが鬱陶しくなったためだが、こうしたメルマガの受信も考え方を見直していきたいところである。

それからGoogleカレンダーへのスケジュールの登録のやり方を見直した。これまではメインとなるカレンダーに登録を集約していたのだが、カテゴリーごとに登録するカレンダーを使い分ける事にする。一番大きいのはオケ関係のカレンダーを別にした事だろう。これで個人練習などを計画的に行っていきたいものである。

また、カレンダーへの登録も含め、スケジュール管理については、今年は「予定」ではなく「計画」を意識していきたいと考えている。予定とは「その時何をするか」で、計画は「その時何を達成するか」だ。カレンダーに登録する際に、それが予定ではなく計画となっているかをよく考えていきたい。

そして年末年始の話ということでとりとめなく書いてしまったが、このブログももう少しテーマを持った形で書いていきたいところではある。

今年もよろしくお願いいたします。

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