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2016年5月30日 (月)

iOSとAndroid

先週書いた通り、土曜日にガラケーの契約をXperiaZ1に戻したのだが、その際に1年の契約縛りを受け入れた結果、dtabを入手することになってしまった。回線契約はなしなのでWiFiで使用する形になる。

で、その設定をちょこちょこっと行い、昨日はZ3とあわせてZ1も使用したのだが・・・それぞれの操作感の違いに戸惑ってしまった。

そのように考えると、iOSはiPhoneであれiPadであれ、操作感が統一されていて、それゆえに個別にはやや面はゆい事も感じたりしつつも、共存が可能になっているのに対して、Androidは端末ごとの最適化がされていて、複数台を同時に使い分けるのが難しいという事になる。
(iOSも、バージョンが違うとちょっと面倒になる。)

ようするに、Androidは複数の端末を用途に応じて使い分けるのに向いていないという事だ。iPhoneとiPadは、同じ作業を状況に応じて端末で使い分ける事にそれほどストレスを感じないのに対して、Androidはそうはいかない。特にメーカーが違う場合は決定的で、それを解消するには、結局すべての作業をGoogleファミリーで統一しなければならない。
(それもアプリをGoogleだけにするといったレベルの話ではなく、OSとしてのAndroidの機能や、メーカーの提供する独自機能にはなるべく頼らないような工夫が必要というレベルの話だ。)

いやまあdocomoの端末として、docomo仕様を受け入れれば統一感は図れるのかもしれないが、それって機種をこだわって選ぶ必要はないという話で、それはそれでどうなのだろうかと思わなくもない。

とりあえず、Z1とZ3の使い分けについては少しずつ調整をしていくにしても、dtabについては操作感をストレスないレベルにしていくのは絶望的だなという話。まったく別の用途として、考え方を変えた方が良いのかもしれない。ゲーム専用機としてしまうとかさ。

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2016年5月27日 (金)

Kオケ

昨日はKオケの練習。正直練習自体は緩いのだが、本番という名の演奏機会はもっとも多く、編成等の条件が厳しいオケでもある。そして会社のオケなので、付き合い方が難しい。

当面は6月4日にあるOBOG向けの演奏会向けの準備を進めていくのだが、その後7月にはも控えており、さらに9月の予定もそろそろ確定らしい。その後は11月と続くので、結構暇がない。

いきおい新曲の準備はなかなか難しく、幸い定番曲と呼べるものがあるのでそれを軸に据えて構成していくのだが、毎回悩みの種は編成にある。演奏会の性格上エキストラを呼べば良いというものではないというところが悩ましい。

6月と7月の演奏会はどちらも休日に設定されているのも悩みの種であったりする。平日であれば後は仕事との調整で、それはオケとしても(メンバーの所属部署などに)働きかける余地があるのだが、各人のプライベートにかぶる予定には逆に口を挟みづらい。そもそも自分自身がそれを望まない。

実際7月の予定については、U響とのダブルヘッダーになる。練習と本番のダブルヘッダーは経験があるが、本番のダブルヘッダーは初めてだ。Kオケは午前中で、U響が夜公演である事が可能にした無茶なスケジュールではあるが、それが無理だった場合にどのような選択を自分はしただろうか。

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2016年5月26日 (木)

XperiaZ1とiPadPro12.9

ガラケーからのiPhoneへの切り替えは結局進めていない。どうにも決め手に欠けるというか、増えるデバイスの使い分けがイメージできないからだ。

その一方で、ガラケーの回線をそのまま放置しておく事は無駄が大きい。その回線を主回線にして、残りの回線でパケットをシェアするというのが理想の形だからだ(何度か書いているがそもそも契約解除が一番お得というのは目をつむる)。

そこで、決め手がないなら、以前の形に戻して、XperiaZ1を復活させても良いのではという事を昨日思いついた。iPhone5sをそうできれば良いのだが、これはSoftbankで購入したものでdocomoでは使えない。Xperiaであれば、少なくとも機種購入代金は不要で、契約を変えるだけで済む。

ようはどのようにZ3とZ1を使い分けるかという話で、これは元々iPhone6sPlusで考えていた使い分けをそのまま当てはめれば良いのだ。iPhoneのアプリを試すという目的は果たせないが、SNSなどはZ1を中心に運用していけば良い。

そしてあわせてiPad Pro12.9インチモデルを導入してみてはどうかと思いついた。日経の紙面ビューアーやdマガジンなどは、正直iPad miniでは厳しい。もっとも、それらの閲覧が朝のこの時間が中心という場合に、では通勤に持ち歩くのかと言われるとやや微妙なサイズと重量ではあるのだが・・・。

ただ、A4サイズが表示できるのであれば、楽譜としても持ち歩きが容易になる。知り合いが練習に使っているのをfacebookで見かけていると、それはそれで大きなメリットだなと思ったりする。実用レベルかどうかは購入前には試しようがないので評価しようがないのだが。

いずれにせよ、iPhone6sPlusを購入する事を考えれば、実はそれほど金額的に差がある訳ではない。最大容量の256GBにすれば、音楽と動画がかなり持ち運べるようになり、噂のスピーカーで視聴が出来るようになり、逆にiPad miniの容量が空くので別の何か(なんだよ)に回すことができるようになる。いやまぁ両者を同時に持ち歩くのは非現実的なので、そこはもう少し考える必要があるかもしれないけれども。

そんな事を考えたのだった。まぁiPad Proは妄想としてもXperiaZ1の復活はさっさとやってしまった方が良いだろう。ちょうど月が変わるタイミングだし。

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2016年5月25日 (水)

ブラームスとツェムリンスキー

昨日はU響の練習でブラームスとツェムリンスキーの(どちらも)交響曲第1番。第九に次いで演奏経験の多い曲と聞いた事すらない曲の組み合わせというのは、練習での頭の使い方が全然違っていて面白い。

ブラームスの1番。指も弓も大雑把には動くのだが、細かい調整が効かない。よくよく見ると音が違っている気もする。慣れが招くこの状態はよろしくないよなぁ。
送信 5月24日 20:25 From Hootsuite

それにしてツェムリンスキーはすっかり忘れていた。半分勝手に指が動くブラームスと全部指令を出さなくてはいけないツェムリンスキーの組み合わせは切り替えが難しいな。
送信 5月24日 21:42 From Hootsuite

感覚としては、ぱっと見の印象で曲が思い浮かび体が動いていくのを後追いで楽譜で確認するブラームスと、楽譜に書かれた音を出すための動作が先行して、音が出てからそう言えばこんな音楽だったと思い出すツェムリンスキーという感じで、気を使うポイントがまったく違っている。

ブラームスはともかく、ツェムリンスキーについては今後練習を積み重ねる中で、今のような感じ方が薄れていく事になるので、この時期の感じ方は結構貴重である。

ただ、正直オケにとって未経験の曲というのは、各自が合意のないままに音を出しているので、音程一つとってもアジャストするのが難しい。正解として合わせるべきポイントがはっきりしないからだ。U響の場合、この時期の練習ではパートがそろっていない事もあるので(昨日は大体いたと思うが)、なおの事だ。

ツェムリンスキーは、楽譜としては難易度がそれほど高い訳ではないが、経験にはないトリッキーな動きが所々にある。そういった意味では惰性で出しても音が当たる訳ではなく、適度に注意が必要な楽譜になっている。これは楽譜に対する感覚を磨く上では悪くない。さらにそこで高めた注意力をブラームスに活かせれば、より深く読み込みを積み重ねる事にもつながるので、相乗効果も期待できるだろう。

もっとも本番は7月23日なので、すでに2ヶ月をきっている訳だ。尻上りに調子を上げていくのがアマオケの常とはいえ、昨日のアンサンブルの状態は正直大丈夫なのかという感じだったのだが(その辺り比較的早い時期にまとまってその代わりそこから伸びないF響とは対照的だが)、そこは残りの期間の追い込み次第だろう。ま、オケの前に自分の心配をしなければ。

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2016年5月24日 (火)

演奏会終了

F響の定期演奏会は無事に終了した。

今回の「無事」には、多分に自分自身の体調の要素が含まれていて、どういう訳か今年はU響の定期といい、体調不良に見舞われている。おかげで打ち上げで飲んでいない。ま、飲むためにやっている訳ではないのだけれども。

今回のテーマはある意味「キレない事」だったと言っても良いだろう。直前のTオケの演奏会ではキレてしまっていたが、F響の未完成プログラム(シューベルト&ブルックナー)はそもそもキレる要素が少なく、数少ないポイントであるブルックナーの第一楽章なども、マージンを残しておかないと音が悲鳴のようになってしまう事が判明していた。そういった意味では、多少微熱状態ぐらいの方が冷静に弾けたと考えられるぐらいだ。

もちろん、良い演奏だったと自己評価はしていても、細かい点をいえばきりがない。音程、音の長さ、歌い方、響きの残し方など、特に未完成はもっと気を使えたような気がする。今回は自分の音だけがやたら聞こえる状況に陥ってしまったので尚更だ。

とはいえ、アンサンブルとしては自分の音を消すのが目標だが、自分の音が聞こえる事で色々考えさせられた事もある。はっきり感じたのは音を出すのと音を作るのとは違うという事で、音を出す作業に終わっていたように感じられるのが(自分ごとながら)残念であったりする。いや所々は意識していたのだが、それが作れていたかは怪しい。何が音を作る事につながるのかはよく分からないのだが、自分の音が聞こえないように弾こうとしていると、その辺りの意識が薄れやすいのは確かだろう。作った音が溶け込んでいるかではなく、出した音が聞こえないかという判断基準に耳が陥りやすいからだ。

・・・で、こうやって演奏会の直後というのは色々考えたりもするのだが、

演奏会が終わる度に、もっと上手くなるにはどうしたら良いだろうかとか、次はこういう練習をしたら良いのではないだろうかとか、色々考えるのだが、大体次の合奏が始まると霧散する。そのサイクルを何とかしたいとどんなに思っていても、ほぼ間違いなく消し飛ぶ。
送信 5月23日 19:07 From Hootsuite

・・・こうなる。このメカニズムは何とも抗いがたい何かがあるような気もするのだが、とりあえず次のF響のデュカスはそういう状態に陥りそうな楽譜である事を昨日確認した。

本当はバロックなどをやれば良いのであろうなどと思ったりする。

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2016年5月19日 (木)

アンサンブルプレイヤー

先日のTオケの本番前に、こんな趣旨の話をパートメンバーにした。

皆さんは誰よりも皆さん自身が聴きたかった音楽を演奏するためにこの場にいる。
その音楽が完成された形で聴けるのは、今日この場で今からだけである。
だからパートの音や自分の音ばかり気にして聴くのではなく、まず自分自身がオケ全体の音を楽しもう。

そんな話だったと思う。

テクニカルな話をするなら、アンサンブルで重要なのは、自分の音が聴こえないぐらい全体に溶け込ませる事にある。ステージに上がった時によく言われる「自分の音しか聞こえない」状態というのはあまりよろしくなく、むしろ「自分の音が聴こえない」状態を作り上げていこうというのが話の根幹で、さらにいえば「自分の音が聴こえないからといって出しすぎたらうるさいから」という切実な状況でもあったのだが、再演の可能性は考えられていない1回きりの演奏会だったと考えれば、まず奏者こそ楽しめなければ意味がないというのも確かだ。そもそもそれがアマチュアの醍醐味でもある。

とはいえ、実際には我々奏者は、自らの楽器が奏でる音を聴いてモニターしながら演奏をしている。だから、本当に聞こえなくなると猛烈に不安になるのは否めない。特に個人練習を積み重ねて、その音のイメージが耳に染み付いている場合は、それが聴こえなくなるのはある種の恐怖だろう。一方で和声の中で練習を積み重ねていると、実際に自分が出している音ではない音がイメージとしてインプットされてしまい、1人で弾くとあれこんな音だったか、となってしまう事もある。個人的にはブルックナーなどはそんな状態で、1人で練習する(ほとんどないが)時と、合奏の中で音を出す時では、かなりイメージが違っている。

先日書いた、音を出す前に自分の出すべき音がイメージできていないというのは、案外その辺りにも関係があるのかもしれない。楽譜が指示するCの音を弾く時に、実際にイメージしているのは五度上のGの音の響きであったりする事があるような気がする。もちろんすべての音でという訳ではないが。

オーケストラのプレイヤーというのは、本来そういう状態を作り上げていく事を楽しんでいくものだと思いたい。我々はソロプレイヤーではなく、アンサンブルプレイヤーなのだから。

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2016年5月18日 (水)

クラシック音楽の聴き方

今朝はスターバックスにしようか、猿田彦珈琲にしようかと少し躊躇している間に、スターバックスのいつもの席を取られてしまった。微妙な時間調整なのだが、駅に着くのが52分、店の前に着くのが55分として、どちらも開店時間は7時の設定ながら、大抵10分前には開店してしまうスターバックスと、どうもどの時点から開店しているのかが分かりにくい猿田彦珈琲(店の前に立つと開けてくれる店員もいる)とで、チョイスに違いが出る。ちなみにモーニングとしてはグラノーラが出る猿田彦珈琲の方がコストパフォーマンスも高いのだが、スターバックスにはWi-Fiが使えるというアドバンテージがあったりする。コーヒーの違いは正直よく分からない。

そんな朝のお店のチョイスの話はさておき、昨日は久しぶりに渋谷のタワーレコードに立ち寄り、いつものように大量買いをしてしまった。もっとも全集版のようなものは買わなかったので、トータルの枚数はそれほどでもない。

イル・トロヴァトーレのBlu-ray
イル・トロヴァトーレのCD
ツェムリンスキーの交響曲第1番第2番
ツェムリンスキーの叙情交響曲ほか
デュカスの魔法使いの弟子ほか
デュカスの魔法使いの弟子・・・のピアノ版ほか
以上購入いたしました。
送信 5月17日 18:57 From Hootsuite

イル・トロヴァトーレはE管の参考音源。物語が分からないので、日本語字幕付きのBlu-rayも購入してみる。これをじっくり視聴する時間が確保できるかが悩みどころで、字幕で話を確認するとなると聞き流すようなスタイルはとれないので結構しんどい。ただ、日本語の解説がついていたので、筋は大体分かった・・・って、それだけならネットや本で調べる事もできるのだが、歌詞と曲の感じはやはり実際に見てみないと分からないだろう。昨日ちょっとだけ見たのだが、曲としては明るく軽いと思っていた箇所で、結構物騒な歌詞が歌われていた・・・気がする。

ツェムリンスキーはU響の参考音源。この手の知らない作曲家の場合、手っ取り早く全集版などを購入してしまったりするのだが、それも無かった。おまけにターゲットである交響曲第1番については、演奏する楽譜は第4楽章まであるのに、収録されているのは第3楽章までというアンマッチ。聞いた話では、第3楽章と全く同じ曲が第4楽章として収録されていたCDもあったそうで、クラシック音楽界の闇というか、奥の深さを垣間見た感じがする。

ちなみに叙情交響曲は演奏会とは関係ないが、全集版とかを買う延長で、その作曲家への興味関心を兼ねた勉強用である。そうでもしなければ世界は広がっていかない。
しばらく前になぜクラシック音楽の人口が減り続け、今も激減しているのかという話題が盛り上がっていて、その中でバッハやモーツァルトが新作を発表しないからというのがあったのだが、まだ聞いたことのない曲を自らにとっての新作と考えれば、クラシックの世界には数多の新作が積み上げられているのだ。

デュカスはF響の参考音源。魔法使いの弟子は秋定期の前プロになるが、知っているつもりが音源を所持していなかった。たまたま隣にピアノ編曲版(魔法使いの弟子については連弾ぽい)があったのでそれも購入してみる。ピアノ編曲版といえば思い出すのはラヴェルのスペイン狂詩曲なのだが、管弦楽の魔術師といわれたラヴェルの作品にも関わらず、個人的にはピアノ編曲版(作曲家自身による編曲だった筈)の方が曲の世界観がシャープに表現されていて良かった印象があるので、今回もそんな発見に期待していたりする。

そんな様々な音源を入手しながら、いつもの事ながら課題は「いかに聴くか」である。大抵はながら聞きとかになってしまって、正直印象も残らないままライブラリに埋もれていく曲も少なくない。もちろん参考として購入した音源は何度でも聴くのだが、それだけならわざわざカップリングまで含めて購入する必要はない訳で、むしろそれ以外の曲をいかに聴いていくかが課題だと「毎回」思う事は思うのだが、それがなかなか難しいのである。

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2016年5月17日 (火)

練習を休むという距離感

今日はU響の練習日なのだが、仕事の打ち合わせが渋谷である関係で楽器を運ぶ事が出来ないため、参加を断念する。何とかならないかとも思うのだが、これぐらいの距離感があっても良いように感じている。それはU響に限らず、F響などにも言える事だ。

一方で、参加する以上出席すべきという考えもある。特に自分の場合は、オケの練習への参加時間がほぼイコールで楽器を弾いている時間のため、練習に出席しない事は楽譜への練度の低下に直結する。恐らく休みがちな人というのは、それ以外に個人練習の機会を持っていると思うのだが、自分の場合はそれがないので、結局練習に参加するしかないのだ。

ただ、そうした練度の問題は差し置いても、距離感というか付き合い方のバランスというものはあるであろう。特にU響は練習後の飲み会もほぼ出席しているため、それも含めて距離感が必要なように感じている。ちなみに飲み会に出ないという選択肢も確かにあるのだが、そうなると逆に電車の混雑がしんどいという問題に直結したりする。

とりあえず今日は休みである。いや仕事がじゃないよ。

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2016年5月16日 (月)

演奏への没入感

土曜日にオペラの練習がスタートした。オケの名前は・・・E管という事になるだろうか。(別に伏せるような事でもないのだが。)

オペラに挑戦するのはF響でモーツァルトの「魔笛」やって以来である。正直な印象としてはとにかく運営的な手間がかかるので、正直自分が運営に関わる形では二度やりたいとは思わないのだが、一奏者としては興味がなくもない。何といってもそうそう出来るものではないからだ。

土曜日の初練習は第一幕と第二幕。ざっと通しながら要所要所に指示を受けるだけであっさり2時間半の練習が終了する。歌い手との合わせもない状態でこうなのだから、そうでなくなったらなおのこと端折られる所は端折られてしまうだろう。G.P.などを除けば、本番まで一度か二度程度しか弾かないようなフレーズも出てきてしまうに違いない。その中で指揮者の解釈を受け止め、演奏として完成させなければならない。改めて感じたのだが、これは容易ではない。

もう一つ感じたのは、「のめり込む瞬間がない」という事だ。

魔笛の時もそうであった気がするが、オペラというのは弾いていてどこかでのめり込めない所があるような気がする。ただこれが総合芸術としての頂点とすれば、本来そういうスタンスがそうでない曲でも求められるというのがあるべき姿なのだろう。ようはいつもはのめり込みすぎってこと。
送信 5月14日 12:31 From Hootsuite

ようするに演奏中にキレる事が出来ない。ブラームスのように「意識して冷静に弾くようにする」とかではなく、そもそも冷静でなければ弾けない、という感じだろうか。あるいは曲への練度の問題で、暗譜でも弾けるようになれば(とてもそうなるとは思えないが)、違ってくるのかもしれないが、少なくとも今の時点では、気持ち的に没入するような要素がほとんどないように感じている。

それが問題という事ではなく、それも演奏の在り方だし、むしろその方が聴く人達には感動を提供できるのかもしれないという気もする。

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2016年5月13日 (金)

音が出るまでのステップ

昨日はKオケの練習だったのだが、少しばかり自分の音の捉え方がおかしいのではないかという事に気付いてしまった。

昨日の練習中に気付いた衝撃の事実は自分がチェロパートとして次にどんな音を出すのかということを音として理解せずに弾いているという事だった。アンサンブルとしてこういう音というのはイメージしていても、パートを抜き出した形でイメージできていない模様。
送信 5月13日 6:20 From Hootsuite

あくまでも楽譜に書かれた音符という記号として音を認識していて、実際に弾いてみないとどんな音かが分からないのだ。
送信 5月13日 6:24 From Hootsuite

言葉で説明し難いのだが、気付いたきっかけはブルックナーの9番の第一主題を思い出して弾こうとした時だ。知らない人のために補足しておくと、ブルックナー9番の第一主題は極めてシンプルで、リズムはもちろん、音も自分の頭の中に入っている・・・筈だった。

筈だったが、弾けなかった。弾けなかった理由は、視覚的な記号としての音符が頭の中に思い浮かばなかったからだ。

これは個人的には興味深い現象だった。一般的な演奏者というのは、恐らく楽譜に描かれた音符からどのような音なのかをイメージし、その音を出すために(弦楽器の場合は)特定の弦の特定の場所を押さえて音を出しているだろう。特に金管楽器などは出す音をイメージしていないと狙った音は出ないそうなので、次に来る音のイメージがあって、音を出すための動作があるというステップで音を出しているのは間違いない。

ところが自分の場合は順番が違うらしい。楽譜に書かれた音符からスタートするのは同じだが、そこから音をイメージするのではなく、まず動作として特定の弦の特定の場所を押さえるというステップがあり、その結果として出た音を「そうこれが正しい」と検証するというステップなのだ。イメージした音を出すための動作ではなく、楽譜に指示された動作として楽器を弾いているような感じで、ようするに「この音を出すためにこう弾く」という弾き方に(どうやら)なっていない・・・らしい。

そのため、耳にしたフレーズを再現することができない。この音を出すためにはここを押さえるという回路ができていないので、まず頭の中で出すべき音の音符を描き、その音符を再現するための動作を行って、音が出てから初めてそれが正しいかを検証しているのだから。

つくづく、何で自分のような人間が音楽をやっているのかと自問したくなるような気付きだった。実際これでよく楽器が弾けるよなという気がしなくもない。

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2016年5月12日 (木)

iPhoneとXperia

iPhoneをまだ購入できていない・・・というと若干語弊があるような気もするが、身内から取り返した?ガラケーが何の活用もできないまま基本料金を取られ放置されている状態が続いている。

選択によっては使わなくなってしまう可能性もあるだけに、一度考え始めると迷ってしまう。ちなみにその携帯電話の回線は15年以上契約しているものなので、解約するのであればむしろ今主機で使っている方を解約して切り替えた方が長期的にはメリットがあったりする。だから尚更迷ってしまうのだろう。

当初はiPhone6sPlusのつもりだった。
今の主機であるXperiaZ3compactとのサイズ的な対比で考えれば、似たサイズよりは大きな方が良い。その上でiPad miniの携帯はやめるというのが基本的な運用プランになる。

しかし実際にiPad miniの携帯をやめられるのか、というのが一つ。
もう一つは、今の主機であるXperiaに機種変更のタイミングが来た時にコンパクトサイズでいけるのか、という問題が浮上した。

少し先になるが、その場合、コンパクトなiPhoneSEと大画面のXperiaの組み合わせの方が良いのではないか。正直、Z3compactのフィット感はiPhoneSEには及ばない。自分の場合、本当に持ちやすく使いやすいのは、カバーもバンパーも着けていないiPhone5sのサイズなのだ。ちなみにその場合はXperiaの携帯性が落ちるため、主機としての使い勝手はどうなるのかという問題が浮上するが、そちらはSmartbandTalkの通知機能でカバーできる。

そんなアイデアを思いついてしまったために、GW中にオンラインで申し込みをするタイミングを逸してしまったのだ。

悩み始めればきりがない、ある意味どうでも良い悩みで、実際にはブログのネタにする時以外はほとんど考える事もない案件なのであるが、充電スタンドに鎮座している携帯電話を目にするたびに、ちらっとそんな事を考えてしまったりする。

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2016年5月11日 (水)

練習のない日の使い方

昨日はU響の練習でブラームス1番の分奏。指が覚えているような、頭が忘れているような、何れにせよ微妙な不安定感がある。経験がある曲というのは、どこかそういう要素があって、譜読みが楽な反面、演奏精度が上がらない傾向がある。

本来それはとても勿体無い話で、以前の経験に積み重ねてさらに精度を高めていけるのが理想だと思うのだが、多くの場合過去の経験をなぞるだけで終わってしまったりするのだ。単なる練習不足といえばそれまでだけど。

さて、例年であればこの時期はアンサンブル・オレイユの練習がスタートするのだが、解散してしまったという事でちょっとした喪失感がある。それもあってある意味うっかり誘いに乗ってしまったのだが、オペラ専門のアマオケに参加する事になった。今週末からその練習が始まる。

楽譜の製本は何とか終わらせたのだが、厚みが半端ない。これだけの分量を10回程度の練習で仕上げていくスケジュールになっていて、どのように練習を組み立てていくのか興味がある反面、ついけていけるのか不安がある。というか、普通に考えてこれまでの練習スタイル(合奏の中で譜読みから仕上げまでをする)ではどうにもならないような気もする。

一方で、火曜にU響、木曜にKオケ、(大体)土曜日にオペラ、日曜にF響と、何だかんだで週7日のうち4日も楽器に触る機会がある事を考えると、これ以上何かを差し挟める曜日はないとも思える。楽器を弾かない時間の活用が鍵になるとしか言いようがない。

そういう意味では、今日のような日の使い方が重要な訳だ。いやでも今日みたいな日は本来他にやらなければならない事を優先しなければならない日だったりするのだよ・・・。

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2016年5月10日 (火)

アマオケにおける選曲の問題

今朝ネタが出てこないのは、昨日の夜のだめカンタービレを一気読みしようと無理をしてしかも結局最後までいけなかったため・・・ではないとは思うのだが、個人的にとても興味深い台詞を最終巻に見つけているので、そこまで読んだら紹介する事にする。

そういえばGW中にはこんな事もtweetしていた。

「お客様の満足する演奏」と「お客様の満足する選曲」は実は微妙に違っていて、アマオケは「満足する演奏」を目指すべきだが、プロオケの場合は「満足する演奏」は当たり前で「満足する選曲」を重視するもの。そう考えれば、ま、アマオケの選曲はプレイヤーのものだよね。
送信 5月7日 11:36 From Hootsuite

「お客様の満足する選曲」というのは、実は結構難しい。単に要望を聞いてその通りの曲を選べば良いというものではないからだ。そもそもお客様の満足度は、選曲と演奏が混ざりあった状態で形成されていて、すっぱり切り分けられるものでもない。

ただ、何がお客様の満足する選曲なのか、という視点はアマオケでも持っていて良いような気がする。単純に聴きたい曲を聴かせるといった話ではなく、お客様に満足してもらえる演奏会にするにはどうすれば良いだろうかと考える姿勢の話だ。それは選曲だけでなく、プログラムの作り方や演奏会全体の雰囲気の作り方などにも表れてくる。

ゲームオケの場合は、その辺りが比較的シンプルである。何故ならターゲットがかなり明確に限定されていて、しかも多くの場合それが奏者と一致しているからだ。奏者と聴衆の嗜好はほぼ一致しており、奏者は過度に内輪受けにならない程度に、自分たちが聴きたい音楽を演奏すれば良い。楽器を奏でるか奏でないかの違いだけで、奏者と聴衆が求める演奏あるいは演奏会の姿は大きく重なっている。

クラシックの場合は、その辺りが微妙である。団員の知り合いを中心に呼ぶ構造の問題はさておいても、求める音楽の幅は相当に広く、それは奏者間でさえ重ならない事がままある。特定の作曲家だけを取り上げるようなオーケストラであればまた話は別だが、多くの場合、プログラムには一口にクラシックといっても古典から近現代まで様々な曲が詰め込まれる事は珍しくなく、共通項は「オーケストラ曲である」ぐらいになってしまう。

そうした状況で、一貫性持ってお客様の満足につながるプログラムを組むのは難しい。「ショスタコーヴィチを楽しむ」ぐらい限定されるならともかく「クラシックを楽しむ」「オーケストラを楽しむ」というのは、テーマはあってないようなものだからだ。

・・・ま、だからアマオケというのは結局自分達が演奏したい曲を演奏して、それを聴きたい人だけを(数は少なくても)呼べば良いのではないかと割り切ってしまうというのも一つの在り方であろう。プロオケの場合は多くの人に来てもらう必要があるので、色々考える事もありそうだけれども。

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2016年5月 9日 (月)

クラシックオケとゲームオケと

長かったGWが終わり、今日から仕事に復帰する。

長かった・・・と書いたが、体感的にはむしろあっという間だった。10日間の休みのうち、4日間がTオケ、2日間がF響、1日がRオケとある意味オケ三昧の生活で、あまり休日らしいのんびりした感覚がない。ま、元々あまりのんびり過ごすという事は普段から無いのだが。

ゲームオケであるTオケの本番も無事(?微妙に事故はあったがそれは本番につきものだ)終了。これで終わりかと思いきや、別のオケに誘われたので、比較的同じメンバーと引き続きアンサンブルをしていく事になっているが、それに関連して少し呟いた事などを整理しておく。

昨日の演奏会では色々やらかしてしまって恐縮しているのだが、それはそれとしてゲームオケというのをどう捉えているかというのを打ち上げで誰彼なく話していた気がするので少し整理しておく。
送信 5月6日 11:50 From Hootsuite

一般的にゲームオケに参加する面々の動機というのは、そのゲームが好きでその音楽を楽しむためという事ではないかと思うのだが、自分の場合はちょっと違うのではないかと思ったりした。いやそのゲーム自体は嫌いではないというのは動機の一つではあるけれども。
送信 5月6日 11:52 From Hootsuite

そうではなく、何というか例えば魔笛が作曲された時代にその音楽に触れた一般の人が自らも演奏しようとするような、そんなムーブメントに立ち会っているような楽しさを感じているのだ。
送信 5月6日 11:55 From Hootsuite

その際のポイントはリアルタイムである事と、オリジナルに対するアレンジである事と、商業的(=プロの世界)ではない事だ。魔笛のオリジナルをその時代の音楽家が興業として演奏するのではなく、魔笛のアレンジを素人が演奏して楽しむという音楽の在り方が文化として素晴らしいのだ。
送信 5月6日 12:10 From Hootsuite

もう少しいえば、オーケストラの在り方としてだろうか。クラシックという過去の芸術の再現を楽しむだけではない、今に息づく音楽の楽しみ方として、オーケストラの新たな可能性を示す端緒に立ち会っているのではないかという気がする。
送信 5月6日 12:14 From Hootsuite

というか、そもそも今のクラシックがリアルな時代にもそんなものがあったのではないかという気がするんだよな。それが形を変えて再び注目されるようになっていると捉えても良いのかもしれない。
送信 5月6日 12:16 From Hootsuite

何だか大げさな書き方になっていて、しかもそうした音楽の楽しみ方は今に始まった事ではないでしょ、と言われればそれまでだが、それが自分の音楽生活に関わってきているのは、やはり楽しいことだし、音楽の楽しみ方に変化をもたらしていると感じている。

ただ、自分はあくまでもクラシック畑の人間ではあるので、その上でクラシック系のアマオケにポジティブな意味での変化が生じてくれることを期待しているのは間違いない。今はまだ両者は遠い気がするが、何か上手い形で化学反応が起こらないものだろうか。昨日の題名のない音楽会のように、プロの方がそうした変化は早そうだが、アマチュアでもそうした変化はあっても良い気がする。

一方で従来のスタイルを守っていく姿勢も重要なので、なんでそうなれば良いとは思わないけれども。

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