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2015年1月 8日 (木)

三食外食という事

毎日カロリーやら体重やらを記録し始めると、それなりに気になってくるもので、今朝のスターバックスではラテではなくドリップコーヒーにしてみたりした。もっとも、スターバックスのコーヒーは自分には強すぎて(飲み慣れていないともいうが)、一度飲むとしばらくは欲しくなくなったりする。

自分の場合、三食をほぼ外食に頼っているため、食生活について心配される事が多い。多くは栄養バランスやカロリー摂取量に関する話で、正面切って論争するものでもないので笑って受け流しているのだが、いつも思うのは、「家庭で手作りされた料理の方が栄養バランスに優れてヘルシー」と考える根拠はどこにあるのか、というものだ。
逆に言えば「外食の方が栄養が偏り不健康」と考えている根拠は何だろうか、という事でもある。

個人的な想像としてはこうだ。そうした事を言う人達にとって、外食はたまの機会であり、好きなモノを食べるハレの食事である。そういった食事が偏るのは当たり前だ。偏りを気にせず好きに食べる機会こそが「外食」であり、普段の食にはそんな自由はなく「制約されている」。

その制約の中身は何かと言えば、栄養であったり、健康だ。そもそも、我々は幼い頃から健康のために嫌いなものでも「我慢して食べる」ように躾されており、逆の条件づけとして「我慢して食べる=体に良い」「好きなように食べる=体に悪い」が意識に染みついてしまっている。
(当たり前だがそこに経験的根拠はあっても科学的根拠はない。身も蓋もない言い方をすれば、栄養的理由よりも経済的理由だったりもする。)

三食を外食に頼るというのは、三食ハレの食事をするという事ではない。むしろ自分の場合、たまに家で作る時の方がハレの食事になるため、好きなモノを思い切り作りすぎて、結果として過剰摂取になる事の方が多かった。問題なのは、食べる場面ではなく、食べる際の意識にある、というのが個人的な感覚だ。

「お金を払って食べるのだから好きなモノを食べたい」というのは、気持ちとしては分からなくもないが、「お金を払った上自分で作る手間までかけるのだから好きなモノを食べたい」というのが、自分の「手作り料理」に対する感覚である。外食にかかるお金というのは、「好きなモノを食べる対価」ではなく「自分で作る手間をかけない対価」なので、自分の意識の中ではむしろ制約は大きい。

もちろん、三食の外食をすべてハレの食事にしてしまうような人もいるだろうし、そうした人には「制限された」日常の食としての家庭料理という場面が必要なのかもしれない。そしてそうした人達の方が一般的(そうした事を言う人自身も含めて)だと考えれば、かかる心配は一般論として通用するのかもしれない。

しかし、そうした心配をしてくださる人達の、若い頃一人暮らしをしていた時分の食生活の乱れっぷりの話を聞いたりすると、いやいやそんな生活を続けていたらヤバいかもしれないけど、そんな生活していないし同じにしないでくれよとか思ってしまうのは自分だけだろうか。

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