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2018年2月19日 (月)

演奏会終了

エキストラで参加した東京カンマーフィルの演奏会が終了した。急な依頼にかなり無理やり対応したのだが、モーツアルトとハイドンという事で、普段はなかなか機会のない曲が演奏できたのは良かった。自分の基本的な音楽嗜好はやはりこちらの方向にあるのだという事を再確認する。いや近代現代曲が嫌いという訳ではないけれども(聴くのは好き)。

とはいえ、先述のように急な依頼と急な参加だったので、曲やオケにアジャストできていたかというと正直怪しい。そういった意味では、エキストラとしての役目を果たしきれていたかは微妙である。もちろん全然弾けない訳ではないので、お荷物という事はないと思うのだが、パートわずか3人という小編成なのだから、本来もう少し果たすべき役割があったはずである。

そして今回やってみて再認識した事がある。それは事前の個人練習が自分の場合ほとんど役に立っていない事だ。いやそんな事ないだろうと思いたいのだが、現実はそうなっている。期間がなかったので今回は珍しく合奏参加前にさらったりしたのだが、ほとんど意味がなかったと言って良い。何というか、事前の個人練習の段階では曲を感じる力が弱くて、その練習の結果と合奏での演奏が結びつかないのだ。

もちろん、ある程度合奏の中で曲が体に入ってくると、個人でさらうというのは精度を高める上で重要になってくる。ようするに順番が違うのだ。

本来、曲をさらうのは合奏に参加する前に終わらせておくべきとされている。その結果を持ち寄るのが合奏の役割で、合奏の中で個人練習をしては意味がないからだ。その理屈はその通りで、合奏の中で個人練習をしては意味がないとは思うのだが、一方で自分が弾けるようになるプロセスを見ていると、アンサンブルの中で弾くという事が極めて重要なスタート地点になっている気がしてくる。パートというパーツを持ち寄ってアンサンブルの響きを創り上げるのが本来のはずなのだが、アンサンブルの響きの中からパートというパーツを削り取って自分の音を創り上げている感じとでも言えば良いだろうか。

理屈はどうあれ、現実がそうであるなら、それに見合った練習のやり方というを考えなければならない。結局合奏に参加してどれだけ自分のものとして削り取れるかが重要なのだとすれば、ものを言うのは合奏への参加量である。合奏という響きから削り取った自分の音と、パートとして出すべき音とが重なった時が、アンサンブルへのアジャストだと考えるなら、毎回の合奏の中で何をどう削り取るかが重要になってくるからだ。

そうなると練習を休むというのは極力避けなければいけない訳で、やはり掛け持ちなどしている場合ではないということかもしれない。

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2018年2月16日 (金)

指揮者の力

昨日はKオケの練習。先週(余興演奏の)本番があったばかりだが、来月には正規の本番がある。まだまだ心許ないけれども練習に出席するメンバーも少しずつ増えてきた。(あいかわらずビオラがいなかったりしたけれども。)

Kオケはメンバーの関係もあって日本では(多分)珍しいボサノバを演奏するオーケストラである(専門ではないがプログラムには必ず1曲入る)。今回もそうした曲があるのだが、何分曲の雰囲気が分からないので、最初はチグハグな感じになりやすい。唯一雰囲気が分かっているのは、逆にオケには馴染みのないギター弾きなので、ニュアンスもうまく伝わらなかったりする。

ところが昨日はちょっと違っていた。少し前にオリジナルの音源(オケ編曲版ではなく文字通りの原曲)を共有してもらって、指揮者がそれを聴いて雰囲気を理解した事が大きいのだろう。自分はまだ聴いていないのだが、指揮者の振り方一つで自分の弾き方も変わって、オケ全体がこうも変わるのかと驚いたりする。

指揮者の影響力を感じるのはこうした瞬間だ。指揮者によってオケの音が変わるというのは普段実感することも少なくない。その要因はプロとアマの違いのように捉えていたのだが、それだけではなく、アマチュアであっても指揮者自身の音楽に対する理解や、その表現の変化によって、オケの音楽は変わるものなのだ。(ちなみにKオケの指揮者は社員である。)

こういった事は「変わった瞬間」しか分からない。通常指揮者がその曲を理解するのはオケでタクトを振り下ろす前なので、曲を理解していない状態と理解している状態の指揮者の違いを目の当たりにする機会などまずないだろう。

そういった意味では、なかなか貴重な経験をさせてもらった気がする。次は自分も原曲を聴いて、その雰囲気をより理解する番だ。

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2018年2月15日 (木)

「マーケティングが弱い」という思考停止

「マーケティングが弱い」という言葉があるが、この指摘ほどその「マーケティングに対する理解の弱さ」を露呈してしまっている捉え方はないと思う。という訳で、経営者であれ、コンサルタントであれ、こうした言葉を使う人は(人間としてではなく能力として)信用していない。

マーケティングというのは、ビジネスにおける様々な活動の複合体である。その全体に対して課題があるという指摘は、「あいつは仕事ができない」といった指摘同様、具体的な課題を一切捉えていない。マーケティングが何であるかは、数多の専門書にあたるまでもなく、ネットで検索するだけでも簡単に調べられる。おそらくこれという答えはない。そこから導けるのは「マーケティングという大雑把な捉え方では何ら課題は解決されない」という当たり前の結論だろう。

具体的な課題が明確にならなければ、対策は立てられない。例えば4Pや4Cのような形でも良いから、具体的に何が課題なのかを指摘する事が重要であって、「マーケティングが弱い」というのは思考停止以外の何者でもない。

ちょっとそんな事を考えてしまった。会議で使っている人がいたからでは・・・あるか。

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2018年2月14日 (水)

ブランドの価値

アルマーニの制服が話題である。

正直外野としてはどうでも良い騒動ではあるのだが、一時ブランドに関わる仕事もしていた身としては、どちらかというと今回の話はアルマーニにとってどうなのだろうかという気がしている。制服という事はある種のオーダーメイドな訳で、ブランド側にも引き受ける際の判断軸があったはずだ。

今回の件で言えば、ビジネス的には(決まった受注が得られて)おいしい話だったのかもしれないが、ブランド毀損というか、毀損とまではいかないまでもブランド価値を高める事にはつながらない話であるような気がする。制服としての採用はある種のブランドコラボでもある訳だが、今回はどう考えてもブランドの力を借りられてしまっている。高級ブランドにとって、その関係は本来望ましくない。

理想はこうだろう。

「あの学校の制服って何だか良さげだよね」
「アルマーニらしいよ」
「なるほどね」

この場合、学校のブランドとしての社会的な格はアルマーニと同等かそれ以上である必要がある。着る者の格が高いからこそアルマーニの価値に意味が出てくるのであって、アルマーニの格が着る者の格を高めるという関係は、身もふたもない言い方をするならブランドにとってはあまり価値がない。

そう考えると、ブランドの価値というのは、少なくともラグジュアリーの世界においては自らの格よりも高いポジションと結びつく事によって高まるものだとも言える。ただしその関係は逆からはマイナスでもあるので、それに見合うだけの価値を提供できなければいけないが。

コモディティブランドの場合はまた違った構図があるかもしれないが、そんな事を考えた。こんな騒ぎになってしまって、アルマーニのブランドマネージャーは自らの判断に頭を抱えてしまっているかもしれない。

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2018年2月13日 (火)

演奏会終了

週末に Groria Angelicus の演奏会が終了。ゼノギアスというゲームの発売20周年を記念して発売日にその音楽のコンサートをやってしまおうという企画オケで、何の因果か(いや自分でエントリーはしているのだが)日曜公演にも関わらず参加してしまった。

動機はいくつかあって、一部から強いお誘いを受けたというのが直接的な理由ではあるのだが、プロのチェロ奏者が参加するというのも大きな動機だった。アマオケでは協奏曲という形でプロと共演する事はあっても、同じパートで同じ曲を弾ける機会というのはあまりない。

結果としてはスキーに行きたくなるという(とはいえ単に滑りたいという話ではなく、勝手に師匠と仰いでいる方の講習会に参加するというものである)、妙な方向にモチベーションが高まったりしたのだが、なかなか得難い経験だった。トップとしても参考にしなければいけない部分も多々あり、F響の方はよりによって本番指揮者の初練習を欠席する羽目にもなったのだが、悪くなかったと感じている。

今回の演奏会が終わる事で、なんだかんだでここしばらく途切れる事なく続いていたサブカル系のオケとの関係が一旦切れる事になる。今の時点では決まっていないし、おそらく余程の事がなければ参加する事もないだろう。クラシックのオケも含めて、少し数を減らす事を考えなければ、正直身が持たない。(と毎回言っているが、今後の事は正直分からない。)

さて、他のサブカル系のオケを聴きに行った事がないので、あくまでも自分の経験の中での話なのだが、今回の演奏会で画期的だったのは、アマチュアにありがちな奏者中心の選曲・編曲ではなく、楽曲中心の選曲・編曲となっていた事ではないかと感じている。どういうことかといえば、編成がきわめて薄い曲が多々存在していた事だ。特に第2部後半は金管はもちろん木管すら一部削られていた。

これは元となったアレンジアルバム「MYTH」による影響ではあるのだが、奏者ありきで全員の出番を作る事を優先するのではなく、あくまでも曲中心に必要な楽器構成にするというのは、なかなかアマオケにはできない選択である。もちろんアマオケは奏者ありきの組織ではあるので、その出番を作るのは非常に重要なのだが、一方でそれではどうしても選曲や編曲に無理が生じやすい。そこをある意味割り切って、曲中心の演奏会ができた事は、また一つの大きな変化なのではないだろうか。

加えてサブカル系のオケの多くは、オリジナル音源に近い音楽をオーケストラで演奏するという事を重視していると思う。これはこれで重要だし、それが多くの奏者のモチベーションを支えていると思うのだが、例えば今回でいえば「MYTH」やあるいは「CREID」といったアレンジバージョンを演奏する、あるいはそういった「原曲をフィーチャーした大幅なアレンジバージョン」を自ら編曲し演奏するような機会が増えてくれば、この世界はさらに広がっていくだろう。(権利関係で色々難しい事もありそうだけれども。)

別に参加当初からそのように感じていた訳ではなく、終わってみるとそうだったかなという話ではあるのだが、聴衆が「これだよ!」と感動する再現性だけでなく、「これが?・・・でもいいじゃん!」となるような新たな一面を拓く演奏会ができれば良いのではないかと思ったりしたのだった。

・・・クラシックも本当はそうだったりするんだけどね。

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2018年2月 9日 (金)

場を盛り上げる演奏

昨日はKオケの本番。社内イベント(某事業所の新年会)での余興演奏である。

Kオケは性格上そうした機会も少なからずあるのだが、毎回の事ながらパーティーの最中に必ずしも注目されるわけでもなく演奏するというのは精神的に少々キツかったりする。演奏はまだ音楽そのものと向き合えるから良いのだが、なんといっても厳しいのがMCである。

曲間に曲目やオケの活動の紹介を挟むのだが、聞いていない人たちに向かってこれを話すのはかなりの精神的なエネルギーを必要とする。もちろんこちらに注目してくれている人たちもいるので、そうした人たちを相手に話すように気持ちを持っていければ良いのだが、どうしても聞いていない人たちに注意が向いてしまう。

この辺りは割り切りというか、今後もこうした機会があるなら心臓を強くしていくしかないと思うのだが、その辺りの動揺が演奏にも影響してしまうのが残念なところだろうか。

喧騒の中で行う演奏なので、クオリティは正直客観的に評価するのが難しい(お互いの音よりも会場内の喧騒の方が耳につくような状況である)のだが、それでも聴いてくださった人たちからは感謝と賞賛の声が寄せられるので、演奏中はともかく終わってみれば良かった、という結果になる。もっと場慣れをしてくれば、選曲も含めて場を盛り上げるような演奏ができるようになるかもしれない。

そう、課題は「場を盛り上げる」事なのだ。大切なのは「演奏を聴かせる」事ではなく、イベントを盛り上げる事にある。そういった視点で考えた時に、演目含めどこまで考える事が出来たかはかなり怪しい気がしていたりする。

そこがどういった場で何が求められているか・・・それに合わせた演奏ができるかが、今後こうしたイベントに継続的に呼んでもらえるかを決める事になるだろう。
いや、あまりたくさん呼んでもらっても対応できないんだけどさ。

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2018年2月 7日 (水)

Kオケの将来

一昨日、昨日と朝が慌ただしかったのだが、今日は平常通りの朝で少し落ち着いている。

昨日はKオケの練習。8日の社内イベント向けの練習だが、基本的にはレパートリーからの選曲なので、思い出す事が中心で、それほど時間をかけずに終わった。出演者の半分は欠席なので、後はぶっつけ本番(当日はリハーサルも音出しもできない)になるのだが、まぁなんとかなりそうである。この辺りはこれまでの蓄積というか、新曲を用意せずに済ませられる点が幸いしている。残る懸念点は、メンバーがプログラムを勘違いして楽譜を忘れてくるぐらいか・・・。

今日は7月にあるOBOG向けのイベントに向けた打ち合わせがある。こうして声がかかるのはありがたい話で、正直昨年の演奏機会の約1/4はKオケ関係なのだから、活動としては活発である。

一方でやややっつけ気味になってしまうのも確かで、3月の演奏会に向けての練習も今の時点でなかなかメンバーが揃わずにいる。仕事がある中での平日の練習だからやむを得ない側面もあるのだが、そうした中で怖いのはメンバー間の温度差が生じてしまう事だろう。がんがんクラシックをやりたいメンバーもいれば、そこまで求めていないメンバーもいる。演奏技術のレベル差も激しいので、気持ちや姿勢はどうしても揃わない。

元々は「昔楽器をやっていたけれども今はやっていなくて市民オケに入るほどではないが機会があればやってみたい」人たちの受け皿として出発したオケのつもりなのだが、活動を続けていけばどうしても現役でやっている人間が残りがちだ。そもそも楽器を弾くという事が生活習慣の中に入っていてその延長で参加するのと、新たな生活習慣として楽器を弾くという機会を作っていくのとでは、当然後者の方が色々ケアが必要となると思うのだが、これがなかなかできていない。自分にはそういった要素がないので、なかなかその筋道が想像できないという事もある。

いずれにせよ、団長であるからにはそうした点を注意していきたいものだ。

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2018年2月 5日 (月)

オケとスキーの日々

今朝は諸々あって時間が取れなかったので夜に書く事にしたのだが、最寄駅のドトールが早く店じまいをしてしまっていた為、わざわざ数駅戻るという事をしてしまった。そこまでする程書きたい事があった訳でもないのだが・・・。

土曜日はKオケのメンバーでスキー。家族以外の誰かと行くスキーというのは随分と久し振りな事で、スキー場で人と話すとか、途中休憩しながら滑るとか、それはそれでスキーの楽しみだよなと思ったりした。多分毎回だと疲れてしまうのだが、たまにはこういった事があっても良い。

オケメンバーでスキーに行くというのは別に深い意味がある訳ではなく、自分の交友関係がその関係に限定されている事に起因している。とはいえ、付き合いがあるのは一つのオケという訳ではないので、スキーに関してもそういった事があっても良いだろう。

さて、その土曜日はそれでも帰ってきてから個人練習に行くという暴挙に出たのだが、その挙句に2時間かけてさらった曲は翌日の練習でたどり着かず持ち越しという結果になったりした。実際には弾けるようにはなっていなかったので、猶予をもらったようなものだが、スタジオでの個人練習がそれなりに効果がありそうだという感触は得られたので、せめて週に一度ぐらいは練習を入れるようにしたいものだ。

もっとも今週は8日にKオケの本番(社内イベントでの演奏)があり、明日6日はその練習を入れている。その後は土曜日に翌日の本番に向けた練習があり、月曜日には翌週の本番に向けた練習があるので、1日おきに楽器には触れるスケジュールになっている。問題は月曜日の練習に向けてさらう時間をどう確保するかで、まぁそれは有給を取っている8日の日中に入れるような感じだろうか。

楽器三昧な一週間という事で、それはそれで幸せな事なのだが、一方で次にスキーに行けるのはいつ?という悩みもあったりするのだった。

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2018年2月 2日 (金)

個人練習

昨日は雨の中楽器を背負って歩く羽目にはなったのだが、概ね予定通りにやる事を消化できた。

・・・が、練習に関しては(これまでの)不足感が露骨に出たというか、もっと練習しなければ、という結果に終わった。大切なのは、集中して長時間の練習をするというよりも、小まめに練習をする事だろう。昨日は弾きすぎて今日は少々指が痛いのだが、これではあまり良い練習だったとは言えない。

収穫がなかった訳ではなくて、昨日はスタジオの個人練習枠を使ったのだが、やはり実家に戻って練習するなどよりも環境的にはかなり集中できるという事を実感した。ようはそういう事をどれだけやるかという話で、冷静に考えると実家に車で行くのも、昨日使った初台に電車で行くのも、実は時間的にはあまり変わらないのだ。夜という練習枠をどれだけ予約できるかは別として。

いずれにせよ、(個人)練習機会を増やさなければならない。昨日の夜はKオケの練習だったのだが、これも譜読みがなんとなくできていないまま適当に合奏に参加してしまっているのは間違いない。

そんな形で練習へのテンションが上がったのは一つ大きな収穫かもしれない。この熱が冷めないうちになんとかしたいものだ。

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