« 2017年11月 | トップページ

2017年12月11日 (月)

最高と最低

第九演奏会が終了し、年内の演奏会がすべて終了した。

今回の第九は、オケはまぁいつも通りだったとして(チェロは音程が悪かったと打ち上げで言われたけれども)、合唱団が素晴らしい迫力だった。300人を超える人数もそうだが、声量もこれまでより格段に豊かだった気がする。ある意味圧倒されたといっても良いだろう。

客席もチケットは席数分完売という事で、ほぼ満席という状態。そういった意味でも演奏会としてはとても良かったと言えるだろう。一方で自分自身は正直練習不足というか、直前に気になって音程を下げたりして、結果それがパートとしての音程の悪さにつながっていたのだとしたら、申し訳ない気分ではある。

運営的にも当日のドタバタが結構あったというか、段取りの不足を感じた。第九はオケ単独での企画ではないので、自分達だけで動ける訳ではないのだが、それにしてももう少し全体の段取りに気を配るべきだっただろう。長くやっている弊害というか、緊張感が薄れてなんとかなるだろう的にやっつけてしまった感がある。


・・・まあそれでも演奏会としては最高に楽しかったのだが、その後の打ち上げで最低の気分に叩き落とされた。決着がついていないのでここではまだ書けないが、一気に酔いが冷める重い事態で、場合によっては進退に関わる状況だ。というか、一晩寝かせて実際に酔いが覚めてもそれ以外の結論を導き出せずにいる。こんな事でやめるなんて残念な事はしたくないが、他に落とし所が思いつかない。

人生がかかっている訳ではないのだから、そこまで深刻に考えずに済ませる方法もあると思うのだが、その場合でもここまで落ち込んだ自身のテンションを復活させる術が見つからない。

とはいえ、今日の夜には何らかの動きを取らなければならない。今日は仕事に手がつくだろうか・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 8日 (金)

2017年最後の演奏会

今朝は今週二度目の朝からの打ち合わせがあり、昨日少々飲みすぎたこともあって、久しぶりに朝そば(実際はうどんだったが)で済ませて早々に出社した。昼はちゃんぽん、夜はそばと麺三昧な一日だった。

週末はF響の第九。2年に一度第九を弾いているのだが、なかなか弾けるようにならないというか、なまじ中途半端に弾けてしまうためにきちんとさらうことがなく、それが良くないように感じている。練習期間がどうしても短くなってしまうというのもあるだろう。

できれば今週は少しでもさらいたかったのだが、この季節には寒さという敵もあって、なかなかそうしたテンションにならない。もっとも今週に関していえば、仕事も少々立て込んでいて、そもそも調整が難しかったという事もあるのだが・・・Googleゴール様が指定してくれる「チェロの練習」は、なかなか実現できていない。

出来ていようが出来ていまいが、本番は予定通りにやってくる。今回は運営方の準備も結構直前にバタバタしてしまって、そういった意味では反省も多いのだが、それでも(多分)やれてしまうことが、長年やっていることの強みだろう。おおよそのスケジュールと役割分担さえしてしまえば、あとは「よきにはからえ」的に動いていくのはメンバーの変動が少ない歴史のあるオケならではという事もある。

明日はG.P.なのだが、午前中は別のオケの練習があって、午後からステージセッティング、夜にソリストも加わってのステージでのG.P.という流れになる。これもいつも通りという所で、直前(先週)に指揮者の予定が実は30分ずれる事が分かるというハプニングもあったのだが、その程度で動じていては400人を超える(オケ約100名合唱約300名)集団には動いてもらえない。

ちなみに今日事務局から連絡があって、チケットは席数分が売れてしまったため、当日券はなくなった模様。実際には歩留まりもあって満席にはならないのだが、せめて1800人は超えて欲しい所である。もっとも席数は1863席なので、実際に1800名を超えたら、会場整理が追いつかずに開演がままならない可能性もあるだが。

この本番が終われば、2017年の本番はすべて終了。まずは最後の演奏会を楽しみたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 7日 (木)

カレンダーを埋める

今週はカレンダーの(予定の)埋まり方が少々ひどい。たまたま打ち合わせが積み重なった事もあるが、昨日も書いた「働き方改革」の一環というか、試みとして会議から作業まで、自分の行動を可能な限りカレンダーに記入するという事をしているからだ。ドラッカーが推奨する時間の使い方の把握ほどの密度はないが、結果として自分が何をしているかを振り返る資料にはなる。

もっとも目的としてはそれだけではなくて、むしろこれと同じ事を部署全体で行う事で、互いのやっている事を可視化し、リソースの適正配分につなげたいという思惑がある。やや面倒なのは、その適正配分を行うのは自分の役割ではないので、まずはその配分を行う人間に、こうして可視化を行うことの意味というのを理解してもらわなければならない点だろう。

カレンダーへの登録も、それ一つではたいした時間がかかるわけではないが、積もればそれなりの負荷になるし、少なくともやらないよりは手間である事は間違いない。手間を省いていくプロセスの中で、ちょっとしたものでもそうした手間を取るステップを加えるのは難しい。加えてこうした行動の可視化は心理的な抵抗感も大きかったりするので、そうした抵抗感もクリアしていかなければならない。

おまけに現実的にこれが成果を生み出せるかは未知数である。一歩間違えれば単なる管理のための管理、管理のための無駄になりかねない。そういった意味では、義務やルールとしてやるのではなく、自らの改善活動として取り組めなければ、最初はやれてもすぐに形骸化してしまうだろう。

そもそもの大前提として、これらは当人にそれを活かしていこうとするあるいは活かしたいという意思が必要なのだ。時間はいくらかけても納期までに良いものが出来れば良いと考えているうちは、そうしたマインドシフトは発生しない。時間と納期も混同されやすいものだし、言われて分かるものでもないので、結局は当人次第という話ではあるのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 6日 (水)

働き方改革は何を改革するのか

昨日は少々早い時間から打ち合わせが入ってしまいブログを書く時間を確保できなかった。夜は夜で気持ち的に立て込んでしまって時間を作れなかったのだが、本当はそうした場合にどうリカバリーするかが問われてくる。いやそこまで真剣に取り組むものではないので、別にどうでも良い事なのだが。

ここ最近「働き方改革」というのが、会社的にも社会的に叫ばれていて、それ自体は悪いことではないと思うのだが、「働き方」を「改革」するというのは、具体的にどういう事だろうか。特に会社にとって、それが「業務改革」ではなく「働き方改革」という言葉になっている事にはどういった意味があるだろうか。

個人的には、個人としてやるべきは「働き方」改革であっても、会社にとっては「業務」改革だろうと思わなくもない。違いは、視点が「やり方」の改革か、「やらせ方」の改革かという点だ。後者の「やらせ方」には「そもそも何をやらせるか」という視点が含まれるが、前者の「やり方」には多くの場合そうした視点は薄いように感じられる。

逆に「やらされ感」を払拭したいといった意図もあるのかもしれない。業務改革にはイメージとして痛みが伴うが、働き方改革にはどことなくハッピーな語感である。実態としては疲弊するというのがあっても(実際そうした悲鳴もよく目にする気がするが)、少なくともやらされ感は(本来は)ない。

不自然なのは、それを会社や社会が叫んでしまう事によって、やらされ感が強まっていく事だ。それは当たり前で、個人がやりたくてやるのではなく、会社や社会が個人に求めている時点で、それは個人にとってはやらされ事である。そうした圧力が働いてしまうのは、日本人の性なのか、人間の性なのか、どちらでも良いのだが、そうした事が現象として起きやすいという事は事実として受け止めておいた方が良いような気がする。

働き方を改革するのは、個人が自由にやれば良い。会社にできるのは本来それをしやすい環境を整える事と本来の業務を改革する事である。残業をなくそう、会議のやり方を変えようといった呼びかけのどこに「業務改革」の要素があるというのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 4日 (月)

楽器の音と向き合う

昨日は第九の1日練習・・・とその後別に弦分奏。第九は来週が本番という事で、ステージでの前日当日のリハーサルを除けば、最後の練習である。

相変わらずここにきても様々課題を指摘されるのだが、それはそれとして個人的な課題を加えるなら、全力で弾きすぎるというのがあるだろう。この場合の全力というのは、力を込めすぎているという意味で、ようは音的にはがなっているような状態で、音楽になっていないという感じの事である。

気持ちはもちろん全身全霊をかけるでなくてはならないのだが、その気合いが別に出なくても良いところに出てしまっているというところだ。そして付け加えるなら、その割に音は飛んでいない。いや力任せに弾いて飛ぶはずがないのだけれども。

こうした力加減は長年に渡って染み付いてしまったもので、簡単には矯正できない気がする。夜の弦分奏でも、そんな気合いは(疲れていたので)なかったはずなのに、音は大荒れ状態だった。

一つ対策というか、対処的に考えられるのは、少しソロの(オケの中のソロではなく)弾く時間を増やすというのがある。基礎練習もそうだが、そもそも自分の場合ソリスティックに楽器を鳴らすというのを基本的にやっていない。レッスンでも受けていればまた違うのだろうが、練習含めてオケの中で弾く機会ばかりという中で、自分の楽器の音と正面から向き合っていないというのはあるだろう。

あとはそれを録音する事だろうか。結局客観的に自分の音色や音楽表現と向き合う機会を作っていくしかないような気がする。録音は気が重いんだよなぁ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 1日 (金)

カレンダーへの依存

VAIOが欲しいとか書いていたら、ドンピシャでVAIOいかがですかというメールが流れてきたのだが、アドテク的には可能だろうなと思いつつ、これは多分偶然であろう。何れにせよちょっとフルスペックでは手が出ないので、本当に買うなら何か考える必要がある。
(と、こんな事を書いているとある日突然、本当に買ってしまったりするので、特にこの時期は気を付けなければならない・・・。)

この所カレンダーがらみでトラブルというか、「登録していないが故の」あるいは「登録しすぎているが故の」トラブルというほどでもないトラブルが生じているのだが、気が付いたら薬が無くなる前に病院に行けるのが明日だけになってしまっていた。何が問題って練習と打ち合わせが入っているのである。

こうした「ズルズル先延ばしにしているうちに後がなくなる」という案件はいくつか発生していて、今回の通院(痛風の薬を処方してもらうだけなので行くのは3ヶ月に一度である)もそうだし、マッサージを受けるとか(この間受けた時に考えたのは2週に1回程度)、髪を切るとか(せめて月1回)、コンタクトを買いに行くとか(3ヶ月から半年に1回)、さらに長いスパンでは弓の毛替えや弦の張替えなど、カレンダーに予定を登録するほどではないよな・・・と思っていたものが、登録していない事でズルズルと先延ばしになっていく。

これはカレンダーに依存しすぎているという事なのか、そういった事も丁寧にカレンダーに登録せよという事なのか・・・。

Googleカレンダーに登録するという事は、Googleにはそうした行動が筒抜という事ではあるのだが、個人的にはもう少し丁寧に登録するかと思ったのだった。その辺りは行動パターンをAIに把握してもらって「そろそろ病院に行く時期です」とかって勝手にスケジュールに入れて欲しいものだったりもするのだが・・・。

何れにせよ、明日行けなければ来週も行けないので、何とか明日で調整しなければ。
れ、練習に行きたくない訳じゃないんだからね!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年11月 | トップページ