« キャンバスのサイズと発想のサイズ | トップページ | 演奏会は続く »

2016年4月15日 (金)

都市計画としての保育園建設

昨日は朝が立て込んでいたのでブログを書かなかったのだが、ネタの方は思い付いていて、それというのは少し前に話題になった保育園が近隣住民の反対にあって開園を断念したという話だった。

知られざる事情もあるだろうし、調べてから書けと言われそうだが、そこまでの気力はないので、単に思い付いたまま書くと、そもそも「近隣住民」がいるような場所に開園しようとするのは何故だろうかという疑問だった。今回の場合、道路も狭い住宅街の中に開園しようとしていて、そこに送迎の車が、みたいな話もあったので、すでに形成された住宅街の中で、しかも近隣に利用者は少ないと想像される立地である。

ようするに、利用者が近くにいる訳でもない住宅密集地に保育園を開園するという動機がよく分からなかったのだ。私立の保育園だったので、ようはそこに土地を持っていたいわゆる地主の思いつきのような事情なのだろうか。仮にそうだとしたら、それはマーケティングのマの字もない話で、ビジネスとして考えても、地域貢献として考えても、稚拙な話という事にならないか。

念のため断っておくと、今回の保育園云々の個別の問題を指摘したい話ではない。「近隣住民の反対」という文脈が生まれる背景は、そもそも近隣に住民がいるような場所に保育園を開園しようとする事にあるのではないかという話だ。

利用者の近くにという事であれば、反応は「近隣住民の賛成」になるはずだ。ただ、子どもが成長するものと考えれば、利用者の近くという利便性は長期的にはあまり意味がない。これだけ待機児童の問題が騒がれている中で、少々距離が遠いぐらいで利用者が減るとも思えない。もちろん一定の地域内という距離感はあるだろうが。

保育園の立地選択には、もっと重要な要素があるのではないか。結局のところ都市計画としてどう考えるかという話で、住宅としての利用は認めないエリアに作るとか、鉄道のようなインフラの整備とセットにするとか、工業団地の中に作ってしまうとか(そしてそこで働く人を優遇するとか)、そんな事は出来ないのだろうか。仮にそこに規制があったり、補助が必要であれば、それこそ行政の出番であろう。住民との調整の難しさを嘆く前に、住民との調整がいらないようなやり方を考える事は出来ないのだろうか。

そんな事を考えたりした。それとも「子供は街全体で人の中で育てるべきだ(でも自分の家の近所は嫌だ)!」みたいな価値観でもあるのだろうか。だとしたら多少の反対は押し切ってでも作るべきだと思うけども、そんなタテマエでなんとかなるような問題なのだろうか。

ちなみに余談だが、では「保育園を整備したからこの街に住みませんか」といった目玉的な位置付けにはしない方が良い。そういう視点で考えるから人が集まらず頓挫したりするのだ。保育園なんてものは、役所の建物と同じで、なくてはならないけれども、それが理由で人が集まったりはしないもの、ぐらいの位置付けで考えておくべきだ。いわゆる衛生要因であって、動機付けは別にあってこそ、その街に保育園が整備されている事が重要になってくるような気がする。

|

« キャンバスのサイズと発想のサイズ | トップページ | 演奏会は続く »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/22760/63488415

この記事へのトラックバック一覧です: 都市計画としての保育園建設:

« キャンバスのサイズと発想のサイズ | トップページ | 演奏会は続く »