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2016年11月22日 (火)

情報を受け取るという事

今朝は会社の近くにできていたコメダ珈琲店に入ってみた・・・それだけだが。

今朝は福島沖で大きな地震があり、津波警報などでTwitterのTLが埋まっているのだが、発生時間がちょうど家を出た直後だったため、揺れそのものは体感していない。それでもこうして情報を得らえるのはソーシャルメディアの良いところだ。フォローしている相手にもよるのだが、その情報をどう受け止めるかは自分が判断すれば良いことで、とにかく様々な人々が思うままに発信している状態というのは、直近の周囲の関心ごとというのを把握しやすい。

一方で、受け取る情報が偏るリスクは避けられない。ただ、では一般メディアであれば偏らないかといえばそうではない訳で、結局は「偏っているかもしれない」という意識の元で、自分で情報を精査していくしかないのだろう。今回の地震でいえば、速報的な段階では情報も大方似通っていてブレる事もないだろうが、今後は恣意的な発信も増えてくるだろうから、その辺りは注意する必要があるかもしれない。

とはいえ、結局人というのは「自分が知りたい情報を受け入れる」生き物ではある。どんなにリテラシー的な事を唱えていても、その本質は多分変わらない。あえていえばその事に自覚的であるか、無自覚であるかといった差はあるかもしれないが、自覚的だからといって性質が変わる訳ではない。それに仮にそうした事を自覚していたにしても、結局受け入れる情報に変わりはないだろうから、あまり意味がないとも言えるかもしれない。

何を書きたかったのかよく分からなくなってしまった・・・。

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