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2015年5月26日 (火)

やりたい事をやるのではなくやらせようとする人達

F響の定期演奏会が終了。今週はもう一つKオケの演奏会もあったりするのだが、ひとまず一段落という所だろうか。とはいえ昨日は休みを取っていたのだが、二日酔いのダメージが大きく、やろうとしていた事の半分もできなかった。

今回のF響の演奏会では、運営面では段取りが不足していたというか、何やら準備不足で臨んでしまった感がある。実際にはそれなりの運営は出来ていたはずだが、どこか物足りないというか、力を尽くした感が薄い。気がついたら本番が迫っていて、何もできないままに終わってしまったような感覚がある。

実際にはそれでも演奏会自体は回っていくので、そういうものだと割り切ってもう少し良い意味で手を抜けという事なのかもしれないが、そういうのが落ち着かない。打ち上げで聞かれて少し話題になったのだが、演奏に集中したければ、この調子で運営から手を抜いていけば良いのだが、多分黙っていられないし放置もできないのだ。

で、自分はそういう性格なので、ついつい他人も同じように考えていると思ってしまうのだが、もちろん現実はそうではない。やらなければならないというやらされ感とそれへのストレスを感じてしまう人もいれば、そういった運営上の事にはノータッチで気づきもしない人もいる。やってもらうものだと当然のように思っていて、自分のして欲しいように要求する人もいる。

自分がそうしたいのであれば、そうしたいようにすれば良いと思うのだが、そうして欲しいという要望をぶつけられるのは正直困る。これは運営だけでなく演奏でもそうで、なまじパートリーダーなどもやっているものだから、こうして欲しいとか言われたりもする。

いやいや、やりたいならやれば良いじゃないか、自分がパートリーダーになって。本来アマオケなんて誰が何をやったって良いのだから。パートリーダーはかくあるべきだと思うのであれば、それを人に要求するのではなく、自分がやれば良いのだ。

と、まぁ自分はそう思っているのだが、そうは思っていない人も少なくないという事なのだろう。

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