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2016年8月31日 (水)

鞄生活

生活の全て・・・とは言わないまでも、大半を鞄に詰め込む事は可能だろうか。いやまぁ自分の場合、そもそも楽器という全く別に考えなければいけないものはあるのだが。

ミニマリストになりたいと思った事はないが、以前にも書いたようにモバイラーあるいはノマド的な気質ではあるので、必要なものを常に持ち運べるように鞄にまとめてしまいたい的な欲求は結構強かったりする。

実際には「一つの」鞄にまとめる事は現実的ではないので、ようは収納家具に納めるのではない身の回り品の整理がしたいという事だ。それは鞄の問題でもあるし、その中に納めるモノの問題でもある。

寝具・・・とかは別に考えよう。そのために寝袋なんていうのは非現実的だ。条件としてはホテルに「住む」という前提で、私物をどこまでそぎ落とせるかという事になるだろうか。あるいは車に積んでパッと移動できるという前提でも良い。ある日急に移動(避難とか)が必要になった場合などに、さっと持ち出せる状態にまとめられるかという事だ。そういった意味では、お金で解決しやすい日用品などはあまり考える必要はない。

まずは衣料関係。ただ、これは量はともかくとしてすでにある程度まとまっているので、どちらかというと適した鞄があるかという問題が大きい。ただ、スーツやコートなどの吊るしの衣類をどうするかという点については考えなければならない。量に関してはどの程度の期間で回していくかという話で、毎日洗濯するならそれほどの量はいらないという事になるだろう。

デジタル周りは相変わらず無駄にモノが多い。小物が中心とはいえ、全て持ち歩くというのは非現実的な話で、これは何らかの整理が必要だ。というか、こうした整理の話は、結局このテーマに行き着く場合が多い。その他の持ち物は、モバイルには適さないようなモノが多いからだ。(キッチン周りの家電とか、TVとかは、そもそもモバイル環境に置くようなものではない。)

あとは楽器と自転車とスキーと・・・そういったものも対象外になる。そう考えると、結局は衣類とデジタルガジェットをなんとかせいという話でしかない。しかし、それを鞄に詰め込んだだけで何とかなるものだろうか。何か忘れていないだろうか。

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2016年8月30日 (火)

会議の最適化

会議の無駄をなくすのに必要なのは全体最適の視点だと思う。

会議をなくすのに必要なのは、上位役職から下位役職への「権限の委譲」ではなくて、同位役職における「権限の分担(分散)」であるような気がする。合議で決めるって結局分担がはっきりしてないからでしょ?
送信 8月29日 18:37 From Hootsuite

個人的な感覚でいえば、個々のレベルで「無駄な会議」がそれほど多いとは思っていない。結果として無駄になる会議というのは、会議それ自体というよりも参加するメンバーの問題だ。「メールで済むような情報共有」を「顔をあわせたからこそできる情報共有」にできるかは、出席者の素養の問題であって、会議というシステムの問題ではないだろう。

個々の会議は(参加者の能力次第で)必要なものなのに、全体としてみると会議ばかりになって生産性が落ちている・・・これは会議というシステムの問題なので、システムの問題として解決しなければならない。参加者のやる気や心がけで何とかできるような事で、システムの問題は解決できないからだ。アジェンダは事前に共有とか、議事録はその場で作るといった話は、個々の会議を効率化するための取り組みであって、組織における会議というシステムを効率化する取り組みではない。

システムを見直さない限り、個々の会議を効率化して生み出した時間でまた新たな会議を行うという循環になりかねない。

考えうる方策として、「会議をテーマではなく職位で区切る」というやり方があるだろう。役員なら役員、部長なら部長の会議をそれぞれ一つだけ設定し、その階層で決めなければならない事は全てその場にあげるようにする。その場合に重要なのは、答申であっても他の職位の人間を交えないようにする事だ。下からあがってきた案件は、上司がその責任をもって決めれば良い事で、自分では判断がつかない場合にのみ会議の場に提示するようにすれば、おそらくそれほど議題はあがらない筈である。「自分では決められないのでみんなで決めてください」というのは、自分が決める責任を果たせないと周囲に喧伝するようなものだからだ。

そもそも、会議を意思決定に使うのは、組織としては非効率である。民主主義における議会とは役割も性格もまるで違うのだ。議会に必要なのは意見を代弁する代議士だが、会社の意思決定においてそれが必要だというなら、そもそも採用や人事から見直した方が良いだろう。議会の意思決定は「みんなの意見を吸い上げて決める」だが、会社の意思決定は突き詰めれば「トップの意思を全体に浸透させる」事に他ならない。権限移譲というのは、その「トップの意思」を効率的に運用するための手段にすぎない。

どうも最近の政治と企業を見ているとその辺りの構造が逆になっているような気がしなくもないが、それはさておき、そうした視点で全体を見渡すのであれば、個々の会議レベルで必要性を議論していても仕方がなくて、全体を見渡して必要な会議を決めていくプロセスが重要なのではないかという気がする。

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2016年8月29日 (月)

荒唐無稽なリアル

シン・ゴジラを観た。

ネットでいろいろ見聞きしてしまっていて期待が高かったためか、言われているほどの凄さや怖さというのは感じなかった・・・気がする。

怖さを感じなかった理由の一つは、そこに悪意、もっといえば意思のようなものがなかったからだろう。あるいはそういった意思を読み取った人もいるかもしれないが、自分にとって今回のゴジラはある種の天災として描かれているように感じられた。天災は本当の天災が描かれている方が(それ自体はフィクションとして描かれていても)、正直なところ恐ろしい。

あえて言うなら、ラストシーンはちょっと気持ちがざわついたのだが、それは言われているように続編があればの話だろう。

もう一つは、スケール感として「一体の怪獣」が及ぼせる限界のようなものがある。今回の舞台は東京だったが、個人的にはその東京という街の巨大さを逆に感じてしまった。初代ゴジラが現在の丸の内に現れた場合のスケール感を示した画像をネットで見たりしたのだが、その倍以上のスケールである今回のゴジラにしても、都心のビル群に対しては圧倒的といえる威圧感にはならないのだ。

我ながら醒めた見方だなと思わなくもないが、そういうゴジラという存在の捉え方はともかくとして、映画としては面白かった。矛盾があるようだが、人間が知恵を尽くして対処しうる脅威とその対処をリアルに描いている感じで、ある種荒唐無稽といえる設定をリアリティのある描写で納得感を持たせて見せてもらった気がする。

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2016年8月26日 (金)

オケに対するリソース

昨日Kオケの次回の演奏会が4回目と書いたのだが、改めて数えたら5回目だった・・・年内にもう1回は最低あると思われるため、トータルで6回という事になる。

今年は本番の機会が多く、予定まで含めると今のところ18回になる。その内の6回がKオケというのは決して少なくない。というか、多い。ま、16回というのもちょっと行き過ぎではないかという気がしなくもないが。

もちろん、この16回には猛烈にさらわなければならないものから、当日さらうだけ、みたいなものも含まれている。時間的な拘束はさておき、楽器に接するペースとして過剰というほどでもないだろう。現実にはさらう時間が確保できなくなるといった問題もあるが、過去の経験上、時間があればさらうという訳ではないため、減らしたところで個々の演奏会における練度が上がるかといえばそれはそれで疑問である。

一方で、個人の問題はそれで良いのだが、オケやパートといった組織の問題になると、ちょっと事情が変わってくる。正直に言えば、そちらの方がはっきりと手が回っていないと言えるだろう。自分から積極的に考えていく必要があるのは、F響とKオケという事になるが、運営という視点で考えるなら、双方を回していくには少々リソースが足りない。それを侵食しているのが、他のオケの練習や本番にあるのであれば、その点は考えていかなければならない。

もっとも、18回のうち15回はすでに終わっている。これから入ってくれば話は別だが、年末に向けて余裕は出てくる筈なので、そこで立て直しを図っていけば良いのだろう。

でも大抵の場合気が緩むだけでむしろ後退しやすいんだよなぁ・・・。

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2016年8月25日 (木)

Kオケの次回プログラム

自分が所属するオケの中では、Kオケが格段に本番(人前で演奏する機会)が多いのだが、その次の本番が迫ってきた。正直な話、これだけの頻度(今年に入って4回目)になってくると毎回新曲を用意する事もできず、曲的には使い回しというか、定番的な曲を中心に構成していく事になる。

幸いな事に聴衆が常にかぶる訳ではないので、適度に新曲を交えながらプログラムを考えていく事になるのだが(ちなみに次は9月が本番だが、まだプログラムは確定していない)、編成的な縛りなどもあって面倒な反面、自由がきくので楽しくもある。クラシックに縛られないのも良いところだろう。

今回は社内イベントの一環という事で、当初考えていたのは前回の保育園訪問演奏の曲を中心に、新曲を1曲といつもの定番を加えた構成だったのだが、時間的な割り当てなどもあり、少し修正が必要な気もしている。今日練習があるので、それまでに案を検討して最終確定という感じだろうか。

少し幅を持たせられる要素としては、アンサンブルを加える事も可能という点だろう。オケのメンバーで構成された小編成のアンサンブルも今回のイベントの中でエントリーをしているのだが、同日の開催なので実質的には一連のプログラムで捉える事も可能になる。

よしよし、ちょっと頭が働いてきた。ここしばらく頭の中のリソースを割く余裕がなくて後回しなままズルズルときてしまっていたのだが、さすがに後がないので何とかしなければ。

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2016年8月24日 (水)

興味関心のエネルギー

最近こんなTweetをしていた。

何となく昔の写真を見返していたのだが、明らかに色々な所で食べていて、色々な写真を撮っている。最近はその手の気力がほとんどない。
送信 8月22日 21:01 From Hootsuite

そんな中で昨日は久しぶりに渋谷でランチの機会があったのだが、まさにこの心境を痛感した。何を食べたいという食指が働かず、新しい店に入ろうという気持ちも生まれてこない。いやヒカリエの中とかウロウロしたりしたんだけどね・・・。

思うに、根っこの部分ではそうした事への関心が薄いのだろう。過去の投稿を知る人たちには「そんな馬鹿な」と言われそうだが、あれはそうした環境に身を置いて、継続していることによって生まれた、自分の欲求とは異なるコンテンツ群なのではないかという気がする。自分にとって、メニューの写真を撮る事は、食への興味を自らに言い聞かせようとする行為に近い。

もちろん、単に歳をとって物事全般への興味関心が薄れ始めたという悲しい可能性もある。本当の意味で興味関心を持つのはそれなりのエネルギーを使うものだし、突き詰めようと思えば相応にしんどい。積み重ねるほどにしんどさは増していくので、それを上回るエネルギーがなければ維持継続はできない。

エネルギーが有り余っていれば、ちょっとした興味関心でもそれなりに膨らます事ができるのだが、正直そうしたエネルギーは枯渇しつつあるようにも思える。あるいは何らかの形でチャージができるものかもしれないが、そのチャージができていないというべきなのだろうか。

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2016年8月22日 (月)

残りの練習回数を意識する

夏休みの間に本番が終わった事もあり、当面はいつものオケだけという状況に戻ったため、この週末は比較的平穏というか、落ち着いた感じだった。

感じだったのだが、他のオケにかまけている間に、F響の練習がおろそかになっていた。

危ないのは、本番が11月だからと思っていると、あっという間にその日になってしまうという点だろう。オケの練習は週に1回、月に4回なので、3ヶ月あっても12回しかない。12回というのは少ない回数ではないが、余裕がある回数でもない。毎回全曲をやる訳ではないし、自分の苦手とする曲の練習をやってくれる訳でもないからだ。

毎週積み重ねるように練習をしていると、逆算していつまでにどう仕上げるというイメージが掴みにくいという事もある。そういった意味では、残りの期間ではなく残りの回数を常に意識しながら、クリアすべき課題を明確にしていくべきなのだろう。

・・・何だか仕事みたいでイヤというか、もう少しゆるめに(オケとは)付き合いたいという気もするのだが。

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2016年8月19日 (金)

予定とタスクの細分化

自分の行動のおおよそはGoogleカレンダーに入力しているのだが、細かい行動まで入力をしておかないと、その行動自体を忘れてしまうという事態が最近生じ始めている。

それ自体は必ずしも悪い事だけではなく、その他の事を忘れて決めた行動に集中する事ができていると捉える事もできるのだが、現実に忘れた事が判明するとショックが大きいし、無意識に「やりたくない」行動を遠ざけてしまうリスクもあるように感じている。

どこまでをカレンダーで管理していくかは難しい。自分の場合、ToDoリストがどうにも上手く機能しない傾向があるので、最近はなるべくToDoまでカレンダーに登録するようにしているのだが、そうしたToDoが増えてくると、肝心の予定の一覧性が薄れてくる。全体の見通しが悪くなり、結果として抜け落ちるものも増えてくる。

一元管理の考え方からすれば、ToDoをカレンダーに登録するやり方自体は悪くないと思うのだが、その場合の粒度が問題なのだ。ToDoリストであれば、タスクを細分化して組み立てる事も可能だが、カレンダーでは細分化に限界がある。一方、時間管理の考え方すれば、本来登録の単位は15分単位ぐらいで組み立てるのが良いはずだが、これも現実にそのような登録をしてしまうとカレンダー自体が見にくくなってしまい、予定の管理自体が出来なくなる。

結果として大雑把な管理にならざるをえない。それぐらいで良いという考え方もあるが、時間管理とタスク管理を突き詰めるのであれば、もっと細かくしなければ効率は上がらないという感覚もある。

もちろん、管理のための管理になってしまってはいけない訳で、自分の実際の行動とのバランスを考えれば、そこまでの細分化は非効率な可能性もあるのだが・・・少なくともタスク管理は一度はやって失敗しているし。

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2016年8月18日 (木)

問題意識

今日は何かを書く事に頭が働かない。

いや働いている事は働いているのだが、仕事のアイデアに関わるネタのため、その内容をにおわせる事なく上手く書く書き方が思いつかないだけだろう。

最近はオケの運営ネタで悩む事も少なくなったので、実はそうそう書いて頭を整理したりスッキリさせるための案件というのがなかったりする。

でもそれは単に怠惰なだけで、問題意識が欠如しているだけかもしれない。

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2016年8月17日 (水)

自転車に乗る

昨日はU響の練習だったのだが、台風の接近を警戒して欠席してしまった。それ自体はどうやら正解だったと思われるのだが、ニュースなどで警戒されていた今朝の通勤への影響はなし。昨日は都内にホテルに泊まったり、今朝のタクシーの予約が殺到したといったニュースがあったが、その辺りの天候の読みは難しい。そういえばタクシーを予約した人たちは実際にタクシーを利用したのだろうか。

さて、夏季休暇中は楽器を弾いていただけではなかった。実は久しぶりに自転車にも乗っていた。たまにしかそういう気分にならないのだが、休みが続くと1日ぐらいは・・・という感じになる。季節的にはもう少し快適な頃が良いのだが、それはその頃にまた考えれば良い話。

とはいえ、自転車に乗るといっても、本格的に気合の入ったスタイルではない。ヘルメットをかぶるでもなく(スキーではかぶるけど)、服装も普段着である。正直な話それ以上の気合をいれるつもりはないのだが、せっかくアクションカムがあるので、それは取り付けていたりして、何となく中途半端に気合が入ったような格好になっている。

今回はあきる野の(一応)実家をスタートして、途中少々の寄り道をしながら高尾山を経由して高幡不動の自宅に戻るというコース。実家に戻らなくて良いかといえば、折りたたみの自転車なのでとりあえずその日は車に積んでおき、翌日持って帰るという形にした。アップダウンもあるし、もう少し時間がかかるかと思ったのだが、思ったより早くたどり着いてしまったので、意外と距離はないという事なのだろう。以前都内まで出掛けて行った時の方がよほど時間がかかっている。

自分の中の位置付けでは、自転車はあくまでもスキーのためのトレーニングの一環であるのだが、走っている時はそれはそれで楽しい。課題はどこを走るかという点で、ヘタレなのであまりハードなのは願い下げだし(トレーニングになっていない)、現実問題として車の多い道はストレスばかりで楽しくない。車に積めるのだから、何処か入りやすいところへ行くという方法もあるのだが(実際それで木更津に行ったりもした事もあるのだが)、なかなか計画できなかったりする。いや土日はオケもあるのでそもそも時間の奪い合いではあるのだが。

秋に関して言えば、今のところはオケの数は少ないので、もう少し時間を確保しやすいかもしれない。

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2016年8月16日 (火)

オペラという音楽

11日の山の日からスタートした夏季休暇が終了。期間中にE管のオペラの本番と、Tオケ関係の結婚式二次会(での「本格的な」ホールでの演奏)があったので、のんびりというよりは慌しい休暇ではあったが、本番が2つ終了したので、気分的にはやや落ち着いた感じがある。(などと書きつつ、今日はU響の練習があるので楽器持ちで出勤したりしているが・・・。)

E管のオペラは、以前F響で魔笛を演奏したのに続いて2度目の経験になったが、今回は演奏会形式だったので、ソリストの様子もよく分かり、合唱とも一体感があって良かった。観る側としてどうだったかはさておき、演奏する側としてはピットでの演奏よりもずっと楽しいのは確かだろう。もっとも、音量バランスとしてこれで大丈夫なのかという場面も多々あったのだけれど。

今回演奏して思ったのは、オペラの音楽はゲームの音楽に似ているという事だった。恐らくオペラに限らずバレエなどを含めた舞台芸術に付随する音楽に共通している事のように感じる。親しみやすい旋律が多いとか、場面の転換が激しいといった表面的な話だけでなく、何というか根本にあるスタンスが違っている気がする。こんな事を書くと「分かっていない」と言われそうだが、良い意味で芸術よりも芸能的な音楽なのだ。

定義は様々だと思うが、ここで言う「芸術」と「芸能」の違いは、対象となる作品が、「聴衆が寄り添う」ものか、「聴衆に寄り添う」ものかという違いで考えている。作者が「誰が何と言おうと自分が作りたいのはこれだ」というものに周囲がついていくのが「芸術」、作者が「今聴き手が求めているものはこれではないか」と提示するのが「芸能」という感じだろうか。後者に関しては芸能という言葉がその通りかは別の話で、ようはいわゆる「芸術作品」とは違うスタンスで作られている作品の事だ。

あるいは「音楽のために作られた音楽」と、「音楽ではないもののために作られた音楽」でも良いかもしれない。それも突き詰めれば、聴衆の聴く音楽が、「作曲者自身のために作られたものか」「作曲者以外の誰かのために作られたものか」につながってくる。

この違いは実は結構大きいのではないだろうか。作品の性格としても、演奏者のスタンスとしても、聴衆の感じ方としても。

そんな事を感じたオペラの本番だった。やってる最中は、チェロで90ページを超える楽譜って何の冗談だよという気分だったけれども。

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2016年8月10日 (水)

自宅で過ごす時

今朝は久しぶりに二日酔いが酷い。いや酷くないのは二日酔いとは言わないかもしれないので、単に二日酔いというだけかもしれないが、何れにせよ頭が痛いというのは久しぶりだ。先週飲む機会が続いていた時もこうした事はなかったのだが、そうなると昨日は飲まなかったアレが実は効いていたのかもしれない。

明日から夏休みという事で、金曜日に休みを取ったので、月曜日までの5連休という事になるのだが、明日と明々後日に本番があるので、あまり休むという感じにはならない。何れにせよこの時期は休みだからといって迂闊に遠出などは出来ないので、本番がない日は自宅なり近場でゆるゆる過ごす事になると思うのだが、そんな時に問題になるのが、昨日書いたノマド的な性格による自宅の快適さ不足だ。

普段は大して気にならないのだが、休みの日に自宅にいたりすると、快適さにはさほどこだわっていない事によるその過ごしにくさというのが気になってくる。いやまぁそんな時は出かければ良いのだけれども。

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2016年8月 9日 (火)

ノマドではあるがミニマリストではない

すでに先週の話だが、振り返るのを忘れていた(振り返る意味があるかはまた別の話・・・)。

今更ながらに気が付いたのだが、自分は「定住」にまつわるコトやモノに関心が薄い。家で快適に過ごすための家具や家事を楽しむための道具なんかにはほとんど興味がない。目を奪われるのは基本的に持ち歩けるモノばかりだ。
送信 8月3日 12:57 From Hootsuite

確かに今更ながらの気もするのだが、多分この気質は大学の寮生時代に培われたものだろう。複数人での共同生活というのは、家具類を最低限にして、場合によってはシェアする場合も多い。そもそも部屋自体に一時的な間借り感覚があるので、その中をいじる(レイアウトとか)と言っても限界がある。

会社に入っても寮生活が続いたので、その感覚はそれほど変わらなかった。個室ではあったしレイアウトなども変更したりしたが、キッチンなどは共同だったので、ある意味生活に必要な家具の多くはシェアされていたようなものだ。

今は普通にマンションだが、多分その辺りの感覚が変わっていないのだろう。会社の寮を出て引っ越す際に最低限の家具はそろえたが、その後増えるのは据え置くモノではなく持ち歩けるモノがほとんどだ。結果として持ち歩けるはずのモノが据え置かれるという事態を招いていたり、使いもしないのに無駄に持ち歩くなんて事態も発生しているのだが、基本的なスタンスはノマドなのだろう。

ただ、ミニマリストではないので、モノは欲しい。

ようは、欲しいモノの性格の問題であって、それがノマド的なモノばかりなだけで、別に最低限のシンプルさをめざしているという訳でもないのだ。無駄に持ち歩くモノが増えるというのはそういう事だろう。

家に置くソファは欲しいとは思わなくても、使いもしないディレクターズチェアは欲しくなったりするのは、そういう事なのだ。

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2016年8月 8日 (月)

練習のスタイル

今週も予定の詰まった慌ただしい週末が終了した。

土日と連続でE管のオペラの練習があったので、みっちりと弾いた感がある。本番直前なのでやむを得ないが、おかげでようやく曲が体に入ってきた。弾けないところはさておき(そういった箇所をさらっている時間は残念ながらない)、アンサンブルを気にすべきところで、ある程度は注意を払えるようになってきたと言えるだろう。初見的ミスも大分減ってきた。

残すは本番だけなので、後は昨日の感じを忘れない事が大切だろう。正直なところ、まだ付け焼き刃的な所があるのは否めない。

この間のU響の定期演奏会でもそうだったのだが、トップでない立場で弾いていて改めて感じたのは、ザッツを出さずに弾くのは実際には意外と難しいということだった。この場合のザッツというのは大袈裟な合図の話ではなく、要するに予備動作を少々大きめに取るというだけの話なのだが、それを控えめにしようとするだけで、自分の場合は拍が数えられなくなったり、タイミングがつかめなかったりする。アンサンブルに呼吸を合わせるという動作が、弾くという行為に直結しているからだ。

それは同時に個人練習が苦手ということにもつながっている。土曜日は午前中が空いていたので、久しぶりに個人練習をしてみたのだが、正直散々だった。自分1人では音楽やアンサンブルの空気感が作れないので、弾いていてつまらないだけでなく、そもそも体がそのように動かないのだ。スケールなどの基礎練習は問題ないのだが、曲の練習に入った途端に感覚や弾き方がガタガタになってしまう。

その辺りは何か考えた方が良いのかもしれない(そういって考えたためしはないが)。基礎練習であれば大丈夫なのであれば、徹底してそちらに集中するという方法だってあるのだから・・・曲の習熟度にはまったく影響しないけれども。

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2016年8月 4日 (木)

京王線

今朝は京王線のトラブルで府中で足止めをされてしまったため、一旦下車して最寄りのスターバックスへ。まだ始業時間までは時間があるという事もあるし、今日に限って言えば正直会社に行けなかったからといって何という事はない。その日の予定によっては当然焦る必要があるのだが、無理をして会社に急ぐ動機がないのだ。

そんな時は急がなければいけない人に席を譲った方が良い。

そうこう書いている間に運転は再開した模様。ま、あせらないあせらない(焦る人は焦って良い)。

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2016年8月 3日 (水)

肩こり

ここしばらく右肩が痛い、そして重い。

元々肩こりなどへの自覚が薄く、マッサージで「こってますね」と言われて「そうですか?」などと答えてしまうタイプなのだが、今回は流石に自覚がある。楽器を弾いていて、右手の動きに不自由すると感じてしまうような自覚だ(まだ感じているだけだけど)。

これはマッサージとか鍼とかで解消されるものなのだろうか。これまでも何度かマッサージや鍼を受けたことがあるが、正直「体験する」というレベルの話で(特に鍼)、あまりその効果を実感した事はない。自覚がないのだから当たり前だが、今回は自覚があるという事で、劇的に変化を感じたりできるのだろうか。

などと言いつつ、今興味があるのはマッサージよりもストレッチだったりする。どちらにしても行く時間がないのだけれども。

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2016年8月 2日 (火)

初見で弾く事

今朝は雨を避けようと5分ほど早く出たのだが、結局降り始めに遭遇する事になった。会社のある駅からも雨だったのだが、食堂の椅子に収まった今は一時的に止んでいて、窓の外には虹が見えている。

今日からU響の練習が再開という事で、先週は楽器がなくて楽だったなと思いながら楽器を背負う。木曜日のKオケはなるべくサイレントチェロを使用する事にしたので、平日に楽器を背負うのは火曜日だけとはいえ、夏場はこの時間でもそこそこ暑く、加えて雨となるとやはり気持ちは少々萎える。

今日は新曲の初見である。自分の場合、初見というのは本当に初見になるので、周囲にとっては迷惑この上ないとは思うのだが、何度も書いているように個人の練習をする時間はないので、オケの練習時間に同時にさらうしかない。

初見というのは、どんな曲であっても最初の一度しかない貴重な経験だ。個人的な感覚としては、この時にどれだけ楽譜についていけるかが、その曲の練度をどの程度高められるかの指標になっている。不思議と先に個人でさらっていても、そこでの感覚はあまりあてにならず、アンサンブルの中で弾いてみないと分からない。

理由はよく分からないのだが、多分アンサンブルは制限滑走のようなものであり、一方で個人練習はフリー滑走でしかないので、本当の意味で自分を追い込めていない=集中しきれていないのであろう。間違えれば弾き直しが出来て、テンポもある程度自分でコントロールしてしまう環境下では、あまり練習として意味がないという事だ(少なくとも自分にとっては)。

そんな訳で今日はドボルザークの5番(のはず)。とりあえず曲は聴いているのだが、楽譜は見れていないので、さてどうなる事やら。

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2016年8月 1日 (月)

アンサンブルを作る

この週末の練習はE管とF響。先週は平日練習のU響とKオケの練習がなかったので、珍しくほぼ1週間ぶりに楽器を触る事になった。

1週間ぶり(正確には6日ぶり)といっても、さほど感覚が変わる訳ではない。一般に3日弾かなければ客に分かる、1日弾かなくても自分には分かるというが、そんな微妙な感覚が分かるような繊細さは持ち合わせていない。そもそもF響だけだった頃は常に週1の練習でしかなかったのだ。そう考えると今の自分の練習頻度は以前に比べるとやや異常な気がする。

しかしその割には上手くはならない。

理由はある程度分かっていて、過去の資産に頼ってその場限りで弾いているからだ。それでもある程度はできてしまうというのが、逆にそうしたスタイルを許容してしまうのだろう。本来は個人レベルで丁寧にさらう必要があるのだが、それができていない。

それはさておき、日曜日のF響の練習は、分奏ではあったのだが、ハーモニーを中心とした個人練習ではできない練習が中心でとても良かった。アンサンブルの響きを作る練習は、個人ではどうしても出来ないからだ。特に今回は、「今の響きからもう少しビオラを浮き上がらせろとマエストロから指示があったらどうしますか」といったオーダーもあり、パートごとの濃淡なども考えながらアンサンブルを作っていくトレーニングも出来たので、「そういう意識を持って練習に参加していれば」得難い時間になっただろう。

願わくば他のメンバーもそうした意識で練習していますようにと思ったのだった。いやそう意識しているとは思うのだけどさ。

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