« 渋谷勤務を活かす | トップページ | 飽和するタブレット »

2017年1月16日 (月)

苦しさを感じるほどの真剣さ

この週末は土曜の午後夜間、日曜の午前午後と練習が続いた。充実しているとも言えるし、さすがにちょっときついとも言える。

もっとも、確かに最後の方は集中力が途切れたりもするのだが、やめたいとかといった事はない。その辺り、結局楽器を弾く事自体は嫌いではないという事なのだろう。この季節は土日を練習で埋めてしまうとスキーに行けないという問題はあるが。

一方で、そうしたある種の苦しさがないというのは、どこかで手を抜いているというか、真剣ではないという事なのかもしれないと思ったりもする。本気で打ち込んでいれば、課題を感じて苦しいと思うこともあるだろうし、やめたいとか思う程悩む事があっても良さそうだが、そういう本気さとはどこか距離を置いてしまっているような気もする。

例えばローマの松冒頭のハイポジション。本来ならこの機会に(あるいはそれ以前に)ハイポジションの指の形を体に叩き込ませておけば良いのだが、そこまでの気合いは生まれてこない。次のアンサンブルではどうも白鳥をやることになりそうなのだが、それがいつになっても(白鳥自体はずっと以前からさらっている)上手に弾けないことに悩んで何か解決策を模索する訳でもない。

今のありのままで出来る事を、といえば聞こえは良いが、単に手を抜いているだけとも言える。それでもなんとかなるものさと、ようはすれてしまっている訳だが、高校時代、合宿前に泣きそうになりながらモーツァルトの40番(の2ndVn)をさらったりだとか、F響に入った直後ラフマニノフの2番が弾けずに必死に練習しただとか、そういう追い詰められた感と必死感みたいなものが最近ないな〜と思ったりしたのだった。

|

« 渋谷勤務を活かす | トップページ | 飽和するタブレット »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/22760/64769622

この記事へのトラックバック一覧です: 苦しさを感じるほどの真剣さ:

« 渋谷勤務を活かす | トップページ | 飽和するタブレット »