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2017年8月24日 (木)

早朝勤務推奨の矛盾

少し面白い話を見つけたので・・・。

まぁ確かに結局のところはその方が快適な人による推奨という名の強制だからなぁ。 「よく言われる「早朝勤務推進」はどの職場でも不評であることにも充分留意願いたい。」 / “働きにくい職場での働き方改革に求められる施策とは:ナレッジ!…”
働きにくい職場での働き方改革に求められる施策とは:ナレッジ!?情報共有・・・永遠の課題への挑戦:オルタナティブ・ブログ
午後8:57 · 2017年8月22日

自分は朝型なので、早朝勤務推進それ自体は何か苦になる訳ではないのだが、この早朝勤務が「仕事がはかどる」とされる理由については、よく検証しなければいけないのではないかと思っている。

よく言われる理由は大きく二つあるだろうか。
一つは「朝は頭がスッキリしていて仕事に集中できる」
もう一つは「朝は邪魔が入らないので仕事に集中できる」
だいたい見かける「朝は効率が良い」理由はこの二つだ。

このうち一つ目は、先日も書いた生活リズムにも関係していて、科学的におおよそ納得できる。ただしこれは「起床後3〜4時間ぐらいが脳の活動のピーク」という話だから、絶対的な時間ではなくようは「起床後3時間で仕事がスタートできると効率が良い」というものだ。6時に起きれば9時だから、これを8時にするなら5時になるし、7時にするなら4時起床が必要になる。

ということは6時に起きて慌てて出社して7時から勤務という形になっては逆効果ということだ。これを根拠に早朝勤務推奨を行うのであれば、例えばそれを8時にするというなら、朝は5時に起きなさいという事をセットで推奨しなければ意味がないし、そんな話なら勤務スタートを早朝にするのではなく、「勤務開始の3時間前には起きよう」「起床後3時間後に仕事をスタートしよう」という推奨をした方がマシという話になる。

二つ目はもっと矛盾していて、「朝は邪魔が入らない」理由は、「他の人が出勤していない」からなので、それこそ「みんなで早朝から仕事をしよう」では意味がない推奨という事になる。これはそれまで早朝に時間をずらす事で集中する時間を確保していた朝型の人間の集中や効率を削ぐ結果にさえつながる話だ。

この場合重要なのは「皆が同じ時間割で仕事をすると各自の集中度合いは下がる(から時間をずらした方が良い)かもしれない」という捉え方だろう。フレックスや在宅勤務がその解決手段の一つかもしれないし、そもそも時間に関係なく、職場の机で集中できる環境が作れないというのは本末転倒なので、個室やブース化するといった対策も考えられるかもしれない。午後に集中タイムを設けていた会社があったが、それを午前にして会議や電話、会話を禁止するといった方策も考えられるだろう。対外的な営業時間は11時からとして、社員は9時から11時まで集中するといった具合にだ。

でもそうではなく「早朝勤務を推奨する」という発想がどうにも気になってしまうのだ。

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2017年8月23日 (水)

老眼を実感する

昨日はとある原稿のチェックを手伝ったのだが、その文字の小ささに四苦八苦するという老眼を強く実感する事態に陥った。実際の所、コンタクトの焦点は楽譜が見える距離を中心にチューニングしていて、至近を見るのもややしんどい状態なのだが、それが小さく細かくなると輪をかけてしんどくなる。コンタクトを外してチェックしたい所だが、1dayなので一時的に外すという訳にもいかない。

近視とは長年付き合っているのだが、そんな訳で最近は近くを見るのもしんどくなってきている。本を読まなくなったのも、半分ぐらいはそれが影響していて、要するに手元の文字に焦点を合わせるのが疲れるのだ。(でもスマホは見ている。多分違うのは集中度合いだろう。スマホのそれは読むというより感覚としては眺めるに近く、そういった意味では読むという行為からは少し距離がある。)

コンタクトをしてしまうとそういう状態なので、実は何かを読むにはコンタクトをつける前の朝の時間(コンタクトは出社後に装着している)が都合が良い。昨日は帰宅途中にスターバックスに寄って溜まった雑誌(dマガジンである)をチェックしたのだが、これもじっくり読むというよりは「何が書いてあるかをざっと眺める」という感じになっている。しっかり読みたくなれば拡大ができるのは助かるのだが、なかなかそういった読み方ができなくなっている気がする。

生物というのはそうやって齢を重ねていくのだな、という話。

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2017年8月22日 (火)

自分にとってのモチベーション

昨日は少し仕事で遅くなったのだが(たいして遅くない)、段取りというか、仕事を進める組み立て方が良くない1日だった。事前のすり合わせ不足で待ちが発生し、しかもその待ち時間を他の仕事に当てられないという・・・。やっている最中は焦っているということなのか、そういった事を考える余裕はないのだが、終わって振り返ってみるとそうならずに済ませられた分岐点というのはいくつもあった。

詳細は書けないので、これ以上ツッコミようがないのだが、ちょっと気の緩みというのがあるのかもしれない。昨日の帰り道に考えていたのは、「自分は出来た達成感よりも、出来なかったストレスの方にモチベーションを感じていないか」というものだ。

言うまでもない事だが、出来ないストレスに生きる実感を感じた所で何のメリットもない。解決しない事がゴールになってしまうというのは、何もしない事を無理やり肯定しているだけの話だ。

それでも、そんな考えが頭をよぎってしまったことは確かであり、そのマインドセットは切り替える必要があるだろう。無理に切り替えるというよりも、むしろ無理にそのように考えてしまっている可能性が高い事を自覚した方が良い。それは出来ない事を肯定するある種の防衛反応のようなものだからだ。

でもねぇ、そうやって冷静に振り返ってみると、オケですら(周囲から見えるほどの)モチベーションは高くないんだよねぇ。何というか、エネルギーそのものが低下しているような感じだ。

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2017年8月21日 (月)

オケ以外の何か

週末の練習は土曜午後のオーケストラEと日曜午前のF響の二つ。これぐらいだとぐっと落ち着くというか、少し余裕があるという感じになる。もっとも実際には土曜の午前は個人練習をして、日曜午後にはアンサンブルの練習が入ったりしたので、気持ちほどの余裕はなかったけれども。
練習がなければのんびりダラダラするだけと考えれば、やる事があるというのは本来悪い話ではない。

さて、先週書いたコップの水の話だが、なぜそのような状態になってしまったのかを考えると、やはりアンサンブルOの解散が大きな引き金になっているというか、その喪失感を埋められていないのだという感覚は否めない。年に3ヶ月程度の活動だから、年間を通じての練習という訳ではなかったのだが、それが毎年あるという感覚だけで十分だというぐらい、自分の中での位置付けは大きかった。

それは一時F響ではなくアンサンブルOをメインにしようかと考えた事があるだけでも分かる(実際ある)。

オケを辞めるのではなく、オケがなくなるというのも大きなインパクトであったのは間違いない。

とはいえ、そのショックをいつまでも引きずっているわけにもいかないし、ましてや今のように石を投入し続ける事は、正直あまり良い状態であるとは思えない。あるいは少し(オケとは)別の方向で解消していくという事を考えても良いのかもしれない。

9月まではオケの予定でびっしりではあるのだが、その後のことは少し余裕を持たせておこう。

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2017年8月18日 (金)

コップの水とオケの活動

水が注がれているコップに石を入れていく。当然ながらいくつか入れた時点で水は溢れるが、そこで一旦満杯の状態になる。その状態から石を1つ取り除くと水かさが減る。減った水かさを補うためにまた別の石を入れる。そのサイズによってはまた水が溢れる。そこから別の石を取り除くとまた水かさが減るので、また別の石を水がコップから溢れるまで入れてしまう。そうしてコップの中の石が徐々に増え、水の量が少しずつ減っていく。

・・・今の自分の状態はそういう事なのではないかとふと思った。コップはオケ活動。石は一つひとつの演奏会である。

問題は石が1つ取り除かれた後、つまり本番が終わった後に、減った水かさに耐えられずに次の石を入れてしまう事だ。それが悪い事とは必ずしも思わないが、時には石ではなく水を注ぐという事をしなければ、水の量は減る一方になってしまう。何が水になるのかは定かではないが、それが仮にモチベーションだった場合は、新たな石の投入のみで維持していては、いつか枯れる事になってしまう。

そんな事を考えたのは、夏休みに本番が1つ終わったからだろう。今の所は他の練習もまだたっぷりあるので、喪失感のようなものを感じる余裕はないが、本番が終わった頭の隙間には、「11月は本番がないよな」みたいな余計な思考が流れ込んできている。これに流されず、どこかで断ち切らなくてはいけないのではないかという漠然とした不安感があるような気がする。

とはいえ、石を増やせないなら水を投入しなければならない。水を注ぐ事ができれば、それはある種の余裕にもつながるだろう。

その「水」にあたるものは果たして何だろうか。

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2017年8月17日 (木)

理想の生活リズム

夏休みというのは、生活のリズムが乱れるタイミングでもあるのでちょっと注意が必要だと思うのだが、では自分にとっての理想のリズムというのはどういったもので、実際にそれを刻む事ができているのだろうか・・・とふと気になったのは、たまたま昨日読んだ雑誌の中にそんな記事があったからだろうか。

週刊ダイヤモンドの2017/08/05号のロジカルシンキング特集の中で、番外編としてパフォーマンスを上げるための生活習慣というのが紹介されていた。

・起床3時間後は最も記憶力が高まる
・起床4時間後は脳の活動が最も活発になる
・起床7時間後はアドレナリンの分泌が最大になり、交感神経が活発になる
・起床8時間後には脳の働きが低下する
・起床10時間〜11時間後に深部体温がピークになる

・・・などなど。

現在の起床は5時なので、上記にそうなら8時に記憶力が高まり、9時に脳が活発になり、12時に交感神経が活発になり、13時に脳の働きが低下し、15時〜16時ごろに深部体温がピークになるという事になる。

ちなみに、そうした働きを考えた場合には、

・午前中は頭を使い
・午後は手を動かし
・夕方は体を使う

というのが良いそうだ。起床後3時間〜4時間頃というのは、脳の状態がクリエイティブな活動に向いているという事で、メールチェックなどをするよりもそうした作業に集中した方が良いらしい・・・が、ちょうど出社直後ぐらいなので、メールチェックをしてしまっている。

実際には、「自分自身のリズム」というのもあると思うので、これがそのまま適用されるという訳でもないのかもしれないが、こうした生理学的な知見というのは個人的には好きなので参考にしたかったりする。

それにしても、こういった記事の起床時間って6時とか7時とかが多いような気がするのだが、一般的にはそんな感じなのだろうか。

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2017年8月16日 (水)

夏休み

今年のお盆休みは前半にオケがらみの予定(練習&本番)があり、後半は特に何も無かったのだが、最終日の昨日は何があったのか「何もしない」1日を過ごしていた。

ちょっと気になったのは、最初から「今日は何もしない日」と決めていたとかではなく、前日までは「明日はこれとこれはしないとな〜」と思っていたにもかかわらず、朝起きてみるとそういう気分にならず、そのまま1日が終わったという点だろうか。休みの最終日というのは、どちらかといえば「何もしない日」ではなく「諸々片付ける日」にする事が多いのだが、それらが一切後回しになる程度には「する気」が起こらなかった。これは結構珍しい事だと思わなくもない。
(自覚がないだけでちょくちょく発生している可能性もあるけれども。)

何もしない1日というのは、本来はやる気をチャージする1日だろう。

が、それは本来「やるべき事」を終わらせていて、「何もしなくて良い」状態だからこそチャージできるというものだ。「やる事がある」というのを悶々と抱えながら、でもやる気が起きないという状態では、チャージされるものがチャージされない感じで、むしろストレスになる。

そんな事を1日が終わって思ったのだが、一方で逆の見方をすれば、結果やらずに終わっている事を「やらなければ」と思っていたからそういう精神状態になる訳で、そもそもやらなければいけないと考えた事自体がストレスの原因であり、すっぱり割り切っていればどうということも無かったのかもしれない。

何れにしても、今年の夏休みはやや不完全燃焼感のある終わり方をしたのだった。もっとも、本来は今日までだったのを、休みに入る直前に昨日までに変更したので、その辺りの切り替えがうまくいっていなかったのかもしれない。

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2017年8月 9日 (水)

夏休みの予定

今朝は何を思ったのか過去のエントリーを読みふけってしまい、タイムアップしてしまった。まぁ単にネタが思いつかなかっただけともいう訳だが。

会社全体としては明日まで仕事だが、1日休みを取って明日から休みである。もっとも、11日は終日練習、12日は本番というスケジュールが控えているので、休みっぽい気分ではないというか、そもそも休みをとったのも、その辺りのクッションが欲しかったからだったりする。

もっとも、本音を言えば明日も(個人)練習はしたい。今更感はあるが、それでも12日の本番の多少の足しにはなるだろう。やらなければ・・・何もできずに終わる。実際、忘れているだけの所も多々あるので、それらを思い出す時間を取るだけでも、全然違ってくるのだ。

・・・が、明日の予定は結構厳しい。昼に銀座で用があり、その前後の時間の使い方を考えると、練習時間は夜しかない。いや元々昼にやろうと思ってもそうそうできるものではないので、夜やれば良いだけの話ではあるが、暑さに負けなければ・・・と願うばかりだ。
(気力の問題だけでなく、汗の問題もあったりする。)

さて、夏休みの予定はといえば、12日の本番が終わってしまえば、15日まで特にする事は無かったりする。父には先日会ってしまったので帰省という事もないし、そもそもこの時期に長距離の移動はそれ自体得策ではない。そんな訳でダラダラ過ごしても良いのだが、その一方でそういうタイミングだからこそやっておかなければならない事もあったりする。

・9月定期演奏会の実施要綱
・12月第九演奏会の実施要綱

特にこの2つは時間がかかるので、やっておかないと後で泣きを見ることになりそうな気がする。

・9月演奏会の楽譜製本(1つはこの間やってミスがあったので再製本)
・10月以降の予定の確認

製本はさておき、予定の確認はもう一度念入りにやっておいた方が良いというか、何かしら抜けがありそうな状態なのが怖い。

その他にも色々ありそうなのだが、だらける時は徹底的にだらけてしまう性質なので、やること決めて時間を確保する必要があるんだろうなぁ・・・やろうと決めただけではどうにも動けないから。

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2017年8月 8日 (火)

危機管理としての在宅勤務制度

台風が日本列島を蹂躙中という事で、今のところ都内は穏やかなのだが、会社では昨日の段階で注意が喚起されていて、自分の念のためPCを持ち帰ったりしていた。予報ではそれほど大きな影響は(自分の周りでは)なさそうなのだが、地域によっては大変だろう。

自然災害で交通機関に影響が出れば、またネット界隈では「這ってでも会社に行こうとする社畜なんたら・・・」みたいなコメントが飛び交うのだろうが、昨日ふとこの手の話題の矛先は「社員」の方を向くばかりで、「会社」や「社会」に向けられる事が少ないよなと思ったりした。まぁ話題として盛り上がりにくいという事だろうが。

自然災害などで従業員の出社が困難になった時に、どのような対応をとるべきなのか、あるいは事前にとっておくべきなのかは、従業員の問題というよりもむしろ会社の問題であろう。少なくとも従業員の判断に任せるというのが下策なのは間違いない(無策よりはマシかもしれないが)。無理な出社を止めるのもせいぜい中策。出社しなくても仕事ができるように環境を整えておくのが上策といえる。

そう考えると、在宅ワークやテレワークの仕組みというのは、「従業員の働きやすさ」以上に、「会社の事業継続のための危機管理の一環」という視点がもっと語られても良いのだろう。従業員を中心に語ろうとするから公平感みたいな話が中心になるのであって、会社を中心に語れば「いかに仕事を止めないか」こそが主題であって、そこには従業員の都合など関係ない。そこを骨格とした上で、では少しでも働きやすくするためにはどんな工夫があるか、というのが検討の順番であって、従業員の働きやすさを確保した上で、では会社の仕事を止めないためにはどうするかというのは、議論の順番が逆のような気がするのだ。

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2017年8月 7日 (月)

夏休み直前の週末

週末は所用があって盛岡まで行ってきた。父の処を訪れる関係で一関あたりまでは(たまには)行くのだが、盛岡まで行くのはかなり久しぶりである。大学を卒業した直後は毎年のように何かしら訪問していたものだが。

まぁ遠いというのは間違いない。車で行こうものなら7時間から8時間のドライブである。基本的に車の運転は嫌いではないし、それほど苦にもならないのだが、流石に往復で1000kmを超えるとなると、それなりに疲労は蓄積する。

いつもは東北道を使うのだが、今回はちょっと思い立って常磐道を使ってみた。ナビの予想時間だとそれほど時間差はなかったからだ。途中対向車線になってしまうので、やや緊張感があるのだが、普段は使わない道だと気分的にちょっと新鮮だったりする。あいにく夜間+霧雨であまり景色どうこうというドライブではなかったのが残念ではあるが、ある意味見慣れてしまっている東北道よりは飽きずに運転できた。

せっかく行ったのだから泊まって知り合いと会ったりもすれば良かったのだが、日曜日は練習。今週末本番予定のオケの最後のリハーサル(本番前日にホールでのステリハはある)に出席する。プログラムはモーツアルトの「魔笛」序曲に、ベートーヴェンの交響曲第1番、ブラームスの交響曲第3番。練習への参加回数が少ないので、弾けないところがアワアワしてしまったのだが、直前にさらう時間は持てるだろうか。できれば持ちたいところであるが、ブラームスの交響曲第3番はとても好きな曲の一つなので、合奏自体は楽しい。

練習自体は比較的あっさり終わったのだが、前日の疲れもあったので昨日はそれで終わり。家事関係は今日やらなければならない。

そん感じで夏休み直前の週末は終了。今週後半は夏休みに入るので、その前に片付けなければいけない仕事、休み明けから問題なくスタートできる準備を今日明日ぐらいで進めていかなければならない。

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2017年8月 4日 (金)

サイレントチェロを演奏用に使う

昨日はKオケの練習があったのだが、久しぶりにサイレントチェロで参加した。ありがたい事に置き楽器とさせてもらっているので、単に楽器を持っていくのが面倒だったという事ではあるのだが。

やっぱり弾く感触などは違うよな・・・と思いながら、次回のKオケの演奏会はサイレントチェロで参加してみたらどうだろうかという事を思いついた。クラシックの曲であれば流石に躊躇するのだが、幸いにしてというか、次回はアンプを介する楽器も参加するポピュラー系のみの選曲(の予定)である。

考えてみると、サイレントチェロは「練習用」としか捉えていなくて、「演奏用」としてみた事がない。演奏用として考えると、例えば音色なども気になってくる。本来はしっかりサンプリングされているはずなので、もう少し良い音が出ても良いはずなのだが、あまりそのように感じた事がないのは、あるいはアンプの問題かもしれない。

この機会にそういった機材を揃え、どうやったら演奏用として満足できるかを少し追求してみようか・・・そんな事を考えた。そういう事ができるのは他のオケにはないKオケの良さでもある。チェロが1本しかない中で、音量的に対抗する意味でも、あるいはアンプで増幅する形の楽器の方が良いかもしれない。

という訳で、アンプを探す事から始めよう。専用のアンプがあるような話は聞いた事がないので、まずは何を使えば良いかだよね。

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2017年8月 3日 (木)

体調管理

ここしばらく喉が痛かったのだが、今朝は加えて頭が重い。先々週のようにもしかしたら発熱するかもという予兆を感じているのだが、先々週と違うのは明日は重要な会議があって休めないという事だ。土曜日にも本番ではないが本番にも勝る大事な家族の予定があるので、明日を乗り切れば何とかなるというものでもない。

正直この夏は体調管理に苦労をしているというか、どことなく体調が安定しない。はっきりとした理由は不明だが、おそらく寒暖差にやられているのだろう。外に出る機会はあまりないが、外に出れば暑く、屋内では寒いと思うことは少なくない。オフィスに限った話ではなく、電車や飲食店でも同じだ。

おそらく短時間であればむしろ快適に感じるのだろうが、比較的長居をしてしまう傾向がある(長居というのは飲食店での話だが、オフィスや電車というのも当然ながら短時間という訳にはいかない)ので、体温がある程度それに順応してしまい、その分次の変化が堪えるようになる・・・という事だと思うのだが、それはこれまでも同じなので、今年殊更にこのように感じる理由にはなっていない。いや確かに通勤で電車に乗っている時間は長くなったし、オフィスは去年より寒いような気もするけれども。

あるいは、土日に閉じこもりがちという事があるのかもしれない。先週末の練習では、朝から晩まで窓のない部屋での練習で、気分はさておき体調は狂うような気がしなくもなかった。やはり土日に少しでもオケ以外の時間を確保するというのは重要なのかもしれない。

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2017年8月 2日 (水)

最近何をしているのか

昨日は久しぶりに会う知人と食事をしたのだが、「最近何をしているんですか」という問いに詰まってしまった。こうした問いは苦手である。何もしていない訳ではない筈だが、とっさに言葉が出てこないのは、今自分が何をテーマにして何をしているかという事に対して自覚が薄いからだろう。

それは惰性的に日々を過ごしているという事でもある。淡々と日々を過ごす事が悪いとはいえないし、波乱万丈であれとは思わないが、それでも問われた時に答えられるぐらいのテーマ感は持っていたいものだ。

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2017年8月 1日 (火)

アマオケとエキストラの関係

昨日の(ブログの)エントリーは夜だったのだが、比較的直後に珍しくコメントが付いていた。

ダブルブッキングが分かった時点で、どちらに出るのか決めて速や かに連絡するのがマナーです。

しょせんアマチュアなのに、年間出演回数が多く、そこそこ愛想も
ふりまき飲み会に溶け込み、団員さんから頼りにされ、
勘違いする人がいるんですよね。トラ代も貰ったりして、
プロの足元にも及ばないのに)職業音楽人かのような錯覚をおぼえ
てしまうという。

いや全くおっしゃる通りで、この人はそんなエキストラに手を焼いているんだろうな〜と同情してしまうのだが、運営的な視点でいうなら、こうした勘違いをさせてしまう運営側にこそ問題があるということは指摘しておかなければならないだろう。エキストラは呼ばれなければエキストラにはなれないのだから、そのエキストラが呼ばれる事で何かを錯覚してしまうのだとしたら、それは当人の責任ではなくオケ側の責任の方が大きい。エキストラにマナーを求める以前の問題である。

ただし、エキストラの考え方はオケによって違いがあって、団員数を少なくしておいて、大編成曲をやる時だけエキストラを呼ぶことで、小編成曲にも対応できるようにしているオケもある。必要な時に確実に呼べるように特定のエキストラとの関係を深めておくという戦略をとる場合もあるだろう。あるいはそのような勘違いをしてもらっていた方が、(そのオケにとっては)好都合という事も考えられる。

あるいは考えにくい事だが、この方が「呼ばれる側」として他のエキストラをそのように感じているのであれば、それは申し訳ないが「呼ばれたいけど呼ばれない人」の戯言でしかない。プロは実力で選んでしかるべきだが、アマチュアは関係で選ぶものだ。自分がエキストラを呼ぶ立場だったら、どんなに上手くても愛想なく付き合いの悪い奏者よりも、多少実力は落ちても愛想良く付き合いの良い奏者を選ぶ。その方がアマチュアオーケストラとして一緒に演奏して楽しいと思うからだ。(もちろん弾けないというのは問題外。)

そもそも東京に限っても、400以上あると言われるアマオケの総数に対して奏者は(多いとはいえ)足りていない(地方の事情は知らないが)。実際には不足というよりは偏在だと思うのだが、いずれにせよそうした中でオケを成り立たせていくためのシステムがエキストラと考えると、その考え方捉え方は様々だろう。

「しょせんアマチュアなのに」ではなく、「むしろアマチュアだから」こそ、そうした音楽との付き合い方もありうるのであり、そうした寛容さがあるからこそ、文化としての深みや広がりを生み出すのだ。かくあるべしだけで成り立つ文化なんて閉塞感しかないじゃないか。

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