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2016年8月16日 (火)

オペラという音楽

11日の山の日からスタートした夏季休暇が終了。期間中にE管のオペラの本番と、Tオケ関係の結婚式二次会(での「本格的な」ホールでの演奏)があったので、のんびりというよりは慌しい休暇ではあったが、本番が2つ終了したので、気分的にはやや落ち着いた感じがある。(などと書きつつ、今日はU響の練習があるので楽器持ちで出勤したりしているが・・・。)

E管のオペラは、以前F響で魔笛を演奏したのに続いて2度目の経験になったが、今回は演奏会形式だったので、ソリストの様子もよく分かり、合唱とも一体感があって良かった。観る側としてどうだったかはさておき、演奏する側としてはピットでの演奏よりもずっと楽しいのは確かだろう。もっとも、音量バランスとしてこれで大丈夫なのかという場面も多々あったのだけれど。

今回演奏して思ったのは、オペラの音楽はゲームの音楽に似ているという事だった。恐らくオペラに限らずバレエなどを含めた舞台芸術に付随する音楽に共通している事のように感じる。親しみやすい旋律が多いとか、場面の転換が激しいといった表面的な話だけでなく、何というか根本にあるスタンスが違っている気がする。こんな事を書くと「分かっていない」と言われそうだが、良い意味で芸術よりも芸能的な音楽なのだ。

定義は様々だと思うが、ここで言う「芸術」と「芸能」の違いは、対象となる作品が、「聴衆が寄り添う」ものか、「聴衆に寄り添う」ものかという違いで考えている。作者が「誰が何と言おうと自分が作りたいのはこれだ」というものに周囲がついていくのが「芸術」、作者が「今聴き手が求めているものはこれではないか」と提示するのが「芸能」という感じだろうか。後者に関しては芸能という言葉がその通りかは別の話で、ようはいわゆる「芸術作品」とは違うスタンスで作られている作品の事だ。

あるいは「音楽のために作られた音楽」と、「音楽ではないもののために作られた音楽」でも良いかもしれない。それも突き詰めれば、聴衆の聴く音楽が、「作曲者自身のために作られたものか」「作曲者以外の誰かのために作られたものか」につながってくる。

この違いは実は結構大きいのではないだろうか。作品の性格としても、演奏者のスタンスとしても、聴衆の感じ方としても。

そんな事を感じたオペラの本番だった。やってる最中は、チェロで90ページを超える楽譜って何の冗談だよという気分だったけれども。

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