« オーケストラ・アンサンブル金沢第31回東京定期公演 | トップページ | 誰にアピールするのか »

2015年3月26日 (木)

自己表現価値

今日は外出先に直行・・・ではなくて、当初の予定はそのつもりでしたが、実際には一度会社に寄ってから出掛けてきました。たいした理由があるわけではありませんが、Kオケの個人練習日にあたるので、折角だから練習をしようかと楽器を持っていくことにしたのです。

チェロという楽器はそこそこに大きいので、持ち運びには不便です。正直普段は持ち歩こうなどと思うことはない(特に仕事がらみでは)のですが、時々奇妙な満足感とともに持ち歩く事があります。それは「自分はそこまでしている」という満足感です。

何となく歪んでいるような気もしますが(笑)、それほどおかしい事ではなくて、ブランド品を身に付けるのと似たような感覚でしょうか。ブランドには「機能的価値」「情緒的価値」の他に、「自己表現価値」という価値があり、それはそうしたスタイルである自分を周囲に見せたいという欲求に基づいています。ナルシズムとかではなく、ヒトが互いの関係性の中で生きている事を考えれば、それほどおかしくない感情とも言えるでしょう。

先日ある方にお聞きした話では、欧州の方はそうした「自分をどう見せたいか」にこだわる方が多いそうです。あくまでもその方の個人的接点の中での話とは思いますが、実際にそうした傾向があるのであれば、ブランド、特に高級ブランドのような「持つ人のステータスに関わる」ような概念が欧州中心に盛んであるというのは分かるような気がします。重要なのは、成金みたいなにわかに自分を飾るような話ではなく、文化的風土としてそのような環境にあるという事です。

もちろん日本にも似たような風土はあるように思いますが、それはどちらかと「恥の文化」と言われるような「自分をどう見せたいか」ではなく「自分がどう見られたくないか」というベクトルにあるような気がします。そうした風土下では、「他人と異なるスタイル」よりも「他人と同じスタイル」が尊ばれやすくなり、プレミアムやニッチのような希少性の高いブランドではなく、スタンダードやコモディティのようなどこにでもあるブランドの方が好まれるようになる、みたいな事を想像してしまいますね。

誰もが持っているわけではない、自分だけがそうしているという「自己表現」と、誰もが持っている、自分もそうしているという「自己表現」。後者は一見自己表現という考え方からは程遠い感じがしますし、実際には皆と同じである事に微妙なストレスを感じていたりもする訳で、そうした日本人的な感覚を価値という言葉に置き換えるとどんな表現が適当なのか、少々興味深いです。

ちなみにチェロを持って歩くというのは、明らかに皆と同じではなく、自己満足感と同時に微妙な気恥ずかしさというのもあります。そうした気恥ずかしさを日本語では「羞恥心」と言ったりする訳ですが、実はその感覚を示す恥とは離れた概念の言葉があれば、また感覚もちょっと違ってくるのかもしれません。

|

« オーケストラ・アンサンブル金沢第31回東京定期公演 | トップページ | 誰にアピールするのか »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/22760/61339420

この記事へのトラックバック一覧です: 自己表現価値:

« オーケストラ・アンサンブル金沢第31回東京定期公演 | トップページ | 誰にアピールするのか »