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2017年7月31日 (月)

オケへのエントリーを決めるという事

この週末は土曜日が1日練習で、日曜日が午前午後別オケの練習だったのだが、夜がないだけマシだよねとか呟いていたら「それは病気だ」とか言われたりしていた。夜は家でお酒を飲んだ結果、他に何もできずに終わるという、オケ三昧というよりもオケ廃人のような週末だったので、ある意味その通りかもしれない。

もっとも、それ自体はまぁ「充実している週末」とも言える。少なくとも「何をやろうか」と悩むような事はないからだ。

そんな話はさておき、ここしばらくオケへの姿勢を問われるというか、参加すべきだったか迷う案件が連続している。一つは来年2月本番にエントリーしたオケの本番を土曜日と勘違いしていて実は日曜日だったという問題。もう一つは、無理やりダブルヘッダーを決めたオケの開演時間が最終的に決まって、そもそも本番時間が被ってしまったという問題だ。

前者はやや特殊事情だが、個人的な決め事として、日曜午前中のF響の練習には(他オケの事情を)影響させないというものがある。これは最低限その程度の縛りがなければ、掛け持ちはすべきではないと考えているからだ。基本的には他のオケの場合も同様で、練習にどれだけ参加できるか、それが互いに干渉しないかというのが参加を決める際の条件になる・・・筈なのだが、これが徐々に崩れてきている。現状は2つどころか3つの練習が重なる事もあって、これは要するに「エントリーしすぎ」という事だろう。

それが何をもたらすかといえば、もちろん練習不足によるアンサンブルへのアジャスト不足という事態もあるが、オケ自体へのロイヤリティというか、帰属意識のようなものが薄れる結果につながっているように最近感じるのだ。練習への参加を基本的に欠かしていないF響でさえそうした気持ち的な「薄れ」が発生していて、つまるところ自分はどこのオケに所属しているかというアイデンティティのゆらぎのようなものが生まれてしまっている。

大げさなようだが、これは注意しなければならない。自分の気持ちはある意味どうでも良いかもしれないが、そうしたロイヤリティの低下は、「メンバーとしてなすべき事」への意識の低下を招くからだ。それは最終的にはオケ全体に迷惑をかける事につながっていく。それに自分の気持ちだって、ベースが無い状態でどこまでテンションを維持できるかといえば心許ないだろう。熱狂だけで乗り切れるのはそれほど長い期間では無い。

考えてみれば、昨年16回の本番を経験して、これは無理だと思っていたはずなのに、今年も同様の状況に陥りつつあるのは、実はあまり浮かれていて良い話ではないのだ。

で、二つ目だが、これはもう普通にダブルブッキングというやつで、本来はエントリーの時点で辞退すべき案件だ。それでも参加したかったというのは本音で、何とか間に合うかもしれないと淡い期待を抱いていたのがもろくも崩れ去ったにすぎない。どういう訳か運営その他の皆々様には受け入れてもらっているが、後のコンサートが開演した時にまだ前のコンサートで弾いている状態なのだから、普通はあり得ないブッキングである。

そして、こちらも「練習にはフル参加できていない」状態が発生してしまっている。これまた甘い話なのだが、それ故に「本音では参加したかった」はずのオケへの参加モチベーションが下がるという事態を招いてしまっている。

それでも、練習含め演奏している最中は楽しいのだから、何というか幸せな状態ではある。土曜日のオケは初見での参加で(注:通常初見で参加するのはオケプレイヤーとしてはマナー違反である)、久しぶりに未知の曲に対峙して「新たな発見をしながら弾けるようになっていく」興奮に包まれた。日曜日のオケでは、自分の知りうる範囲で最も上手いチェロプレヤーと再会して、久しぶりにその隣で弾く歓びを堪能した。これだからやめられないのだ。

さて、件の2つのオケだが、耳にした直後は一旦降りる決意を(本気で)したのだが、今更降りるというのは、どちらに対しても不義理であるのは間違いない。決めてしまったのは自分だし、周りがそれも含めて受け入れているのにこちらの都合だけで動くのは身勝手というものだ。覆水盆に返らずというけれども(別に覆水ではないが)、考慮すべきは「次の」決断であって、すでにしてしまった決断を覆してはいけないだろう。

とはいえ、9月のダブルヘッダーはともかく、2月の勘違いはその時期のスケジュール次第で苦境に立たされるという事があるかもしれない。その時はその時だと思いたいが、それも覚悟の上だという事で書いておく事にする。(まぁ書いておいても忘れていたのがこの勘違いエントリーの大元ではあるのだが。)

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2017年7月28日 (金)

残業の捉え方

昨日はノー残業デー。本来の考え方からすれば、設定すべきは「残業デー」であって、ノー残業が日常的でなければいけないのだが、実体としてはなかなか難しいのが一般的な実情だろう。

「残業」というのはどういったメカニズムで発生するのだろうか。理屈でいえば二つのパターンしかない。「自分の能力が足りない」か「付与された仕事の量が多い」かだ。前者は自己の責任であり、後者は上司の責任であるが、前者を解消しようと努力して、仕事をより効率的にこなせるようになれば、当然のその時間に別の仕事がアサインされると考えれば、結局は後者の問題ということに帰結するのかもしれない。

仕事というのは「ここまでやれば終わり」という区切りが(納期のような縛りを除けば)ないので、ある意味際限なく増やす事が可能といえば可能である。そこにコストのバランスなどを加味しながらやるやらないを決めていくのがマネジメントの仕事なので、何でもやろうとすれば当然時間が足りなくなると考えることもできる。では本当にそういう問題だろうか。

残業というのは、英語ではovertime workになる。日本語の「残業」は「やる事が残っている」というニュアンスだが、英語のニュアンスは「時間を超過している」だ。結講この辺りの意識の違いが影響しているような気がしなくもない。「やる事が残っている」だと「やる事を終わらせるにはどうしたら良いか」という意識になるが、「時間を超過している」なら「時間内に終わらせるにはどうしたら良いか」という意識になるからだ。

案外「残業」という言葉自体に、残業が減らない理由が隠れているのかもしれない。

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2017年7月27日 (木)

朝の時間割

朝にブログを書く習慣を復活させるという事で、ひとまず時間割を確認してみる。現状は大体こんな感じだろうか。

6:50頃 渋谷到着
7:00頃 会社近所のプロント到着(7時営業開始)
7:20頃 昼食終了

7:40頃 プロントを出る
7:45頃 会社到着

8:15 始業

会社到着から始業まではアイドルタイムということになるが、滑り込みで考えるのは精神衛生上も良くないと考えれば、おおよそ20〜30分程度の枠内で出社するというイメージになるだろうか。ちなみに今日はイレギュラーで8時よりミーティングがあるので、少し前倒しする必要がある。

で、プロントを出るまでの時間をどう生かすかだが、昨日まではインプットにあてていて、新聞や雑誌を読む時間としていた。その方が調節が楽だからだ。

インプットの時間は別途検討するとして、ブログというアウトプットが、では20分で可能かといえば、実はそれほど難しくはない。もちろんネタがない時や、込み入った事を書きたい時は別だが、現実にはスムーズであれば10分弱、苦労をしても30分という所だ。問題は30分かかってしまう時の話で、これは昨日考えたように「持ち越しする」と割り切ってしまえば良い。

例えばセルフブランディングをするとか、何か一つのテーマを突き詰めるような事を考えていたら、正直もう少し時間は欲しいだろうが、ようはストレス解消の手段であるので、5分で終わっても30分かけても、自分にとっての位置付けは同じである。ストレス発散を公開でやる必要があるのかと言われれば、それは価値観の話。見られて困るような内容は、クローズであっても書きたくないし、見られても困らない程度の発散にとどめておくのが健全であるような気もする。

という訳で本日の所要時間は約10分。まぁそんなものであろう。

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2017年7月26日 (水)

ブログを書くという行為

我ながらこんな事を呟くとは思ってもいなかったのだが・・・。

ちなみに昨日はTweetがなかったのだが、その辺りに直近の精神状態というか精神「状況」があらわれているような気がしなくもない。ようは何かが思い浮かんでないんだな。

大体今朝は展示会に直行だったのに、いつもの時間に家を出て、会場近辺で諸々する・・・ではなく、会場入りに間に合う時間に家を出るという行動に出たこと自体、本来の自分の判断ではない。

(うーむ、Tweetの内容をうまくコピーできなくなっている・・・Tweet日時が拾えない。)

そこで少しクールダウンが必要というか、考えを書き出す(吐き出すともいう)時間が必要な気がして、今日は無理やりスタバに寄ってみた。考えてみれば、ここしばらく何も書いていない。

思うに、自分にとってのこれはある種の精神安定剤というか、安全弁のような役割があるのかもしれない。大した事を書いてなくても、時に書く内容に困ったりしても、とにかく内容以上に書く(タイプする?)という行為自体が必要なのだという気がする。理屈ではなく直感の話だけれども。

そう考えると、仕事のストレスも、オケのプレッシャーも大きな問題ではなく、サマータイムによる朝の時間の欠如こそが自分にとっての問題だということになるだろうか。うーむ、鬱陶しい。

では朝の時間の使い方を元に戻せるだろうか。

全く無理という話ではない。実際サマータイムが導入された後もしばらくはそうしていたのだから。上記の仮説が本当ならば、時間が足りない、書く内容が思いつかないといった事はある意味瑣末な話で、短時間でもポチポチとタイプする時間こそが重要なのだ。それで時間が足りなくなれば、そこで書ききる事を諦めて昼休みでも終業後でも続きを書けば良い話であろう。あるいはその方が、夜の時間の使い方に変化を生み出せるかもしれない。

それでは明日からそうしようか・・・と思いついた所で、明日はいつもより早く8時から打ち合わせがあるのだった。時間的制約がシビアだなぁ。

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2017年7月17日 (月)

本番前のアイドルタイム

今日はKオケの演奏会本番。準備は何というかグダグダだったような気もするが、何とか漕ぎつけたという感じだろうか。

それにしても、こうした演奏会の準備のような、ある程度は一人でできる領域の広い仕事をしていると、つくづく自分は人に任せるのが下手だなと思わなくもない。何というか、ギリギリで自分が抱えてしまっている事柄が多い気がする。もっと前もって色々任せていければ良かったのに・・・と直前になると思ってしまったりする。

それでも今回は結講色々と他のメンバーには振ってはいるつもりで、実際色々と助けてもらっているので、その点で不満はないのだが、ここにきてそういえばあれもあったこれもあったと思い浮かぶのが、何というか、不安なのだ。

あれこれ思い浮かんだり、不安を感じるというのは、それぞれ任せている領域を自分では掌握していないからだ。つまり「どこまで任せたか」が明確ではないので、隙間があるような気がして不安になる。全体を掌握していれば、そういった事は起こるまい。

実際には各人がそうした隙間を埋めるために頑張ってくれるので、結果としては抜ける事はそれほど無い筈なのだが、それを過信する事は出来ないし、それはある意味運でもあるので、そうしないための算段を組むのは自分の役割だろう。本来任せる側しか全体は掌握していないのだから。

そして本来ならば、そうした全体像を示すことこそが自分の役割なのだが、それが出来ていない。

不安だから無駄に早く来てしまうし、だからと言って早く来ても何も出来ないので、そんな事を考えてしまうのだった。スタートしてしまえば思い悩んでいる暇などないので、そのためのアイドリングといえばそうなのだが、やはり無駄な時間ではあるかもしれない。

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2017年7月14日 (金)

ステップアップの筋道

今週は、火曜日夜に練習、水曜日夜に練習、木曜日昼に練習、木曜日夜に練習、金曜日朝に練習・・・とまるで中高の部活動のようなスケジュールだった。わずか3分弱の曲のためにそこまでやるかという感じなのだが(木曜夜は別の曲)、何気に明日の朝もやるので、短期集中といえばかなり集中している。ただし日曜日に一旦練習が途切れてから月曜日が本番なので、最終的にどうなるかは分からない。

ではその間に自分は上手くなったのだろうか。正直分からない。

分からないというのは、実際今回の練習を始めた時点で、正直な話すでにかなり弾けていたからだ。というか、今回の曲は自分にとっては(本番こそないが)過去結講さらっている曲であって、練習はどちらかというと伴奏のピアニストのためと言ってもよい。自分にとっては「思い出す」ための要素が強く、「弾けるようになる」という要素は元々薄いのだ。

それでも、精度は上がっただろうと感じている。過去さらっていたといっても遊びのレベルで、人前で弾く事を前提にしていた訳ではない。今回は前提の時点でかなり違っている。「弾けるようになる」ためではないにしても、人前で恥ずかしくなく弾けるレベルになるというのはまた次元が異なる。

が、一方で、それほどレベルアップした訳でもなく、過去のすでに「弾けるようになっている」状態から、そう大きく飛躍した訳ではない。飛躍は言い過ぎとしても、何か「変わった」と感じられるような変化が、自分の演奏に生まれたと感じられないのだ。

現実問題として、最近は「初見で弾けた以上に上手くならない」自分を感じている。これは極端な感じ方だが、弾けないパッセージはどれだけ繰り返しても弾けるようにならず、弾けるパッセージは逆に最初から弾けるという感じだろうか。実際には練習して弾けるようになっている部分も多々ある(当然ながらおそらくそちらの方が多い)にも関わらず、次のステップに進めない課題のようにそんな感覚が横たわっているのだ。

さらっても弾けるようにならない方の課題は、結局のところさらい方の問題だろう。これはこれで模索する必要があるのだが、最初に弾けた以上に弾けるようにならないというのは、もう少し深刻である。そもそもなぜそのように感じてしまうのか、感じた通りだとすればどうすれば解決できるのかという筋道が全く見えない焦りがある。これは自分の弾き方を客観的かつ言語的に捉えられていないからだ。

何度か書いているが、そこがスキーとは異なる。自分にとってのスキーは「頭では(それなりに)理解しているが、身体は実行できない」ものだが、楽器は「頭では理解できていないが、身体は(それなりに)実行できている」ものになっていて、周囲からはある程度弾けているように見える自分の弾き方が解析できていない状態にあるのだ。現状把握が出来なければ、当然ステップアップは計りようがない。それ以前に、ステップアップのための筋道すら見えていないのである。

そんな時は、どこから取り掛かっていけば良いだろうか。

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2017年7月12日 (水)

緊張を克服する

Kオケの本番が近づいてきた。

Kオケの本番は、オケとしての曲自体はそれほど緊張する事はないのだが、色々それ以外の事があって、結局の所結構緊張したりする。音楽の事であれば事前の練習である程度解消する事も可能なのだが、何分にもそれ以外の事であるので、何というか準備のしようがない。いややっても良いのだが、スピーチの練習なんて正直したくない。

もっとも今回に限っては、音楽面でも緊張の場面がある。ソロでの演奏があるからだ。これはオケの曲の中でソロパートがあるという事ではなく(そんなのは普段から一人で弾いているKオケにおいては緊張のうちに入らない)、ピアノの伴奏は入るにせよソロで曲を弾くという事である。これは緊張する。何となれば、真面目な形での独奏というのは、恐らく中学生の頃の発表会以来という話になるからだ。(今年2月に白鳥みたいなどソロの曲を弾いたりはしたが、それもアンサンブルの中での話である。)

個人的には、ビビリのためそういう事はあまりしたくない。外見上はそう見えないらしいのだが、結構緊張するタイプで、内心はかなりドキドキしている。胸に当てているチェロが心拍で揺れて弾きにくくなるぐらいだ。人前で話すというのも同じような状況なのだが、しかしそういうのは周囲にはあまり伝わらず、大抵の場合信じてもらえない。

緊張に打ち勝つには練習するしかない・・・と言いたい所だが、緊張に打ち勝つ程の練習ってどれだけの練習なのかと思わなくもない。というか、メンタルの問題というよりも技術の問題があって、それは短期間の練習でどうこうできるものではない。正直な話、開き直れるだけの練習を積み重ねるのは、現状では時間的に不可能だ。

それでも幸いな事に、昨日今日と時間を作る事が出来た。会社の施設と会社の理解に感謝だが、このまま明日以降も途切れずに練習ができれば、そこそこな感じには仕上がるだろう。技術ではなくメンタルが、だが。

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2017年7月10日 (月)

楽しんで演奏するので頑張って聴いてください

ピンときた人はよく読んでいるなと思うが、これは「のだめカンタービレ」 のラストシーンで、主人公のだめが聴衆に挨拶した時のセリフである。もちろん本気でそう言った訳ではなく、フランス語を間違えるという設定なのだが、個人的にこのセリフはアマチュア音楽活動の本質を突いているような気がしていてとても好きな言葉だったりする。

のだめの場合は天才なので、この言葉は単なる言い間違いに過ぎず、聴衆は別に「頑張って」聴く必要はない(もっともブッとんだ演奏に驚くシーンはよく出てくるが)。アマチュアの場合は、そういう訳にはいかないので、時に本当に「頑張って」もらわなければならない場合もある。その辺りは程度の問題もあったりするかもしれないが、そもそも頑張らずに聴ける音楽というのは実は少ない。特にベートーヴェン以降の音楽というのは、本質的には聴衆のためではなく作曲家自身の表現欲を満たすために創られており、そういった意味では、音楽は本来客のためのものではなく、作者あるいは奏者のためのものなのだ。

もっとも、そうであるためには、奏者自身は心の底から演奏を楽しんでいなければならない。頑張って演奏する曲を頑張って聴いてもらうとなってしまっては不幸な関係なので、そうはならないようにする必要がある。いうなればアマチュア演奏における聴衆の役割は「楽しむ奏者を応援する」所にあるのだ。それが苦行だというなら、アマチュアを聴きに行くのはやめた方が良いだろう。逆に応援が楽しめるなら、両者の関係はwin-winである。

で、何でこんな事を思い出したかというと、次回のKオケの演奏会は、ある意味そうでなければ成り立たないからだ。我々奏者は演奏を心の底から楽しみ、聴衆にはそんな我々を頑張って応援する事を楽しんでもらわなければならないのだ。

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2017年7月 8日 (土)

弦をきちんと押さえるという事

今日はKオケでは珍しい休日の練習である。普段は平日夜に会社で練習しているのだが、本番が近くなってくると、エキストラの参加のしやすさなども考えて休日の練習を設定しているのだ。練習会場は変わらず会社なのだが、今日は本番会場でもあるホールでの練習である。

Kオケの練習は木曜日にもあって、その時に気が付いたのだが、最近なのかずっとなのか、弦を押さえる力が弱くなっていた。左手で弦をしっかり押さえていないので、当然ながら音がきちんと出ない。それを何とか右手の運弓でカバーしようとしていたらしい。一音一音意識して押さえるようにすると、逆に音が出やすくなり、右手が楽になった。

何をやっているのかという気がするが、気を抜くと弱く押さえてしまう。弦を指板にきちんと押し付けるのではなく、やや浮いたような状態で「押さえたつもり」になってしまっていたのだ。それでは音程も音質も安定するわけがない。

幸いにしてKオケのプログラムは運指的にはそれほど苦労をしない。だからこそ気づけたのかもしれないが、運指に苦労していたら、逆に弦に指を「当てる」のが精一杯になってしまって、そうした状態に気が付かないままであっただろう。無意識にそうなってしまっているのがタチが悪い。

そんな訳で、今日の練習でもその辺りをしっかり意識しておきたいのであった。そしてその調子で明日のF響の練習にも臨みたいものである。

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2017年7月 4日 (火)

フォロワーの役割

昨日書いたのは「オケにおける」フォロワーの楽しみ方なのだが、案外この考え方は仕事などの組織でも当てはまるような気がしている。リーダーとはすなわち上司であり、フォロワーとはつまり部下である・・・のだが、そもそもこの「上」司と部「下」という言葉はどうなのかと思ったりもする。

最近どこかで見かけたのだが、日本人はリーダーシップ論が好きだが、フォロワーシップ論というのがあまり見当たらない(=好きではない?)そうだ。あくまで勝手な想像だが、リーダーとフォロワーを「役割の違い」ではなく「上下の関係」で捉えていると、フォロワーかくあるべしが「下の者の心得」のように響いてしまい、結果として(感情的に)受け入れがたくなるという事はないだろうか。

逆に言えば、リーダー好きな人が、権力とは関係ない役割論の文脈の中で語る事が出来ているかは気になるところであるかもしれない。

別の文脈で語った事もあるが、「ピラミッド型組織」というのは、権力構造を形にした「ヒエラルキー型組織」とはまったく異なり、それぞれの役割をピラミッド型の構造にする事で効率を高める事を目的としている。リーダーとフォロワーの関係というのも、役割で論じるのであればまったくイメージが異なってくる・・・筈だ。筈だというのは、それはあくまでも理想論であって、ヒトの本性というのは(猿の時代から)ボスと群れから成り立っているので、後付けで理想論を語っているだけに過ぎないような気もするからだ。

実際には経営者を役割で捉えるも同じような文脈によるのだが、そのあたりはいわゆる「雇われ経営者」つまりプロフェッショナルな経営者というのが増えてこないと、なかなかそういったパラダイムシフトは起こらないかもしれない。

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2017年7月 3日 (月)

フォロワーの楽しみ

この週末は合宿で千葉の岩井海岸まで2往復するとか、いつにも増してオケ三昧な週末だったのだが、その中で少し感じた事がある。

昨日の夜の練習が楽しかったのは、フォロワーとして色々考えながら弾けたからなんだよね。リーダーだと全然違う事を考えてるし、譜読みに必死だとそもそも何も考えられない。
送信 7月2日 From Hootsuite

頭を空っぽにして弾くという楽しみもあるのだが(それをキレるといって結構多用するのだが)、そうではない楽しみ方もあるという話で、読譜に余裕がないとできないことではあるのだが、一定の余裕があればそうした楽しみが浮かび上がってくる。リーダーであってもそうした楽しみはあるのだが、フォロワーだとまた違う。

だいぶん前にあるオケで指揮者に言われて呟いた事があるのだが、弦楽器におけるパートリーダーの役割がパートとしてオケ全体のアンサンブルにアジャストする事にあるのだとすれば、リーダー以外のパートメンバー(フォロワー)の役割は、そのパートリーダーの音を自分の楽器で共鳴させて増幅させる事にあるのだそうだ。弾けなければ成り立たないし、仮に弾けても自分一人で弾いていたら成り立たない訳で、これはこれでかなり高度な話なのだが、テクニックというよりは意識の側面のような感じではある。

それでも、それを意識しながら弾くというのは、また違った楽しさがある。自分の楽器の音ではなく、パートリーダーをコアとしたパート全体の音を生み出すにはどういった弾き方をすれば良いのか。パートリーダーの音はどのように聴こえているかを知覚し、それをどう共鳴させればパートの音としてまとまりを生み出せるのかを考える。それはパートリーダーの役割ではなく、フォロワーの役割なのだ。

土曜日の練習では久しぶりにそんな事を意識させられた。最初はメンバーが足りずに一人弾きの状態で、そこから人が増えて、最後にパートリーダーも加わる事で、同じ練習の中でソロ→パートリーダー→フォロワーと立場を変える経験をする形になったからだろう。おかげでテンションが上がってしまい、当初その気がなかった2日連続の岩井海岸往復という無茶をやる羽目になりはしたのだが、悪い経験ではなかった。

・・・しかしそのオケ三昧な日々のツケは当然ながら今日という平日に覆いかぶさってくるのである。とりあえずは週末まったく出来なかった家事関係を片付けなければ。

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