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2017年2月 7日 (火)

ネットという監視社会

ネット上に様々な足跡を残せば、その履歴をある種の個人情報として活用することで、例えば広告に活かしたりといった事が出来るようになる。あまりにも当たり前に使われている手法だが、先日そうやって個人の情報が把握されている事が怖いという話題になった。

実は個人的にあまり怖いと思った事がない。リスクを感じていないとか、そういった話ではなく、理屈ではない生理的な嫌悪感恐怖感のようなものは感じた事がないという話だ。だが、そうした怖さを感じているという人の話を聞いていると、ようは「何となく怖い」「何となく気持ち悪い」という、理屈ではない話のように感じられる。

で、何でそのように感じる人がいるのだろうと思っていたのだが、何となく「村社会における相互監視」と同種の感覚を持っているのではないかという気がしてきた。そうした感覚を引きずっていると言っても良い。あるいは、日本人の特性としてよく言われる「恥の文化」の延長にある感覚と言っても良いのかもしれない。

村社会の相互監視は自分だって気持ち悪い。

もっとも、コミュニティと一体化してしまえば、その種の相互監視は相互理解という概念に置き換わることも多い。ネットの監視に気持ち悪さを感じる人というのは、そこまで到達しない距離感に気持ち悪さを感じているのかもしれない。

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