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2015年8月12日 (水)

広島交響楽団「平和の夕べ」コンサート

叩いて音を出す、それも直接ではなくメカニズムを通して叩く仕組みにもかかわらず、どうしてそんなに豊かに音色を使わけることができるのか・・・昨日は縁あって広島交響楽団の「平和の夕べ」コンサートに行ってきたのだが、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番を弾いたマルタ・アルゲリッチの演奏に対する感想はそんな感じだった。

ピアノという楽器は、仕組みとしては「打楽器」なので、一度叩いて音が出てしまえばその後音色を変えようがない・・・と単純に考えてしまうのだが、人間の探究心というか、技術によってそれらを克服していけるというのは素晴らしい。言葉にするのは難しいのだが、音が出そうで出ない、でも出るみたいなもどかしさ、切なさのような事まで表現できるとは思っていなかった。ただ静かに音が響くのとはまた違った情感で、超一流の演奏というのはああいったものを言うのだろう。

プログラムは、ベートーヴェンの「エグモント」序曲にピアノ協奏曲第1番、ヒンデミットの交響曲「世界の調和」で、当初は「世界の調和」がメインだったが、当日はピアノ協奏曲が後半に据えられていた・・・のは多分上記のVIP事情によるものだと思うのだが、結果としてはその方が良かっただろう。趣旨は分かるのだが、ヒンデミットは、初めて聴くと(そして初めて聴く人も多かったと思うのだが)難解でちょっとしんどい。その点ベートーヴェンはシンプルで聴きやすく、ソリストのパワーも絶大だ。

もっとも個人的に期待していたのは「世界の調和」の方だったりした。知らない曲ではあったが、20世紀の音楽家となれば現代音楽に近く、コンサートホールでこそ聴ける響きのようなものがあると期待していたからだ。

・・・が、残念ながらその部分は肩透かし。先日聞いた現代音楽の作曲のやり方にまではもちろん到達していないだろうから、そういった事まで期待した訳ではないのだが、大編成のオーケストラだからこそ奏でられるような響きが感じられない。曲がそうなのか、演奏がそうなのか、はたまたホールの席の関係なのかは不明だが、個々の要因ではなく、複合している感じがある。

席はアルゲリッチの表情まで見える至近だったのだが、オーケストラの響きという点では管楽器の音が遠くて抜けてしまうような感じがあり、弦楽器の繊細な音色は聴けたのだが、管楽器とうまく調和していない。弦楽器をかき消してしまうか、弦楽器にマスクされてしまうか、いずれにしても一体感が薄い感じで、もしかしたらホールの響きを通して聴ける少し後方の高い位置の席のほうがその辺りの響きは良かったのかもしれない。いや招待券でもらっていて席に問題があると言ってしまうのも何だが・・・。
(その代わり、ピアノはばっちり聴こえた。キーを叩く音がホールのどこかに反響してノイズになってしまっていたのが気になったが、あの臨場感は前方席ならではだろう。)

それにしても弦楽器の一体感は素晴らしく(エグモントの冒頭だけちょっと乱れた)この所アマチュアの演奏しか聴いていなかったので、やはりプロは違うよなぁなどと思ったのだった。あの各パートが一つの音になって聞こえるアンサンブルをいかに実現するかというのが、オーケストラの弦セクションの課題なのは間違いない。

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