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2016年3月18日 (金)

ほぼ日手帳を使う合理性

ほぼ日手帳はやはりちょっと重い。

会社内を手で持ち歩くのに重いという事はなく、むしろ持ち歩いている感があって良いのだが、鞄の中に入れていると印象が異なる。これ本当に必要だろうか(鞄の中の定位置として)と思ってしまうのだ。

現実問題として、それほど活用できている訳ではない。会社でのメモにはモレスキンのジャーナルノートブック(evernote edition)を使用しているので、持ち歩いているといっても、ほぼ日手帳の役割はそのノートとペンのホルダー的なものでしかない。いや流石にそれは言い過ぎで、ほぼ日手帳に何かを記入する事もあるのだが、ただ、重さに見合う活用かと言われれば微妙な所ではあるだろう。

それなりのお金を出したものだし、活用できないのはもったいない・・・と思ってしまうのだが、その発想は本来本末転倒であろう。活用するから買ったのであって、買ったから活用する訳ではない。コスト感を使用の強制力にするという考え方はない訳ではないが、それは自己啓発のような更に先の目的がある場合の話で、この場合は関係ない。

たまたまここ数日は開いて記入する機会があって、タイミング的には使っているタイミングなのだが、逆に使い始めると、これは手帳の中だけで完結してしまうだよなぁ(モレスキンはスキャンをしているが、ほぼ日手帳はそうではない)などと考えてしまったりして、どうにも中途半端な感じになってしまうのだ。

悩ましいのは「1日1ページ1年間」というフレームで、「一旦やめて使いたくなったら再開」的な使い方が、その期間中のページの無駄のように感じられてどことなく引け目を感じてしまう点だろう。使わせるという意味では良く出来ている。いや別にそんな意図があっての仕様ではないので、こちらの勝手な感覚ではあるのだが。

合理的に考えるのであれば、ほぼ日手帳が鞄の中にある必要はそれほどなく、使わなくなったからといって何が失われるという訳でもないのだが、そのあたりの感覚というのはどうにも合理的には出来ていないので、すっぱり割り切る事が出来ないのだ。

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