« サイレントチェロ復活 | トップページ | 練習時間の確保 »

2016年6月24日 (金)

議論の方向性

ちょっとイライラしている。

イライラというか、気になることがあってそれを相手に対してぶつけるべきかを悩んでいる。スルーしたところでそれほど大きな問題ではないし、ぶつけたから事態が好転する訳でもない。ようは意見として表明しても、およそ良い方向に向かうとは思えず、表明するメリットがない。だから意見を抱える身としてはすっきりせずにストレスを感じるのだ。言ってすっきりするのが自分だけであれば、それはただのマスターベーションにすぎない。

そしてそんな時のためにこのブログは存在する。

今回の案件は、元々「やりたい訳ではないが断りにくい」という類のものだった。やるとなれば相当負荷がかかるし、他にも影響が及ぶ事が否めないので、出来る事なら断りたいが、断るとなると依頼側との関係がこじれる、とまでは言わないにしてもよろしくなくなるリスクがある。依頼側は相当に強い要望としているだけに尚更だ。

そんな状況下で議論がスタートしているので、極論すれば戦わすべき意見はふたつしかない。

「何とかしてやる」(どうにかやる方法を考える)
「何とかして断る」(どうにか断る方法を考える)

前者には多勢の同意が必要である。何となれば負荷がかかるのは全員の話だからだ。一部の人間でやると決めたからといって、一丸になれるとは限らないから、そう決めるにあたっては皆の合意というプロセスが重要になる。
一方、後者の場合は同意云々という話ではない。相手方との交渉の問題で、皆で決めたからどうなるというものではないからだ。そもそも全体の雰囲気としては断れるなら断りたいのだから、それは決めるべき立場の人がそう決めてしまえば良い事にすぎない。後は交渉次第である。

そこで現実問題としては断れないという事になり、何とかやろうという話になっていると思っているのに、後から真逆の話ばかりが降ってくる。

「本当にやるんですか」
「やるとなるとこの曲ですけどできますか」
「お金が出なかった場合は断りますか」

だったら最初から断るために全力で動けよ、と思わなくもない。皆の意見として断る方向に持っていきたいという事なのか、とにかく意図が読めなくてイライラする。

そもそも「何とかしてやる」か「なんとかして断る」かが論点になっている時に、「本当にやるのか、その覚悟を示せ」何ていうのは、議論にもならない論点のすり替えにすぎない。その上、何とかしてやらざるをえないという結論に至って、ではどのようにやるかを考えようという時に、「やるとすればこの曲。それ以外は検討しない」「その曲をやるにはこれだけお金がかかる、でも予算はないかも」みたいな話を後出しにされると、だったらやらない事にしましょう以上と言えよ、という気分になってしまう。

何というか、「だったらやめましょう」と言い出すのを無理やり誘導されているような気分なのだ。

こっちだってやりたくないんだよ。でも状況を考えればそうも言ってられないからどうやろうかという方向で必死に考えようとしているんだよ。制約条件を示すならせめてどうやってクリアしようかという方向に話が流れるような投げかけをしてくれよ。そうではなく逆方向に持っていきたいなら最初から議論に巻き込むなよ。

以上!

|

« サイレントチェロ復活 | トップページ | 練習時間の確保 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/22760/63822150

この記事へのトラックバック一覧です: 議論の方向性:

« サイレントチェロ復活 | トップページ | 練習時間の確保 »