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2017年4月12日 (水)

サービスの対価

サービスに対する対価というものの方向性を考えた時に、受益者側として「お金を払った対価としてサービスを受ける」意識を持っているのか、それとも「サービスを受けた対価としてお金を払う」意識を持っているのかというのは、結構違うものではないかと思っている。卵が先か鶏が先かみたいな議論ではあるけれども。

先日職場の人と話をしている時に、「どっちが金を払っていると思っているんだ」という話題が出て、そんな事を考えた。相手が目上だったので何も言わなかったけれども、正直残念というか、下請けいじめやブラック企業が生まれる意識的な温床を見たような気がしたからだ。

金を払う側が主導権を持ち、相手はそれに対する対価としてサービスを提供している、というのが、冒頭の前者の発想だ。それはつまり「誰が金を払っているのか」という話でもあり、お金が主で、サービスが従という関係でもある。

一方、サービスを提供する側が主導権を持ち、自分はそれに対する対価としてお金を払う、というのが、冒頭の後者の発想である。サービスが主で、お金が従という関係と捉えても良いかもしれない。

これはあくまでも相対的なもので、例えばサービス提供側が後者のように考えていたら、それは傲慢に映るかもしれない。ハイブランドにはそうした発想を持つものも少なくない。ただ、この発想は、「サービスに見合ったお金」という発想でもあり、サービスを高めることでより高いお金を得られるというモチベーションにもつながる気がする。

一方、「お金に見合ったサービス」という発想では、サービスを高めていくモチベーションにはつながりにくい。というか、サービスのレベルを高くしても、主体であるお金の側が変わらなければ、無償サービスにつながりかねない。といって「お金を高くするからサービスの質を上げろ」という発想では、それ以上のサービス発想は生まれないだろう。

我々は、お金に対してサービスや商品を提供しているのではなく、サービスや商品に対してお金を払っているのだということを忘れてはいけないよね、という話。

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