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2016年1月20日 (水)

効率重視というわけではないが

昨日はU響の練習。遅れて行った上に、途中から目が霞んでしまって散々だった。F響もそうだが、まだ譜読みが終わっていないので、楽譜が見えなくなると非常に辛い。

自分にとって、譜読みが終わるというのは、次に出す音の想像がつくようになる状態と言い換えて良いだろう。できるできないではなく、次はこの音を出さなければならないというのを、音だけではなく(音は比較的早めに入ってくる)指板上の位置か指の配置で捉えていなければならない。

そこまでいけば暗譜ではないかという気もするが、その想起を引き起こすきっかけは音楽ではなく楽譜という記号にある。その辺りの記憶のメカニズムというのはよく分からないのだが、自分の場合はそうであるという話だ。

で、その譜読みが終わっていない。F響の楽譜も含めて、目の前を流れていく音符に翻弄されてしまっている。ゲームのように時折は当たってしまうというのがタチが悪い。出来ていないのだが、出来ているように勘違いしてしまうのだ。それは偶然出た音が正しかっただけの話であって、意思を持って出した音の話ではない。その状態で出ている音というのは、再現性のないたまたまの音にすぎず、それでは音楽とは呼べない。

ようは練習をしろという事なのだが、時間を確保するのが厳しい上に、正直そこまでのモチベーションが湧いてこない。おそらくやや飽和状態にあるのだろう。F響、U響、Kオケ、アンサンブルC、Tオケにピアノ五重奏まで加わり、さらにカルテットが加わろうとしている。それはそれで幸せな事ではあるのだが、力技で何とか弾いてしまうのではなく、何かうまい付き合い方(減らすという意味ではない)はないものかと思ったりする。

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