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2015年1月19日 (月)

新世界の難しさ

昨日はF響の練習でマエストロとの初合わせ。毎回思う事だが、指揮者によって音が変わるというのは不思議な現象である。

ただし、はっきり言われた。「粗い」と。

正直、自分自身に関して言えば自覚している。弓の毛の切れ方といい、力を込めすぎである。テンションが無駄に上がって、音のコントロールができていない。そもそも丁寧に譜読みをする事なく、過去の経験で適当に弾いている時点で、演奏が粗くなるのは必然だろう。

ドヴォルザークの新世界は、過去2回経験がある。これは譜読みの大半を省略できるという点ではメリットだが、それに油断してしまうというデメリットがある。いや、油断という気分的な問題ではなく、過去作られてしまった弾きグセを修正できないという問題かもしれない。

一度染みついてしまった弾きグセは、実は簡単には払拭できない。ベースとなる基礎力の部分をすっ飛ばして、無理やり曲をさらう中で積み重ねてしまった癖だからだ。なまじある程度覚えてしまう程度には弾き込んでしまっているからこそ、そうなってしまうとも言える。
(だからと言って、そうしなければ弾けるようにはならないのだから、そうしない訳にはいかないのだが。)

そもそも、新世界は自分の中ではワースト幾つかに入る難しい曲にあたる。過去2回を振り返った時に、上手く演奏できたという印象がないからだ。魅力的な旋律とは裏腹に、アンサンブルがやたらと難しい印象がある。何というか「曲にならない」難しさで、弾けてしまえばいなんとか曲になるような曲とはどこか違っているという感覚がある。

例えば第2楽章で指摘されたような、フレーズを長く捉え、さらに次のフレーズへ繋いでいくような演奏というのを、気持ちはともかく技術としてどうすれば良いのかというのは、正直見当がついていない。

演奏が粗いという指摘も、言っていることは何となく分かるのだが、それをどう修正すれば良いのかは結構曖昧である。弾けない曲を弾けるようにするのではなく、すでにある程度弾ける曲を、指の体操ではなく音楽にしていくプロセスを自分は持っていないのだ。

おそらくその辺りを解消しなければ、今回も不完全燃焼のような気分で終わってしまうだろう。合奏自体は楽しいし、本番も楽しいだろうとは思うのだが、どこか物足りず不満が残るような演奏になるのは想像に難くない。

そのためには何をすれば良いだろうか。

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