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2016年11月21日 (月)

「知っている曲」はいかにして「知っている」となるのか

演奏会のアンケートには様々な意見が寄せられるのだが、そうしたコメントの中で一定の割合を占めるものとして「知っている曲でよかった」「知らない曲でつまらなかった」「有名な曲をやって欲しい」といった類の意見がある。
(念のため書いておくと、当然ながら「知っている曲だがイマイチだった」「知らない曲だが良かった」といった意見もある。)

それ自体は一つの参考意見として受け止めるし、そうは言ってもアマチュアなので自分たちのやりたい曲が優先されてしまうんだよな、とも思うのだが、そういう選曲の話ではない事が今回は気になった。

お客様は(我々は、でも良い)、何時どの様にその曲を「知っている」状態になるのだろうか。もっといえば、そうした今「知っている曲」を初めて聴いた時はどの様に感じていたのだろうか。

例えば今回のF響の演奏会で言えば、中プロの「カルメン」には、多くの「知っている曲でよかった」コメントが寄せられていた。それ自体は良い事だろう。だが、読みながら思ってしまった。この人たちにも(もちろん自分にも)初めてカルメンに接触したタイミングというのがある。カルメンという曲の一部として認識していたのか、後からその様に知ったのか、接触のプロセスは様々だろうが、何度も耳にする中で「知っている良い曲」になったのか、それとも初めて耳にした時から「初めて知った良い曲」だったのだろうか、と。

おそらく名曲と呼ばれる曲の多くは「最初から」何か心に響くものがあったのは確かだろう。それは旋律であったり、和声であったり、リズムであったりする訳だが、そうでなければ記憶に残ることはなく、よほどリピートで聞かされない限りは、「知っている」曲になる事もないに違いない。クラシックの場合、そこにさらに演奏という要素も加わるはずだ。そのように考えると、お客様が聴いたことのないであろう曲を演奏する際の、奏者としての責任は決して軽くない。

だからしっかり練習しよう・・・という話ではなくて、単純に「知っている」って何だろうという話。ゲーム音楽でも「知っているあの曲がオーケストラで!」という感動の話は聞くのだが、「知っている」状態になるまで、その曲はどのように受け止められていたのだろうか。

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