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2015年7月31日 (金)

ファイルの整理整頓

サーバに保存されているファイルの整理整頓はどのように進めるべきか。
いやサーバだけでなくて、ローカルのハードディスクやクラウドなども含めての話ではあるが。

整理と整頓については、色々と考え方があるようだが、ファイルということに絞って大雑把にまとめるなら、

整理:不要なファイルを捨てる
整頓:必要なファイルに容易にアクセスできるようにする

といった感じになるだろうか。個人で管理しているファイルの場合は、Googleの考え方に代表されるように「検索すればいいんじゃね?」でも良いような気もするが、オフィスで共有するファイルとなるとそうした事が重要になってくる。そこで重要なのは、そのファイルを使うのが「自分だけではない」という視点だ。

ところが、この「自分だけではない」という視点が足かせになる場合がある。多くは「整理」のステップだ。ようするに「自分にとっては不要だけど」「他人にとってはどうだか分からない」という理屈である。特に今時点での同僚だけでなく、将来の後任のことなどを考えると、本当に捨てて良いかというのは判断が難しい。

実際には、そうして保管されたファイルの多くは必要ではない事が多い。それは自分が引き継いだ前任者のファイル群を見ていれば大体分かることで、そもそも仕事は常に新しい事を求められるので、そうそう古い情報が必要になる事はない。ないのだが、たまたま「あれが残っていれば」「何で残っていないのか」といった情報にぶち当たる事もあり、その記憶は強い印象となって尾を引く。それが今捨てる事への抵抗感として醸成されていく。

特に困るのは、その情報がファイルとしては残っていないのに、関係者間の記憶としては残っているような場合だ。言った言わないはただでさえ厄介なのに、そこに「記録」のない「記憶」だけの話になるのは御免被りたい。そういった事を避ける意味でも、捨てるという事には慎重にならざるを得ない事情がある。
(何しろその「記憶」が本当に正しいのかの判断が出来ないのだ。虚偽とは言わないまでも、勘違いなどで捏造されている場合は多々ある。)

だったらもう整理なんてやめてしまえという発想もない訳ではないが、物理的制約が大きかった時代を経験していると、そうしたパラダイムシフトも難しくて、整理は問答無用で正しいという捉え方にもなってしまう。個人的に電子ファイルというのは、整理はやめて整頓だけでも良いのではないかという気もしているが、サーバの容量や一人あたりのファイル数などを可視化されると、何はともあれ「整理しなければ」となってしまうのは、長年積み重ねられてきた行動パターンのようなもので、そうそう理屈で論破できるものではない。

それに実際には整理できるに越したことはない。挙げた問題はどちらかと言うと記録がないこと以上に記憶に左右されてしまう部分だからだ。昔はこうだったという「記憶」が意思決定に影響を与えるような状態で本当に今の時代にあった意思決定が出来るのか、という話の方が、本来は話題にされるべきかもしれない。

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2015年7月30日 (木)

MacBook Airを持ち歩く

今週はずっとiPad miniではなくMacBook Airを鞄に入れているのだが、今のところ不都合はない。iPad miniは自宅待機にしてしまっているが、それもさしたる支障はない。

それ自体は分かりきっていたことで、元々キーボードがあればXPERIAでも大体用が足りる程度の活用しかしていないのだ。(基本は朝このブログを書くだけで、以降はただのウエイトである。)

ただ、iPad miniとは違って、MacBook Airの場合、できる事が少し増えたというか、メールの返信がもう少し楽になった。いやXPERIAやiPad miniで出来ない訳ではないのだが、やりやすさが違うというか、緊急ではないものはどうしても後回しになりがちなので、その「ちょっと面倒」という精神的な抵抗感を取り除けるのは大きい。(自分にとってというより多分相手にとって。)
コピー&ペーストやデータ連携なども格段に楽になるので、返信できる情報量も異なってくる。ちょっとした返信ならXPERIAでも済むので、プラスアルファが容易なMacBook AirはiPad miniよりもはるかに使い勝手が良い。

そんな訳で、iPad miniは自宅でのkindleリーダーに成り下がっている状態なのだが、これもMacBook Airで可能になってくると、いよいよ出番が無くなりそうである。実際には、MacBook Airにkindleの書籍はダウンロードできても、読むにはそう適していないので、iPad miniの出番がなくなることはないだろうし、ちょっとした持ち歩きにはMacBook Airはさすがに大きいので、不要になるわけではないが、利用頻度は落ちそうである。モバイルの通信機能を持つモデルであればまた違っただろうが、Wi-Fi環境でしか使えないiPad miniでは、サイズと重量以外ではMacBook Airと大差ない。

しかし、そうなると、新型のMacBookが欲しくなるとか、OSをYosemiteにしようとか、色々Macに対する要望なども盛り上がってくる。このMacBook AirにはWindows8も入っているのだが、それをWindows10にしようとか、自宅に置いて時々使うだけであればまぁ現状で良いか、みたいな気分なのだが、持ち歩いて色々活用しようかと考えだすと、そんな事も考えてしまうのだ。

まぁでも新しいことをなにかやるという点では良いのかもしれない。

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2015年7月29日 (水)

スターバックスとサードプレイス

今日はスターバックスで新しいタンブラーが発売のようで、開店前から並んでいる人たちがいた。

まぁTweetそのものは単なる皮肉なのだが、例えばスターバックスをサードプレイスではなくワークプレイスとして使うような人達も含めて、そういった存在やアプローチはスターバックスというブランドにとってはどういう位置づけなのだろうか、と考えてしまう。

もちろんブランドをどう捉えるかは、顧客一人ひとりの自由だから、どう受け取られても構わないという要素はあるだろう。一方で、ブランディングという視点で考えた時に、そうした人たちをターゲットに行う取り組みというのは、どう捉えるべきだろうか。店内に留まらない人たちに向けてタンブラーを販売するというのは、サードプレイスを提供するという視点からはどのように位置づけられているのだろう。

ただ、企業としての収益という点で考えれば、持ち帰りも含めて店内に滞留しない(サードプレイスとしての店舗を利用しない)人たちに支えられているという側面もあるに違いない。

そんなソロバン事情はさておいても、例えば自宅においてもタンブラーでコーヒーを楽しんでもらうということが、精神的なサードプレイスの提供だと位置づけることが出来るかもしれない。そう考えるなら、タンブラーを買って帰る人たちというのは、店舗での時間は確保できなくても、異なる時間や場所でサードプレイスを感じたい人たちという事になり、そうした人たちにスターバックスは(タンブラーの販売を通して)サードプレイスを提供している、と捉えることも出来る。

・・・まぁ何となくこじつけっぽいけれども。

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2015年7月28日 (火)

仕事を盗ませる難しさ

中身というよりタイトルに反応したのだが・・・

習う側の心構えとして、「盗む」「覚える」という気持ちが大切なのは言うまでもない。
が、「盗ませる」「覚えさせる」上で、より重要なのは、伝える側の自覚であろう。もちろん、弟子や部下をライバル視して、「盗ませない」「覚えさせない」妨害をするのであれば話は異なるが。

スキーや楽器などの世界でも、重要なのはただ見ることではなく「上手な人を見る」事である。数回のスキーでそこそこ滑れるようになった程度の先輩が、初心者の後輩を連れてスキーに行き、「自分を手本に盗め」「体で覚えろ」と言っていたら滑稽であろう。見て参考になるのは、インストラクタークラスの滑りであり、それも見せる自覚を持って滑っている姿である。

彼らは自分が見せたい内容を言葉でも伝えられる程度に理解した上で、言葉ではなく見せることで理解させようとする(まぁ実際には言葉も併用するが)。言葉で説明できないから見て覚えろ言うのとは、そもそもの次元が異なる。本来、見せるだけで理解させる方がはるかに難しいのだ。言葉に出来ないけど見て覚えろというのは、つまり言葉に出来ない自分の能力不足をお前が補えと言っているに等しい。

「仕事は盗め」「体で覚えろ」というのは、「教えることもできるけど」という暗黙の枕詞がなければ本来成り立たないものなのだ。

そこでこんな話になる。

そもそも職人の世界に比べて、オフィスワークというのは「盗む」という考え方が通用しにくい。加えてメールという通信手段は、非常に閉じた世界なので「見せる」という事がそもそも難しい。電話であれば自然に耳にしてやりとりの作法を覚えられたとしても、メールはそうではない。大体、見て覚えろと言われても、見える背中はPCをポチポチ打つ姿だけで、それは何の参考にもならない。

仕事を盗ませるつもりなら、盗めるようにしなければならない。目的は盗ませないことではなく、盗ませることだからだ。
盗めるように見せられないのであれば、「盗め」とは言わずに、きちんと教えるしかない。

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2015年7月27日 (月)

演奏会と鞄の整理

この週末でアンサンブルOの練習は終了。いよいよ来週の本番を残すのみとなった。今回のプログラムには苦労した(いつも苦労してるか・・・)のだが、それもこれで一段落である。まぁまだ終わっていないので、反省は(色々あるけれども)終わってからということにしよう。

この週末は、アンサンブルOとF響の練習があっただけで、ここしばらくに比べれば慌ただしさは少なかったのだが、その分暑かったというか、楽器を背負って歩きまわるには少々しんどかった。たまたまF響の方も車を使わない練習会場だったという事もあるが、背負った楽器に加えて、手に持った鞄がやたらと重い。

鞄が重くなるのは、オケ関係で必要と思われるものを一通り入れっぱなしにしているために、その日の練習で使わないものまで含めて諸々持ち歩いてしまっているからだ。多くは楽譜類で、車で移動の時はそれほど気になることはないのだが、歩くとなると手にずしりと来る。

正直な所、必要な物だけにすれば良いとも思うのだが、そういう分け方をしていると、必ずどこかで忘れるか失くすかという事態に遭遇する。一つの鞄ですべてを管理しているのは、とりあえずそれを持って出れば大丈夫、という状態をつくるためのもので、その日何が必要とか、そういった事を考えて準備する時間を省いているとも言える。

もちろん、放置しておくと重くなる一方なので、定期的に整理をする必要がある。少し前にかなり整理をして大分軽くなったのだが、また重くなってきたので、そろそろ何とかしなければなるまい。とりあえず、一つ本番が終われば、それに関連する楽譜類が不要になるので、少し軽くなるだろう。

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2015年7月24日 (金)

Kオケのスタンス

昨日はKオケの練習。この所会社に楽器を持っていくのがしんどいため、サイレントチェロでの参戦。ポータブルスピーカーで音を出しながらフィンランディアなどを弾いたりした。

そういった意味ではやや手抜きのような参加で恐縮なのだが、それぐらいのスタンスで参加の裾野を広げたいという思惑もあり、どちらかと言えばメンバーを(オケ側で)選ぶ一般の市民オケとは違ったゆるい感じが必要なようにも感じている。
(自分が楽ということもあるが、もっと気楽に参加して欲しいという意味で。)

一方で、すでに本番の日程は決まっており、選曲含めて早急にまとめていかなければならないという事情もある。課題はメンバー集めになる訳だが、それもプログラムが決まっていなければ誘い難い。加えて、現状のメンバーを見渡しても、どこまで真剣なコミットを求めるかという問題もある。とはいえ、例えばフィンランディアをやります、などといった場合に、どういう編成で臨むんだよ、みたいな状況ではあって、そのあたりをどうしていくかというのは悩ましい。

悩んでばかりだが、Kオケの場合、本当に悩ましいのだ。オケとしての状況は「オケ老人」の冒頭どころの話ではないのである。それを曲がりなりにも演奏会をする状態にまで持っていかなければならない。参加のスタンスは気楽でありたいし、あって欲しいのだが、一方でなすべきことはなさなければ継続していけないのだ。

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2015年7月23日 (木)

持ち歩くデバイスとしてのMacBook Air

自分が日常的に持ち歩くデバイスというのはiPad miniにしていて、それはそもそもやることが限られているのでそれで十分ということがあるのだが、時々それでは足りずに、MacBook Airが必要になる事がある。だったら、最初からiPad miniではなく、MacBook Airでも良いのでは・・・などと昨日ふと思った。

特に平日の通勤時に持ち歩く場合、重量的な問題をさておけば、正直どちらでも良い。というか、機能を考えればMacBook Airの方が明らかに応用範囲が広い。そもそもそれらは会社で使うことは想定しておらず、朝の出社前か、帰りの帰宅前の時間に使うことを想定している。正直な話、iPad miniではブログを書くだけに終わるが、MacBook Airであれば他にできる事が増える。

例えばメールにしても、MacBook Airでないと正直書くのがしんどい(リンクとか添付とか複数の宛先設定とか)ものというのがあって、逆にiPad miniでストレスなく書けるようなメールというのは、XPERIAでも十分だったりする。実際、最近iPad miniでのメール作成は激減していて、それは多くがどちらかで済ませる形になっているからだ。

そうやって考えると、iPad miniでなければならない場面というのは、思った以上に少ない。

もちろん、サイズと重量の問題は厳然としてあって、iPadとiPad miniの間でさえ、持ち歩く際のストレスといった点では大きな違いがあるのだから、それがMacBook Airとなれば結構なものであるのは想像に難くない。また一部のアプリ(楽譜とか)に関しては、MacBook Airの不便ということもある。

ただ、休日の持ち歩きはともかく、こと平日に関しては、MacBook Airの方が良いような気がしなくもない。そんな訳で今日はMacBook Airを持ってきているが、今朝のところは重量的なストレスはない(使わないiPad miniも鞄に入っているという無駄感はともかくとして)。

まぁ今日の場合は実際にやりたいことがあっての話なので、単にiPad miniでも足りるような日に持ち歩いてどんなストレスがあるかは別の話なのだが、しばらくMacBook Airを持ち歩き用にしてもよいのかもしれないと思ったりしたのだった。

もっともその場合、iPad miniの用途はどうなるんだという話が浮上してくるのだが(笑)

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2015年7月22日 (水)

朝のテンション

昨日はテンションの低いエントリーでスタートしたのだが、終わってみたらしっかり練習もできたし、それなりに充実した1日になったのだった。まぁ朝の気分なんて意外とそんなものなのだろう。

という訳で、今朝もテンションが低いのだが、きっと夜には回復するに違いない。

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2015年7月21日 (火)

週明けのテンション

この週末は三連休という事で、結構のんびりした筈なのだが、週が明けてみるとさあやるぞという感覚になっていない。結局の所週末というのが「安息日」ではなく、どちらかというとエネルギーを使う日になっているという事であろう。「のんびり」というのは、起床や就寝がのんびりしているという話で、日中の活動自体がのんびりしている訳ではない。

それでも、練習のあった土日はさておき、昨日は特にする事もなくダラダラしていた筈なのだが・・・。

あるいは逆に、そうした弛緩が疲れを呼び込むといった事があるのかもしれない。何もせずに過ごすというのは、肉体的には休養となっても、精神的にはそうではない場合もある。

何だかテンションの低いエントリーになってしまった。まぁ先週ペンディングのまま終わってしまった課題がしこりのように残っている事が影響しているのであろう。さっさと決着をつけたい所だが、結局そもそも白黒つけがたい類の課題が、決める権限はないまま降ってくるからストレスになるんだよね。

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2015年7月17日 (金)

ブランドと経営

ブランドというものをどこまで経営に結び付けて考えるか、というのは、個人的には結構悩ましい問題である。ブランドが経営上の重要な要素である事は否定しないが、どこまで強く結び付けて考えるべきなのかという点に関しては、冷静になる事が必要な気もしている。

どうしても気になってしまうのは、ブランドというものが企業だけでなく、関わるステークホルダー間で共有される一種の幻想である点だ。それ故に強いブランドは企業経営を支える大きな要素になるのだが、一方で経営にとっては足枷となる場合もある。そうした足枷も含めて、避けられぬものとして上手にハンドリングしていくのが経営だと言ってしまえばそれまでの話だが、価値観がそれほどブレておらず、変化も少ない時代ならさておき、多様化する価値観と急激な変化が求められる今の時代に、ブランドという共通の文脈にどこまでコミットするかというのは、舵をとる側にとっては悩ましい問題なのではないか。

特に難しいのは、ブランドに対する意識が変化への無意識の抵抗感を増幅し支える根拠になってしまう場合だ。そして多くの場合、当人はその事には気が付かない。

そもそもブランドという資産は、一貫性を重視し、変化を嫌う。常に変化するブランドもあるじゃないかというのは、そのブランドのアイデンティティが変化にあり、そのブランドが嫌う変化とは「変化を止める事」であるというだけの話だ。これはもうある種人間の(生物の)本能に基づくような話で、そういった意味では「どうにもならない性質」である。

そんなブランドをどう御していくか・・・実は経営にとってのブランドというのは、そういった位置付けなのかもしれない。

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2015年7月16日 (木)

天候と練習

今日は台風が直撃という事もあり、昨日のうちにKオケの練習に関して注意喚起をしておかなければならなかったのだが、外出のバタバタに追われてしまいすっかり失念してしまった。今の時点で雨は小康状態のようなのだが(少なくとも自分の周囲は)、あくまでも局所的な話な訳で、今日の所は中止を原則とするのが妥当な所であろう。
(そういう意味でも昨日のうちに連絡をしておくべきだったが。)

天候等の要因での練習可否の判断は結構難しい。もちろん大人の判断であるべきなのだが、オーケストラというのは、欠ければ欠けただけ練習に影響が出るものなので、無理をしてしまいがちだ。結局は個々の判断ではなく、全体として誰かが判断をしなければ、曖昧なままどちらにとっても良くない結果になってしまう。一方でスケジュールにそれほど余裕がない中で、1回分を失うというのは、最終的な演奏の完成度にも関わってくるため、そうそう簡単に中止とも言えないのが、運営側の難しさだ。

そうこう書いているうちに、雨が激しくなってきた。不安定なのは間違いないが、会社的には帰宅指示が出る可能性もないとは言えない訳で、そう考えるとオケは中止にしておくべきであろう。返す返すも昨日のうちに連絡できなかったのは痛いが、昨日のうちの連絡だと気分的には注意喚起だけで終わっていたと思うので、そう思ってなぐさめることにする。

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2015年7月15日 (水)

スケールの音源

昨日の練習もそうだったのだが、このところ個人練習の最初に簡単だがスケールの練習を組み込んでいる。C-durからCes-durまでの15の調性でそれぞれ3オクターブ。1回だけでトータル12分程のプログラムになるが、たまにやるのと違って毎回やっているとこれはこれで良いなと思えてくる。まぁ昨日は比較的音程がハマったせいかもしれないけれども。

正直な話、Fis-durとかGes-durなどの音程を正しくとる自信はないため、ガイドとなる音源を用意し、それを聞きながら練習する。ただしそのものズバリの音を聞きながらそれに合わせるのではあまり意味がないと考えていて、音源は3度(長3度)先行させている。上行の音階では3度上、下行の音階では3度下で鳴る音源に合わせていくという形だ。すべてが出来るわけではないが、これで音がハモると気分が良い。

目的はつまりそういうことで、先日音源での練習に関するエントリーでも書いた通り、周囲の音との相対的な関係の中で音程を取る練習をするためだ。本来のスケール練習の趣旨からは外れるのかもしれないが、自分の音(だけ)が正しい状態というものには、個人的には価値を置いていない。そもそも自分の音(だけ)が鳴ることは、アンサンブルにおいては意味がない。

パート練習でのスケール練習などでも、2パートに分けて3度ずらして互いに聞き合いながら弾かせるということをやるのだが、そういう練習は1人では難しいので、せめて音源をそのようにして擬似的にそのような状態を作り出すことにしている。理想は自分の音でも音源の音でもない、和音という形で鳴っている音を捉えることだ。

所謂音楽家という人たちは、そもそもそのように音を捉えていると思うのだが、自分には自然にそのように捉えることは出来ないので、せめて訓練というか、そうしたことをスケールでぐらいは自然に意識できるようにしたいものだ。

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2015年7月14日 (火)

個人練習の時間

先週の個人練習は、正直なところニールセンにはさほど影響を与えなかったのだが、楽器に対してはかなりポジティブに働いたというか、週末に向けて響き方は絶好調に近くなっていた。やはり弦楽器というのは日常的に鳴らしておくと響きが違う・・・ような気がする。

そういった意味では、U響やKオケのような平日練習をサイクルに加えておく事は、さらう曲の量の増加はさておき、楽器にとっては良い事に違いない。もっとも、移動時間と距離がやたら増えるという事はあるけれども。

そんな訳で、先週で力尽きてしまっては意味がないので、先週ほどではないにしても今週も夜の練習を入れる予定。もっとも今週はKオケの練習(最近はサイレントを使用)と懇親会付きのセミナーの予定があるので、できても2日程度だろうか。土曜日は、先週はアンサンブルOを優先してお休みしたオケに顔を出したいので、これまた個人練習の時間は確保できない。

うーむ、またニールセンとショスタコーヴィチを忘れてしまいそうで怖い。

加えて、F響の方もそろそろ一通り楽譜に目を通しておかなければならない。エフゲニー・オネーギンと白鳥の湖は(白鳥の湖のソロを除けば)、合奏練習の中でもクリアしていけそうだが、ラフマニノフの2番はさすがにゆっくり楽譜を見ておく時間が必要になる。時間があるようですでに3ヶ月をきっており、何時までも譜読み気分という訳にはいかないのだ。

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2015年7月13日 (月)

考えて弾く楽しみ

先週多大な時間をかけてさらったアンサンブルOのニールセンだが、見事に轟沈した。いやまぁ轟沈というほどの激しさはなかったので、消沈みたいな感じだろうか。結構さらった方だとは思うのだが、当たり前だがそうした努力が報われるとは限らない。

結局一夜漬けのようなやり方ではダメだという事だ。

それでも、ベースとなる部分は(歌う必要のあるゆっくりな箇所については)おおよそクリアになってきたので、この調子で積み重ねれば本番までに何とかなるだろう。問題はテンポの速い部分だが、先が見えてきているような、やっぱり無理なような、どっちつかずな状態にある。改めて徹底的にさらえばなんとかなるのか、すっぱり諦めて他に力を注いだ方が良いのかという見極めが出来ていない。

まぁもう少し足掻いてみる事にしよう。今週はKオケの練習もあり、先週ほどさらう事は出来ないけれども。

アンサンブルOの練習では、「考えて音を出せ」という事を再三指摘された。目に入った音符を考えなしに押さえて弓を動かすのではなく、アンサンブルの中でどういった役割を持った音で、どのように出すべきかイメージせよという事だ。その結果、その音を出すのに失敗するのは仕方がない。しかし、考えなしに弾くなら弾かない方が良い、と。

この指摘は耳が痛い。同じような指摘はF響でも受ける事があるからだ。面と向かってではないのだが、「ここはこのように考えて弾きましょう」と言われて、その自覚で音が変わるというのは、結局それまでは「考えていなかった」という事だろう。

この「考える」で重要なのは「感じる」ではない点だ。要するに感覚的に「こう弾きたい」というイメージを持つのではなく、もう少し論理的な「こう弾くべき」という理屈を持つべきという話である。もちろんイメージを持つなという事ではなく、そこに説明可能な理論を併せ持てという事に他ならない。

思うに、これは結構「苦しい」「辛い」プロセスで、もちろんそれさえ楽しめるごく少数の人たちがいわゆる天才という奴なのであろうが、それはさておき、楽しいだけでは音楽は成り立たないという事を示している。楽しさを得るためには、時にそうした試練もクリアしなければならないという訳で、困った事にそんな事をしなくても表面的に音楽自体は楽しめてしまうのだが、多分それでは自分は楽しめても聴いてくれる他人を楽しませる事は出来ないのだ。

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2015年7月10日 (金)

久し振りのセミナー

昨日は久し振りに(定時後に)セミナーに出席してきた。知り合いからのお誘いだったが、事務所が仙川に移ってから、こうした夜の勉強会からは足が遠のいていたので、良い機会だった。

あまりオープンなセミナーではないので、内容の本筋に直接触れるのは避けるが、話の中で幾つか印象に残ったものをピックアップしてみる。

・対面のコミュニケーションには一種の強制力が働いている
上司がコミュニケーションをとる際の注意点のような話だったが、どういったコミュニケーションがその人のクリエイティビティを引き出す事につながるのかという点は、確かに意識したほうが良いのだろう。
強制力というよりも、ロールプレイが発言にもたらす影響のようなものかもしれない。

・アマチュアとは「(その事を)愛する人」
プロフェッショナルの限界とアマチュアの創造性の話で、F響代表の持論なので、こんな所で聞くとは、という感じ。ただ、改めて整理立てて話を聞いていると、アマチュアでも専門用語や当然視という問題はあって、それは愛するがゆえだったりするので逆に厄介だよなと思ったりもした。

・多様性と対話は対になって初めて価値を持つ
多様性はただ受容するだけでなく、そこに対話が加わって初めて創造性が生まれてくるという話。逆に対話というのも、多様性のない単一価値観下では、なんら新たな価値を生み出せないというのはその通りだろう。

こうしたセミナーに出席すると、意外と本筋以外の所に発見があったりして面白い。そもそもセミナーは、講師に発見を与えてもらうものではなくて、自分で何かを発見するためのものなので、そうしたプラスアルファが生み出せてなんぼだよなとは考えている。

もっとも、昨日のセミナーは本筋においてもなかなか興味深かった。今後紹介するかはさておき、自分のものの見方にまた一つの視点が加わったような気がしている。

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2015年7月 9日 (木)

音源カラオケ

一昨日、昨日とアンサンブルOのニールセンとショスタコーヴィチを練習。あまりやりたくないが音源を聞きながらの練習まで行い、多少やっつけな感じではあるが無理やり練度を上げようとしている。

もう切羽詰まっているので、今日は禁断ともいえる音源カラオケで練習する。とりあえず音程とリズムが課題のセクションはそれである程度何とかなるはず。しかしテンポが課題のセクションは正直どうにもならん。
送信 7月8日 18:27 From Hootsuite

厳密に言うなら、音源を聞きながらの練習はリズムに関しても悪影響はある。そういった意味では「とりあえず促成栽培で何とかする」ようなものだ。

まず、アンサンブルではそもそも指揮者や場の空気を読んで「合わせて」弾くものだが、音源を聞きながらの練習は流れてくる音楽だけを聞いて「探りながら」弾く癖を作ってしまう。この癖が厄介なのは、それ身体に染み付いてしまうと必ずワンテンポ遅れてしまう事だ。特に、他のパートを聞きながらではなく、自分のパートを聞きながらというのが危ない。これは他に合わせるための要素がない以上、避けられない弊害だろう。

加えて、タイミングが読めないというのは、その予備動作がおかしくなる(予備動作と実際の音を出すタイミングがずれる)問題をもたらす。音を出す、音を切る、音が変わる、それらのタイミングを合わせるのは、予備動作の段階で合わせる事が重要なのだが、それが出来ない上に、自身の予備動作から音につなげるまでのプロセス自体が乱れてしまう。

では徹底的に聞きながら弾き込む事で、音源に探る事なく合わせられるようになるまで練習するとどうなるか。今度はその音源に演奏が固定されてしまい、アンサンブルにアジャストする事が出来なくなる。そこまでしていなくても、聞きなれた音源のリズムやテンポで弾いてしまうという事がアマチュアプレイヤーにはよくある訳だが、それがさらに極端に出てしまう事になる。

メトロノームなどを使用した練習などと何が違うのかといえば、音源となる演奏は厳密には一定のテンポとなっている訳ではないので、その揺らぎまでもインプットされてしまう事だ。

その辺りはわかった上で頭の中で切り分けながら練習できれば良いのだが、それが出来るようになっていれば、そもそも音源に頼った練習など必要ない。音源に頼る練習というのは、頼る必要がある練習だからやる訳だが、頼る事が弊害を生み出してしまう訳で、実はあまり良い練習とは言えない。まぁ伴奏のカラオケで楽しむというのはありだろうが・・・。


しかし、そんな弊害は分かりつつ、とにかく短時間で曲を身体に馴染ませるには他に方法がない。まぁ数回で染み付くようなものでもないだろうし、正直やむを得ないというのが実情である。

残り金曜と土曜で、せめて「練習していれば弾けるはずの所」だけでも、その状態に持っていかなければ。弾けない所は・・・仕方がない。

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2015年7月 8日 (水)

広告でマスコミを懲らしめる発想

特に政治的な意図がある訳ではないのだが・・・

某政治家による「広告を減らしてマスコミを懲らしめろ」発言が話題になる中、こんなのが流れてきた。
「 ウィキペディアが広告を掲載せずに存続できるよう、お力添えをいただきましてありがとうございます。」
これはこれでめざすべき方向として真理ではある。
送信 7月7日 19:00 From Hootsuite

考えてみたら、広告を減らせというのは、マスコミに対しての圧力ではなくて、広告主である企業に対する圧力で、つまり政治献金しても広告を減らさなきゃお前のところには口利いてやらん、と言っている訳だ。
送信 7月7日 19:03 From Hootsuite

それはつまりお前たち俺たちに便宜をはかってほしければ言うことを聞けと言う話な訳で、広告減らしたらうちは便宜はかってもらってますって公言するようなものではないか。
送信 7月7日 19:07 From Hootsuite

それってつまり、マスコミは広告主に対して「今広告を減らしたらそのリストが週刊紙で取り上げられちゃうかもしれないですよ」と言えば良い訳だ。うわぁ何かドロドロだなぁ。
送信 7月7日 19:23 From Hootsuite

七夕の夜に何をTweetしているのかという気もするが、考えてみればメディアに対して、メディア自身にではなく、スポンサーに圧力をかけるという行為は、政治家でなくてもやっていたりする。小さな所では、TV番組の内容が気に入らない時に、スポンサーのお客様相談室に抗議をするといった事もそうした類の行為だろう。

だから目くじら立てるなよ、というつもりは毛頭ないのだが、ようは間接的に影響力を及ぼそうとする行為が少々気持ち悪いという話だ。
その主張に異論があれば直接抗議をすれば良いのだが、直接抗議をすれば反論され自分も傷つく可能性があるので、反論できない相手を経由して自分の意見を通そうとする。マスコミを懲らしめる発言の本質というのは、ようはそういう事のような気がする。

それにしても、件の政治家というのは、本人はマスコミに対抗しているつもりなのかもしれないが、上記のような構造を考えれば、むしろマスコミの広告獲得の応援をしているとも受け取れなくもない。メディアがこぞって取り上げれば取り上げるほど、その主張に賛同して懲らしめたいと思っていても、癒着と思われるのを避けるために広告を取り下げられなくなる企業が増えてしまう事になるからだ。


・・・とまぁ、こんな発想に「そうだよな」などと思ってしまう人は、陰謀論に踊らされる典型的な人と思われるのでご注意を。

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2015年7月 7日 (火)

活動量計

Podcastの「伊藤洋一のRound Up World Now!」を聞いていたら、ナイキのフューエルバンドを話題にしていた。せっかく使っていたのに撤退されてしまって残念と怒る話だったのだが、その話を聞きながら、自分が活動量計として使っているFitbitがサービスをやめてしまったら、どう思うだろうかと考えた。

もちろん、残念とは感じると思うのだが、改めて考えると、それほど真剣に使っている訳でもない(途中無くして二代目の割には・・・)。伊藤さんはしっかりそれで活動量を記録していて、開始以来一定の目標(独自の指標らしい)を下回っておらず。それが続けられなくなるのはどうした事だ!とお怒りだった訳だが、自分の場合、記録される歩数にもそれほどこだわっていない。あえていえば、大体毎朝記録している体重の記録が消える訳だが、それにしても記録しない事もあるし、それができなくなったからなんだという事もなさそうだ。

そもそも、体重の記録だけなら、何も活動量計など使わなくても良い気がする。気がするというか、使わなくて良いだろう。そうなると、そもそも何のためにFitbitを身に付けているのか・・・。

身の回りのモノをシンプルにそぎ落としたいと考えている割には、こうして惰性的に身に付けているデバイスもあるんだな〜と考えながら、いつものように一駅手前から歩いてきたのだが、まぁ記録にはこだわっていないと言いつつも、これを身に付けている事が無意識になるべく歩こうとか考えて行動する事に繫がっているのかもしれない。

ちなみにSmartBand Talkにも活動量計の機能はあるのだが、最近そうしたアクティビティを表示するアプリも外してしまっていた。(今思い直してまた追加したが、基本見ない。)Apple Watchもそうだが、この手のツールで自分の活動をモニタリングして改善するという気持ちは、自分にはさらさら無いようではある。

それでも使っているというのは、ある意味意味不明な話ではある。

ちなみにFitbitアプリには、睡眠やら食事のカロリーやら水分摂取量やらを記録できる機能があって、時々克己心が頭をもたげて記録したりするのだが、基本長続きしない。
こうしたものを続けて、しかも改善していける人達というのを尊敬するが、多分自分にとってはそれほど大きなウェイトではないのだろう。

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2015年7月 6日 (月)

穏やかなスケジュールと穏やかでない練習

この週末は、金曜夜から土曜にかけて社員旅行があった事もあり、オケの練習は先週に比べるとぐんと穏やかなスケジュールだった。
・・・が、スケジュールの穏やかさと練習の厳しさは全く関係ない。

本番が近づくアンサンブルOは、指揮者がピリピリし始めたやや危機的な状況。実際、通した時に通っている感覚がない。例年に比べて練習が少ないという事はないはずだが、圧倒的に理解というか、慣れが不足している感じがある。いや自分だけかもしれないが。

大体この時期になれば、弾ける弾けないはさておき、音程やリズムに対する感覚は大体できているものなのだが、それができていない。正解のイメージが持てていないので、その都度楽譜に頼ってしまい、それが演奏や指揮に追いつかないという事態を招いている。

加えて来週はトップが休む事が判明。来週の土曜日は午前午後に別の練習が予定されているが、急遽キャンセルしてさらわなければ間に合わない。いや、さらっても間に合わない気もするが、せめて足掻かなければならない。弾けないのはともかく、分からないのは最悪だ。

一方、それに比べれば、練習を開始したばかりのF響のラフマニノフの方が、まだ感覚的に掴めている。過去やった事があるという事もあるのかもしれないが、もっとも弾けないという点では同じだけれども。

いずれにせよ、今週はこれまでにも増して練習をしなければならないのだが、今日明日はすでに予定があって練習ができそうにない。木曜日にも予定があるため、水曜、金曜、土曜でなんとか出来るだろうか、という所だろうか。

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2015年7月 3日 (金)

中だるみ

今日は会社に直行してしまって、スターバックスではないこともあって、ブログを書き始めてみても何となくテンションが低い。そうした環境に左右される要素というのは確かにあるので、だからこそ毎日リズムを崩さずに(スターバックスに)通うわけだ。

昨日はKオケの練習があった。練習自体は、先日演奏会が終わったばかりということもあり、次の演奏会に向けたプログラムも出来ていないので、やや中だるみ状態だったのだが、そういう状態でも続けておくことに(多分)価値がある。
ただ、自分はそうした状態でも何とも思わずに(惰性的に)続けられるのだが、人によってはそうではなく、目標が設定されてこそ活発になるという事もあるだろうから、いつまでもそうした状態で良いわけではないだろう。

組織的には、少し他の人に役割をふったので、例えばプログラムを決めていくのも基本的にはお任せになり、気落ち的にはかなり楽になってきた。もっとも、次回の演奏会はこれまでとは規模が異なってくるので、選曲一つとっても大変なのは確かで、お願いした相手には少々申し訳ないような気もしている。

何だかよく分からない心情の吐露みたいな内容になってしまった。若干昨日のお酒が抜け切れていないというか、楽しくてケタケタ笑いながら飲んでいたような気がするのだが、内容はあまり覚えていないな。

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2015年7月 2日 (木)

表現力を磨く

今さらながら、5月に参加したドヴォルザーク7番を演奏するオケの録音を聴いて、自分の音の艶のなさに愕然とし、落ち込む。なんとのっぺらぼうな音だろう。特に高弦での発音がひどい。

弾いている時には自覚できないのだが、録音してみると分かる表情のなさというのがある。気持ちが入る事と、それが音に表れる事とはまったく別物なのだ。アンサンブルに溶け込む事もないのっぺりとした音は、自分の無意識の部分の音楽への姿勢が表れているようで、何だか悲しい。

もっとも、気持ちが音に表れてくれるなら楽な話である。現実には表現の技術の話で、それが不足している、あるいは欠けているというだけに過ぎない。以前ある指揮者に言われたように、奏者が自分の演奏にのめり込むのは、ある程度までは重要だが、最後の最後に冷静にコントロールする事が必要になる。8割の熱狂を残りの2割でコントロールする事で、聴く人に満足してもらえる演奏になるのだ。その2割というのは、つまり技術であり、自分たちの音を客観的に捉える耳である。

それにしても、もうちょっと何とかならないものだろうか。技術的にどういった事を意識すれば良いのか、その辺りがよく分からないんだよね・・・。

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2015年7月 1日 (水)

音楽と向き合う

昨日は都内へ出かける用事があったので、久しぶりにタワーレコードに寄ってみた。オーケストラEの音源を探すためだったのだが・・・ひとつも見つからない。作曲者のブロックはあったので、その他大勢で一緒くたにされる程マイナーではない訳だが、CDがまったく見当たらないのは久しぶりである。もっとも、アンサンブルOも大概は見つからないので、まぁそういうものといえばそういうものかもしれない。
(一応断っておくと、世の中にCD音源がない程ではなく、店舗に見当たらなかっただけである。ネットで買うか・・・。)

で、それはそれとして、また幾つか聞いたことのない作曲家のCDとかを買ってしまったりしたのだが、そうやって買うのは良いのだが、意外と1回聞くだけ、それもあまり本腰は入れずに流して聞くだけだよな・・・などと反省したりする。もちろん良い曲は1回でもピピッと反応する事はあるのだが、多分半分意識の外で聞き逃してしまっている良い曲というのもあるに違いない。

そういった、消費というか、浪費のような音楽の聴き方は、音楽に対しても失礼だろう。レビューぐらいはするつもりで聴きなおしてみるか、などと(気持ちだけは)思ったりしたのだった。実際やるとなると大変だし、世にはそうしたレビューは数多あるので、今更自分がやってどうするのかという気もするが、向かい合う姿勢としては、その程度の事は考えておいても良いだろうという話。

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