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2015年4月16日 (木)

商品ブランドと企業ブランド

ブランドというのは元々は「自分の所有物であることを示す焼印」であったにすぎない。それはやがて「自分の所有物」から「自分の制作物」に拡張されたが、その段階でもそれは自分とそのモノとの閉じた関係性を示すものでしかない。

その制作物に対する評価が「次の制作物への期待」に転換される事で、ブランドは他者に対して影響力を持つようになる。現在「ブランド」と呼ばれている概念は、多分そういう事だ。難しいのは、その関係性には、作り手はたいして関与できない点で、そもそも他人の頭の中に生じる概念をそうそうコントロールできる訳がない。

それでも、そこに対してどのようにアプローチするかという事がブランドの研究においてはなされてきた。自分の作ったモノ(それは広義には見つけてきたモノでも同じである)を販売して糧を得るという経済活動が社会において成り立つようになってくると、ブランドという概念を使うまでもなく、如何にして他のモノに対する優位性を示し、買い手に買ってもらう価値のあるモノかを示すための工夫が自然と積み重ねられるようになる。

当初そうした工夫の多くは、モノそのものが提供するベネフィットの差別化という形で進行した。特に経済活動の規模の拡大に伴って、直接取引ではなく、間接取引(提供者と受益者が直接関係を持つのではなく、間に第三者が介在する取引)が増えてくると、そうしたモノが提供する直接的なベネフィットとそれが買い手にきちんと伝わることが重要になる。

その過程において、「次の制作物への期待」という制作者への期待は希薄化し、「そのモノから得られる価値自体への期待」が優位を占めるようになる。それが「商品ブランド」の成り立ちであろう。特に買い手が自らモノの価値を判断して購入する関節取引では、制作者との直接的な関係の中で育まれる期待というのが生まれにくくなる。もちろん制作者を示す焼印は刻まれているが、それらは記号化され、さらに市場に数多のモノが溢れるようになる事で、さらに意識の隅に追いやられるようになる。

企業ブランドという「制作者を示す」ブランドが再び注目されるようになるのは、そうした「モノから得られる価値への期待」だけでは、持続的なビジネスに結びつけていくのが難しいと制作者たちが気づき始めたからだろう。そのように考えると、商品ブランドと企業ブランドの役割目的は自ずと違ってくる。

そのモノの価値を伝え、今の購買に結びつけるのが「商品ブランド」
次の制作物への期待を育み、次の購買に結びつけるのが「企業ブランド」

・・・という事を考えたのだが、これってブランドの持つ品質保証機能とかを吹っ飛ばして論理構築してしまっている。まだ何か欠けているのかもしれない。

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