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2015年7月13日 (月)

考えて弾く楽しみ

先週多大な時間をかけてさらったアンサンブルOのニールセンだが、見事に轟沈した。いやまぁ轟沈というほどの激しさはなかったので、消沈みたいな感じだろうか。結構さらった方だとは思うのだが、当たり前だがそうした努力が報われるとは限らない。

結局一夜漬けのようなやり方ではダメだという事だ。

それでも、ベースとなる部分は(歌う必要のあるゆっくりな箇所については)おおよそクリアになってきたので、この調子で積み重ねれば本番までに何とかなるだろう。問題はテンポの速い部分だが、先が見えてきているような、やっぱり無理なような、どっちつかずな状態にある。改めて徹底的にさらえばなんとかなるのか、すっぱり諦めて他に力を注いだ方が良いのかという見極めが出来ていない。

まぁもう少し足掻いてみる事にしよう。今週はKオケの練習もあり、先週ほどさらう事は出来ないけれども。

アンサンブルOの練習では、「考えて音を出せ」という事を再三指摘された。目に入った音符を考えなしに押さえて弓を動かすのではなく、アンサンブルの中でどういった役割を持った音で、どのように出すべきかイメージせよという事だ。その結果、その音を出すのに失敗するのは仕方がない。しかし、考えなしに弾くなら弾かない方が良い、と。

この指摘は耳が痛い。同じような指摘はF響でも受ける事があるからだ。面と向かってではないのだが、「ここはこのように考えて弾きましょう」と言われて、その自覚で音が変わるというのは、結局それまでは「考えていなかった」という事だろう。

この「考える」で重要なのは「感じる」ではない点だ。要するに感覚的に「こう弾きたい」というイメージを持つのではなく、もう少し論理的な「こう弾くべき」という理屈を持つべきという話である。もちろんイメージを持つなという事ではなく、そこに説明可能な理論を併せ持てという事に他ならない。

思うに、これは結構「苦しい」「辛い」プロセスで、もちろんそれさえ楽しめるごく少数の人たちがいわゆる天才という奴なのであろうが、それはさておき、楽しいだけでは音楽は成り立たないという事を示している。楽しさを得るためには、時にそうした試練もクリアしなければならないという訳で、困った事にそんな事をしなくても表面的に音楽自体は楽しめてしまうのだが、多分それでは自分は楽しめても聴いてくれる他人を楽しませる事は出来ないのだ。

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